目の当たりにした現実
セラ。
手紙の中にだけ存在していたセラがまさか目の前に現れるなんて、夢にも思わなかった。
金色の長い髪に、まるで宝石のような紫色の瞳。
一目でわかるほどの高貴な衣服に、その佇まい。
噴水のそばで抱きしめられたとき、その腕の強さも、この胸に伝わる温もりも、そのすべてが現実であるということを嫌というほどに思い知らされた。
どうしようもなく、嬉しかった。
やっと、会えた。
けれど同時に、こんなみっともない姿を見られたくはなかった。
痩せ細ったこの身に、皺だらけの服。どこからどう見ても、見すぼらしい男の姿だった。
それでもセラは、俺のことを助けてくれた。
好きにならずに、いられなかった。
***
馬車に乗せられて、揺れる景色をぼんやりと眺めながら俺は現実を噛みしめていた。
そして予想通り、セラは格式高い貴族でもあった。
いや、予想していた以上だった。
馬車を降りた瞬間に、俺は今すぐにでもこの場所から引き返したくなっていた。
あまりにも大きくて豪華なお屋敷が、そこにはあったのだから。
ここは俺が居ていい場所ではないのだと、すぐさまわかった。
それなのに、セラは何の躊躇もなく俺を連れて屋敷の中へと進んでいった。
広間には、セラと同じ髪と目の色をした多くの人物の肖像画がずらりと並んでいた。
その色はセラの一族であるという証なのだと、後になって聞かされた。
生まれながらにして与えられたもの、その血に刻まれた誇り。
セラは、俺とはあまりにも違う世界の人間でもあったんだ。
「ここが、客間だ」
そう言われて通された部屋は、俺の住んでいた家よりも広くて花のような柔らかな香りが漂っていた
「しばらく、ここで過ごすといい。君は私の大切な、友人なのだから……」
表向きには、そういうことになっていた。
けれど実際には、俺はいま、セラの膝の上に座らされていた。
この背を強く抱き寄せられて、逃げ場なんてどこにもなかったんだ。
「ハル……」
そう低く、切なげな声で名前を呼ばれた。
「もう、どこにも行かないでくれ」
そのようなことを、こんなにも美しい顔で言われたら誰だって動けなくなるだろう。
俺は、ただ息を詰めて頷くことしかできずにいた。
どうやらセラは、俺の素性を調べ上げていたらしい。
そして、あと少しのところで俺の家に突撃するところだったと、苦い笑みを浮かべながら語っていた。
「ハルのことが心配で、いてもたってもいられなかった」
そう眉を寄せられてしまえば、俺は何も言うことができずにいた。
胸の奥が、ひどく締めつけられるようでもあった。
俺は同じように、セラの瞳を静かに見つめた。
その紫色は、部屋の灯りを反射してきらきらと輝いているように見えていた。
「……本当に、ごめんなさい」
声が、震えた。
「いろいろと……優しくしていただいて、ありがとうございます」
セラは少しだけ目を見開いたあとに、首を振っていた。
「そのような口振りは、やめてくれ」
穏やかだけれど、それは強い口調でもあったんだ。
「手紙で話をしている時のように、気安く話しかけてくれ」
「でも……」
どこをどう見ても、明らかだった。
身分が違う、立場が違う。それに年齢だって、離れている。
けれどセラは俺の髪にそっと触れて、撫でつけた。
その手つきがあまりにも優しくて、俺の心はどうにかなってしまいそうでもあった。
セラのことは、友人として好きなんだと思う。
手紙の中のセラは、落ち着いていて誠実で、それでいて少し不器用な雰囲気があって。
そんな彼が、好きだった。
けれど今となっては、もう違う。
その身に、触れてしまった。あろうことか、抱きしめられてしまっていた。
セラの温もりを、知ってしまった。
これは決して、俺なんかが抱いてはいけない想い。
そうわかっているはずであるというのに。
「ハル」
縋るように名前を呼ばれて、俺はまた静かに息を吐いた。
「……わかったよ、セラ」
その一言で、セラの顔がぱっと明るくなっていく。
そして、俺の頬に何かが触れた。
ほんの一瞬だけ、それはセラの唇だった。
「好きになってしまったんだ、ハル」
その言葉が耳に届いた瞬間、俺は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けていた。
「えっ……?」
いや、まさか。
聞き間違いだろう。
ぐらりと、視界が揺れた。
それに加えて、何も食べていない空腹と疲労と混乱とで、やがて俺の意識は遠のいていく。
「ハル、ハル……?」
遠くで、セラの声がした。
「しっかりしろ……!」
その声を最後に、意識は暗く深い闇へと沈む。




