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怨念の異形神  作者: 神月裕二
第2章 小林裕介
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2


 一見すると、イギリス風の紳士のようだ。後ろに流すようにくしを入れた髪には、白いものが混じっている。年の頃は五五、六あたりか。但し、これは外見上の年齢だ。実際の年齢など、本人さえも覚えていないだろう。

 魔道の奥義を究めるには長大な年月を必要とするため、魔道士たちは〝転生の秘術〟によって生まれ変わり、死に変わり、前世の記憶を受け継いでいく。

 この男も、またその通りだった。

 だから、魔導師の称号を受けたのも、杖を授かったのも、いったい何歳のことなのか実際のところ定かではないが、そんなことはどうでも良かった。

 男は、双頭の蛇の形をした杖を手にしていた。杖の名は、魔槍ゲルギウス。上端部は蛇の双頭が赤色球を抱くように絡み合い、下端部はその名の通り、槍のように尖っていた。

「…貴様、今までそこにいたのか?」

 妖は、己が身のわななきを感じた。

 歓喜だ。

 そして、炯と輝く常人にはない光――いくつもの修羅場をくぐり抜け、生命のやりとりをして来た者だけが持てる鋭い眼光――を放つ双眸は、自分を嘲笑った人間を睨みつけて動かなかった。

「――さあ、どうかな? 眼に見える光景(もの)ばかりが真実ではないぞ」

「偉そうなことをいう奴だ」

 妖は、ゾクゾクしたものを感じていた。

 眼前に立つ男、ベルゲリウス・ホーンが、自分と同じように、戦いの喜びに打ち震えていることを悟ったからである。

 暗黒の魔力のもとに生きるものは皆、戦いと血に酔いしれる運命にあるのか。

「破滅を呼ぶ魔導師といえども、たかが人間だ。――殺せるのか、俺を」

 妖が言う。

 挑発していた。

 そして、戦いを待ちきれずにいた。

 魔導師ベルゲリウス・ホーンの眼が、スッと細められる。

「殺すさ、必ず」

 言いも果てず、ベルゲリウスはもの凄い速さで床を蹴った。

 身構える妖との間合いをぐんぐん詰め、いきなり天井近くまでジャンプした。

 かかげた右手が、杖を激しく回転させている。それがピタリと止まったとき、その先端がギラリと不敵な輝きを放った。

 魔導師は、獲物を追いつめた狩人のように眼を細め、妖の眉間に狙いを定めた。

 ほんの数瞬だが、奴は空中に静止していた。

「しゃっ!」

 鋭い呼気が口から迸り、虚空を灼き貫いて槍は放たれた。

「妖!」

 玲花が声を上げる。

 槍は妖の美貌を容易に射抜き、ガッという音を立てて絨毯もろとも床に串刺しにした。

 嬉々とするベルゲリウスの双眸が驚愕に開かれたとき、彼と玲花の注視を浴びつつ、妖の身体は霧のように消え失せていった。

 まるで、瞬間移動でもしたかのごとく。

「馬鹿な!?」

 彼の持つ槍杖が、何故に「魔槍」と呼ばれるのか。それは、槍の放つ強烈な妖気を浴びたものは、たとえ魔界公爵といえども身体の自由が利かなくなってしまうのだ。それは、槍の尖端より標的目がけて放射される妖気があまりにも強力すぎるためだと云われている。

 伝説の通り、魔界の帝王たるサタンが、やがて復活する神と神の子の抹殺のために自らの手で鍛え上げてのだとすれば、その妖気――念の強さも推して知るべしと言ったところだろう。

 聖槍ロンギヌスの、これは相対する立場に位置する槍なのだ。

「動ける筈が――ぬっ!?」

 だからこその言葉なのだが、魔導師は動揺を一瞬にして振り払った。

 天井を見上げる。

 その眼に、天井を蹴って加速をつける妖の姿が映った。

 空中で身体を入れ替える。

 チッと舌打ちして槍を床から引き抜こうとしたとき、眼前の美しい女の姿がかすんだ。

 瞬間、凄まじい圧力が痛みを伴って魔導師の脇腹に()まり、男の身体がくの字に折れ曲がった。

 玲花の拳が、ベルゲリウスの腹にめり込んだのである。そして、彼が体勢を立て直そうとする寸前、後頭部に妖の蹴りが入った。

 ごき、と首の骨が異様な音を立てる。

 骨は、妖の蹴りの衝撃と体重、スピードに耐えきれずに砕けた音だ。

 妖は、ベルゲリウスの脇を走り抜けた玲花の傍ら――魔導師の背後に音もなく降り立った。

 妖の残像に気づいた玲花の、見事な連携プレーであった。

 魔導師は、首の骨を砕かれて床に伏している。しかし、妖の美貌は依然として険しく、切れ長の瞳はいまだに敵に向けられたままだ。

 これで、終わる筈がない。

 いくら隙を突いたとはいえ、数百年生き延びた魔導師が、これくらいで死ぬなぞ有り得ないことなのだ。

「玲花、気を抜くなよ」

「ええ」

 まだ終わっていない。

 いや、始まりなのだ。

 レストランを静寂が満たす。

 それは、不気味なほどの静けさであった。

 妖の眼は、倒れたままの魔導師に向けられている。

「――!?」

 その瞬間、妖の表情が動いた。

 そして、隙を作らないようにして、玲花にそっと囁きかける。

「気づいているか、槍がないぞ」

「あっ」

 と声を上げようとした途端、妖の手が口をふさいだ。

 妖の言う通りだった。

 もしかしたら気づかぬまま、目の前の死体が起き上がってくるのを待っていたのかも知れない。

 確かに、眼前でうつ伏せに倒れている男の手に、あの槍杖はない。

 身体の下に隠れるような代物ではないから、そこにはやはり槍はないのだ。

「じゃあ、あの死体は?」

 という玲花の囁きに妖は、

幻術(イリュージョン)、かな?」

 と答えていた。

 それならば頷ける。

 眼前の死体が、彼の使役する妖魔の一匹に仕掛けられた幻術であるならば、ベルゲリウスの言ったセリフの意味もわかる。

 眼に見える光景が、真実とは限らないのだ。

 眼をそらした瞬間、今まで見ていたものが姿を変えているのかもしれないのだ。

 では、奴は何処にいる。

 その答えは、すぐに見つかった。

「――!?」

 妖と玲花は、同時に、下方に急速に膨れ上がりつつある霊気を感じ取っていた。

 凄まじい魔力をともなったその霊気――いや、妖気はデパートの各階の床を突き抜け、妖たちに迫っていた。

 何という妖気の波動なのか。

 これほどの妖気を身につけた人間は、あの男の他にはいないだろう。

「――今、三階あたりにいるな」

「ええ。天井を通り抜けて、どんどん上がって来るわ!」

「ああ。しかし、気になるな。――奴、下で何をしていたんだ? 最初、霊気を感じたのは地下二階あたりだった。俺たちを使い魔に相手させておいて、何をしていたんだろう」

「……そうね」

 玲花がそう答えたときだ。

 二人の目の前で、ベルゲリウスの死体が動き出したのである。

 まるで、接近しつつある妖気に反応したかのような動き方だ。

 そして、死体が立ち上がったとき、そいつはベルゲリウスとは似ても似つかぬ醜怪な姿に戻っていた。

 首の骨が折れ、奇怪な頭部が緑色の胸のあたりでぶらぶらしていても、そいつは気にした様子もなく、にやにやと笑って見せた。

 胸で逆さまに揺れる首が、である。

 その首をウロコに覆われた手が押さえ、いきなりそれをあるべき位置に戻した。

 ごきごきと音を鳴らし、何度かねじ込むように首をまわすと、どうやら落ち着いたようである。

 まだ少し歪んでいたが、ともかく、その行為を妖魔は何の苦痛も感じることなくやってのけたのだった。

「…化け物め」

 妖が吐き捨てるように言う。

 俺も、あいつと同じだというのか。

 その瞬間、奇怪な叫び声を上げて、そいつが妖に躍りかかってきた。

 耳まで裂けた口には、びっしりと鮫のような牙が並んでいる。

 そんな口で噛みつかれれば、骨は砕け、肉は大根のようにおろされるに違いない。

 それだけはごめんだった。

「この、くそ忙しいときに…」

 妖の呟きが、化け物の絶叫の中に吸い込まれる。

 下方より急速に接近しつつある妖気塊は、あと数秒でこの最上階に到達する。

 だから、こんな雑魚にかまっている暇などないのだ。

 妖が無造作に動いた。

 まるで街の通りで友人にあったときのような、動きを予想させぬ行動であった。

 妖魔は完全に虚を突かれた形になった。

 眼前で怯えているはずの敵が、いきなり自分の腹の下に潜り込んだのだから、宙にある身ではどうすることも出来なかった。

 まさに一瞬だった。

 妖魔が手足を動かして妖を捕らえようとする寸前、妖の手が緑色の腹に触れた。

 瞬間――

「弾けろ」

 凄まじい魔力が体内に流入し、妖魔の肉体はそれに耐えきれずに、風船のように膨らみ爆裂した。そして炎上した。

 一片の肉片さえ残さず、妖魔の身体は燃え尽きたのだった。

 ふう、と溜め息をつく妖の表情がこわばる。

 それを見て、玲花も妖のそばで身構えた。

「来たか――」

 妖は言った。

 嬉しそうな口調であった。

 敵の登場を待ちわびているかのようにも思える。

 変化は、それからすぐに来た。

 床の一部が、突如ぐつぐつと沸騰し始めたのである。

 それが予兆であったかの如く、凄まじい妖気を受けて、フロア全体が煮えたぎった溶岩のように変容しつつある。

 妖たちは、素早くテーブルの上に飛び移ると、凝っとそれを見つめていた。

 すでに床に没しつつあるテーブルがいくつもあったが、妖たちの乗ったものだけは沈むこともなく、しっかりと二人を支えてくれている。

 これも、奴の演出なのか。

 そうではなかった。妖自身の魔力が相手のそれと均衡し、変化を妨げていることに、彼自身気づいていないだけなのだ。

 まず最初にそこから現れたのは、人間の頭部だった。口許に凄絶な笑みが浮かんでいる。続いて、肩、胸、腰…。

 男は、不可視の糸に引かれるかのように、スッと足首までなんの抵抗もなく床を通り抜けてきた。

 手には、先程の妖魔が持っていたものと同じ形状の杖が握られている。

 やはり、イギリス紳士然とした男であった。

「――さて、やるかね、諸君」

 その男、ベルゲリウス・ホーンが嗤う。

「いいだろう。それは、こちらとて望むところだからな」

 妖は、嬉々としたものを抑えきれなくなりつつあった。

 戦いに身を投じていると、血が沸きたつほどの興奮を感じる。興奮とは、すなわち喜びだ。そして、これは、妖の体内の深奥に悪魔の純粋な血が混在している証拠でもあった。

「玲花、こいつの相手は俺がするから、君は最下層へ行って、何が起ころうとしているのか見てきてくれ。気になる」

「わかったわ、無茶しないでね、妖」

 そう答えると、玲花はレストランの入口へ跳んだ。しなやかな肢体が宙に舞い、すぐに階段へ向かって駆けていく。

 すでにこのデパート全体が魔導師の結界内にあることは判明している。

 現実に存在しながらも、外界との接触(コンタクト)は不可能なのだ。何故なら、存在しないのも同じなのだから。だから、たとえこのビルの内側で殺人が起こっても、誰一人として気づく者はいないのだ。故に、魔導師は好きなことが出来る。それが何なのか、気になるのだ。

 但し、前回の侯爵による結界ではないため、玲花たちの能力が半減することはない。しかし、彼女が階段を使ったのは理由がある。

 自分のペースで動けないエレベーターでは、敵からの攻撃に対応しにくい。それに、密室である以上、ワイヤーが切断されたときは逃げようがない。

 瞬間移動が封じられれば、待つのは死だけなのだから。

「――さて」

 と、妖が魔導師に向き直る。

 口許にはあるがなしかの笑みがある。

「魔導師ともなれば、あらゆる魔術、体術に精通していると聞く。見せてもらおうか」

「良かろう」

 品のいい紳士の唇が、にぃと歪む。

 その瞬間、魔導師は、数メートルほどあいていたようとの間合いを一気に詰めた。

「しゃっ」

 鋭い呼気が迸り、ベルゲリウスが槍杖の上端部を妖に向けて突き出してくる。

 絡みあう蛇の双頭が抱く赤色球は、魔力を引き出すための媒介物であるが、人間界にはない硬度を誇るために攻撃にも使用できるのだ。

 妖は、左手でその攻撃を払いのけると、すぐに反撃に移った。

「哈っ!」

 右足が凄いスピードでベルゲリウスの顎めがけて跳ね上がっていく。

 常人には躱しようのないスピードのそれを、しかし、魔導師は上体をそらせてやり過ごすと、すぐさま身を沈み込ませたのである。

 身を屈めたまま、妖の足を払いにいく。

 それを跳んで躱されると、魔導師はその場から即座に飛び離れた。

「焼け死ね、妖」

 ベルゲリスの右の五指が閃光を放つ。

 それは、限界にまで圧縮されて灼熱した、彼の妖気そのものであった。が、妖を傷つけることなく、五つの光は壁を突き抜け、ガラスを突き破り、レストラン内のあちこちに火の手を上がらせた。

「やるねぇ」

「そうかね。――だが、これからが本番だぞ」

「当たり前だ」

 妖が身構える。と同時に、ベルゲリウスも赤色球を前方に突き出した。

 但し、妖に向けてではない。その背後の炎に向けて、である。

「その減らず口、叩けなくしてやろう」

 魔導師の双眸が赤光を帯びた。

 瞬間、魔力が行使される。

 あちこちで燃え続ける炎が、突如、一匹の巨大な火炎竜と化して妖に襲いかかったのだ。

「――!?」

 躱す間もあらばこそ、妖はその身を火炎竜の業火に包み込まれた。


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