優しい甘さ
「街で、見つけたんだ。気に入るといいが……」
そう言ってセラが差し出してきたものを目にした瞬間、俺は素直に喜んでいた。
「俺に……?セラ、ありがとう」
忙しい仕事の合間を縫って、俺のためにわざわざセラが何かを買ってきてくれた。
そのことだけでも、とても嬉しかった。
大きな籠の中にある包みを開けば、ふわりと漂う甘い香り。
それはあの日、俺が腹を空かせて遠くから眺めることしかできなかったあの焼き菓子でもあったんだ。
「えっ、これ……!」
思わず、視界が涙で滲んだ。
「……どうした、嫌いだったか?」
戸惑うようなセラの声に、俺は慌てて首を横に振っていた。
「違うんだ、このお菓子……。前に、食べたことがあって……」
声が、震えた。
手紙に書いた、あの一文。
街角で甘い香りがして、いつかまた食べることができたら、と。
そしてセラもまた、その意味に気づいたらしい。
一瞬だけ目を見開いて、それから静かな笑みを浮かべていた。
「……そうだったのか、よかった」
その声には、わずかな安堵が浮かんでいた。
そしてゆっくり頷いて、こう言った。
「これからは、ハルが食べたい時にいつでも食べられるようにしておこう」
「い、いや、……そんなことしなくても……」
けれど慌てて否定しようとした俺の言葉は、セラの次の一言によって封じられてしまう。
「私がハルとともに、この味を楽しみたいんだ」
そのように言われてしまえば、俺は何も言うことができなかった。
拒む理由なんて、あるはずもなかった。
小さく切り分けてから、セラと並んで口へと運んだ。
この焼き菓子は、記憶の中のものよりもなぜだかずっと甘く感じられた。
砂糖の甘さだけじゃない。胸の奥に、じんわりと染み込んでくるような優しい甘さが広がってもいたんだ。
その美味しさに、思わず笑みがこぼれていた。
そんな俺を見て、セラもまた穏やかに笑っていた。
「本当に、甘いものが好きなのだな」
思わず照れくさくなって、俺は少しだけうつむいた。
その仕草を見逃すことなく、セラは静かに俺の髪を撫でていた。
「私も、この菓子は好きだ」
その“好き”という言葉の響きが、なぜだか特別なものであるかのように俺の耳には届いていた。
***
しばらくして、セラは仕事があるからと部屋を出ていった。
扉が閉まる音を聞きながら、俺はそっと息を吐く。
医師の先生による診察を受けてから、今日も変わらず問題はないと言われて、大きな部屋で一人になる。
セラのいないこの部屋はとても、静かだった。
けれどところどころに、セラの温もりが感じられた。
なぜだかお腹がすいて、焼き菓子をもう一つ口にした。
少し前までは、ここで目を覚ますことさえ怖かったというのに。
今となっては、この静けさに言いようのない安心感をおぼえていた。
日に日に、もっとセラのことが好きになっていく。
それは、もう止められなかった。
助けられたからというわけでもない、守られているからという理由でもない。
ただ、セラのことが好きなんだ。セラだから、好きなんだ。
けれどもし、セラに嫌われてしまったら。
それを想像しただけでも、息が詰まりそうだった。
俺はもう、きっとこの世界では生きていけないだろう。
それがとてつもなく、怖かった。
そして、いつまでもこうして甘えているわけにもいかないんだ。
「いつまでも屋敷にいればいい」
と、セラは言ってくれていた。
けれど使用人の人たちの視線が、どうしても気になっていた。
直接何かを言われることはなかったけれども、それでもその目は強く問いかけていた。
俺は、セラの何なのかと。
最初の頃は、身の回りの世話もお願いしていたけれど、今は少しずつ断ってなんでも自分でやるようにしている。
それでも、扉の向こうに気配を感じる。
きっと俺が怪しい動きでもしないように、セラに言われて見張っているのだろう。
庭を歩いていても、まるでセラを守るかのようにいつも少し離れた場所に何人かの人がいた。
セラはそれほどまでに、大切な人であるのだと思う。
でもそんなセラに大切にされている俺は、どれだけ幸せ者なんだろう。
それでも、この幸せが怖くもあった。
いつか壊れてしまうのではないのかと。いつかハンスのように、ある日突然消えてしまうのではないのかと。
優しい甘さの奥に、影が差す。
俺はその影から目を逸らすように、もう一口だけ、これで最後だと誓って焼き菓子を食べた。
口の中いっぱいに広がるこの甘さが、どうか夢でありませんようにと、
そう、祈りながら。




