117話 雪解け
廃墟街にも春が訪れていた。空は雲一つなくどこまでも青く澄み渡っており、風は多少涼しいがもはや厚着をする必要はない。
天津ヶ原コーポレーション本社の玄関前で、防人は暖かくなったことにより、春の訪れを実感していた。
地上では廃墟ビルや家屋の雪は溶けており、ひび割れて崩れたアスファルトからは早くも雑草が芽を覗かせていた。春と言うには殺風景すぎる酷い光景だ。積雪により見えなくなっていた崩れた店舗や錆びきった車体だけの放置自動車。春を感じるというよりも、滅びた世界を感じさせる。そんな風景だ。
だが、それでも今年はマシなのだろうと防人は辺りを見渡して思う。
なぜならば、例年ならば凍死体や魔物に食われた死体などが出てきて、腐臭が酷い場所があるのだから。今年はそういうのはなさそうで、廃墟街の住人は外で元気よく冬の間に壊れた壁やゴミなどを片付けている。
「今年は凍死者はいなかったか?」
「見た限りはここ周辺はいないんじゃないのか?」
「餓死者もいなかったと思うぜ」
「さて春の訪れとともに働くとしますか」
ワイワイと人々は朗らかに笑いながら、自分たちの仕事を開始しようとしている。去年までは、あのように明るい笑みの者などいなかった。少し嬉しいじゃんねと、防人は優しい目つきをして、人々を見る。
去年までは痩せた者たちがようやく食料を探せると、よろよろと幽鬼のように建物から現れて、凍死者の荷物を漁り、餓死者の服を剥ぎ取っていた。そうして、スライムの溜まり場に死体を捨てていくのだ。
春とは廃墟街の人間にとっては、この冬もなんとか生き残れたと暗い表情で希望を持たずに活動を開始する。そんな季節であった。
今年はまったく違う様相を見せていた。
『とりあえずは廃墟街の救世主にはなれましたね、防人さん』
幽体の雫がフヨフヨと目の前で浮きながら、可愛らしく微笑むので、その可愛らしさに癒やされながら、俺はニヤリと笑う。
『まだまだほんの一部だろ。先は長いぜ』
『いや、主様のやったことにより、他の地域でもきっと少なからず救われた人々はいるはずなのじゃ。胸を張って誇っても良いと雪花ちゃんは思うぞ』
隣に立つ雪花が思念を送り褒めてくれる。たしかにコアストアの存在は空腹と寒さを我慢するだけの状況を打破するアイテムとして見られているはず。
木の棒や炭は暖をとれるし、コッペパンは命を繋ぐ食料品だ。木の棒や炭で火をおこし、初期ポーションや粉ミルクを飲み、コッペパンを食べる。それだけで、冬を乗り切る可能性は跳ね上がったことだろう。
目端の利くものは、それ以上のことをしているはず。廃墟街では最近とみにスキルレベル1になる者たちが多くなっている。時期的に見ても後少しでスキルレベル1になる者たちが多かったのだ。そしてレベル1ならば、連携すればホブゴブリンをも倒せるだろう。
等価交換ストアでは最近Dランクコアの利益が増えてきているのだ。しかも月に1万個にはなっている。たぶんスキルレベル2も出現し始めていると予想している。金になると人々による魔物狩りが各地で活発になっている証拠だ。やはり人間の強い動機は金と食料だよな。少しは自分を褒めてもいいのかもしれないぜ。
『そうですよ。夫婦の活躍を雪花ちゃんも祝福してくれています。ここは誇りましょう』
アピールが激しい雫さんが、むふんと平坦なる胸を張って得意げに威張る。最近はますますアピール激しい美少女である。
『誰も夫婦とは言っておらんのじゃが……』
雪花が頬をかきながら苦笑をするが、いつものことだからと、俺は微かに笑いながらジープへと近寄る。
ジープの後部座席には段ボール箱が数箱入っている。食べ物や酒などだ。これから向かう先に生存者がいると俺は信じているので、商品を満載しているというわけだ。
『金、美術品、食べ物に酒。ふふふ、外交の基本ですよね』
『古臭いやり方だが、効果的だと思うぜ』
ガタゴトと動く段ボール箱があるので、ジト目で開けると
「さきもりしゃんはあたちがまもりゅ!」
幼女が縮こまって入っていた。箱が開いた途端に、フンスと鼻息荒く片手を突き上げて宣言してくる。幼女らしい言葉に苦笑混じりに抱き上げて、外に出す。
「ここから先は危険だからな。お前は俺の家を守っていてくれ」
頭を優しく撫でてやると、ふんふんと鼻を鳴らして、コクコクと頷く。
「わかった! さきもりしゃんのおうちはあたちがまもりゅ!」
「おぉ、任せた。俺は少し旅に出るからな。予定は日帰りだけどな」
素直な幼女の頭をポンポンと叩く。嬉しそうに幼女は手を振ると、パタパタとビルの中へと戻っていった。無邪気な行動をとる子供を見ると、なんとなく安心するぜ。きっとハタキでも持って、家を守るごっこ遊びをして走り回るのだろう。
「ようやく種蒔きができるよ〜。あ、でも、まずは耕さないとだよね」
「俺、耕運機の使い方を習ったんだぜ。任せておけよ! もう金属加工は終えているしな」
「私は浄化をかけ回らないと〜。錆びたり、汚れた場所があるからぁ〜」
「私たちは春用の服を縫うつもりだよ」
「私たちのブランドを作っちゃうから」
仕事に精を出すべく、笑顔でおしゃべりをしている子供たち。仕方ないとはいえ、あの歳で仕事をするのは何年経っても違和感を感じちまう。
さて、俺たちもやることをやりますかね。
ジープに乗り込み、『影法師』を使い黒いローブで身体を覆う。いつもの姿だ。
「ほれ、雪花の分」
雪花にも影法師で作ったローブを手渡す。それを見て微妙な顔をする雪花。不満があるみたいだな?
「雪花ちゃんはこの服装で良いのじゃが」
「ふざけんなよ。どこの世界に改造着物で旅する奴がいるんだよ、怪しすぎるだろ。だいたい寒くないのかお前? 冬の間、変態の痴女だと噂されていたの知ってた?」
ひらひらと着物の裾を振ってアホなことを宣う雪花にジト目をプレゼントだ。冬の妖精だから寒さには強いのだろうが、薄い着物での行動はアホにしか見えなかったぞ。
「そーゆーのは早く言ってくれなのじゃ。しかし、防御は理力の指輪があるからの。着物でも問題ないのじゃ」
人差し指に嵌めた指輪を見せてくる。俺の指輪を分けたのだ。残り一つになっちまったから、今度セリカにお願いしないとな。
「そういう誤魔化しはいらないから。俺の顔を見て、もう一度言ってみ? リピートアフタミー? まったく問題はないのか?」
「ぬぐ……昔、雫たちとの試合で賭けての。負けてこの口調と服装にしたのじゃよ。やっぱり変じゃよなぁ」
生真面目だなぁ、雫さんもそう思わないか?
『私たちの誓いは絶対なんです。天野雫は誓います。防人さんに嘘はつかないと。賭け試合なんて記憶にありません』
『早速嘘ついているじゃねーか』
息を吐くように嘘をつかないでくれないかな、雫さんや。
「この黒ずくめも怪しいとは思うのじゃが。下手したら着物姿より怪しいと思わないかの?」
微妙な表情でローブをつまみ、俺を見てくるがそれは仕方ない。
「ハードボイルドなおっさんには必要なんだ」
『防人さんには似合っているから良いんです、少し変でも』
きっぱりと告げる俺に、雪花は半眼を向けてくるが、妥協はしないぜ。この『影法師』は監視、精神系統のスキルをある程度シャットアウトするしな。だから雫も少し変でもとか言わないでくれる? 繊細な中年心が傷つくぜ。
「仕方ないかの。主様の言うとおりに」
渋々ながらローブを着込む雪花を見て、安心してハンドルを持つ。それじゃ、出発するかね。と。
アクセルを踏み、ジープを発進させる。目指すは橋向こう。ようやくある程度の魔物が間引けたので、先へと探索だぜ。
と、思ってたんだがな。
雪があちこちに残る道路を走る。俺の本社は一番橋へと近いが、それでも20分はかかる。苔や草木がビルを這い回り、大ネズミが廃屋の中を走りまわっている。天井もなくなり、瓦礫が積み重なっている崩れた廃ビルで、スライムが何かにへばりついて溶かしている。
人気のないボロボロの廃墟の中を、ジープで走りながらあくびをしてしまう。ここらへんの魔物は殲滅したからな。しばらくは安全な道で進めるはず。
だというのに、だ。ジープを一旦停止させて、前方へと視線を移し、もう一度あくびをしてしまう。
「た、助けてくれ! 魔物がこの先にいて……な、仲間がやられちまう」
50メートルほど先に、肩を押さえてよろよろと歩いてくる男が歩いていて何やら叫び声をあげていた。
「マジかよ、こりゃ大変だ。廃墟街であんな無防備に助けを求めてくるなんてな」
「普通はどうなのじゃ?」
不思議そうに小首を傾げる雪花へとちらりと視線を送る。
『ああやって弱っている相手は殺して、荷物を奪い取るのが普通でしたね』
「あれだ、地方ごとに慣習や文化が違うってやつだな」
俺と雫の間髪いれずに答えた内容に雪花はドン引きして口元を引きつらせる。失礼な。廃墟街では普通だったんだぜ。
「………だが、今は違うのじゃろ? そうじゃよな?」
「もちろんだ。俺はこうするね」
アクセルを思い切り踏んで、助けに向かうことにする。エンジン音が激しく唸り声をあげて、ジープは急発進して男へと向かう。
近づくジープに男は喜びの表情となり、ついでその顔を青褪めさせる。
なぜならば瓦礫を弾き飛ばして、接近する俺のジープはまったくスピードを抑える様子を見せないからだ。
ワタワタと慌てて逃げようとする男。道をそれて躱そうとするがもう遅い。
ドンと強い反動とともにジープは跳ねる。ガタゴトと何かを踏む音がしてくるが、小石でも踏んだかね。
「久しぶりの運転で車は急には止まれないことを忘れてたぜ」
「それは残念じゃったの」
酷薄な笑みを浮かべて、ブレーキを踏み外に出る。
道路には男が倒れ込み
「おっとっと、救急車はいらなそうだな」
怒気を纏いながらよろけながらも立ち上がるので、パチパチと感心して拍手をしてやる。頑丈な男だこと。
「まぁ、実際加速が足りなかったんじゃよ」
『ステータスが高い人間はゾンビ並みにしぶといですからね』
肩をすくめる雪花と、悪戯そうに笑う雫。まぁ、わかりやすいよな。
「この人でなしが! 加速するか、普通!」
「死ななくてなにより。このまま踵を返して帰宅することをお勧めするんだが?」
怒鳴る相手を気遣ってやる。俺って優しいからな。初期ポーションの一つでも分けてやってもいいぞ。
「殺れ!」
手を振り上げる男を冷たく見て、指をパチリと鳴らす。
『粉雪』
俺の周囲に粉雪が舞う。春の暖かな空気を冷やして、吐く息を白くする。
俺が魔法を発動させると同時に、道路脇から銃声が一斉に響いてきて、嵐のように銃弾が迫ってくる。
そして粉雪の中を通過して、あらぬ方向へと軌道を変えて、ただ道路やビルの壁に弾痕を残すのみとなった。
「なかなか良い魔法だな、気に入ったぜ。魔法の障壁よりもマナ消費が少ない」
「主様……その魔法は雪花のオリジナル魔法だったのじゃが?」
「特許料として、今度お高い飯を奢ってやるよ」
驚き呆れ果てて口をポカンと開ける雪花だが、魔法ってのはスキルレベルと属性が同じなら相手の魔法を覚えられるだろ? ラーニングってやつだな。
『ふふん、防人さんの魔法操作は、人類の中で最高なんです』
自慢げに嬉しいことを言ってくれる雫の期待に応えるとするか。
「雪解けされて、春の季節。なんとも俺らに相応しい季節の始まりだな」
体内のマナを活性化させて、防人は酷薄な笑みを浮かべるのであった。