60. 反逆
「もしもーし」
『……ょっかた、だん……! やばい……とにな……た!』
至って軽い調子で尋ねると、砂嵐のようなざりざりとした音に混ざって、アルフェリオの影武者の男の焦ったような声が聞こえた。「ちょっと待って」 と断ってから、アルフェリオはルーザのそばまで颯爽とやってくると、周波数を整えるように端末のダイアルを調整した。
「アル?」
『旦那! レンディアナはだめだ、先を越されている! すぐ逃げろ!』
砂嵐のような不鮮明な音がクリアになった途端に聞こえてきた声は、背後に聞こえる複数人が逃げまどっているような声に重なって叫ぶように告げていた。
『直線の航路もダメだ、そっちにナ――――ぐぁッ……!』
どっと、重たいものが落ちたような音は、回線向こうの男が足を取られて転んだらしい。一瞬、耳ざわりな機械音が響いた。
「落ち着いて、アル。何が起きている?」
『っ……なんで、あんたが?! 陛下は――――』
「アルヴィス!」
問かけは、相手の耳に届く余裕すらないらしい。アルフェリオが再度呼びかけても、返答はない。ただ、荒れた鈍い音が返ってくるばかりだ。
「返事をしろ、アルヴィス」
珍しく、語尾を荒げた直後だった。
『久しいな、リーステン』
「え……」
聞こえた声に、アルフェリオは動きを止めた。ぎょっとした様子で通信機を見つめた姿に、さすがのルーザも訝しんだ。
かすかに唇を震わせたのは、言葉を失ってしまったのかもしれない。血の気の引いたような表情を見せたアルフェリオを伺い、ルーザはそれからその手元の通信機に目をやった。
『お前は昔からそうだった』
そうしたからと言って、相手の顔が見えるわけではない。ただ、無機質なものから聞こえた静かな声は、妙な圧力があった。
『お前の行動は昔から目に余っていたが、反逆者にまでなり下がるとは』
「何故……」
ようやく、思い出したように息を吐いたアルフェリオは、軽薄な男の仮面も忘れて絞り出すように尋ねた。
「なぜ、あなたが生きているの? マーガス兄上」
『クッ』
心底愉快だと言わんばかりの相手の声色に、アルフェリオは絶句した。淡々とした声が、無情に言い放った。
『命令だ、リーステン。二日以内に登城しろ。反逆罪により、お前は死刑の後、さらし首だ。ネブロディアエル家の恥さらしが』
『来るな旦那! すぐ外海に……ぁがッ……!』
「っ……!」
『来ても来なくても構わないぞ。代わりが苦痛の末に死ぬだけだ』
「アルヴィスに手を出すな」
真剣に告げられた声に、普段の軽薄さは微塵もない。従えばいいのだろうと言い放った表情に余裕さは微塵もなく、その先にいるはずの姿を睨みつけていた。
「兄上、これだけは答えて。父上はご健勝なの」
返答は、すぐになかった。
『ぷっ、はは! くくくく』
アルフェリオの言葉がおかしくて堪らないと言わんばかりに、相手は喉の奥で何度となく笑った。
『どうせ間もなくあちらでお会いすることになるんだ。自分でお伺いしたらどうだ?』
「ッ、あなたという人は!!」
怒気を増したアルフェリオに、声は至極愉快そうに告げる。
『そうだリーステン。今シュテルと共にいるな? やつらも反逆罪だ。白姫とともに殺して、黒姫の図面も取り返してこい。お前の身代わりと引き換えだ』
「シュテルは僕の命令で動いていた。アズネロも同じだ。白姫を殺せば黒姫は協力しないよ。責任は全部僕が取ればいいだろ」
『ああ! はは、忘れていた。どちらについても安心しろ。まだアレには役に立ってもらわないといけないからな。白姫はシュテルが殺しているし、お前が戻れば、そちらは命までは取らないさ』
帝国の資源は、資源らしく活用しないとな。冷淡な声は、自らの決定は絶対的である事を告げる。
『それと、〇〇を匿っているのもお前だったな。それも持ち帰れ』
「……あなたに人の心は無いの」
震えそうになる声を抑えたアルフェリオは、いつになく真剣で、そんな様子がおかしくて仕方がないと言わんばかりに相手は喉の奥で笑っていた。
せいぜい私が待つことに飽きる前に急ぐことだな、と。無常な声は告げた。
『さもなくば、この機械と同じ末路を辿ることになるだろう』
直後の事だった。耳鳴りを伴うほどのバリっというノイズが部屋中に響きわたり、無線機はそれっきり沈黙した。相手によって強制的に壊されたのだと知るにたやすい。
「っ……生きてた……」
噛みしめるように呟き、深く息を吐いたのは、アルフェリオ以外にほかならない。立っていることもままならないのか、崩れるようにしゃがみこんでいた。
「もしかして、オーランド兄さんがずっと応えてくれなかったのは、全部知っていたから……?」
でもどうやって、と。混乱した様子さえもあった。
「……今までの事は父上ではなかった? 兄上は反対してたんじゃないのか……?」
ぶつぶつと呟いていたかと思うと、ふと静かになった。「それより、行かないと」
「え? わざわざ死にに?」
休んでいる余裕もないのだろう。ふらりと立ち上がった姿に、ルーザもさすがに呆れた。
「しかも君、手ぶらで行っても部下が死ぬんだろ。どうする? 今ここで暴れて、図面奪おうとして、僕に殺されておく?」
淡白に告げられて、アルフェリオは苦笑した。
「……しないよ。お願い、図面を渡して。君たちはユーイを連れて海に出て」
「はあ、馬鹿なのかい? 結局それって、お土産引っ提げて死にに行くだけだろう? 従う必要ある?」
「あるよ。僕が主犯格として立てば、君たちの懸賞金も取り消させられる」
「だから、馬鹿なの? 今のやりとりで取り消すような相手ではないのは僕でもわかる。あれは死体を見るまで納得しないよ。それに君が僕らの懸賞金取り消して、君になんのメリットがあるのさ」
「あはは……そうかも。でもね、メリットの問題じゃないよ、テオドルーザさん。これはけじめの話さ」
「……あっそ」 呆れたと言わんばかりに目をぐるりと回して天井を仰いだルーザは、破れかぶれに窓の外を見た。
「だってさ、リオ」
そこに映っていた姿に問いかけると同時に、アルフェリオは驚いた様子で振り返った。
一体いつからそこで話を聞いていたのだろうか。操舵室の扉からこちらを伺っていたリシュリオは、ルーザと同じ顔で呆れていた。
「立ち聞きは関心しないなあ、リシュリオさん?」
取り繕うようにへらりと笑ったアルフェリオは、斜に構えてくすくすと笑って見せた。残念ながら、いつもの煽り調子は、今回はただ受け流されてしまっただけだった。
誰も反応を示すことはないのだろうか。膠着状態が続くのかと思われた時、リシュリオは丸めた編み物をその顔面に投げやった。
「お前が船内の無線にたれ流したんだろ。立ち聞きもくそもあるか」
「わ、なに?」
「黒姫の図面ならくれてやる。他でもないエスタがお前に託していいって言ったからな」
「まさか、これ……?」
戸惑った男は、「いいの?」 と今までで一番弱々しい声で尋ねていた。リシュリオは面倒くさそうか顔をしてから、いたって真剣に告げた。
「けど、犬死は看過できねえな」
「うーん、悪いけど。こればっかりは引き止めないでほしいなあ」
「行きたきゃ行けよ。ただし、俺らも勝手させてもらうけどな」
「君らはこのまま、騒ぎが落ち着くまで隠れていて欲しいんだけど」
「あれはだめ、これはああしろって、随分お節介なことだな? いつから俺らはそんな馴れ馴れしい関係だった?」
「巻き込んでしまった事は悪いなって思うよ。だからこそ、まだ逃げ出せる内に逃げて欲しいんだ」
返ってくる言葉は、アルフェリオの本心なのだろう。漆黒の瞳は反らされる事無く、真っ直ぐにリシュリオを見据えていた。今までの姿は何だったのだと頭が痛い思いで、リシュリオは溜め息をこぼした。
「はあ……。正面から行くなんて、バカがすることだ」
つかつかと歩み寄ったリシュリオは、その胸に一冊の手帳を押し付けた。
「昔の仲間はムカつく程先読みが好きでね、他人を動かす事をボードゲームかなんかと思っていやがる」
「これは……?」
「人の気持ちを理解できないクソ野郎だけどな、仲間意識はあれで意外と高いんだ」
淡々と告げると、アルフェリオは不思議そうにその手帳とこちらを伺っていた。
「帝国の今の内情について書かれている。暗号化されていたけどな」
それは、『旦那の不利益になることは書いていない』と手帳の持ち主が豪語していたとは、この場にいるものは誰も知らない。唯一知る女がそこにいたら、分かっていたならもっと早く言えときっと憤慨していた事だろう。
「あんたについても記録はあったけどな、全部嘘っぱちですってご丁寧に暗号化して書いてあった」
リシュリオがチッと舌打ちしたのは、無意識だろう。
「こうなることを、あいつは予想していたんだろうな。あんたに救われて恩を感じてるから、あんたに手を貸してくれって、珍しくお願い事が書いてあったよ」
「……もしかして、ジュリアス?」
「そーだよ。こんなことばっかするから、あいつは人望が基本的にないし、人のことを担ぎ上げようとする」
忌々しそうに告げてから、リシュリオは真っ直ぐにその姿を睨みつけた。
「お前が拾ったんだから、お前の方で管理しろよアルフェリオ」
「は、は……」
乾いた笑いは、思わず出てしまったようだった。疲れたようにも見えるそれは、何かを悟ったようにも見える。
「……そういうとこもお人好しだなぁ、リシュリオさんは。君の相棒の方が、よほど徹底してるよ」
アルフェリオがくすりと笑ったのも、束の間だった。
「ごめんね? リシュリオさん?」
「は……?」
リシュリオの目線からその姿が消えたかと思うと、次の瞬間には足を払われ、掴まれた襟元を軸にリシュリオの視界はぐるりと回っていた。
「いっ!!」
どんっと鈍い音と共に、飛空艇が怪しく揺れる。操舵室の奥から「え、なに?!」 とエスタの悲鳴が聞こえたくらいだ。
「動かないで、テオドルーザさん? リシュリオさんの腕が折れちゃうよ」
「アルフェリオ、てめぇ離……っ!」
あまりに突然の事だったのでリシュリオが動けないでいると、ぎりぎりと拘束が強められた。
「テオドルーザさん、四翼飛行機への道はどこ」
アルフェリオが尋ねると、ルーザはただ壁のはしごに目を向けた。
「扉を開けて」
端的に告げられて、ルーザはちらりとリシュリオに目を向けていた。「行かせるな」 と唸る姿と、アルフェリオを見やり、ふうと肩を竦めた。
「仕方ないね」
「ルーザ!」
ひらりと壁に備え付けられた梯子を登ると、そこを押し上げた。
「この上に階段があるから、そこから展望台に出れば君の四翼飛行機が繋留してあるよ」
「おい、ルーザ!」
「引き止めても仕方ない事だろ? 死にたい奴は死なせてやればいいさ」
「そういう問題じゃ!」
「そういう問題だって」
それに、今ここでリオが怪我を負うのも無意味だし。と、ルーザの明確な優先順位に、アルフェリオだけが笑った。
「あっはは! 協力してくれるのは助かるなあ。ついでにリシュリオさんを引き止めてくれると嬉しいんだけどー?」
「そこまでは責任持てないね」
「つれないなぁ……」
少しだけ寂しそうに告げたアルフェリオは、ルーザと場所を代わるように顎で示した。暴れようとするリシュリオを引きずって、ふっと目を細め笑みを浮かべた。
「……それじゃあ、またね?」
「っ……くそ!」
アルフェリオはリシュリオを強く蹴り出すと、慌てて振り返ったリシュリオの手が届くよりも前に、梯子をひらりと登った後だった。
リシュリオが毒づいて追おうとするが、ルーザはただその腕を取った。
「ルーザ離せよ」
「駄目だ」
「あのまま行かせたら、あいつ死ぬだろ」
「それがどうしたって言うのさ、放っておきなよ。さっきも言っただろ。別に馴れ合う相手じゃないでしょう?」
「確かに馴れ合う相手じゃねぇ。けど、あいつはあいつで自由な空を守ろうとしている。エスタの時と同じだ。今、あいつの手を離したら、俺は絶対後悔する」
じっと見返すルーザは、僅かに眉にしわを寄せた。こうなったらリシュリオに引く気が微塵もない事を、よくよく理解しているせいもある。
「……はあ。どっちにしたって、あっちがどうしたって止まらないよ。それなら、あの付き人さんと計画立てて帝国に乗り込もう。もうどうせ、逃げ隠れしようが、僕らも後戻りできないんだから」
「………………わかった」
渋々リシュリオが頷くと、ルーザは漸く腕を離した。窓の外を伺うと、気のせいだと分かっていても、飛び立ったであろう四翼飛行機の影を見かけた気がしてならない。
とにかく一度、セリオス達にも声をかけて、任せっきりにしてある操縦に戻ろう。そうリシュリオが切り出した、刹那だった。
「り、リシュリオさん、ルーザさん!!!」
操舵室から、エスタの悲鳴が上がった。




