15:人はそれをデートと呼ぶ
服屋を出た瞬間、街の空気はさらに熱を帯びていた。私の格好は、カシムが選んだ戦略的露出高めのワンピース。動くたびにスリットから太ももが覗き、視界の端でフリルが小刻みに揺れる。
……めちゃくちゃ恥ずかしい。っていうか、絶対見られてる。変な意味で目立ってるじゃない!
「おっと、ハニー。そんなにキョロキョロしてると、ドブに落ちるよ?」
カシムが私の腰を引き寄せた時、体温がマント越しに伝わってくる。これも落ち着かない原因のひとつだ。
(ハニーって呼ぶのやめてって言ってるのに、この男の辞書には『遠慮』って文字は存在しないわけ!?)
今までの私なら、せいぜい「車に水溜りの泥を跳ね上げられる」程度で済んでいた。それくらいなら、クリーニングで終わるレベルの話だ。
でも、こっちに来てからの不運のインフレ率は、もはや呪いレベルになってる。間違いなく。今の私なら、本当にドブにダイブしても不思議じゃない。多分前世で疫病神殴ったんだ……。ほんと何してくれてんの!?
地面を蹴るたびに、カシムが選んだフリルが足にまとわりついて、まるで彼の手がずっと触れている感じがする。 この服は、動くたびに私に「カシムの好み」を伝えてくる。
(……やっぱり違うやつ選べば良かった)
鏡の前で「あ、ちょっと可愛いかも」なんて一瞬でも思ってしまった自分を、往復ビンタしてやりたい。……いや、やっぱりカシムをビンタしたい。絶対無理だけど。いや、ワンチャン……?
高いヒールで、石畳に躓きそうになるたびに、彼は過保護なほど抱き寄せてくる。そのたびに微かに漂う彼の香りが、逃げ場のない状況を突きつけてくるようだった。
カシムに揶揄われながら歩いていると、人混みの流れが一箇所で止まっていた。視線を向けると、そこには以前も見かけたあの貼り紙が堂々と鎮座している。全然気付かなかった……。
(いつまで探してんのよ!?いい加減諦めてもいいじゃない!)
『天人及び聖遺物の情報求む』
何度見ても、心臓に悪い。バレたら最後、私は即・爵位の引き換え券としてドナドナされる運命。
……待って。私、今どんな顔してる? 緊張で真っ青になってない?挙動不審になってない?大丈夫?
逃げ出したい衝動に駆られて俯く私の肩を、カシムの手がガッシリと掴んだ。「絶対に逃がさない」という意志が指先から感じる。え?嫌がらせ?嫌がらせなの?
カシムは私の体を自分の方へと更に引き寄せる。
「大丈夫だよ、ハニー。そんなに震えて。……怯える必要なんてない」
耳元で囁かれる声は、驚くほど甘い。
それは、私の思考を麻痺させるほどに強烈だった。
「俺がいる限り、誰も君を『天人』にはできない。……誰にも、触れさせないから」
その言葉には、震える私を守るような温かさと、同時に「お前は俺のものだ」と分からせるような、重すぎるほどの独占欲が混ざり合っていた。
(……この男、やっぱり性格悪い。優しく笑いながら、私の退路を全部塞いでる……)
逃げるように滑り込んだ時計店は、静謐な空気に満ちていた。ここだけは外の喧騒から切り離されてゆっくりとした時間が流れているようだった。
私は店内に並ぶ色々な時計の中で、最も頑丈そうな、鉄製の置時計を指差した。
「あ、……これは?壊れにくそうだし、実用的だし」
また落としたりしてもこれならきっと大丈夫。やっぱり置時計にはこれくらいの防御力が必要よね。
「却下。そんな面白みのない鉄の塊、家に置きたくないね」
……秒でダメ出しされた。いや、お金を払うのはカシムなんだから、決定権があるのはわかる。わかるけど、面白みより耐久性の方が絶対に重要だと思うんだけど!……そもそも時計に面白さ求めたことないし。
カシムは私の指を軽くいなすと、奥の棚から一つの時計を取り出した。カシムが選んだのは、私の選んだのとは真逆のデザイン。
深い夜の色をした黒曜石の台座に、銀の細工が月光のように煌めく、繊細で美しい置時計。……弱そう。
「ミオの瞳によく似ている。……これにしよっか」
手早く会計を済ませるカシムに口を挟む隙もなく、私たちは再び街へと繰り出した。
少しだけ歩調が緩やかになった頃、ふとショーウィンドウに並ぶ銀細工のチョーカーが目に留まった。しっとりとした黒いベルベットのリボン。その中央で、雫型の結晶が街の灯りを反射して、キラキラと揺れている。
(……綺麗)
一瞬、その輝きに目を奪われる。キラキラと輝く銀細工は、いつもヘラヘラしながら私を揶揄う、銀色の瞳を思い出させた。……眼精疲労かな。うん、そうに違いない。目薬、欲しい。
私の視線の先に気づいたカシムが、歩みを止めて私の顔を覗き込んできた。
「これ欲しいの?」
「えっ……?いや、綺麗だなって見てただけ。もうすぐ光祭の本番でしょ?そろそろ広場行こっか」
私は誤魔化すように足早に歩き出そうとするけれどカシムは動かず、何かを企むように薄く目を細めた。
「ふーん……、いいね、これ。俺も気に入ったよ」
彼は私の手を引いて、迷いの無い足取りで店の中へと進むと、店員に声をかけ、飾られていたチョーカーを手に取った。
カシムは淀みのない手つきで、私の首元にそのチョーカーを巻く。後ろで金具を留める指先が、私の肌を掠める。ひやりとした金属の感触と、ベルベットのしなやかな吸い付き。それは、目に見えない何か別のものを巻かれたような、奇妙な重みだった。
「思った通り。俺のものっぽくて似合ってるよ」
カシムはそう言って満足げに目を細めると、私の首元に回した手をそのまま離さず、親指の腹でそっとチョーカーの縁をなぞった。彼の指が触れる場所が熱を帯びてるみたいで息が苦しくなる。
(……俺のもの、って。さらっと何言ってんのよ)
否定しなきゃいけないのに、至近距離で見つめてくる彼の瞳を見ると、声が出ない。カシムは私の耳元に顔を寄せると、言い含めるように囁いてきた。
「……絶対に外さないでよ、ハニー。もし勝手に外したりしたら……次はもっと外れにくい『上書き』を考えなきゃいけなくなるからさ」
カシムの瞳にはいつもの揶揄いじゃない何か別のものが宿る。それは暇つぶしや、玩具に向けるには過剰な熱。
頬が熱くなるのを自覚しながら、私はその視線から逃げるように、精一杯の抗議を口にした。
「……首輪扱いやめてよ! ペットじゃないんだから!」
「ははっ、自覚があるならいい子にしてなよ」
ヘラヘラと笑う彼は、いつもの掴みどころのない男に戻っていた。
誰もが天人を捕まえようとする。そんな場所、早く帰りたかったはずなのに、不思議なものだ。カシムの隣で歩いていると、街を彩る光祭の浮かれた空気が、私の気分を軽くさせる。
相変わらず、不安はあるし、不運も続く。でも、隣でヘラヘラと笑いながら私の手を引くカシムと一緒なら、案外なんとかなるような気がしてくる。
(……ほんと、調子狂う。こんなにデリカシーのない男なのに)
「ねえ、カシム」
「ん? 何、ハニー。愛の告白?」
「違うわよッ……ただ、その。今日だけは、ちょっとだけ感謝してるわ。変な服着せられたけど」
私が視線を逸らして小さな声で告げると、カシムは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。けれどすぐに、いつもの笑みを浮かべる。
「いい心がけだ。じゃあ、その感謝の印に、俺の選んだ下着もつけてよ」
「!……やっぱり、あんたってド変態じゃない!」
私は彼の腕を軽く小突き、わざと一歩前を歩いた。
光祭を祝う鐘の音が、遠くで鳴り響く。人混みは最高潮に達し、色とりどりの光が私たちの影を長く伸ばしていた。
―――この時、私は彼から離れるべきじゃなかった。




