弟と襟足
砂漠を抜けると、いつかアイスレアさんと話し合ったような旅程の山はなく、岩と枯れ木ばかりの荒野が広がっていた。
この何もなさそうな土地にもちゃんと街はあって、猫の額みたいな土地を牧草地にして馬を育てたり、交易商人相手の宿を経営したりして、人々は暮らしていた。
この荒地の先に、かの北国はあるそうだ。
セイラさんが連れてきてくれた街もそういう街で、荒地の真ん中のわりに人も物も豊かに揃っていた。
バラックのような屋台がずらりと立ち並んで商品が山積みにされている。その間を商品を買い付けに来た商人や明らかに堅気じゃない人たちも、肌も髪も色んな色のありとあらゆる人々が縫うように溢れている。
私は目移りしながら辺りをきょろきょろと見回していて、セイラさんが少し笑った。
「まずは服を整えましょう」
私が着回していたシャツのズボンは薄汚れていて、セイラさん曰くあまり汚れた服装だと宿に泊めてもらえないこともあるらしい。
ちゃんとした宿に泊まれる資金はギルドから用立ててもらっているので、宿に泊まれるようにしておくのは必要だ。
それに旅をする女は稀に傭兵が居るぐらいで、ほとんど居ないので、私は男と偽れる服装を用意することになった。
まぁ、このヨーロッパ風味な西国にあっても私は女性の平均身長から頭半分高いから、服とマントさえあればいくらでも嘘をつけるだろう。
現にセイラさんと店に入るとセイラさんの弟扱いされた。
―――幸先良いと思っておく。
セイラさんと入った古着屋は、古今東西の衣装が積まれていて、驚いたことに東国のチャリムまであった。ゆったりとしたチャリムなら私の薄い胸を隠すのにも都合がいいので、セイラさんと相談して、地味なチャリムをいくつか買った。チャリムは、男と女で違いもないし、性別をあやふやにするにもいい。
チャリムを買ってから生活用品を買いそろえて、薬草をいくつかと乳鉢なんかを荷持に加えたら、スーツケース一つ分にもなった。このスーツケースは子供が一人入れそうな中古品だが、滑車がついてて私でも楽に運べる。革のベルトのついたそれは頑丈そうで、今までこういった旅行鞄なんか買ったことのない私は嬉しくて子供みたいにはしゃいだ。
もう、味噌もおにぎりも豆腐もとっくの昔に食べてしまった。
残ったのはこれから私の仕事道具になる原稿用紙と万年筆と、思い出。
カルチェならきっと大丈夫だ。
この街に着くまでに立ち寄ったオアシスで、セイラさんとおしゃべりしながら私は手帳に今までの出来事を書き起こしていった。
オレキオは高額なサービスだけど、ギルドが伝言を届けてくれる手紙みたいなサービスは子供の駄賃でもできる額だ。
その伝言板サービスでセイラさんが時々ラーゴスタの様子を知らせてくれると約束してくれた。
私はギルドに原稿を預けに行くたびに、様子が聞ける。
買い物を一通り済ませてから、宿に戻って私は髪を切ることにした。西国の男は東国と違って短いことが多いのだ。襟足だけが長い髪型は、なんだかビジュアル系のバンドマンみたいに見えたけど、一見しただけじゃ女には見えない。
「……何も、髪まで男のようにする必要はなかったのでは?」
手伝ってくれたセイラさんがちょっとだけ怒った顔で切った髪の毛を片付けた。
「用心しておいて、無駄ってことはないんですよ」
頭にも腕っ節にも覚えのない私だ。髪を切るぐらいでトラブルが極力避けられるのなら、得はあっても損はない。
髪を切ってから、久しぶりに風呂に入ることができた。
こんな荒野の街で、浴槽付きの風呂なんか珍しい。源泉が近いらしくて、温泉で有名らしい。ちょっといい部屋をとったので部屋に風呂が完備されていて、セイラさんと交代で入った。
独特な香辛料の利いた夕食を食べると、私は眠気で大欠伸。
我ながらガキだなぁ。
でも、
「いかがですか?」
セイラさんが買ってきた地酒で目が覚めた。
醸造されているのか透通ったお酒は、果物みたいな爽やかな味がする。うまい。これは大人の特権だよね!
遠慮していたセイラさんだったけど私が杯を勧めて、一緒に飲むことになった。砂漠でも乳酒で酒盛りやってたから今更だ。
「ヨウコさま」
晩酌を楽しんでいた私に苦笑しながら、セイラさんがふいに目を細めた。
「―――本当に北国へ、お一人で向かわれるのですか?」
「うん」
静かに彼女を見返すと、セイラさんの方は失敗したような笑みを浮かべた。
「どうしても?」
「借金返すまではギルドが何とかしてくれるよ。全額返すまでは、お墓の下まで取り立てにきそうだし」
あの胡散臭い所長の顔を思い出して、私は乾いたように「ははは」と笑う。金の切れ目が縁の切れ目というが、あの男と縁を切るにはお金が必要だ。
「そのようなものは、我々でご用立てできます」
そうだろう。腐ったって伯爵だ。
でも、
「これは私の借金だから、自分で払います。それに、私に手助けしちゃったら、伯爵教育が無駄になるんじゃないのかな」
そう言って、私はガラスの杯に残っていたお酒を飲み干した。
切り子みたいな奇麗なグラスだ。これはここから北へ向かう途中の街の名産らしい。
「私は欲張りなんですよ。セイラさん」
あれもこれも、少なくとも自分に関わることは全部で自分で関わって、全部知っておきたいと思う。
元の世界に居たときはワンルームのアパートが自分の世界の全部だった。仕事に行って帰って寝る。それだけの世界。でも今は違う。
「この世界に来て、色んな人に会って、知ったんですよ」
世界って、広い。
自分の目に映る世界なんて、世界のほんの一部分だけで、全体なんて神様にも見えはしないだろう。
それぐらい広い世界に、私は今まで目を向けて来なかった。
飽きることなんか無い。
今まで流されてばかりだったけれど、今度は波に乗ってやる。
「面白いお土産話いっぱい持って帰りますから」
笑った私に、セイラさんは優しく微笑んだ。
果実酒を二人でひと瓶開けて、私はセイラさんと長い時間話した。
セイラさんはラーゴスタでの任務が終われば、伯爵の居るメフィステニスに帰るという。お屋敷では副メイド長だというから、今度帰った時にはセイラさんのメイド姿を見られるかもしれない。
いつの間にか、伯爵の家が第二の実家みたいな感覚になっている。
翌朝、ビークルでラーゴスタに帰るセイラさんを見送った。
「良い旅を。ヨウコさま」
カッコいいお姉さまは最後まで私を甘やかして、颯爽と砂漠へ帰って行った。