第18話
日記は、最初で最後の旅行まで続いていた。
最後のページには、道の駅の小さなアトラクションや、屋台のドーナツ、おもちゃ専門店、高級ホテルで過ごした時間が穏やかな文字で綴られていた。
それで終わりだと思った。
でも・・・
ページをめくっていくと、途切れていた文字が再び現れた。
それは彼女の筆跡だった。
すこしだけ震えていて、でも迷いのない字。
そこには・・・
「おばあちゃんへ」「陽依くんへ」と書かれていた。
彼女の遺言が最後の最後に置かれてあった。
彼女の匂いが、より強くなった。
『おばあちゃんへ。
おばあちゃん!今まで本当にありがとう!
ちゃんと、感謝が伝えられなかったことを今さら後悔してる。
最近はなるべく言うようにしてるけど。
この手紙は、わたしの「ありがとう」を集めて綴ったものです。
読んでいることを嬉しく思います。
さて、おばあちゃん。
お元気ですか?
おばあちゃんが元気なら私は嬉しいです。
あの家の畳の匂いや縁側の陽だまりは、わたしの中の安心の象徴でした。
私がしんどい時、ひとりぼっちみたいな気持ちになると、いつも思い出されるのはおばあちゃんの背中です。
私は、いつもどこか寂しさと一緒に生きてきました。
でも、おばあちゃんがいると思えば、それだけで寂しさは少しやわらぎました。
いつか私がおばあちゃんの「やわらぎ」になれたらいいなと思っていましたが、それは叶いそうもないです。
ごめんなさい。
でも、私は秩父の星で、いつでもおばあちゃんを見守っているよ。
だからあんまり早くこっちに来ないでね。
最近、肺が悪いみたいなので心配です・・・
おばあちゃん。
まだ小さかった頃、お母さんが消えちゃってまだ間もなかった頃、家の中では、常におばあちゃんのエプロンをぎ ゅっと握って歩いていたのを、ふと思い出しました。
あのころの私、少しでも離れると泣き出していたよね。
でも、おばあちゃんはいつもちゃんとそばにいてくれました。
とっても感謝しています。
私は、よく泣く子だったね。
保育園で転んで泣いて、小学校の頃友達と喧嘩して泣いて、中学では自分に泣いて、高校でもしばしば未来が怖くて涙を見せたことがあったと思います。
それでも、おばあちゃんは一度も私を怒ることはなかったね。
「泣けるってことは、生きている証拠だよ」って言ってくれてありがとう。
本当はもっとたくさん話したかった。もっとたくさん「ありがとう」を言いたかった。
もっといろんなこと、一緒にしたかった。
冬のこたつでみかんを食べて、テレビを見て笑って、夏にはおばあちゃんが育てたトマトにかぶりついて・・・
おばあちゃんの話、全部覚えているわけじゃないけど、口調や笑い方、背中のあたたかさ、洗濯物の匂い、ちゃんと、わたしの中に残っています。
おばあちゃんがいてくれて、本当によかった。
わたしは、おばあちゃんの孫として生きられて、しあわせです。
それだけは、ちゃんと伝えたかった。
もし、また春がきたら、おばあちゃんの庭に咲く梅の花、見に行ってもいい?
わたしはもういないけれど、風になってきっと見に行くね・・・
大好きなおばあちゃん。
さよならするのは辛いけど。これを読んで私の気持ちが伝わったら嬉しいです。
ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。
そして、さようなら。
花咲月歌より。』
最後の手紙には、これまでのような陰りや迷いが不思議なほど感じられなかった。
まるで彼女がそこにいて笑っているような、そんな文面だった。
もしかしたら、月歌がずっと守ってきた「キャラ」で書いた手紙なのかもしれない。
おばあちゃんに対するキャラ、僕に対するキャラ。
それでも、僕がよく知る彼女の姿が、確かにあった。
嘘でも、強がりでも、それを最後まで貫いたことが、月歌という存在そのものだったのかもしれない。
そして最後に、僕に宛てた遺言が残っていた。
『拝啓、自殺する君へ。
どうもどうも。こんにちは。いや、こんばんはかな?
最後の手紙ってさ、なんか遺書っぽくて嫌だね。
というわけで、これは普通のお手紙として書いております。
さてさて、私がいなくなったあとの世界はどうですか?
ごはんちゃんと食べてる?
歯磨きしてる?
二度寝してない?(これは許す)
生きてる?
実はそれがいちばん気がかりです。
これを読んで、少しでも思い出してくれたら嬉しいな。
まずね!ありがとう!
私の人生って、最後の半年で大逆転したなって思う!
それは、陽依くんと出会えたからだよ!
パフェを食べに行った日も、カラオケでバカみたいに歌った日も、絵を描いてくれたあの日も、夕立のあとの虹も、線香花火したこと、一緒に旅行したり、全部、全部ちゃんと覚えてる。
てか、夕立のあとの虹、きれいだったなぁ。
私は中学生あたりから色々なことを諦めてた。
日記を読んだからわかると思うけど、生きたくなかった。
なにか新しいことに挑戦すること、死ぬまでにやりたいことをすること、誰かを好きになることも。そういったこと全部諦めてた。
あの日、覚えてる?陽依くんが自殺しようとした日。
実はあの日、私も自殺しようとしてたの。
そしたら先客がいたんだもん。そんなことある?(笑)
なぜ陽依くんの自殺を止めたのか。
それは、きっとね、自分を見ているような気になっちゃったんだよね。
そして、気が付いたら自殺を止めてた。
私自身びっくりしたよ。
だけど、あの日、陽依くんが屋上にいなかったら私は残りの人生をこんなに楽しく過ごすことはできなかった。あのまま人生を終わらせてた。そういう意味でも本当にありがとうね。
そこで思ったの。
死にたい人ならね、私のわがままに付き合わせてもいいと。
この人となら、やりたいことをできるかもって。
本音で分かり合えるかもって。
私の人生に一筋の光が射したような気がしたの。
だから私は、今までやりたかったことを最後に陽依くんとしようと決めました。
もしそこでね、仮に恋に落ちてしまったとしても、死のうとしている二人の恋なら許されるでしょ?
期限付きの恋なら許されるでしょ?
そしたら、意外と陽依くんはノリが良くて、私のわがままに付き合ってくれた。
しかも、思ったより優しかった。
うん。本当に優しかった。
ありがとね。
自分で言うのもなんだけど、私は結構幸せだった。
よし!これを読んでいる時にはもう消えてるし、素直になろう。
私は、陽依くんに恋してた。陽依くんのことが好き。
でも、それはきっと消えてしまう焦燥感とかじゃなくて純粋に恋してた。
どういうことかって?
私が恋できるのは陽依くんしかいないから、陽依くんのことを好きになったんじゃなくて、そういうのなしにしても私は陽依くんのことが好き。今までもこれからも。
誰かに対してこんなにストレートに告白するのは初めてだな。文字でも緊張するね(笑)
陽依くんはどう思っていたのかな?
じゃあ、さらにさらに暴露してあげる。
二回も夜を共にしたでしょう?実は私、期待してたんだ。
だって私、処女なんだもん。処女のまま消えたくなかった。
でも、陽依くんは紳士だった。今ではそれでよかったって思ってるよ。
あっそんなこと書くと、陽依くんに魅力がないって聞こえるかもしれないけど、そういうことじゃないよ。
体じゃなくて、心を求める関係がすごく嬉しかったの。
陽依くんに恋してよかったって心から思ってる。
キスくらいはしてもよかったと思うけどね?(笑)
でもね、陽依くんと関わっていく上で、一緒に過ごしていくことで一つだけね、後悔したことがあったの。
それはね・・・・
生きたいと思うようになってしまった。
もっと、もっと、陽依くんと一緒にいたいって思ってしまったの。
それは、陽依くんと過ごしていくことで強くなっていった。
人生でやりたいことじゃなくて、陽依くんと一緒にやりたいことが増えていった。
でも、それをする時間が私にはもうない。
それが唯一、陽依くんと関わって後悔したこと。
ねぇ、生きたいな。
普通に生きたい。
陽依くんと生きたかった。
私をこんな気持ちにさせて、陽依くんは本当に罪深い男だよ(笑)
こんな気持ちにさせた贖罪として私のお願いを二つ聞きなさい!
まず一つ!陽依くんの絵をコンクールに出すこと!どんな小さいコンクールでもいいから、陽依くんの絵をみんなに見てもらってください!
陽依くんの絵は素晴らしいって私が保証してあげる。
だから胸をはってコンクールに出してね!大丈夫だよ!(笑)
約束だよ?うん。よろしい。
陽依くんは絶対画家になる!
そして、二つ!
生きて。
陽依くんは生きて。
私の分までとは言わないけど、生きて。
そして笑って。
泣いたらだめだよ、なんて言わない。
泣いてもいい。諦めてもいい。
でも、陽依くんには笑っていてほしい。
わかったね?わかるよね?
さあ、いつまでも下ばっかり向いてないで、ほら騒がしい今が待ってるよ!
それで・・・・
私とはもうお別れ・・・・
またねじゃない。本当のお別れだよ。
名残惜しいけどね。
でも、私はね、いつだって見守ってるよ!
だから、もし生き詰まった時があったら夜空を見上げてよ、どこかに私がいるからさ(笑)
私は正気だよ?(笑)
じゃ、バイバイ!さようなら。
最初で最後の本気で恋をした大好きな如月陽依くんへ。
花咲月歌より』
炉の扉は閉まったまま、静かな時間が流れていた。
高く、細く、遺体を焼いた煙が、無情の風に吹かれている。
あたたかく優しかったものが、音もなく姿を変えていくのをただ見ているしかなかった。
何かかが完全に終わってしまった気がした。
ふと、思いついてポケットに手をいれる。
指先に触れたのは小さな瓶。かすかに揺れるその中には、桜の花びらが二枚眠っている。
これで、彼女のことを覚えている人間は、世界で僕たった一人だけになってしまった。
煙は風に流れ、まるで最初から何もなかったかのように、古ぼけた建物だけが散文的に佇んでいた。
消えていく静けさと、残されることの重さをはじめて知った。
そのとき、雲が割れて陽ざしが入ってきた。
空を見上げると、淡く虹がかかっているのが確認できた。
そういえば、日記の最後に書いてあった。
『P・S
夕立の虹は消えちゃうけど、私の心にかかった虹は永遠に消えないよ。
例え私が、この世界から消えてしまっても。』




