愛
父が帰ってきた後久々に親子揃っての入浴があり、就寝へ。
実家に帰ってきてもやはり俺は抱き枕の呪いから解かれることはなく、エルゥとベッドに入ることになった。
シトラはフィルアと寝るようで、手を出さないかと妹の身を案じつつも見送った。
そうして俺達は当時そのままの、広い部屋にベッドをドンと置いただけの簡素な造りの部屋でやはりいつも通りマッサージタイムが入った後、無事意識はブラックアウトすることになる。
……決して無事ではないことに、気が付かずに。
「んっ……!」
俺の目が覚めたのは、いつも胸の中にすっぽりと収まっている柔らかい物体が無くなったという違和感によるものだった。
エルゥが居ない。目を瞑っていてもそれは理解でき、代替としてなのか“何者かに乗られている感覚”が俺の体を襲っていた。
艶かしい嬌声。首筋を這う生暖かいもの。
違和感というかあまりにも異質な外界に、たまらず俺は目を開く。
「あ、起きちゃったか…………」
長くさらっとした感触の髪は白ではなく、綺麗な銀。
普段大きな両の目は艶やかに垂れており、半開きで俺を見上げている。
俺の上に乗っているのは、どこか見覚えのある美少女。
彼女の正体より先に俺は、首筋を這うものが舌だということに気がつき心臓が跳ね上がる。
“また”。
そう、また。俺にトラウマを植え付けたシーンが再現されているのかと思ったが、未遂であることを確認しほっと息を吐く。
俺は呆れつつも、体を絡めてくる我が“幼馴染み”を強引に押しのけた。
“当時”は力でも負けていたが、今では逆転しているらしい。
「いやんっ!」と可愛らしい声と共にベッドから叩き出される女性。
いやんだなんて、そんなタマじゃないだろう。そう思って様子を見てみると、やはり元気で直様飛び上がるように立つと再び接近を試みてくる。
「だっ……!」
が、それは横から飛び込んできたエルゥの飛び蹴りによって阻まれる。
「なに、コイツ。いきなり私をベッドから叩き落としてきたんだけど」
エルゥはかなり怒り心頭らしく、ぶすっとした表情で俺の幼馴染を指差す。
「ボクはレナ・ギルフィ。ラースの婚約者さ。
ベッドから叩き落とされただけで済んだのは幸運だと思うがいい、本来ならボクのラースに触れた罪で斬り捨ててやりたいところだったけど、久しぶりの生ラースを優先したかったからね」
渋々幼馴染の存在をエルゥに説明しようかと思ったところ、勝手に語り出してくれたので取り止める。
何故、ここに居るのか。それは分からないが、どこかで聞きつけたのだろう。街を、国を守護する騎士の情報網を甘く見ていたのかもしれない。
レナの自己紹介を受けてエルゥはしかめっ面を継続。
「なんだ? このクソイカれサイコ女。自称嫁とか頭ハッピーフラワーランド過ぎて笑えない」
手を広げ、肩をすくめ意味不明なんですけどと小馬鹿にするエルゥ。
あまりにも無茶苦茶な罵詈雑言。だが、俺も概ね賛成の意見である。
レナは婚約者などと言っているがエルゥが見なしている通り飽くまで自称だ。
だが、彼女なりにストロングポイントはあるようで。
「ボク達は既に一夜を共にした間柄だよ。お子ちゃまのキミには分からないかな、子作りだよ子作り」
レナの発言でバッ、と俺の方へ体ごと向けるエルゥ。
痛いところを突かれた俺は否定することができず、しどろもどろ。
ただ、勘違いしないでいただきたい。そんな前置きをし、やや白い目線を向けてくるエルゥに弁解する。
「当時、もう八年だか九年だか前に今と同じように寝込みを襲われて無理矢理犯されただけだ。コイツはエルゥの言う通り、頭ぶっ飛びストーカーなんだよ」
「むむ、可愛い幼馴染に向かってストーカーとはなんという言い草。いかに“ダーリン”とはいえお仕置きが必要みたいだね」
レナの“お仕置き”モードに俺はベッドから飛び降り、身構える。
来るぞ、例のアレが。
「愛、愛だよ。ラース、愛ゆえに今からキミを、ぶつ」
平手を見せ、古代の教師のような胡散臭い台詞を吐くレナに、俺は身震いする。
散々植え付けられた“愛”という名の懲罰。
俺の身体はトラウマに震えており、構えてはいるが対応できるか自信の無い状態。
「ラース、この女は私にぶん殴らせて。これからの冒険、私達の弊害になり得る要素は排除しなければならない」
レナに怯える俺の前に、エルゥが立つと拳法なのかどうなのか、よく分からない構えを取る。
構えは完全に素人だ。だが、地の身体能力は高いエルゥ、対人を極めた本職相手だとはいえ通用するか?
そんな俺の淡い期待は、一瞬にして崩れ去る。
「邪魔」
エルゥに愛の無い一撃。指を折り込み、握った拳で裏拳気味に頬を殴打する。
探りを入れるまでも無い。踏み込んで、殴打。それだけで終わり。
その行動一つだけでも極めて無駄がない。ただただ速く、鋭い。
弾き飛ばされたエルゥはすぐに立つことができず、尻餅を着いた状態でレナを見上げている。
敵を見上げる表情ではなく、やや怯えるようなもの。
根源的な恐怖を感じているのだろう、レナから漏れ出す“強者”の重圧に。
正直、レナの才覚は天才と謳われたヴァインをも凌ぐ。
勿論凡人の俺より遥かに恵まれており、スーパールーキーと吹いてはいるものの正真正銘天賦の才を持つエルゥにも引けを取らないだろう。
加えて、彼女は研鑽を怠らない。俺は訓練に対して面倒だとか辛いという感想を抱くのだが、レナの中にそんな感情は無いのだ。
何故なら、そこには愛があるから。俺への愛があるから果てしなく強くなるし、果てしなく追いかけてくる。
「ラース、分かる? ボクはキミをストーキングしている訳ではなく、愛しているからこそ心配なんだよ。怪我をしないかとか、悪い虫が寄らないかとかね」
ただ、ゆっくりと歩いてくるだけのレナの接近を許してしまう。
側まで寄ってきたレナは、俺の頬にそっと触れる。
次の瞬間、鈍い痛みが頬を襲う。痛い、そう感じた時にはぶたれていた。
「返事は?」
「……分かり、ます」
冷めた目に睨まれた俺は、思わず敬語で返事をする。
「よろしい」
返事を聞いてにこっ、と笑ったレナは俺を抱き寄せる。
頭をよしよしと撫でられるが、嬉しさなど微塵もない。
そこにあるのは恐怖。愛などではないことはたしかだった。
「今日は馬車に揺られ、長旅で疲れたでしょう。おやすみ、ダーリン。久しぶりにお城の方にも顔を出してね」
唇に柔らかい感触。俺より少し背の低いレナは背伸びをし、俺にキスをすると……余韻を持たせて離れ、手を振って部屋を出て行った。
普通に屋敷を出入りしているが、幼馴染なので親も将来は何となく公認しているし使用人達とも顔見知りだ。
彼女の狂気じみた愛は知ってはいるが、見て見ぬ振り。
この“愛”にはそれなりの事情もある。なので誰も口を出せないといったところだ。
それに、ありがちではあるが幼少の頃大人になったら結婚する、という約束も結んでいたりするので身から出たサビでもある。
「ラースにも勝てない人間が居たらしい」
ようやく立ち上がってきたエルゥは、怯え切った表情でベッドに腰掛ける。
俺もベッドに戻りはするが、エルゥは抱きついて来ようとはしない。足を折り、丸まった状態でベッドの端に寝転がっている。
いつ、どこからどこまで監視されているのか分からない。そんな恐怖を抱えつつ、俺達は再び眠りに落ちた。




