62. 再起
とある山岳寄りの田舎街。発展の喧騒から隔離されたようなその街は、のどかな田園風景の遠くに山々が連なっている。
穏やかな気候に恵まれたお蔭だろうか。外部と交流を目立って持たない、地産地消の閉鎖的な生活をしているにも関わらず、外から訪れる者たちへの態度も穏やかな者が多い。
小さな家屋の窓は大きい。たっぷりと光の入るそこから見る外の景色はまだ明るい。玄関に直結した広いリビングは、睡眠以外の全てが完結出来てしまいそうなほどだ。
水回りも奥に続く扉の向こうに兼ねそろえてあり、ゲストが寝泊まりするには十分すぎる設備だろう。二階に続く階段は小屋の半分をぐるりと取り巻き、吹き抜けになっているお蔭で狭さはない。代わりに、二階の寝室は小部屋が二つだ。
生憎、そんな晴れやかな天気であっても、カーテンが閉められた部屋ではその明るさも半減していた。
決して寒いとは言えない気温にも関わらず、ぱちぱちと柔らかい音を立てる火を眺めていたその姿は、不意に叩かれた扉の音にのっそりと身を起こした。そんな姿に釣られて居場所を正すように、抱えるほどの大きな鳥のファーロは、階段の水平な手すりで足を踏みかえていた。
「アレンさん? リタです。開けますよ?」
間もなく扉を開けて室内を見回した小柄な少女――――リタは、室内の妙に薄暗く感じる様子を見た途端に、整った眉を顰めていた。暖炉前に置かれたソファの向きを勝手に変え、沈み込むように座っていた姿を見てしまったせいだ。
「ああ、まーたそうやって! 狭くて申し訳ないけど、ちゃんと横になってって言ったじゃない!」
「…………ああ」
女性と言うにはまだ、その声に幼さは残る。ここ一帯の土地ではありふれた一つに束ねた栗色の髪は、室内に踏み込むと光の加減で色味を黒くした。深緑色の瞳も今は呆れの色一色だ。
気のない返事は反省した様子がない。それが解っているので、リタは深く溜め息をつきながら肩を落とした。
「心配なのは解りますけどね。レオさんの処置に処方ですよ? 少しは信じて下さい」
リタは抱えていたバスケットをソファと対のローテーブルに置くと、その足元に落ちていた新聞を拾い上げた。それを見て、わずかに首を傾げる。アーレンデュラが新聞に情報を頼るのは珍しいと感じたせいだ。
考えても仕方がないとリタは思考を切り上げた。置き場所がないため新聞をバスケットに突っ込むと、代わりに中に入れていたリンゴを一つアーレンデュラに投げ渡した。
「ほら、これでも食べてください」
投げ渡されたそれを返す気力もなく、渋々受け取った姿は、赤く色づいたそれをただ疲れた様子で眺めていた。やれやれと、リタが大袈裟に再度肩を竦めたのは、最早仕方ない事だ。
リタの呆れに同意するように、ファーロが周りにぶつからない程度にばさりと羽を広げていた。ねえ、と、リタはファーロに向けて苦笑する。
「あなたの様子次第では、お見舞い許してもいいって言われていたけど、その様子じゃあやめておいた方が無難そう――――わっ……!」
「会えるのか!」
けしかけるような言葉に、アーレンデュラはがばりと身体を起こしていた。それに驚いたリタは、目を見開いて反射的に身を縮めてしまう。そうしていると、随分と幼く見えた。
ああそうだ、彼女もまた成人前の年頃だった。行かせてしまった黒姫の姿を重ねて頭の片隅に認識しながらも、アーレンデュラは乗り出してしまう身を止められなかった。
「会って、いいのか」
「え……ええ。意識が戻る頻度が上がって来たから、そろそろいいだろうって」
「そうか」
ぽつと呟いたアーレンデュラは、身体からどこか力が抜けるのが解った。どっとソファに倒れ込んだ姿にリタがまた飛び上がる。
「……そうか。よかった」
何事かと慌てたリタも、目元を腕で覆った姿が呟いた声を拾って唇を引き締めた。
アーレンデュラもまた、態度で急かしてしまわないように気をつけていたのだろう。しかしやはり心配に気を揉んでいたのだと理解する。
リタがそれはそうだと言葉にしなかったのは、自宅に匿う重症の老婆と、彼がなだれ込んで来た時の焦燥した様子も思い出したからだ。
「今から来る?」
小首を傾げてそっと顔を覗き込むと、わずかに首肯が返って来る。ならばこちらでのんびりする必要はないと判断したリタは、壁にかけたままになっている小屋の鍵を手に取った。
「なら、のんびりしないで行きましょ。ファーロ、おいで」
リタが腕を差し出すと、ばさりと重たそうな音を伴ってゆったりとそこに落ち着いた。
行きましょうとリタが扉を開けると、アーレンデュラは今一つ頼りない足取りでふらりとついていく。せめて食事と睡眠はとってほしいものだと、それを見た少女はこっそり眉をひそめた。
リタが小屋の扉を施錠している間にも、高身長はふらふらとした足取りで母屋へと向かう。そういう怖い話のバケモノがいそうだと、亡霊のような背中を見たリタは一人で苦笑した。
「レオさん、アレンさんを呼んできたわ」
「ありがとう、リタ」
裏口を開けたリタが先回りして中に声をかけると、廊下の先にある部屋で背中を向けていた男が振り返った。
リタと同じ色をしたレオと呼ばれた男は、今のアーレンデュラが幽鬼のように見えるせいか、余計にまだ若く見える。彼は手招きしてから、手にした桶やタオルを手に、小部屋へと入っていた。その背中を、アーレンデュラが慌てて追っていた。
「フォルビア……!」
「あまり騒がないように」
足をもつれさせたアーレンデュラを、レオは静かにたしなめる。今すぐどうにかなる訳ではないからと、落ち着くように促した。
「アレン……。どうやら、世話になったね……」
「フォルビア、無理に話さなくていい」
薄らと目をあいたベッドの老婆は、視線が安定しないままかすれた声で囁いた。何かを探すように手をさまよわせるので、アレンは躊躇ってからその手を取った。
「……すまないね」
「あなたらしくもない、フォルビア。何の謝罪か解りかねる」
むすりとするアーレンデュラに、仕方がなさそうにフォルビアは唇の端を引きつらせて笑っていた。
「心配は、うれしいけどね……アレン。食事は、ちゃんと、摂りなさい」
「全く何を言い出すやら。誰のせいだと思っているんだ」
呆れたと盛大に溜め息をついていたアーレンデュラであったが、その表情は安堵でいっぱいだった。
ふと表情を曇らせると、出来るだけ落ち着いた声色でアーレンデュラは告げた。
「……あんたの城は、帝国に堕ちたよ。全部持ってかれた」
「……そうかい」
少しばかり気落ちした様子で、フォルビアは目をつむった。
「仕方ないさね。時代の流れみたいなものさ」
「それでいいのかい?」
「ああ……」
何も悔いはないと言わんばかりの穏やかな表情で、フォルビアは胸で深く息を吸った。けど、と。僅かに言い淀む。
「アムは、どうなった……?」
「……彼女も帝国に連れ戻されたよ」
言い淀んだアーレンデュラを、フォルビアは焦点の合ってない目で見上げた。
「なら、アレン。あんたはあんたで、思うように動きな」
「今もう、すでに思うようにしているだろう」
「は、は。バカ言っちゃいけないよ」
たしなめるような声は以前のような覇気はないものの、空気がわずかに戦慄した。
「あんたこのまま、こんなところで、燻っているつもりかい」
「そうは言っても」
「空は、あんたの庭だろう? 死に損ないのばばあに、構っている間に、その庭を荒らされて、悔しくないのかい?」
「……私に何をしろっていうんだい、フォルビア」
「……やれやれ、解ってるくせに。あんたはあんたで、成すべきことをしな」
しかしと言い淀んだアーレンデュラに、フォルビアはいっそう声を低くした。
「イムからの依頼を、あんた完遂してないだろう?」
仕事のプライドまで負け犬になったんかい。切れ切れながらもそんな焚き付けるようなフォルビアの言葉に、アーレンデュラも眉間に皺を刻んだ。
「アムを奪還してこいって?」
「あの子が、あの子達が、安心出来る場所に、逃がしてやる。そう豪語したのは……ほかでもない、お前自身だろう? アレン?」
「…………はあ。敵わないね」
両手を挙げて降参だとぼやくと、老婆は呆れた様子を隠すことなく身じろぎして体勢をわずかに変えた。
「状況は、どうなっているんだい」
「あれから色んな事が起きたよ、フォルビア。帝国は空に通ずる全てのものに宣戦布告し、空賊シュテルは懸賞金付きのお尋ね者になった。どこからどう考えても、帝国に黒姫として戻ったアムを今から連れ戻す方が困難な気がするけれど、それでもあなたは連れ戻して来いっていうのかい?」
「やれやれ。……御託を並べる暇があるなら、さっさと支度をしたらどうだい。どうせばばあの心配にかこつけて、部屋に引きこもっていたんだろう?」
「くっ……」
返す言葉を失ったアーレンデュラは、悔しそうに顔を僅かに顰めていたら、がっくりと項垂れていた。
「全く……目が覚めた途端によく頭が回るというか、なんというか。ほんとに貴女という人は、人を使うのがうまいこった」
「はは。一体誰に、物言っているんだい。あんたがこちらを出し抜こうだなんて、せめてもう少し、副芸が出来るようになってからにしな」
「これでも歌劇の役者に誘われる程度には、演技派なんだよ? フォルビア」
「は! は!」
ふと笑うのも疲れたと言わんばかりに、フォルビアは枕に身を沈めた。
「……悪いが、少ししゃべり疲れた。あんたが戻るまで、意地でもくたばってやらんから、ちゃんと全部終わらせておいで」
縁起でもないと苦い表情をしたアーレンデュラに気が付いたのだろう。ぽんぽんと、その手を軽くたたいてくるので、仕方ないとアーレンデュラは苦笑した。
「わかったよ。フォルビア、くれぐれも約束を違えないでくれよ?」
「……ああ。行っておいで」
「新聞の一面を飾るくらいには、派手にやってくるとするよ」
よくよく見ておいてくれよ、と。言い残した男はここにやってきたときとは見違えるほどしっかりとした足取りで、その部屋を後にした。
反撃の狼煙はまもなく上がる。




