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怨念の異形神  作者: 神月裕二
第3章 異次元魔街
22/74

3

 

 黒部哲は、目の前を脂肪の塊が行ったり来たりするのを、うんざりした様子で見ていた。

 非行少年たちのグループが何者かに襲われ、こてんぱんに叩きのめされてから、ほぼ二十四時間が経過していた。

 中央校舎一階にある校長室の窓からは、登校してくる生徒たちの姿が見える。

 この部屋の主である高鳥校長は、全教師に午前八時に職員室に集合するよう、昨夜のうちに連絡を回していた。

 事件の詳細を聞いたのは発生直後のことで、高鳥校長は教師たちに口外せぬよう厳しい口調で命じ、そして警察へも伝えることがなかった。

 事件の拡大化を恐れたのである。つまり、彼は事件の早期解決よりも自分の保身の方を優先したのだ。しかし、高鳥は、この方が事件を穏便に解決するのだ、と教師陣には話していた。

 その日のうちに入院した少年たちの両親から連絡が入ったのは、午前三時のことだった。

 明朝九時に学校に出向かせてもらうといった内容のもので、直接話をした高鳥は、その口調の冷たさに怯え、貧血を起こしそうになった。

 そして今、高鳥校長は事件の関係者である四人を校長室に呼びつけ、少年たちの両親の到着を怯えながら待っているのである。しかし、校長室には眼鏡をかけた痩せぎすの教頭を含め、五人しかいなかった。四人の事件関係者のうち、小林裕介がまだ来ていないのだ。そのことが高鳥校長の焦燥を誘う原因となっているのだ、と黒部は思う。

 いい気味だぜ。いつものお追従で何処までやれるか、がんばってみな。

 などと心の中で呟く黒部の袖を、右横に立った高田亜樹が軽く引いた。

 心配そうな表情(かお)を黒部に向け、無言の言葉を発している。

「大丈夫だ。小林君を悪いようにはしない。必ずだ。――約束するよ」

 黒部の笑みは、気持ちを落ち着かせ、暖かくするほど優しいものであった。だから、少女は小さく頷いたのだ。

「悪いようにはしない、だと? 黒部君、それは校長がお決めになるのですよ」

 教頭が、カン高い声でさえずる。

「校長が? クク、冗談はやめにしましょうや。あいつらの前に出りゃ、大阪のでっちみたいになる人間のどこに、そんな権力があるんです?」

 黒部の口調は、明らかに学校のトップ二人を嘲弄するものだったので、高鳥の禿頭は、ゆでたタコのように真っ赤になった。

「き、貴様は! 不敬罪で訴えるぞ!」

「なんなんだよ、それは」

 時代錯誤も甚だしいな。

「まあいい。君たちの処分は後日通達することにしよう。とにかく今は――」

 校長は気持ちを落ち着かせて、窓に向き直った。

「何だよ、君たちって、俺もか?」

 と熊谷が不服そうに黒部にいう。

「くく、どうもそうらしいな」

 黒部は笑いながら答えた。

「ちぇ、厄介な話の片棒をかついじまったもんだ」

 と熊谷がぼやくのを、黒部は薄く笑って見ていた。すると、その耳に教頭の嫌味ったらしい言葉が入ってくる。

「だいたい、君たちにそんな権力があるとでもいうのかね。たかが一教師のくせに」

「大阪のでっちどんよりはね」

「貴様! まだ言うか!」

 黒部に殴りかかりそうになる教頭を制したのは、意外にも高鳥校長であった。

「教頭、落ち着きなさい。彼らの口車に乗っていては、自分を見失うばかりです。――ああ、来られたようです」

 必死で自分を落ち着かせようとしているのが、他人の眼にも明らかであった。

 登校してくる生徒たちの姿がまばらになる頃、校門から数台のBMWやベンツなどの高級車が進入してきた。

 さすがの黒部も、自分の身体が緊張にこわばるのを感じた。

 俺ともあろうものが、まったく。

 そのとき、彼等の左手にある入口のドアがノックされた。もう来たのか、という驚愕が室内を支配する。

「ど、どうぞ」

 ゴクリ、と喉を鳴らしたあと、一呼吸置いて校長は返事をした。しかし、入ってきたのは武雄たち非行少年たちの親ではなく、暗い表情をした少年、小林裕介であった。

「裕介くん!?」

 亜樹は、少年が裕介本人であると認めた瞬間、少年のもとに駆け寄っていた。

「――ね、何があったの!? 教えて! あたしに、君の知っていることを教えて、裕介君!」

 しかし、少年は一言も口をきかずに少女を押しのけ、校長の執務机に向かった。

「な、なんだね」

「転校したいんです――」

 ぼそりといった。

 少年は、疲れ切った顔をしていた。

 裕介が一晩悩んで考えた挙げ句に到達したのが、これだ。

 もう、限界だった。これ以上、ここにいたら、僕は壊れてしまうかもしれない。父親が事故死し、追うようにして、母親が病死してしまった。そして今、唯一の肉親である祖母は病気がちだ。

 もういやだった。

 全てが悪い方、悪い方へと進行している。しかし、それはタテマエでしかなく、本音は「逃げ」であった。この地から逃げて、例えば田舎にでも移り住めば、裕介もお婆ちゃんも幸福になるだろう、というのが裕介の出した結論であった。

 逃げて、そして――。

「裕介くん……」

 亜樹が哀しそうに呟く。彼がここまで精神的に追い詰められていたことに、今、ようやく気がついたのだ。何故、今まで気づかなかったのか。少し考えれば、わかりそうなものなのに。

 黒部たちも、少女と同じ気持ちで少年の後ろ姿を見つめていた。

「――転校だと?」

「はい」

 少年は消え入りそうな声で返答した。

「――何故だね、急に。昨日の一件の責任をとるというのかね」

 そのときだった。

 ノックさえせずに、傲慢な態度の人間が数人、ドカドカと校長室に足を踏み入れてきたのだった。

「こ、これはこれは」

 途端に校長と教頭の態度が一変する。黒部の言葉通り、脂ぎった大阪の丁稚と化したのだ。

「どうも、お忙しいところお越しくださいました」

 このガマガエルめ、と黒部は太った校長を見て、いまいましそうに心の中で毒づく。

 数人の男と女はあからさまに侮蔑の眼差しを校長や黒部たちに投げかけ、無言のまま校長室奥にあるソファに腰を下ろした。

 そそくさと高鳥校長が自ら、隣の部屋へ茶を淹れに出ていく。黒部は唾を吐きかけたい気分になった。金と権力を振りかざす人間のケツの穴を舐める人間など、すでに人ではない。

 間違っても、あんな男にはなりたくなかった。黒部が、誇りだけは捨てまいと誓う瞬間だった。しかし、客の威圧的な眼力にはさすがの黒部も手が出せなかった。彼等の眼圧に不動縛をかけられたかのように動けずにいるのだ。

 校長が漆塗りの盆に湯呑みをのせて戻ってきた。よほど淹れなれているのか、湯呑みを置く仕草はなかなか堂に入ったものだ。

「――で、どうする気だね、高鳥くん」

 最初に入ってきた男――武雄の父親三井毅(みついつよし)である――が、高鳥校長を「くんづけ」で呼んだ。その瞬間、校長の身体は電流が疾ったようにビクンとなり、湯呑みを落としそうになった。

「……どう、とおっしゃいますと?」

「誰が、いつ、どのように責任をとるのかと訊いているのよ。わからない?」

 その妻――確か後妻だった筈だ、と黒部。名前は良子だった――が、完全に馬鹿にした口調でいう。

「私たちの大切な後継ぎを、理由もなく病院送りにしたのだ。むろん、それなりのことはしてもらうよ」

 三井毅は足を組み替えていった。

「は、はい。それはもちろんでございます。御子息、御息女の入院費はもちろん、入院中の学費の免除、その他賠償金は全てこちらで負担させていただきます」

「当たり前だ。我々が言っているのは、そういう問題じゃない。責任の所在を明らかにせよ、と言っているのだよ」

「せ、責任ですか……」

「そうだ。――で、その少年は何をしているのだね」

 三井毅が、校長の机の前で立ち尽くす小林裕介に顎をしゃくった。

 全員の注視を受け、裕介の身体にびくんと痙攣が走る。

「い、いえ、彼は――」

 このとき、校長は、裕介がここにいる本当の理由をいわなかった。なかなかどうして、まだ少しは人間らしさが残っているということか。思わず、唇に薄い笑みを浮かべる黒部だった。

「い、いえ。転校したいということなので……」

「転校? 三年生のこの時期に?」

 裕介の名札にある学年章を見てとったのだ。

「あなた、まさか彼のような子供に、私たちの息子がケガをさせられたとでも?」

 三井夫人のからかうような口調につられて、一緒に来ていた他の両親たちも嗤った。

「いや、そうは思わんが、偶然、何かの原因で転校せざるを得なくなったとも思えんのだがね」

「それもそうね、どうなの、高鳥校長」

「だいたい、何故、そんなに大事な話なのに、両親が来ていないんだ?」

 という夫の耳に夫人が何か耳打ちする。

「――なに? 両親ともに死んでいると? ああ、これは失礼した。知らなかったもので」

 そのとき、三井毅らの顔にえもいわれぬ表情が浮かんでいるのを、黒部たちはもちろん裕介も見て取っていた。

 知っていたのだ!

 知っていて、裕介を嘲弄したのだ!

 それは、人として決して許されぬ行為であった。

 黒部は、殴りかかりたくなる衝動を必至でこらえた。高田亜樹もくやしくてたまらないのか、今にも泣き出しそうな顔で唇を噛んでいる。


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