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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第一章 夜に堕ちた祈り
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19話 例の事件 後編

 ——真昼さんが部屋に連れ戻されてから、約一時間。

 松野と瀬戸も加わり、加害者は全員そろった。

 空気は重い、というより……沈殿して腐っているようだった。


 正直、もう目が覚めてほしい——。


 「う……っ……ゴホッ……」


 部屋の隅、桐谷が膝を抱えて蹲っている。吐き出した血が床に点々と落ち、頬は片側が異様に膨れ、もう片方は打ち抜いたような青痣に染まっていた。


 「俺らが来なきゃ真昼は逃げて、今頃サツにパクられてたんだぞ。……わかってんのか、あ“?」


 立てない桐谷に、怒声は刃物のように突き刺さる。

 真昼さんは部屋の隅で身を縮め、ただ怯えた瞳だけがこちらを向いていた。


 「ずび、ません……ぎをづ……げます、気をつけ、ます……がら……」


 血で喉を詰まらせた声は途切れ途切れ。

 次の瞬間、鈍い音と共に桐谷の身体が横に弾けた。

 そして、鋭い視線がゆっくりと真昼さんを突き刺す。

 ——怒りの炎は、別の獲物を見つけた。


 「クソ女が……舐めてんのか……ぶっ殺してやる!」


 叫びと同時に視界が真っ暗になる。真昼さんが恐怖で目を瞑ったからだ。


 ——ガツン。


 身体が揺れた。乾いた衝撃音。

 拳が振り下ろされるたび、真昼さんの小さな身体は細かく震える。


 「殺してやる、殺してやる! ——ぶっ殺してやるッ!!」


 息継ぎすら忘れた獣の連打。

 ——このままじゃ、本当に……。


 「もうやめろ! 死ぬぞ!」


 瀬戸の声が空気を裂く。

 安西の動きが一瞬止まり、うっすら開いた真昼さんの視界に瀬戸が腕を回して押さえ込む姿が映る。


 ——沈黙。

 だが、その静けさは嵐の前触れのように背筋を冷やした。


 「……逃げられねぇようにしてやる」


 低く、底に氷を沈めたような声。

 さっきまでの剥き出しの怒号よりも、はるかに恐ろしい。


 「じゃあさ……足の裏、焼けばいいじゃん」


 橘が口の端を吊り上げて吐く。冗談に聞こえるはずの言葉が、この空間ではそのまま現実になる。

 安西は何も言わず、桐谷を無理やり起こし命令を飛ばす。


 ——やがて戻ってきた桐谷の手には、アイロン。

 コンセントに差し込まれたそれは、じわじわと金属面を赤く染めていく。

 じぃ……という熱の音と、焦げた布の臭いが鼻を刺す。


 ——悪魔だ……私の目には人の皮を被った悪魔が見えた。

 平然と準備を進めるその横顔に、吐き気がこみ上げた。


 「ミュージックスタート」


 橘がいつの間にか手にしたギターをかき鳴らす。大音量が壁を震わせ、一切の雑音をかき消す。

 昼間から女性の叫び声が響けば通報されかねない——そのための轟音。


 「さ、気を取り直して——」


 赤熱した鉄が、真昼さんの足裏に押し当てられた。

 瞬間、甲高い悲鳴が弾け、私の視界は涙で滲み、そして闇に閉ざされた。



 *****



 ──うぅ……ん?


 気づけば、轟音の中で繰り広げられていた人皮をかぶった悪魔たちの宴は終わり、部屋は不気味な静寂に沈んでいた。


 また場面が切り替わったのか……。


 真昼さんは横たわったまま、何も映さない目で前を見つめていた。頬は腫れ色を変え、右手の指は一本だけ不自然に折れ曲がり、髪も肌も埃と血で固まっている。まるで壊れかけの人形だった。


 ドタ、ドタ──


 外から響く足音に、真昼さんの身体が小さく震える。

 この部屋で染み込んだ恐怖は、骨の芯まで侵食している。

夢だとわかっていても、見ているだけしかできない自分が歯痒い……。


 「邪魔するぜ」


 扉が蹴り飛ばされ、五人の悪魔が不遜な笑みを浮かべて入ってくる。


 「……うわ、部屋くっせぇ」


 傍観者の私は臭いを感じない。だが、この光景だけで理解できた。

 彼女は一度も風呂にも入れず、血と膿と汚れをこびりつかせたまま放置されている。

 普通なら救急車を呼ぶべき重傷だが、この悪魔の巣窟では常識など通用しない。


 「あぁ……ムカつくな」


 臭いに腹を立てた安西が力なく横たわる真昼さんの腹を蹴りつける。


 「おっと、すまねえ。今日の“お手入れ”忘れてたな」


 桐谷が押し入れからファブリーズを取り出し、真昼さんの全身へ無造作に噴きかける。

 薬剤が擦り傷や裂傷に染み込み、真昼さんは絶叫しながら転げ回る。

 その苦悶の動きに合わせ、悪魔たちの下卑た笑い声が大きく膨らんでいく。


 「顔もブサイクになったし、もう“可愛がる”気もしねぇな」


 安西が唾を吐くように言い、そこへ橘が肩を叩きながら割り込んだ。


 「なぁ、真昼ちゃんでチキンレースしようぜ?」


 意味はまだわからない。だが、その笑みが告げていた。ろくでもないことだと。

 五人は小声で相談すると、一旦部屋を出て行った──だが帰ってこないはずがない。


 やはり戻ってきた彼らの手には、見慣れた日用品がいくつも握られていた。


 カッター、ダンベル、分厚い辞書、電気コード、金属バット、タバコ、フライパン、更にはバールのようなものまで──。


 それらはどこにでもある物なのに、この部屋では妙に歪んで見える。

 何をするつもりなのか、私にはまだ分からない。

 ただ、その目の奥にある光が「日常の道具」と「これからの行為」が、決してまともではないことを告げていた。


 「真昼ちゃん、見て見て〜」


 橘は鼻歌交じりに、一つずつ真昼さんの目の前に並べていく。

 金属が机に触れる甲高い音や、重みで床が軋む感触が、やけに耳に刺さる。

 並んだ物たちは、ただ置かれているだけなのに、部屋の空気をさらに淀ませていく。


 困惑する真昼さんに、橘はゆっくり顔を近づけ、耳元で囁いた。


 「新しい──“オモチャ”だよ。簡単に“おねんね”すんなよ?」


 ………おねんね?

 その言葉だけが場違いなほど軽く、子どもをあやす時の声色に似ていた。

 だが、ここでそんな優しさがあるはずがない。

 私は胸の奥でざわめく違和感を押し殺し、

考えるのをやめようとした──その瞬間。


 「さぁ、この“オモチャ”で真昼ちゃんと遊んでやろうぜ!」


 橘の号令に、四人が獲物を前に、血の匂いを嗅ぎつけた獣のように笑い声を上げる。


 「や……やめ……て……」


 真昼さんの弱々しく懇願する姿は、奴らにとって嗜虐心を煽る甘い蜜となる。

 その一言だけで、口元がさらに歪み、目がギラついていく。


 先鋒は安西。

 安西が笑いながらダンベルを持ち上げるのを見た瞬間、全身が冷える。

 “寝るな”というのは……そういうことか。

 気を失えば負け。

 その前に、どれだけ悲鳴を引き出せるかを競う──命を弄ぶ悪魔の競技。


 吐き気と一緒に、頭の奥まで冷たいものが這い上がってくる。

 理解してしまった自分を呪うしかなかった。


 もう逃げ道はない。


 これから始まるのは遊びじゃない── 命をチップにした悪魔の遊びだ。


 ダンベルが高く振り上げられ、ためらいもなく振り下ろされる。

 刹那、視界が闇に沈んだ。



 *****



 次に目を覚ますと、一番最初に映ったのは、無造作に盛られた残飯だった。

 汁と米と何かの肉片がぐちゃぐちゃに混ざり、その見た目は到底食べ物と呼べる代物ではない。


 ……それでも、真昼さんはその皿に顔を近づけ、一心不乱にかき込む。

 唇を切ったのか、口元から滲む赤が混ざっていく。

 そのあまりに惨めな光景に、私は息を呑んだ。


 なぜ──なぜ、見ず知らずの他人に対して、ここまで酷い仕打ちができるのか。

 普通の人間なら、加害者であっても、繰り返すうちに心が軋み、罪悪感に苛まれるはずだ。

 だが、あの悪魔たちにはそれすらない。

 彼らの精神には、本来備わっているはずの“人間”の部分が、まるごと欠け落ちている。


 わずかな残飯を食べ終えると、真昼さんは力尽きたように床へ身を投げ出した。

 その際に鏡の中の真昼さんと目が合った──いや、彼女の目はもう何も見ていなかった。ただ、その映り込みが、以前よりもさらに残酷な現実を突きつけてきた。

 その姿は……もう、人としての輪郭だけが残された抜け殻だった。

 顔はさらに腫れ上がり、元の輪郭など判別できない。

 頭髪はごっそり抜け落ち、床には長い毛束が無数に散乱している──それがストレスによる脱毛なのか、無理やり引き抜かれたものなのかは分からない。

 身を覆うのは、血と膿で変色したボロ布のようなインナーシャツと下着だけ。

 今の彼女を見たとして、彼女を真昼さんだと信じられる人間はどれほどいるだろう。

 いや、性別すら即答できないかもしれない。

 もはや「面影」という言葉さえ、残酷な冗談にしかならない。


 怒りや嫌悪はある。だが、それ以上に──もう、これ以上苦しませたくない。解放してあげたい。

 その思いを抱えたまま、視界はゆっくりと暗転していった。



 *****



 「助けて、いや! 助けてっ!」


 次に目に映ったのは、安西の胸元だった。

 真昼さんが、必死に体をねじって逃げようとしている。

 その声は必死さを超えて、もはや命を賭けた悲鳴だった。


 「真昼、今日はやけに反抗的じゃねぇか。殺されてぇのか?」


 吐き捨てるような安西の声。怒気というより、面倒ごとに対する苛立ちしかない。


 「この身体でよく動くもんだな。さすがにビビったわ。

 弟も連れてきてやるって言った途端、これだもんな」


 松野が呆れ顔でため息をつく。


 「だが、痛みに耐えながら抵抗する根性だけは見上げたもんだ」


 瀬戸が感心したように笑う。その口調に一片の同情はない。


 「いいねぇ、いいねぇ! 最高の画が撮れてるぜ」


 橘は興奮で手を震わせながらスマホを構えている。


 「てか、この部屋、もう使いモンになんねーんだけど」


 桐谷は暴れる彼女そっちのけで、床や壁の汚れを見て顔をしかめた。


 「もう嫌っ! 出して! 助けて! 助けて! 助けてぇぇっ!!!」


 真昼さんの絶叫は、狭い部屋に跳ね返って耳を打つ。

 その声には、命を繋ぎ止める最後の糸にすがるような切実さがあった。


 ──ああ、彼女は今、本気で助けを求めている。

 この声を見捨てたら、私は二度と彼女を救えない──そう思えてならなかった。


 「瀬戸、このクソ女をちょっと抑えとけ」


 安西が命じ、瀬戸が彼女の腕をねじり上げる。

 その間に安西は、部屋の隅から──釘がびっしりと突き出たバットを拾い上げた。


 「挑発のつもりか? 上等だ……やってやんよ!」


 大きく振りかぶる。


 その瞬間、視界の端に鏡が映り込んだ。

 そこには、血と涙に濁りながらも、まだ消えきらない光を宿した真昼さんの瞳があった。

 それは、霧子である私を真っ直ぐに見据えているように思えた──『助けて』と。

 その光が、砕け落ちる寸前──。


 ガキィィンッ!


 骨と木材の砕ける音が同時に響き、視界は一瞬で闇に閉ざされた。

 それでも微かに悪魔の囁きは聞こえる。


 「あぁ? 動かなくなっちまったぞ?」


 「仮病だろ、根性入れ直してやる!」


 「やば……おい、マジでヤベェって!」


 「はぁぁ……めんどくせぇ! 桐谷ィ! でけぇ袋持ってこいや!」


 声が遠のく。

 鼓膜の奥で世界が溶け、私の長い悪夢は──ここで終わった。

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