第十二話 自宅でホームワーク②
色恋沙汰を問いただされ、窮地に陥っていた通はカレーを早食いして食べ終え、追及を避けるように手早く浴室に入り入浴をすませた。
タオルで体を拭き青と白の縞々模様のパジャマに着替え、洗面所でドライヤーの熱風を使い、鏡に映った自分を見ながら黒髪を乾かしてから母に「お風呂空いたよ」と一言いい、冷蔵庫の扉を開ける。
飲み物の種類は麦茶、牛乳、紙パックのトマトジュースの三種類。
今は糖分が欲しい気分の通はトマトジュースが入った紙パックを手に取る。
「プルちゃん。一緒にお風呂に入りましょ」
実家で気が緩んだ通がギョッとする。まだジュースを飲む前で良かったと、両者が風呂場に移動するのを見送った。
「そこまで親睦が進んでいたか」
想像以上の進展に胸が温かくなった通は、ゆったりとした歩行で階段を上がり、エアコンが程よく利いた自室の中に入りドアを閉めた。
中では柊巡査がモニター画面と睨めっこしている。
【天鐘君。おかえりなさい】
通の入室に気付き、落ち着きのある低音ボイスで自然と出迎えてくれる柊巡査。ちょっとしたことだが母親が週替わりの三直体制の勤務で勤めているため、友達と別れたら自宅で孤独な時間が多い通にとっては大きな出来事だった。
(姉がいたらこんな感じなのかもしれないな)
回転式チェアに座り、紙パックの口に付属品の折り畳みストローをブスリと刺す。
【湯上りにトマトジュースですか。健康に気を使ってますね天鐘君】
「父親が病気で若くに亡くなってますから、人一倍健康には気を使ってますよ」
【そうでしたか。嫌なことを思い出させてしまってすみません天鐘君】
「いえいえ。自分から話したことなので柊さんが気にする必要ありませんよ」
社交辞令の話しかた。今後、長い期間一緒に過ごすであろう相手。柊巡査はそろそろ打ち解けてきたので頃合いかなと下の名前で呼び合おうと提案した。
「天音さん――――で、いいですか?」
【それで結構です。じゃあ私は通君とお呼びしますね】
少し気恥しい通。同年代の女性なら普段通りに接しても気負う必要がないが、母以外の年上女性の名前を口にするのに、美人寄りの容姿も相まって通は若干の抵抗があった。
そのせいか身体が若干熱くなり、湯上り効果も合わさり顔がほんのりとトマトのように赤い。
火照った体を冷やそうとトマトジュースをストローで吸いこみ、果肉を噛みながら一緒に食道に流し込む。
「天音さん。ニュースで気になることでもありました?」
【それがですね。日本各地で黒い沼が発生していて大変なことになってますよ通君。電車の線路内、交通量が多い交差点、大手企業工場内部、研究所など人が集まりやすい場所に発生して首都機能は一部麻痺。為替取引、航空、運輸は緊急停止している有様です】
想像以上に事態は深刻化しているが、現在発生しているのは全てレベル1ダンジョン。秘密裏に訓練された人員が対応に向かえば半日もすれば対処できるだろうと軽い考えの通。
【せめてもの救いは電気ガス水道が止まっていないことでしょうか】
梅雨が明け、これから本格的な夏場を迎える。もしライフラインが全てストップすれば食中毒、熱中症といった二次被害は避けられない。
政府が対応に追われて右往左往しているのが目に浮かぶ。
【ふふっ。おかげで私が行方不明の原因となった「神隠しの沼」の件について、大々的に取り上げられてなくて少し安心しました】
通は、もしかしたら鳳月さんが各テレビ局に根回しをしてくれたのかもしれないと考えていた。あの人は思ったら即行動する節がある。
以前より湧いていた沼が世界各地で発生することを予想し、ダンジョン拡散時に「ダンジョン沼の秘密」は計画性をもって練られ、事前に仕込まれていたと容易に想像できる。
沼を発見した人物をいち早く特定する、鳳月の息が掛かった共有の投稿サイトとして。
現実にネットの情報で拾った沼位置提供金に眼がくらみ、まんまとあちら側の思惑に、オークション参加の誘惑に釣られてしまった。
能力を獲得した人材の早期獲得と監視を含めて、逃がさぬようにあらゆる邪魔が入らないよう厳令を敷くほどの力の入れよう。用意周到な手腕。若年で父から渡された三代目鳳月グループトップの座。
鳳月雅人が得た能力『秘密技能。超直感』を加味して総合的に判断すれば、各都道府県にいる覚醒するはずの能力者に振り向きもせず、数多の秘密技能を取得した通のもとに辿り着いた鳳月雅人の嗅覚は本物で、敵に回したくない人物ナンバーワンといえる。
その人物が自分の為に骨を折ってくれたと考えれば、こちらも誠意を示さなければならない。仕事柄ではあるが運命の男として。
【通君? 何か考え事ですか?】
どうやら顔に出ていたらしく心配そうに天音が尋ねた。
「ちょっとしたことですが」
【それは鳳月総帥が関係してますよね】
やっぱりわかりますかと、通は最初に天音へ電話した時からの経緯を含めて最初から全部説明した。
トマトジュースを飲み干しながら説明を終えた通は、リムジンでの会話を聞いていた天音に鳳月さんのことをどう思っているか感想を聞いた。
【そうですね。雰囲気からして仕事ができる人というのが分かります。自信に満ちていましたし、三十歳の男性が放つ威圧感ではありませんね。通君も圧迫面接は初めての経験だったでしょう?】
笑いながら話す天音に通は思わず声を出して笑った。確かに一時期、己を求める鬼気迫る圧迫面接だったと。自分の背後にいた守護霊の天音も同じように感じていたらしい。
【私の場合は問題ありませんが、通君の場合はBLで大問題ですよね】
「BL?」
天音の何気ないひとことに首をかしげる通と、失言にハッとする天音。
【ち、違いますよ! 私はそういった物は購入しません! ち、ちょっと訳ありで知り合った子が私の家に来て、不必要な知識が書かれた薄い本を偶然家に置いていっただけです!】
苦しい供述だった。通は聞いてもいないのに自分で暴露してしまっている天音に優しい視線を投げかけ、定番の言葉で対応した。
「本当ですか? 天音さん」
【酷いです。私を疑うんですか通君! でしたら通君が隠して所持している秘蔵の本は何なのですか!?】
天音が指さした方角を目で追い、次第に焦り始め、額に脂汗を浮かべる通。
「え――あれはですね。俺たち男性にとって切っても切り離せない聖典でして」
【聖典ですか。確かに男女の裸体が描かれていますし、聖典とも言えなくはないでしょうね~~】
霊体は基本的に物質へ触れることができない。ページをめくれるはずがないのに本の内容まで言い当てた。通は「やられた!」と内心で悔しがった。
「天音さん。上手く俺を嵌めましたね」
【あ。気づいちゃいました? けれど、もう遅いですよ通君。貴方が隠しているエッチな本の場所は判明してしまいました。大人しくお縄に付きなさい!】
ドヤ顔の天音が犯人はお前だ「ビシッ」と通を指さし、カッコつける巡査階級の警察官。
一度言ってみたかったセリフなんですよねと冗談交じりに白状した。
「天音さん。これ以上はお互い不毛な戦いになるので頭の片隅にでも片付けておきましょう」
【……いいでしょう】
通の妥協案を天音が了承することで、おかしなムードは去っていく。
【私は通君がああいった本を持っていたとしても別に驚きはしませんよ。今どきの高校生ですし、むしろ健全の部類ですよね】
相手のフォローを忘れない天音に通は、同学年の女性とは違う大人の余裕を感じ取っていた。
隣にいる年上の天音と談笑しながらまとめ上げた天鐘レポートを、サイト経営者への極秘メールアドレス宛てに送信した。
【通君。お仕事ご苦労様です】
ホームワークを半分終えた通は椅子から立ち上がり、背伸びをして首や肩をまわして血行を促進させる。
デジタル時計の時刻は日曜の二十一時。
「そろそろ実験しますか」
通はミラーボードを出現させ己のステータスを確認する。
名前 天鐘通
年齢17歳
職業サモナーレベル16
筋力36
体力36
速力37
魔力62
感力34
振り分け可能数30P
ダンジョン一つ踏破して上昇したステータス。横にいた天音は通のミラーボードを読み取り絶句した。
【……あれ】
「天音さん?」
【っ! ごめんなさい通君。悪気はなかったんです。どうやら霊体になったら他人のミラーボードの中身を盗み見ることができるようでして……その、本当にごめんなさい!】
罪悪感に駆られ必死に頭を下げる天音に『魂の契約書』の副産物ですよと、誤った見解をしていた天音に真相を教え「運命共同体ですから些細なことは気にしません」と答えると彼女は落ち着きを取り戻した。
【ひとつ気になったんですが、この「振り分け可能数」って何です? 私のミラーボードにはそんなのありませんよ。ミラーボードオープン】
――――ブゥゥ――ン。
天音のミラーボードが出現し、彼女のステータスを拝見する通。
名前 柊天音
年齢22歳
職業魔弾精製術師レベル5
状態異常霊体
筋力0
体力0
速力15
魔力15
感力15
振り分け可能数20P
振り分け可能ポイントの文字が瞳に入り固まる天音。
ステータスが霊体仕様で文字が白色から青色に変化しており、最終項目にしっかりとボーナスポイントが表示されていた。
【このポイントは……私が自由に振り分けできると認識しても?】
「ええ。好きなように振り分けてください。もし口をはさんでいいのなら、俺のお勧めは現時点では魔力になります」
【理由を詳しく聞かせてください】
通は霊体は霊素を元に維持活動しているため関わり合いが深い魔力が切れたら危ない状態になること。筋力、体力は霊体には不必要なため論外。
速力はスピードだが浮遊しているので想定外の対応が可能。感力は直感や感覚に左右される重要なステータス。
これらの説明を受けた天音は後が無い霊体で死んだら魂が消滅すると、霊体復元時に強制的に結んだ魂の契約によって知っていたので、魔弾精製のスキルとの相性もいい通が進める魔力につぎ込むことにした。
横目で観察する通。天音がボーナスポイントの振り分けを完了したのを確認すると、ダンジョンクリア時のレベルアップで新たに授かった技能『スライムトークン』の説明文とストック数に目を通す。
『スライムトークン』
一時間に一個のトークンを得ることができる。最大所持数は魔力の半分の数量。スライムを複数召喚して維持可能になる。
一個で一体のスライムを魔力消費なしで召喚可能。召喚したスライム個々の強さは召喚者の魔力値に比例する。現在のストック数20/31
(なかなか有用そうなスキルだ。魔力につぎ込めばスライムを強化できて所持上限も増加する。魔力だけ強化すれば二つ以上のダンジョンを同時攻略するのも夢じゃない!)
【凄く嬉しそうですけど、何かありました?】
「ダンジョンクリア時に授かった技能が召喚系に特化したスキルで俺にぴったりな奴なんですよ。それと後はダンジョンクリア特典のアイテムボックスがあります」
【特典ですか! 通君、あのバタついた場面でやることやってて、案外ちゃっかりしてますよね。まだ私達に腹を割って話していない話題があるだなんて】
身を乗り出し年下の弟を攻めるような体勢に移った天音を、別動隊のプルが全て成し遂げたことだと、この場にいないMVPのプルを称えることで照準を脇に逸らす通。
体よくあしらわれた天音は頬を少し膨らませムッとするが、通が青き魔素を背後に僅かに放出することで、刃先が欠けた矛を引っ込めた。
「出てこい」
フローリングの床下から現れたのはプルと同じ形状、大きさのスライムが四匹。主人から指令を言い渡されるのを待ちわびる形で、液体状の体を固定化させて待機の姿勢で硬直している。
【通君はこうして召喚していたんですね】
間近で初めて召喚を拝見した天音は、自分のスキルと交換できないかなと通のことを少し羨ましく思った。
「お前たち、天音さんに挨拶しろ」
「……!!」
通の命で整列し、中空で静観していた天音に四匹のスライムは小さく跳ねて近づき、四段アイス状のタワーになり天音を見据える。
【この子達。なにをする気でしょうか?】
行動が読めずにいる天音が困っていると、一番下にいたスライムが軽く跳ね上がることで上に乗っかっていた青い奴らは連鎖的に分離し、頂点にいたスライムが空中で身体を漁に使う網のような形に変化させて天音に覆いかぶさった。
霊体の天音はスライム網に捕獲される直前。心のどこかで大丈夫、当たることなく通過するとたかをくくっていたため、可愛い悲鳴をあげながら簡単に捕らわれてしまった。
しもべにあるまじき行為に通は慌てふためき、身動きできないでいる天音の救出の手助けをした。
これにより新たに呼び出したスライム達は霊体に関与できる特性を持っていると判明。自身の能力を引き継いだのか、それともプルの能力を引き継いだのか不明だが、戦力になりそうな予感をひしひしと感じる通だった。
『天音の身体状況の解析完了。魔弾能力の解析を開始します』
通の脳内に伝わるスライム達の行動原理。天音のことを素早く理解する過程で発生した事故を、スライム網を外して救助した天音に通は頭を下げて謝罪した。
しばらくして通はプルが入手したアイテムボックスをミラーボード欄の獲得アイテムから選び顕現させる。
宙に現れたのは夜空に輝く星を連想させる黄色い物体。大きさは人の顔面ほど。それが重力によって、ゆっくりとした速度で床板に着地した。
【これがダンジョンクリアで入手したものですか?】
「どうやらそのようで、開ける人によって中身が変わる職別アイテムボックスでレア装備が入っていると説明書きされてます」
見たこともない形をした星型のお宝を前に、二人は興味に惹かれてアイテムボックスへと熱視線を注ぐ。
「天音さん。心の準備は良いですか」
【バッチリですよ通君】
お約束のやり取りをしたあと、通は床に落ちている星箱に触れた。すると星箱にひびが入り粉々に砕け、黄金に輝く粒子がその場で渦を巻き収束。そこに浮かぶのは紺色のフード付きロングコート。
『召喚士の防護服』
サモナー専用。Cランクレア防具。全魔法物理耐性20パーセント上昇。魔力16上昇。感力15上昇。
いま最も必要としている能力値へ、十レベルアップした時に得られる等しい力が加算される高水準な性能に通は歓喜し、嬉しさを天音と分かち合う。
さっそく装着して効果を確かめるべく、新たに一匹のスライムを召喚した。
並べて比較すると古いスライムより強そうな気配、圧みたいなものを通は感じとった。天音にも振ってみると同じ感想。後は実戦での結果で判断することにした。
「じゃ、出かけますか」
【えっ? こんな夜遅くに何処へ行く気ですか通君!?】
天音は少しのあいだ通の傍にいて、彼のことを性根は誠実な青年だと評価していた。友達との付き合いで寝泊まりすることもあるだろうが明日は平日。学校がある。
「どこって決まってるじゃないですか。俺達がクリアしたダンジョンですよ」
【…………通君。ダンジョンってクリア後、消滅したはずですよね?】
「あれ、言ってませんでした? ダンジョンマスター権利者とプルの技能を使って一回だけダンジョンの再利用が」
【そんな話は聞いていません!!】
通のダンジョン裏話に天音は思わず激高した。
【大事なことですから事前に話してくれないと困ります! ダンジョンで通君の身に何かがあれば私はどうなるんですか! 残された母親も悲しみますよ!】
全て順調にいくから大丈夫と高を括る自分と、忠告を素直に聞き入れるべきと己の意見が拮抗し対立するも、最後の母親話が追加されると良心の呵責が善に加算され、天音の心を鬼にしたつぶやきに通はダンジョン内で油断しないと天音に誓った。
【いちおう通君には感謝してるんですよ。私の魂の恩人ですから。大抵のことは目をつむりますけど…………この期に及んで秘密にするのだけは止めてくださいね。信用されていないようでショックで寝込んでしまいますよ私】
「可能な限り善処します」
美徳な心を持つ通に、天音は自然とふんわり微笑んだ。
【一人で抱えている問題があったら迷わずに私を頼ってくださいね。通君は隠す癖があるとお見受けします】
またしてもビシッと指さして似合っていないポージングする天音に、全く敵わないなと思いながら肝に銘じておきますと返答する通。
【今のは冗談ではなく私の本心ですから。コホンッ。電話の受け取り嬢、柊天音はいつでも貴方の難題をお待ちしています】
(面白い人だな。いや、今は幽霊か)
両者穏やかな気持ちになり、落ち着いたところで気を取り直して通は、さも当然のようにクリアしたレベル1ダンジョンの沼の入り口を部屋の中央に召喚した。
【!? ええっ! まさかとは思いますけど、好きな場所に沼を…………ダンジョンを呼べるんですか?】
愛想笑いをしながら肯定する通に天音は頭を押さえた。
「霊体なので頭痛は感じないはずですが?」
【頭では分かってますけど、通君がダンジョン関連で非常識すぎてこうしないと落ち着かないんです!】




