114話 正月
除夜の鐘なんて聞いたことがない。いや、昔は聞いたことがあったなと、防人は外を見ながらお猪口に注いだ酒を飲む。熱燗にした日本酒は喉をとおり、臓腑を温めてくれる。
外は真っ暗だ。粉雪がシンシンと降り、雪が音を吸収して静寂の世界を純白に覆われた風景の中で作り上げている。大晦日、既に時刻はあと数分で年が明ける。
「今年の大晦日は良い大晦日だな」
居間は電灯により明るく、春のように暖かい。テーブルには冷めた天ぷらと食べ終えたそばのどんぶりが置いてある。
「そうですね。部屋は暖かく食べ物もたくさんあります。そこの女が外で雪だるまの真似をしてくれれば完璧なのですが」
「そなたが雪花ちゃんにどのようなキャラメイクをしていたか、非常に気になるところなのじゃ」
対面でのんびりと天ぷらに齧りついている雪花が疑わしい表情で雫を睨む。それは聞かない方が良いと思うぜ。たぶんろくなキャラメイクじゃなかったからな。
あぐらをかいてのんびりとする俺の膝には雫が頭を乗せて寝っ転がっている。『全機召喚』中なのだ。まぁ、正月ぐらいは良いだろう。
子犬が寛ぐように、べた〜と体を伸ばして床に寝っ転がっている雫の頭を優しく撫でる。滑らかな触り心地が気持ち良い。気持ち良さそうに目を瞑る雫は相変わらず可愛らしい。
「去年はろくな食い物もなくて、寒さで死にそうだった覚えしかないぜ」
「缶詰とカチカチのパンでしたからね。外の雪積もる光景を見て楽しむ余裕なんかありませんでした」
「悲惨な暮らしだったようじゃな。雪花ちゃんはこの時点で助けられて良かったということじゃな」
俺たちの会話に苦笑をしつつ、雪花は残りの天ぷらも食らい尽くす。
「その代わりに信頼関係や信用も愛情も深くなりました。夫婦は苦労を共にすると愛情が深まるんです。子供は何人にしましょうか?」
「その俗説は一部正しいと思うぞ? 短期間なら良いじゃろうが、長期間に及べば、苦しい生活からお互いに愛想を尽かすと思うのじゃ」
「それじゃ、3年はちょうどよい苦しい時間だったんですね。私の愛情は53万です。しかもあと3回跳ね上がります」
「重い女は嫌われるぞ? まぁ、セリカのようにヘタレなのは反対に好機を失うと思うがの」
2人が楽しそうに言い争うのを眺めながら、腕時計を見る。いつの間にか時計は0時を過ぎており、年は明けてしまったらしい。まぁ、俺たちらしくて良いか。
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます、防人さん」
「明けましておめでとうなのじゃ。主様」
何年ぶり、いや、何十年ぶりのやり取りなのかと、記憶を振り返るが覚えがない。かなりの昔の話だ。
「今頃は皆も同じように祝っているのかねぇ」
「とりあえず、春の花と蕎麦と餅は配ったのですから、祝っているのでは?」
雫の言葉に、そうだと良いなぁと思う。この1年で大きく様変わりしたからな。とりあえずは食べ物には廃墟街の人々は困っていないと信じたい。
俺の周囲の奴らだけだけどな。北や西の廃墟街の連中はどうだろうな。寒さは厳しいがコッペパンとかを食べているから去年よりはマシだろうが。もっと頑張ればそれらの人々も救えるとかは考えない。悪いがコアストアを上手く使ってくれとしか言えないね。俺は身内に手を伸ばせる程度しか力はない。今のところはな。
きっと、本社内の食堂は年明けの祝いをしているはず。市場も信玄の拠点も騒がしいだろう。金を1000万ほど使ってくれとばら撒いたし。
「今年が良い年になるように、お年玉をあげないと」
等価交換ストアーを喚び出す。一覧表示がされるので、チェーン店化をするべく、新たなるアイテムを選ぶ。
『下級ポーション:Cコア1。多少の怪我を回復する』
「Cランクコアで下級とは泣けてくるね」
ゲームではあり得ない仕様だ。下級ポーションがサハギンリーダーを倒した苦労に見合うとは到底思えない。これをゴブリン相手に試してみたんだが、多少深い切り傷を治す程度だった。折れた骨とか、内臓にまで届く傷には反応しなかった。
初期ポーションもそうだが、繰り返し使用して回復はできない。重ねがけの回復はできないのだ。ゲームのように薬草をたくさん使えば、ヒットポイントが満タンになるといったことはない。
その傷は癒せるかと、一度判定されて、癒せないと判定されたらそれまで。酷い仕様なんだよな、泣けるぜ。
「ダンジョンの仕様なんてそんなものです。ですが、そこそこ役に立つでしょう」
「そうじゃな。訓練は厳しく生傷が絶えんのじゃ。下級ポーションはありがたい」
雫も雪花も下級ポーションのチェーン化に賛成だ。これをCコア3個で売り出す。金額にして9万円。訓練の普段使いには無理だと思うんだが。
「山ほどCコアは余っているのじゃろ? 捻挫に使う予定じゃ。他の傷は訓練の勲章じゃな。捻挫を恐れなければもう少し訓練もできる」
「恐ろしいスパルタだこと。たしかにそうしておくか……。他にもなにかを加えたいね」
捻挫を恐れない訓練とは恐ろしい。雪花は鬼教官だな。
「牛乳じゃな。冷蔵庫が使えるようになったのじゃ。チーズも良いぞ。カマンベールチーズ」
「乳牛はリソースを大きく食いますからね。牛乳は良いと思います。高級牛乳も加えましょうよ」
「乳牛が全滅しちまうぞ。しかし乳牛には悪いが飼料などが必要なくなると、かなり余裕ができるか。……う〜ん、駄目だ。もしもコアストアが使えなくなった時に乳牛が全滅していたらまずい。もう牛乳が飲めないなんてのは勘弁してほしい。……粉ミルクにしておこう」
料理などで使えるし、牛乳の方が良いと思う人は多いはずだ。その時は俺が死んでいるという意味でもあるが。
『粉ミルク1kg:Eコア1』
ポチリと押下すると、ガシャンと粉ミルクが現れる。粉ミルクだけが現れなかったことに安堵する。ガラスの壺に入っている。
雪花が移し替える箱を持ってくるので入れ替えておく。ぺろりと舐めると普通の粉ミルクの味だった。
「お湯で溶いてみるのじゃ」
コップに粉ミルクを入れてお湯で溶く。それを飲んでみるが……う〜ん、そうだなぁ、料理に使う牛乳の代替品としては良いかもな。粉っぽさが口に残るし。
「まぁ、いつものとおり3倍の値段で売り出すことにするか。隙間産業的だが」
皮肉げに苦笑を浮かべてしまうぜ。だが、現在の産業や牧畜、農業関係に影響をそれほど与えないで、かつコアストアで売り出せる価値のあるものってのは、考えるのが大変なんだよ。
「ふふん。雪花ちゃんが仲間になったからには、役に立つ提案をどんどんしていくから安心するのじゃ。そこの寝ているだけの女とは違っての」
俺の膝の上で寛ぐ雫へと、雪花はドヤ顔で見て笑う。使える女なのじゃと豊満な胸をこれみよがしに張りながら。
揺れる胸に、チッと雫は舌打ちをしながらも腕を組み目を閉じる。
少しだけ考え込み、ポンと手を打ち目を開く。
「魔法的アイテムを加えましょう。『蜘蛛の糸』と『煙玉』ですね。それを加えるとDランク退治もより安全になるでしょう」
「『蜘蛛の糸』と『煙玉』? 名前からなんとなくな効果を想像できるアイテムだな」
たしかにラインナップにはある。
『蜘蛛の糸:Dコア3、敵を蜘蛛の糸で絡め取り動きを10秒程度止める』
『煙玉:Dコア3、10秒間程度、煙を周囲に湧かせる』
なんとゲームっぽいアイテムだこと。結構高いけど。
「あ〜、こんなものもあったの。宝箱によく入っていたもんじゃ」
雪花が懐かしそうにラインナップを眺める。デバフ系統に見えるが?
「『蜘蛛の糸』は文字通り、念じた相手に糸が飛んでいき動きを鈍くします。だいたい抵抗されるので実際の効果時間は3秒間といったところです。『煙玉』は不自然に5メートル範囲を見通すことが難しい深い煙で覆います」
「完全抵抗も珍しくない気休めアイテムなのが『蜘蛛の糸』。『煙玉』はこちらの視界も塞ぐから戦闘では役に立たぬ。銃を使う部隊には邪魔にしかならぬからの」
アイテムの実際の説明をしてくれる雫と雪花。なるほどな、聞く限り、たしかに気休めアイテムだ。
「だが、売りに出しておいて、問題ないだろ。5個で売りに出すから15000円。……煙玉も蜘蛛の糸も敵から逃げるのに役に立つ。攻撃系統は入れない方が良いか?」
「『火炎の巻物』とかありますけど、やめておいた方が良いですよ。きっと魔物に向けるよりも、人間に向ける方が多くなりそうですし」
「たしかにな。現実は世知辛い。きっとそんな使い方をされる予感がするぜ。強化系はしょぼいからいらないか」
コアストアも魔法の自動販売機っぽくなってきたじゃんね。良きことかな。強化系はほとんど効果時間が10秒。効果も微妙そうだ。
「相変わらず搦手から入る女じゃの。正々堂々という言葉を頭の辞書に入れておるのか、お主は?」
「雪花ちゃんみたいに、誰も彼も猪のように突進して敵を粉砕することはできないんですよ」
「猪とは心外じゃな。矢のように突進して、蝶のように舞いながら倒すのじゃ」
2人の会話を聞き流しながら考える。目玉商品が欲しいんだよなぁ〜。これはというやつ。
「うん……『木人形作成の巻物』にしよう」
『木人形作成の巻物:Eコア3、木の棒から1メートル程度の子供の力程度の木人形を作成できる。簡単な指示に従うゴーレム』
これもコア5個で売りに出す。金額にして1500円也。
「敵を釣るにも良いし、多少の荷物持ちにも使える。使ってみようぜ」
ストアから呼び出すと巻物が出てくる。木の棒を用意して巻物を開くと魔法陣が空中に描かれて、木の棒に手足が生える。文字通りの棒の手足だ。人形の手足。荷物とかも持てる。
少し検証すると20kg程度の荷物を持ち運べた。銃の引き金を引くなど、器用なことはできないが、充分だろう。効果時間は6時間であった。走ることはできなくて、子供が歩く速度程度だ。
「主様は面白いことを考えるのぅ。たしかにこれは便利グッズになるじゃろうな」
「コアストアのラインナップ、なかなか面白いことになりましたね」
雫と雪花が感心するが、たしかに面白いことになったと俺も思う。
「新しいアイテムの使い道。色々と皆は考えてくれるだろうぜ」
想定と違う使い方をするのが人間というものだからな。面白い使い道を期待するぜ。
「たるるかん、刃の輪舞曲!」
蜘蛛の糸を木人形に投げつけて、嬉しそうな表情で何やら踊り始める雫さん。その意味不明な踊りを見ながら、ふと思う。
「正月にすることじゃねえな」
仕事を忘れられない仕事人間みたいじゃんね。
「人々へは面白いお年玉になりましたよ、きっと」
踊りながら悪戯そうに雫が笑う。
「そうだな、魔法のアイテムがラインナップに加わったことから、この先の新商品も期待してくれるだろうぜ」
未来は分からないが少しは良い未来になれば良い。
「さて、餅でも食べてから寝るかぁ」
大きく伸びをして立ち上がる。こんな時間だが、別に良いだろ。
「初詣をしたいところでしたが、参拝する施設がないですもんね」
「雑煮を雪花ちゃんは期待するのじゃ」
残念そうに雫が言うが寺社は全然見ない。内街や外街にはあるんだけど、そこまでは行きたくない。
「雑煮かぁ。俺の作れるのはシンプルなんだ。文句いうなよ?」
あとは正月は休むか。雪が解けたら北東に向かうことにする。平原の先には生き残りがいると信じている。
新たなる市場を開拓するつもりだぜ。