37:疑念の発露
(……おかしい。やっぱり、絶対におかしい)
お尻に残るジンジンとした痛みを感じながら、私は脳内で一人、緊急会議を開いた。
議題はひとつ。
「私の不運と、カシムとの因果関係について」だ。
まずは「いつ」から、この異変が始まったのか。
思い返せば、あの隠れ家にいた頃だ。私が熱を出して寝込み、その後、奇跡的に(?)復活を遂げてからの数日間。自分でもはっきりと自覚したではないか。何もないと。
そして、「どこから」
それまでのカシムは、不遜で、デリカシーのない男で、私を振り回して楽しむような奴だった。……まあ、今もそのあたりは変わっていないけれど。
でも、あの日を境に、彼の「過保護」のギアが一段上がったのは間違いない。
(物理的な距離も、あの頃からぐっと縮まった気がするのよね……。過度な接触も、思えばあの時期からだわ)
隠れ家から、ここリマングスタへ。移動の最中も、ここに来てからも、カシムは常に私の傍にいる。隠れ家でも一緒にはいたけれど、これほど過剰ではなかった気がする。手を伸ばせばいつだって届く距離。自意識過剰みたいで嫌だけれど私は常にカシムの視界の中にいたと思う。
以前は……寝込む前は、どうだった?
「ミオちゃん、そんなに難しい顔をしてどうしたんだ? 眉間にシワが寄って、せっかくの美人が台無しだぞ。まだ痛むのか?」
開店作業の手を止めたガロンさんが、心配そうに顔を覗き込んできた。知り合ったばかりだけど、そのお節介なまでの温かさは素直に嬉しいし、だからこそ迷惑を掛けることや、嘘をついている申し訳なさが募る。
「あ、いえ……。ガロンさん、いきなりなんですけど、カシムって……なんて言うか、その、ガロンさんから見てどうですかね?」
「ああ、旦那のことか! いやあ、俺も知り合ったばかりだが、あいつは勘が鋭いな! さっきだって、ミオちゃんが心配だからって手早く作業を終わらせて急いで戻ってきたんだぞ」
ガロンさんは感心したように腕を組み、うむうむと頷く。
「箒のことも、俺の目にはあいつが瞬間移動したみたいに見えたぞ。ガタッて音がした時にはもう掴んでたからな。旦那は、よっぽどミオちゃんから目を離したくないんだな。愛されてるなぁ! 旦那にあまり心配掛けないようにな!」
ガロンさんは豪快に笑って、また鼻歌まじりに作業に戻っていった。
……愛されている。
出会って日の浅い人にまでそう断言されてしまうほど、今の私たちの(というかカシムの)態度はあからさまだ。
私とカシムは「夫婦」という設定上のパートナーに過ぎない。あの執着も、過剰な嫉妬も、独占欲を隠そうともしない甘い言葉も――全部、私を揶揄うための「完璧な演技」だと思っていた。赤くなって焦る私を見て、内心で舌を出しているのだと。
なのに何故、彼がこんなに必死になる必要があるのか。
カシムの過去の因縁に巻き込まれ攫われたから責任を感じている?
でも、それだけならわざわざ私に悟られないように不運を阻止し続ける説明がつかない。
疑問は尽きない。『何故』という言葉が頭の中で出口のない迷路を彷徨ってる。
ダメだ、こんがらがってきた。一旦、整理してみよう。
まず、日本にいた頃の私はツイてなかった。これは間違いなく断言出来る。自他ともに認める不運の才能に恵まれた私だ。
そして、この世界に来てからの私は……変わらず不運だ。でも、規模が段違いに跳ね上がっている。
まるで私がこの世界から拒絶されてるみたいに。
しかし、相変わらず致命的な怪我や取り返しのつかない事態にはなっていない。それは何故か。答えは分かりきっている。いつだってカシムが傍にいたからだ。
(……うじうじ考えていてもしょうがない。本人に確かめるのがなによりの近道よ!)
「ねえ、カシム。ちょっといい?」
床を掃除し終え、片付けているカシムを呼び止める。
銀色の髪が、店内に差し込む陽光を弾いてきらめく。涼しい顔でなんでもこなす姿が本当に腹立たしい。私はこんなにも悩んでいるのに。八つ当たりだとわかっているが眉間に力が入るのはどうしようもなかった。
「なあに、ミオ。そんなに熱心に見つめて。……掃除してる俺の背中、そんなに格好良かった?」
私はクッションの海に沈んだまま、彼をじっと見据えた。
「そんなんじゃないわよ。……なんでいつも、あんなにタイミングよく助けられるの?」
カシムは笑顔を崩さないまま、ゆっくりと私の元へ歩み寄ってきた。そして、玉座の肘掛けに両手を突き、私を閉じ込めるようにして顔を近づける。
「俺がずっとミオを見てるからだよ。それ以外に理由が必要?」
ほら、またその言い方。これは冗談?それとも本気?
「……なら、何でわざわざ隠してたの?不運を卒業したって喜んでた私を内心馬鹿にしてた?」
彼の眼差しはあまりに静かで、何を考えてるのか分からない。
正直怖い。でも確かめずにはいられないって思ってしまった。
「よおし!そろそろ開店するぞ!」
私が問い詰めようと口を開くより先に、カウンターからガロンさんの威勢のいい声が響いた。
(もう!タイミング!!せっかく気合い入れたのに!!)
ガロンさんの号令と共に、看板が「営業中」に返された。
空回りした感が拭えないが、私は「玉座」から這い出して気持ちを切替える。今日こそは働くわよ!
もちろん、止められたが二日連続座りっぱなしは流石にまずいと何とかガロンさん(ついでにカシムも)を説得した。
開店するやいなや、荒くれ者……もとい、陽気な船乗りたちが雪崩れ込んできた。
「よお、ガロン! やっぱりおっさんの顔よりも若くて綺麗な娘の方が酒が旨いわ!」
「こら、そこ! ミオちゃんに気安く触ろうとするな、旦那の目が光ってるぞ!」
ガロンさんの大きい声とジョッキのぶつかる音が店内に満ちる。
私はといえば、ホールを駆け回りながら、自分の周囲で起きる違和感の答え合わせに勤しんでいた。
たとえば、私がトレイを運びながら曲がり角でバランスを崩しそうになった瞬間。
どこからともなくカシムが現れ、空いている手で私の身体を支え、何食わぬ顔で注文票を確認して去っていく。
たとえば、客がこぼしたスープで足元が滑りそうになった瞬間。
いつの間にか足元に清潔な布が滑り込んできて、私の靴底を死守する。その先には、別の客にビールを運びながらこちらを見もせずに片足で布を蹴り飛ばしたカシムの背中。
(今まで気づかなかった私が馬鹿だった。人は見たいものしか見えないって本当だったのね。……それにしてもカシムって背中にも目が付いてる。絶対。)
それはもはや「勘が良い」なんてレベルではない。私の動きを、周囲の状況を、数秒先まで計算して動いている。
おかげさまで、一日の仕事が終わる頃には、私のエプロンは一点の汚れもなく、髪の毛一筋の乱れもなかった。
「はい、今日もお疲れ様。ミオちゃん、余りで悪いがこれ、ふたりで食べな」
閉店後、ガロンさんから包みを渡された。きっと気を使って食材を詰めてくれたのだろう。仄かに暖かい器にはガロンさんの優しが詰まっている気がした。ガロンさんには足を向けて眠れない。
「ありがとうございます!ガロンさん」
「いいんだよ。また明日も頼むぞ!カシムもしっかりミオちゃんを守ってやれよ!」
ガロンさんが冗談めかしてカシムの肩を叩く。カシムは「当然です」と、事も無げに笑って受け流した。その笑顔が、今の私には素直に受け入れられない。
「お疲れ様でした、ガロンさん。明日も早いんですから、あんまり深酒しないでくださいね」
「がっはっは! 分かってるよ。二人とも、暗い道だから気をつけて帰れよ!」
夜のリマングスタは、潮騒と遠くの酒場から漏れる喧騒が入り混じり、どこか幻想的な空気を纏っている。昼間の活気とは違う、少し冷えた夜風が火照った頬に心地よい。
(……黙ってちゃダメよ、澪。さっき店では邪魔が入ったけど、今度こそ逃がさないんだから)
私は大きく息を吸い込み、冷たい夜気を肺いっぱいに溜めた。
カシムとの「因果関係」その正体を暴くための戦いは、この静かな帰り道からが本番だ。
「……ねえ、カシム。さっきの続き、まだ終わってないわよね?」
私は足を止め、真っ直ぐに彼を見据えた。
カシムも足を止め、ゆっくりとこちらを振り向く。その瞳に宿る銀色の光が、私の決意を試すように揺れた。




