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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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取り残されたメイド

「報告を」


 手元から全く目を離さずに、宰相閣下は静かに告げた。

 クリスはその簡潔な指示に従って、手に持った報告書を読み上げる。


「ヨーコ様が行方不明になられたのは、城下の屋台街です。ウィリアム・文月・バークランド護衛官が渡されたチガプについていた飾り玉が座られていた木椅子の下から発見されました。―――私がお側を放れた隙に、何者かによって連れ去られた模様です。申し訳ございませんでした」


 ほんの、本当に数瞬だけ閣下のペンを持つ手が止まった。

 しかし、続けろというようにペンがまた作業を再開する。

 だから、クリスも気がつかないふりをして報告書の続きを読むことにした。


「探索の結果、城下から騎竜車が東へ暴走していったという報告があり、今朝方、東のヘイアンの森でこちらが発見されました」


 クリスが取り出したのは、クリスが用意した、ヨーコの靴だった。


「荒縄と一緒に投げ捨ててあり、縄についていた血痕から、ヨーコ様のものだと分かりました」


 ヨーコにとっては不幸以外の何物でもなかったが、不幸中の幸いか、ヨーコの体を無理矢理に調べた調査報告が皮肉にも役に立ったのだ。彼女が自ら逃亡したのではなく、何者かに連れ去られたことの証明にもなった。


「周囲には複数人の男の物と思われる足跡と争った形跡がありましたが、ヨーコ様は発見できませんでした」


 

 ヨーコが居なくなって、二日が経った。



 たった二日だが、クリスにとっては長い長い二日だった。

 彼女は宰相閣下の客人、いわば国賓だったのだ。それも、極めて特殊な。


 クリス自身にとっての彼女は、平凡な、ただの怪しい女性だった。


 何かをしてやれば必ず礼を言い、笑顔を絶やさない、礼儀正しい女性。

 それは彼女の暮らしてきた国での習慣だと聞かされていたが、好感が持てた。


 だから、危険だと思った。



 国の一大事に、国家の一大計画として召喚した宰相閣下にまとわりつく女。たとえ、彼女が計画の被害者だとしても、予想外の訪問者は、計画に波紋を呼びかねない。

 ウィリアムは反対したが、クリスとハイラントは彼女の取り調べを強く求めた。

 閣下にも彼女に対して不信感があったらしく、ヨーコ・キミジマの取り調べは、彼女に睡眠薬を飲ませたうえで執り行われることになった。


 睡眠薬で意識が朦朧としている彼女に自白剤を飲ませ、ひたすら眠ることを許さず、吐かせるだけ吐かせた。


 これは、拷問だ。

 立ち会って青褪めた宰相閣下が呟いた。


 結局、彼女は、彼女が自分で証明した通りの人物だということが持ち物からも分かり、その日のうちに解放されることになった。



 彼女は、睡眠薬を飲む前に、私たちを信じると言った。



 彼女は睡眠薬がお茶に入っていることに感づいていた。そのことが分かったから容赦なく彼女を取り調べた。


 目覚めた彼女に、罵声を浴びせられなければならないと思ったのは、結果が出た罪悪感からだった。

 しかし、彼女はクリスに怒鳴るどころかお礼まで言ってきた。


 妙な女性だ。


 しかし、クリスはヨーコが自分の第一印象の通りの女性で、不思議と安堵していた。

 お人好しで、礼儀正しくて、クリスが好感を持てる女性。

 

 できることなら、クリスの立場でもできうるのであれば、ヨーコともっと話しをしてみたくなった。




 そんな彼女が、目の前から居なくなった。




 裏切られた、とは不思議と思わなかった。ただ、クリスは思いがけないほどの不安と焦燥に駆られただけだった。

 信じると言った、彼女の言葉をこんなにも信じていたことに自分が驚いた。

 聡い彼女が千切ったと思われる飾り玉を見つけて、血の気が引いた。


 報告を聞いたハイラントは、彼女が自ら姿を消したと切り捨てた。

 ウィリアムはどちらか測りかねたように黙り込むだけで、発言を避けた。

 宰相閣下はただ、捜せとクリスに命じただけだった。



 たとえ、誰も信じなくとも、彼女のことは自分が信じる。



 ヨーコは何も告げずに居なくなるような女性ではない。礼なら礼を、悪態なら悪態を、必ず残していくはずだ。


(無事でいて)


 彼女は、こちらの世界では赤子のようなものだ。何も知らない彼女が、どんな目にあっているのか。

 想像するだけで眠れない。

 眠れなくなるから、クリスはその分、彼女を探した。


 ただの人さらいにしてはほとんど手がかりがない。周到過ぎる手管が、ヨーコだけをさらうように計画されていたようにも思えて、町の噂程度の小さな手がかりを辿って、ヘイアンの森から靴を見つけ出した。

 血のついた縄と一緒に。


 不安が現実となった心地がした。




 クリスの報告が終わると、宰相閣下はただ肯いただけだった。

 それから、報告書と証拠品は残していけと言って、クリスを執務室から追い出した。


 ハイラントは閣下のそばから異物が消えた程度にしか思っていないようだったが、ウィリアムは仕事の合間に何かを調べているようだった。クリスは靴の見つかったヘイアンの森をひたすら調べた。


 そこで分かったことは、ヨーコが複数人の男に連れ去られたこと。そして彼らと争ったこと。

 それから、再び、何者かに連れ去られたこと。


 森の奥で何者かの焚き火の跡が見つかった。そこには二人分の足跡があった。男と、女の。


 ヨーコはきっと無事だ。



 宰相閣下への報告に、一度城へ戻って執務室にうかがうと、珍しいことにハイラントと閣下が言い争いをしていた。

 閣下がここ数日ろくに休まれていないというのだ。

 ハイラントは、普段冷静沈着だが一度頭に血が昇ると手がつけられない。

 クリスはハイラントを執務室から追い出して、備えてある茶葉から鎮静効果のあるお茶を入れることにした。



 クリスは知っていた。



 執務室の書庫の隣の棚に、小さな靴が置いてある。

 真新しいが、泥に汚れた女物。


 あの日。

 ヨーコが消えたあの日、彼女が着ていたチャリムは、宰相閣下が選んだものだ。

 命令されて用意したものの本当に似合うのかと半信半疑だったクリスが驚くほど、若草色のチャリムは、ヨーコを優しく美しい女性にしていた。



 ヨーコ。


 無事なら、早く戻ってきて。


 ここに、あなたを待つ人がいる。





―――彼女からの一報が入ったのは、それから二日後のことだった。




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