餞別と原稿用紙
渡された包みには、奇麗な三角形のおにぎりと焼いた味噌が添えてあった。
「あ、ありがとう!」
すっかり仲良くなった女の子たちに泣きそうになりながら言った。
「お元気で」
「水は大丈夫?」
お母さんみたいに訊ねられるまま、確認して笑った。
「餞別に」
ひげ面の兵士のおっちゃんたちに渡されたのは、ざる豆腐。日に当ててたら高野豆腐にならないだろうか。
「ありがとうございました」
一番常識的な挨拶をしてくれたのは、ヴェルデだった。
でも、
「―――カルチェは」
ヴェルデの傍らに立ったアグリに尋ねたら、意味深に笑われた。
「ま、まさか、もう手篭めに…っ!」
なんて手癖の悪い若造りだ!
「違います」
あ、こめかみに青筋浮かんだ。いやだ。冗談ですよもう。
「……でも、カルチェ怒ってるんでしょ」
結局、夕飯でも会えなかったのだ。どこに行ったか尋ねようと思ったアグリも居なかった。
私はビークルで砂漠を抜けるまで送ってくれるというセイラさんを見上げた。
ここは城の目の前の出入り口だが、あんまり長く居過ぎると周りの子供たちが何だか泣きそうだし、涙線弱いおっさんたちもうるうるしてそうだ。子供とおっさんの泣き声合唱なんて聞きたくない。
もう行こうか。
すでにギルドから原稿用紙もお金も受け取った。旅に必要なリストも用意してくれていたから、次の街で買い揃えることもできる。あの胡散臭い所長は、面白いことにはとことんまで手をかけるタチのようだ。
ヨウコ!
声がしたような気がした。
「ヨウコ!」
城の中が足音で反響して向かってきたかと思うと、美しい少女が現れた。
ゆったりとしたズボンに飾りのついた靴、キャミソールみたいな繊細な上衣はいやらしさは無くていかにも涼しげだ。腕に巻いた薄布が彼女に合わせて羽根みたいに跳ねる。
砂漠色の髪を優雅になびかせた姿は、出会った時の勇ましい格好からは想像もできない砂漠の国のお姫様だった。
「カルチェ」
息せき切って駆け寄ってきたお姫様に笑みがこぼれた。
「行くんだな」
「うん。ありがとう」
いつか見せてと言った約束を守ってくれたのか。
「これが、我が国の衣装だ」
瓦礫の下から見つけてきた、と笑ったお姫様の顔は誇らしげだった。
「昨日はアグリと探して、衣装を直していたから話す時間もなくてすまなかった」
「アグリと仲直りしたんだ」
そう言って笑うと、カルチェは憮然とした顔になった。
「……何だか、変わったんだ。あいつ。何か、私が奇麗だとか、恥ずかしいこと言うし」
顔赤らめたあなたの話を聞いてる方が恥ずかしいです。
アグリめ。お兄ちゃん対応から、セクハラに切り替えたな。
「これからは、アグリに気をつけてね。気を許しちゃだめだよ」
カルチェの耳にそう囁いておいた。
訳も分かっていないらしい、彼女は頷く。
「わ、わかった」
アグリが暴走しないように、伯爵とセイラさんにも手綱握っててもらおう。私が煽ったせいで、カルチェの貞操の危機とか笑えない。
「じゃ、お世話になりました」
できるだけ、簡潔にお礼を言おうと頭を下げると、カルチェが笑う。
「世話になったのは、私の方だ」
ほら、あれだよ。成り行きとかそういうの。
「一宿一飯の恩義は忘れません」
私が真面目くさって言うとカルチェは声を上げて太陽みたいに笑う。
「宿を貸したぐらいで、こんなに大きな恩を返されたのは初めてだ」
あんまり奇麗に笑うから、私はいつも彼女が少しだけ妬ましくなる。
「また来てくれ。必ず」
「来ない」
私がそう断言すると、カルチェは少し目を細めた。
「どうして?」
「カルチェとはたぶん友達にはなれないから」
カルチェはとても良い子だ。
幸せで、見守られて、きっと不幸なんか訪れない。
そういう子には、きっと私のことなんか分からない。
どうせ産まれてくるときから決まっていて、彼女の人生に不幸を運ぶ私は要らない。
それに、皆が大好きな彼女のことは可愛いと思っても、私は好きにはなれない。
「私、カルチェのこと大嫌い」
周りの人間が目を見開いて、唖然とした。
でも、
「それでも私は、ヨウコが大好きだ」
当のカルチェはそう言って、泣きそうな顔をした。
セイラさんがハンドルを握るビークルに乗って、手を振って、カルチェたちの姿が見えなくなってから、私はようやく車が走る方向へ向き直った。
「―――大丈夫。もう聞こえませんよ」
セイラさんがそんなことを言うから私は遠慮なく甘えて、砂漠の真ん中で大声を上げた。
嫌いだ。
人が死ぬのも、別れるのも、誰かが不幸になるのも。全部嫌いだ。
「カルチェ! みんな! ありがとう! アグリ! カルチェ泣かせたら許さないからねぇ!」
優しいあの子も楽しかった思い出も。
全部名残惜しくて、私はしばらく子供みたいに泣いた。