キミが思うより夜は長いから
――あぁ、退屈だ。
ヒマを持て余している。
役目はひとつだけ。
ただ、道を照らし続けること。
日が沈んでから、翌朝がやってくるまで。
毎日休むことなく。
それは代わり映えのない日常。
やることはなく、変化もなく、娯楽もない。
あぁ、ヒマでヒマで仕方がない。
***
上野駅の一階。ホームの真下に、一軒の本屋がある。
それほど大きくはないが、小さくもない。じつにちょうどいい広さの書店だ。
この空間が、なかなか気に入っていた。
必要以上に長居したくなる。
新刊コーナーの本をひとつひとつ確認していく。
そうして気になった本を一冊だけ購入した。
「――――」
満足して本屋を後にする。
さて、家に帰ろう。
そうなると、駅から出ることになる。
僕の家は、上野からすこし離れた商店街の中にある。
そこまで戻るには、電車やバスといった交通機関を使うと、逆に遠回りになってしまう。歩いて帰るしかない。
アメ横近くの出口を目指して歩いていく。
駅から出るまでなら、さほど距離はない。すぐに駅前の交差点に出た。
「……!」
そこでやっと、外が真っ暗になっていることに気づいた。
窓のない建物にいたから仕方ないのだが、あまりの暗さにすこし驚いた。
まだ六時前だというのに。
どんどん日が短くなっていく。
夏ならば、この時間はまだまだ太陽が出ているはずだ。
こうまで暗いと、なんとなく早く帰らなければならない気がしてくる。
駅前広場を抜けて、歩道橋を越えていく。
そうして、細い路地に入った。
たまにしか使わない道。
それこそ上野駅から帰る時くらいしか使わない。
人通りはなかった。
普段から、歩いている人を見かけたことはない。
僕だって、滅多に通らない。
前に通ったのは、何日前だったか?
「…………」
ふと、違和感を覚えた。
すこし進むと、すぐにその正体に気づく。
街灯の下に少女がいた。
僕と同年代くらいの女の子が。
ジーンズのスカートに、大きめの緑色のジャンパーはブカブカで、同じく緑色のキャップをかぶっている。
街灯に照らされながら、ガードレールに腰かけていた。
物珍しそうに、僕のことを見つめている。
「――」
見ない顔だった。
ならば、やることはひとつだ。
彼女の前まで歩み寄り、一礼する。
「こんばんは。あなたとは、はじめましてですよね?」
声をかけると、少女は意外そうに目を見開いていた。
「へぇ……あたしのこと、見えるんだ?」
「まぁ、そういう体質なので」
「話しかけられたのは、初めてだよ」
一目見てわかっていた。彼女は人間ではない。
「あなたは……この街灯ですか?」
「みたいだね。何日か前から、こんな姿になれるようになったけど」
「通りで見ない顔だと思いました。付喪神になったばかりなんですね」
「なるほどね、これが付喪神か……」
僕の言葉に、彼女は納得するように数回うなずいて、それからため息をついた。
「まぁ、なりたくてなったわけじゃないけど」
「……」
本当にそうだろうか?
付喪神は伝えたいことや、大事な想いがあるから人の姿になる。
何もないなら、こうはならないはずだ。
「僕は、付喪神よろず相談所というのをやっていまして。何かお困りの時は、相談に乗りますよ」
「ふぅん、相談所ねぇ……」
興味なさそうにつぶやいてから、少女が視線をこちらに向ける。
「じゃあ、さっそくお願いしてもいい?」
どうぞ、と無言でうながす。
彼女は疲れた表情で、ため息をついた。
「朝まで話し相手になってよ」
「え?」
思わぬ要求だった。
「どういうことですか?」
「あたしは、この灯りがついている間、ずっと起きていないといけないんだよ。でもね、退屈なんだ。だから、ヒマつぶしに付き合ってくれない?」
なるほど、理由はわかった。けれど、それなら別の方法があるはずだ。
「せっかく付喪神になったんですから、どこかに遊びに行けばいいのでは?」
一番楽な方法を提案してみる。けれど、
「それがさ、動けないんだよ。ここから」
あぁ、そうか。
「ここに立ち続けることを前提に作られているから、ですね」
付喪神になったばかりでは、まだ力も弱い。
本来のあり方に、強い影響を受けてしまう。
街灯が動くことなんて、想定されていない。
ならば、彼女だって動けないはずだ。
「数年もすれば、自由に動けるようになると思いますけど……」
「そんなに待てないよ。意識そのものは何年も前からあったんだ。その時から、ひたすら苦痛だったよ。もう退屈で死んでしまいそうなくらい」
娯楽がないのだと、彼女は嘆いた。
「立って、道を照らすだけ。立っているだけでいい。他にやることがないんだよ。その上、ここは人もあまり通らないから、変化もない。そんな日が延々続くんだ。辛いもんだよ」
だからヒマつぶしに付き合ってほしい、と重ねて頼まれる。
「といっても、朝までというのは……」
「まぁ無理にとは言わないよ」
断られても構わないと彼女は言う。
けれど、無下にはできない。
ようは朝まで時間をつぶせればいいわけだ。
なら、簡単な方法がある。
「これなんて、どうですか?」
ついさっき上野駅で購入したものを、彼女に差し出す。
「本……?」
「ヒマつぶしには、ちょうどいいですよ」
「でも、これキミのでしょ?」
「お貸ししますよ。明日のこの時間、回収に来ます。ついでに、次の本も持ってきますよ」
「ふぅん……」
考えるように、僕と本とを交互に見つめる。
それから彼女は、そっと本を受け取った。
「まぁ、ものは試しかな」
「ぜひ。おすすめですよ」
すこしは興味がわいたのか、彼女は本をぱらぱらとめくる。
「この本、そんなにおもしろいの?」
「さぁ? まだ読んでないので」
「じゃあ、なんでおすすめなのさ?」
「夜に本を読むのは、気分がいいですから」
「あぁ、そういう意味ね」
僕の言葉を咀嚼するように、うんうんうなずいてから、こちらに視線を戻す。
「初めて声をかけてくれた人のおすすめだし、とりあえず騙されたつもりで読んでみるよ」
「では、明日また来ます」
「うん、じゃあね」
手を振る彼女に見送られて、僕はその場を後にした。
そして約束通り、翌日の同じ時間に、街灯の下へとやってきた。
彼女は見るからに不機嫌そうだった。
「ダメだね」
開口一番、これである。
「本は気に入りませんでしたか?」
この問いに、彼女はあぁ失敗したとでも言いたげに視線をそらす。
「いや、えっと……本はよかったよ。おもしろかったし、いい感じに時間もつぶせたし」
「じゃあ、なにか問題でも?」
「大ありだよ! 短すぎる。こんなもんじゃ、夜が明けるまで持たないよ」
不機嫌の原因が、やっとわかった。
「あぁ、確かに。一般的な文庫本では、一晩超すのは難しかったですね」
「今度からは、もっと分厚い本を持ってきてよ」
「気をつけます。厚みが足りない時は、数で補いましょう」
「うん、よろしく」
「とりあえず今日の分は、これで我慢してください」
僕が差し出したのは、昨日貸したものと同程度の文庫本だった。
「……まぁ、今日は仕方ないね」
彼女はため息をつき、渋々といった様子で受け取る。
代わりに、昨日貸した本を返してもらった。
その本を眺めながら、提案してみる。
「お望みなら、今から別の本を持ってきてもいいですけど……?」
「そこまでしてくれなくてもいいよ。一応、これはあたしのワガママみたいなもんだし。キミは充分よくしてくれてるから」
不自由をしているのは彼女のほうだし、もう少し欲張ってもいい気がするけれど。
まぁ本人が望まないのなら、ここは引き下がろう。
「では、今日はこれで。明日はもっと文字量の多い本を持ってきます」
言って、その場を去ろうとすると、
「ちょっと待って」
彼女が声をかけてきた。
「もうひとつ、お願いがあるんだけど」
「えぇ、聞きますよ」
拒む理由はない。
続きを待つ僕に、彼女は少しためらいながら、ゆっくりと口を開いた。
「あのさ……たまには話し相手にもなってよ」
最初と同じ要求。
「ヒマつぶしなら、本だけで充分だと思いますけど?」
彼女はこちらを見ない。
疲れたように、ため息をもらす。
「それでも、夜にずっと本を読むだけってのも……疲れるし、ちょっと虚しいんだよ」
静かに東の空を見上げている。早く朝が来ることを願うように。
「夜が明けるまで、ずっと一人っていうのも、あんまり気分がよくないしね。人恋しいっていうのかな?」
辛いんだよ、と漏らす。
「キミが思うより夜は長いから」
「…………」
確かに、僕は夜の長さを知らないだろう。
明け方まで起きていた経験は、何度かあるけれど基本的には寝ている。
目を覚ましたら、とっくに夜が明けている。
それでは、夜の長さなんてわかるはずもない。
朝が来るまで、起き続けなくてはならないモノの気持ちだって、正確にはつかめないだろう。
最初から彼女は、話し相手を求めていた。
ただのヒマつぶしだと言っていたけれど。
それだけではなかったのかもしれない。
考えが甘かった。
「そうですね。では、たまに話をしに来ますよ」
請け負うと、彼女は初めて笑みを漏らした。
「じゃあ、さっそく今夜、話し相手になってよ」
いきなり、か。
かといって、付喪神のお願いは、なるべく断りたくない。
「……わかりました。朝までとはいきませんが、少しだけなら」
仕方なく了承すると、彼女は満足そうにうなずいた。
「さて、なにを話そうか?」
ちょっとだけ嬉しそうに問いかけてくる。
上野に生まれた新しい付喪神とは、友好な関係を築けそうだ。
新たな友人を得たことに、僕のほうもちょっとだけ嬉しくなってしまう。




