第三十二話 子作り
──デニア・デュランタというのは、アンナに言わせれば、騎士団長の中で一番話が分かる奴だそうで、アンナとは付き合いがそこそこ長いようだった。食事の趣味が合うらしく、たまに会うとあの裏のない笑顔に救われた心地がする、と彼女は話していた。
飛行盤で移動をしたネスとアンナは、予定よりも少し早くアリュウに到着していた。飛行盤のおかげでそこまで長旅にはならなかったが、行く所行く所でアグリーの群れに襲われた。アンナは「無名」の奴等の仕業だと言った。
「あいつら、アグリーを操る術を身に付けているわ」
そう言ったアンナの顔色は少し悪かった。
アリュウに近づけば近づくほど、アンナの顔色は悪くなった。ネスが様子を伺うように声を掛けても、「大丈夫」と短く答えるだけで、アンナの顔色は変わらなかった。
アリュウに着くとすぐにネスは、アンナの腕を引いて休めそうな場所を探した。ノルとは違って自由に出入り出来るこの町は、路上の状態からして治安が悪そうであった。どの通りを見ても、小汚い酔っぱらいや、痩せこけた老人たちが通りの端の方に座り込んでいたのだ。
城門と呼ぶには頼りない、古びた木製のアーチをくぐった所でアンナが「ちょっと、吐きそう」と、珍しく弱音を吐いた。嫌がる彼女を無理矢理背中におぶって、ネスはみすぼらしい建物の並ぶ町中を突っ切った。
「あそこでいいわ……」
アンナが指差したのは船着き場に面した酒場だった。
「……ありがとう」
ネスの背中から下り、消え入るように呟いたアンナの顔色は、少しだけ良くなっていた。うっすらと微笑んだその目を見てネスは思う。いつだって冷たい眼差しばかりだった彼女は、あの日──あの夜──ムーンパゥルホテルの窓辺で、全てを話してくれたあの日から、少しずつ、本当に少しずつだが、変わり始めていた。ネスにはそれが嬉しくてたまらなかった。
全てが色褪せた酒場に入り、テーブル席を抜け、店の一番奥のずらりと並んだカウンターに腰掛けると、アンナは飲み物を注文して立ち上がった。
「何か飲んでて」
早口に言い残すと、アンナは足早に化粧室へと向かった。
(一体どうしたんだろう、アンナ……大丈夫かな)
いつも血の気のある健康的なアンナの顔、それに唇は真っ青になっていた。
「にーちゃん、イイ女連れてるねえ」
カウンターの内側にいる店主が、嫌らしい目でネスを見た。背後のテーブル席からは、誂うような声と、ピィーッ、という甲高い口笛が聞こえてくる。
「性格の悪い姉ですよ」
ブルーサイダーを下さい、と言ったネスを店主はつまらなそうに睨んだ。
注文した飲み物が出てくる頃、ネスの席から三つ離れた席に、一組の男女が座った。腰に刀を差した男は、肩にかかる派手な金髪に空色の瞳。鋭い目付きをしているが、十七、八歳くらいに見える。前髪を幅の広いヘアバンドでアップにしていて、青いタンクトップから伸びる長い腕──左肩から肘、手の甲、中指の爪の生え際にかけて、シンプルで真っ黒な十字架を象った刺青が彫られている。
全体的にルーズな男とは対称的に、連れのつり目の女の方は、かっちりとしたブラウスに真っ青なネクタイを締め、短すぎないプリーツのスカートにサスペンダーと、こんな薄汚れた酒場に不似合いな格好だった。
ネスが驚いたのは、女の──少女の髪と瞳の色。それはネスの母レノアと同じ、ライル族を象徴する、目を引く橙色と瑠璃色だった。
飲み物を注文して男が先を外すと、少女と目が合った。熱烈な視線が顔に刺さるほど痛く、冷や汗が背中をダラダラと流れてゆく。
「ねぇあなた、ライル族でしょ!」
「へっ?」
滑るようにカウンター席の椅子を移動してきた橙色の彼女は、ネスの手を掴み握りしめた。瞳をキラキラと輝かせ、興奮しているのか息を荒げながらネスの返答を待っている様子であった。
「純血じゃないんだ。母がライル属だから、ハーフだよ」
「それでもいいわ! 十分よ!」
「な……何が十分なの?」
「血筋よ! 純血なんてもう滅多に出会えないもの!」
「血筋……?」
「もう、だから! 子作りよ! 手伝ってほしいの!」
「……は? はぁぁぁぁぁあ!?」
大きな声で叫んだものだから、店内の客全ての目を引いたことと、その後浴びせられた言葉については、伏せておくことにする。
物凄い力で引きずられるように、彼女はネスの腕を掴んだまま店の戸を開ける。ネスは半ば無理矢理誘拐されるように、不本意にも店を後にすることとなった。
「……あれ?」
アンナが化粧室から戻ると、カウンターに居たはずのネスの姿が消えていた。飲みかけのブルーサイダーと、自分の注文したミネラルウォーターが置き去りにされている。
「おじさん、ここにいた瞳の青いガキ知らない?」
アンナはカウンター内の店主に声を掛けた。店主はニヤリと口許を歪め「ああ、それなら──」と言ったところで、化粧室から出てきた、派手な金髪の男を親指で差しながら言った。
「あいつの連れが引きずって行ったぜ」
アンナが指差された方を見ると、頭のヘアバンドを気にしながら、悠々とこちらに向かってくる、鋭い目付きの男と目が合った。アンナが口を開く間もなく、男は叫びながら駆け寄ってきた。
「アンナさん!」
「ウェズ、久し振り」
相変わらず、うるさい奴だった。こいつに会うのは何年ぶりだったかな、とアンナが考えていると、ウェズは目を見開いてアンナの両肩に手をのせた。
「アンナさん、なんかキレイになったッスね……」
三年ぶりか、とアンナが思い出したところで、ウェズは溜め息混じりにそう呟いた。
「はいはい」
ウェズは、アンナが初めて合った時からこのような子供であった。まだほんの小さな子供だった頃から、無垢な瞳を輝かせ「キレイなお姉ちゃん!」とまとわりついて離れなかったのだ。
「あんたも立派になったわね──で、例の任務の方はどうなのよ」
ウェズは口をへの字に曲げると、椅子に腰掛けながら言った。
「ここじゃ話せないッスよ。後でゆっくり……」
と、座りかけたところで立ち上がった。
「こんなこと話してる場合じゃなかった! おやっさん、レスカが誰を引きずって行ったって?」
さっきの会話が聞こえていたのか──相変わらず、人間にしては耳の良い奴だ。ウェズはカウンターをばしばし叩きながら、店主に食ってかかった。
「今あいつを一人にするとやべぇんだよ! 十五になったからって、張り切ってやがるんだ!」
「ウェズ、落ち着きなさいよ」
ミネラルウォーターを一口飲んだアンナは、カウンターに四人分でもお釣りのくる紙幣を置いて、ウェズの耳を引っ張った。
「そのレスカって子が何を張り切ってるって?」
物凄い形相で振り返ったウェズは、わなわなと両手を掲げながら、これまた大きな声で叫んだ。
「ここここっ……子作りッスよッ!」
*
「ライル族はね、絶滅の危機にあるの」
誘拐したネスの腕を引きながら、橙色の髪の彼女──レスカは見上げるほど大きな船──海賊船のタラップを一段飛ばしで、ずんずんと上る。
「アタシを含めても純血の仲間は十人程度……まずいの」
大きな船だった。甲板で彼女の仲間であろう乗組員達が、忙しそうに荷物を運び入れていた。ただいま、と彼等に軽く手を振ったレスカは、甲板に出ても尚、歩く速度を緩めない。その背中にネスは声を掛けた。
「だから、どうして俺が、その──」
言いかけて口を噤む。そんなネスを振り向きもせず、レスカは突き当たりを左折した。
「アタシ達一族は過去に二度、滅ぼされそうになったことがあるの。生き残った仲間は散々に別れて、どこにいるのか見当もつかない……だから」と、木製のドアの前で足を止めた。
「一族の血を滅ぼさないためにも、子孫を増やさなければならないの」
部屋に入るとレスカはドアに鍵をかけ、備え付けの洗面台で手を洗い、うがいをした。
見るからに女の子の部屋、という雰囲気のその空間。カーテンもシーツも淡いピンク色で、ベッド周りの棚には、ファンシーなぬいぐるみが行儀よく並んでいる。
「君も手、洗ってよね」
「はあ……」
促されるまま手を洗い、うがいを済ませてネスが振り返ると、レスカが全裸になっていた。
「っ……なあああああああああああっ……なにやってんだ!」
脱ぎ捨てられた彼女のシャツを、慌てて肩に掛けた。
「あれ、シャツは着たままがいいの?」
そういうことなら、と袖を通すとレスカはネスを壁際に追いやった。
「そうじゃねえよ!」
「じゃぁ、脱ごっか?」
「違う違う! 待て待て待て待て!」
「なにを?」
両手を封じられ、身動きのとれないネスの頬を、レスカは長い舌で、べろりと舐めた。
「なっ、なにすんだ……」
「だから、子作り。子孫を残すのが一族として当然の義務だもん」
なんて力だ。純血のライル族の腕力は凄まじかった。いくら力を込めてもびくともしない。
レスカはネスの両手首を自分の右手だけで掴むと、左手でネスのベストとシャツをあっという間に脱がせた。そのままベルトのバックルに触れ、そっとその下へと手を伸ばす。
「待て待て待て待て! そこは駄目だって!」
「なんでよ」
小柄なレスカに下から睨み付けられた。が、アンナほどの破壊力はない。
(──アンナ)
何というタイミングで思い出してしまったのか、ネスの脳裏にはアンナの──夢で見たあの姿が浮かび上がった。
「ほら、いいかんじじゃない?」
気が付くとレスカは、ネスの体に手を伸ばしていた。
「や、ちょ……ほんとに……やめっ、ろっ」
「いやだぁっ」
逃げる間もなく唇を塞がれてしまう。足をバタつかせてその場を逃れようにも、流石に女の体を蹴り上げる度胸は持ち合わせていなかった。
熱い──熱い──熱い──────熱い。
体の内側から破裂してしまいそうだ。
(もう──いっそのこと──このまま────
いやいやいや、だめだだめだだめだ!!)
レスカは唇を離すと、放心状態のネスをずるずると、ベッドへ引きずって行く。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない……」
ベッドにネスを押し倒すと、先程までの強引な彼女はどこへいったのか、レスカは急にしおらしくなった。
「なんで、なんで駄目なの? そんなに駄目かな、アタシじゃ駄目なのかな」
シャツを広げ、ネスに体を見せつけながらレスカは続ける。
「そりゃあ、まだ胸だってこんなだけど……でも、そんなの関係ないでしょ?」
レスカはネスの目を真っ直ぐに見つめた。しかしネスには、彼女の目を真っ直ぐに見つめることが出来ない。
「故郷に恋人がいるんだよ……」
「……恋人?」
「ああ、そうだ。だから君とは、その……できないよ」
「……それだけ?」
きょとんとした顔になったレスカは、ネスの肩を掴んで繰り返す。華奢な体がわなわなと震えている。
「それだけ? 恋人がいるからアタシとできないの?」
「……そうだよ」
「そんなの……そんなの関係ないっ! ねえ、いい加減覚悟はできた?」
背面がぐらりと揺れた。海上の船の上だ、揺れるのは当たり前であろう。「もうっ!」と悪態をついたレスカは、先程の続きだと言わんばかりに、ネスの体へと手を伸ばす。
「ちょ……ちょっとちょっとちょっとちょっと待て待て待て待て!」
「なに?」
「ちょっと待て!」
「さっきから、もう、ずーっとそればっかり!」
枕の傍に置いてあったネクタイでネスの手首を縛ると、レスカはその端をベッドの足に縛り付けた。きつく結ばれたネクタイはネスの剥き出しの腕に食い込んで、なかなか痛そうだ。
「手が動かせねえよ!」
「暴れないでよ」
「これが暴れずにいられる状況かよ!」
ベストにシャツまで剥ぎ取られたネスの胸に、レスカは耳を押し当てる。
「ほら、すっごいドキドキしてるよ」
「うっさいわ!」
「アタシの体って、そんなに興奮する?」
「ちょっとお前黙れ!」
立腹したのかレスカは、最後まで身に付けていた朱色のブラウスを乱暴に脱ぎ捨て、全裸になった。
「おいおいおいおい! 待て待てやめろっ!」
「ちゃんと見てくれなきゃ、い〜やっ!」
近づいてきた彼女のツインテールの先端が、ネスの鼻を掠めた。くすぐったい──と、ネスはほんの一瞬気を抜いた。
「いただきっ!」
その隙を突き、レスカはネスのベルトに──ズボンに──両手を掛けた。
「ぎゃあああああッ!」
「もう! いい加減、観念しなさいっ!」
慣れた手つきで(慣れた手つきというのも、如何なものかと思うが)バックルを外すと、レスカはズボンのファスナーを下ろし、ネスの身に付けている物全てを取り去った。
「うわあああああああっ! や〜め〜ろ〜ッ!!」
──終わった。と、近づいてくるレスカの頭頂部の動きから目を逸らした瞬間──!
「ネスっ!」
部屋のドアが勢いよく開いた。いや、吹っ飛んだ。
──正確に言えばアンナが外側から蹴り飛ばしたのだった。
(え、アンナ……?)
その光景に、その場にいる者は皆放心状態になったのであった。




