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第7話 徒花園

 閉鎖された空間。

 外から立ち入る者は制限され、同時に中から出ていく者達も制限される。

 そこは創られた箱庭。

 創られた、安息の地。


 ただ居るのは、罪深き者達ーー。



 キィキィと音を立てながら、大きな車輪を動かしていれば、空から飛んできた美しい一羽の鶯がその肩に止まった。そして、耳元でその可憐な鳴声を上げる。


「ーーまあ、そうなの?」


 鶯が報せてくれた内容に、思わず目を見開く。そして、ゆっくりと青い空を見上げた。


「出迎えないと」


 そう言うと、再び車輪を動かし、ゆっくりと動き出す。

 目指すは、この箱庭の唯一の出入り口たる【門】へと。





 目覚めた時、果竪はここがどこだか分からなかった。

 ただ、自分がこの世界に来てから住んでいた最下位の妾妃の離宮でもなく、かといって背中に傷を負って静養にと与えられた部屋でもない。

 それでも、品良く整えられた室内は清潔感に溢れており、使いやすさに重点が置かれた家具の配置をしていた。


 寝台の横にある、開け放たれた窓から吹き込む風の心地よさに思わず目を細める。


 気持ちいいーー


 それに、ここは何故かとても安心出来た。

 警戒心とかそういうのが自然と和らぎ、とてものんびりとした気持ちになる。


 この世界に来て初めて、心からくつろげた様な気もした。


 そうして暫く窓の外を眺めていると、部屋の外からキィキィと車輪の音がした。程なく、コンコンと扉を叩く音がしたかと思えば、その扉がゆっくりと開いた。


 驚いて固まっていた果竪だが、次の瞬間更に驚いた。


 それは向こうも同じだった様だ。ただ、相手の方の立ち直りは早かった。


「目が覚めたのねーー」


 柔らかく笑うその顔を果竪は良く知っている。

 温かさに満ちたその声を果竪はよく知っている。


 だがーー。


 果竪は、その首から下ーーいや、正確には下半身へと視線を降ろしていった。



 相手は少女だった。


 梅香ーー。

 向こうの世界では、小梅という少女の前世を持ち、今世もまた果竪の親友として生きていた。

 いや、小梅の時から果竪は親友だった。

 大戦時代に共に軍に所属し、後の上層部達の仕打ちがまだ色々と厳しかった時から、小梅は果竪に優しくしてくれた。

 果竪にとって小梅は姉のようなものでもあった。

 明るく元気で、間違っていると思えば、上層部にすら立ち向かった。


 そんな小梅を誰もが愛していた。

 そうーーあの朱詩さえも。


 いや、朱詩の場合は少し違う。朱詩は小梅を異性として恋し、恋慕した。けれど二神は互いに想い合っていながら、それを伝える前に別れてしまった。

 そうーー死別という、永遠の別れがもたらされたのだ。


 小梅は最後まで朱詩を守り逝き、朱詩は目の前で愛しい少女を喪い壊れた。


 それから色々とあって、朱詩は立ち直り、小梅が死ぬ原因となった国は滅び、その国の犠牲となっていた者達は救い出された。


 そして生きている時には伝えられなかった思いを伝え合いーー小梅は冥府へと旅立った。



 とされているが、実はその後もずっと冥府と現世の狭間に居て、自分達を見守っていた小梅。それでも、ようやく彼女が安心して逝った後、彼女は一人の人間の少女に転生した。



 同じ顔、同じ容姿、同じ声。

 小梅と瓜二つの姿形を持ち、名は梅香と名乗り果竪の前に現れた。そしてまた、それから色々とあって、彼女は【神の花嫁】として神籍を与えられて神となった。


 そうして果竪と同じ様に、【箱庭】と【神々の世界】を行き来している。



 そんな梅香と瓜二つの少女が、果竪の方に近づいてくる。

 が、全身を襲った衝撃はその容姿だけではなかった。


 少女の姿ーーそのキィキィという音の元。

 少女は、車椅子に乗っていた。


 ほっそりとした手で大きな車輪を回し、下半身は爪先まで膝掛けで覆われている。肩には、品の良い桜色の上掛けもかかっている。よくドラマで見るような、病弱設定の少女の様な姿だった。


「痛い所は無い?お水を持ってきたの。飲める?」


 膝には、お盆がのっており、その上に水差しと器があった。それを倒さず上手に車椅子を操作する姿からしても、かなり慣れているのだと推測出来る。


 ーー車椅子?


 この、こちらの世界の梅香は足が悪いのだろうか?


 それが一時的なものであるのか、それとも永続的なものかーーそこで果竪は血の気が引いた。永続的、足が悪い梅香なんて想像すら出来なかった。


 小梅の時もいつだって元気であちこち走り回っていたし、梅香は儚さが全身から滲んではいたが、きちんと自分の両足で大地を踏みしめていた。


 そんなイメージが果竪の中で強いからこそ、寝台横まで来た車椅子の少女に果竪は強い違和感を覚えた。いや、この世界は果竪の生きる世界とは違う。だから、色々と違っても不思議ではない、むしろ当たり前なのだ。そもそも、こちらの世界では【果竪】は死んでしまっている。


 こちらの世界での自分に当たる存在が死んでいるというのは、確かに衝撃だったし、ショックだった。だが、向こうの世界でだって果竪が生き延びれたのは奇跡のようなものだった。

 父が、母が、必死に生かしてくれたから果竪は生き延びた。もちろん、それはこちらの世界の果竪もそうだろう。けれど、向こうの世界でもギリギリで生き延びたのだ。少し間違えれば死んでいてもおかしくはなかった。


 その少しが死に傾いてしまったのが、こちらの世界なのだろう。

 ギリギリの所で生き延びられずに死んでしまった、こちらの自分。


 果竪は悲しいと思った。

 どうしてと思った。

 酷い衝撃とショックを受けた。


 だが、命というのは絶対的ではない。ある日突然、理不尽に奪われもする。


 そしてどんなに辛くても、ある命が失われても、世界は続いていくのだ。


 世界が消滅しない限り。

 それに、命というものは常に産まれ喪われていく。

 そのサイクルで世界は成り立っている。

 産まれすぎてもいけない、喪われすぎてもいけない。


 世界というのは実に上手いバランスで成り立っている。


 時折、戦で、天災で、その他幾つもの災害やら何やらで大勢の命が失われても。その後にしぶとく命は紡がれていく。


 そんな流れの中で、こちらの【果竪】の命は他の命と同じ様に喪われたーー世界からすれば、ただそれだけだ。だが、それがこの体の持ち主ーー【果竪のクローン体】を生み出すきっかけとなった。


 向こうの世界において、【クローン】という技術はあるにはある。だが、それが表だって許可されているわけではない。ただ、禁止されているわけでもないーー神々の世界では。


 倫理の面では禁止されているも同然だが、それが確固たる法律で決められているわけではない。


 まあ、そんなクローンへの倫理うんぬんは別問題になるのでひとまず置いておくとして……喪われた分の命が世界のバランスを保つ為に産まれる様に、【果竪のクローン体】は創られた。


 それがこの世界だ。

 果竪の生きる世界とは違う。


 そもそも、向こうの世界では果竪は死ななかったのだから、【果竪のクローン体】を創る理由もなかった。


 そしてこちらの世界では、【本物の果竪】は死んだ。

 この【果竪のクローン体】がいつ創られたのかは分からない。少なくとも、この体を間借りしている果竪には教えられでもしない限りは分からない知識だ。


 ただ分かるのは、向こうの世界とこちらの世界で辿る歴史が違うという事だった。


 向こうの世界で果竪が出会い経験してきた事柄。

 果竪が居たからこそ、出会え、別れ、経験できた事。

 果竪が居たからこそ、変わった事、変わらなかった事。


 こちらの世界ではその果竪が居ないから、当然向こうの世界とは違った流れになるだろう。

 果竪が居なかったから、無かった出会い、無かった別れ、無かった出来事、変わってしまった出来事。


 その一つとして、向こうの世界では車椅子の梅香なんて見た事がないが、こちらの世界では自分に微笑みかける少女が車椅子に乗っているのかもしれない。


 本来なら起きる筈の無かった事が起きて、または起きなくて、こんな風に車椅子に乗らなければならない事態になったのかもしれない。



 果竪は自分の存在を取るに足らないと思う。

 今でも思ってしまう。


 それでも、【本物の果竪】が死んでしまったこの世界で、梅香そっくりの少女が車椅子に乗っている姿を見て、向こうの世界ではそれがないのを思って。


 自分の存在が在る事で、車椅子に乗らずに自由に動き回れる梅香や小梅が居たのかも知れないと思った。そう思えば、取るに足らなくても、少しは役に立ったのかもと、自分の存在に思わず感謝してしまった。


 神一神居ないだけで、それぞれが違う神生を辿るーーいや、向こうでは歩けているのに、こちらでは車椅子という大きな違いが出ている所もある。


 果竪は、神の存在の大きさを少しだけだが恐いと思った。



「あ、あのーー」

「ああ、まだ名乗っていなかったわねーー私の名は小梅」

「え?!」


 小梅?梅香ではなく?


 果竪はまじまじと小梅と名乗った少女を見つめた。

 いや、確かに姿形は小梅だが、そもそも梅香も小梅にうり二つだった。


「あの」

「ん?」

「生まれ変わってないの?」


 思わずそう言ってしまった果竪は、慌てて口を塞いだ。

 なんというか、生まれ変わっても名前だけは一緒とか、後で改名したとか、色々と一気に頭の中を駆け巡って……いやだって。


 向こうの世界では、小梅は死んだ。

 あの煉国の悪意によって起きた国の危機の際に、朱詩を守る為に死んだ。

 そして長き時をかけて、梅香へと転生したのだ。


 こちらの世界では、生き延びたという事だろうか?


「ーーぷっ!」


 小梅がクスクスと笑い出す。


「残念ながら生まれ変わってないわ。だから死んでもいないの。ふふ、死にかけた事はあるけれど」


 そう言うと、小梅は悲しそうな顔をした。


「死に損なったと言うべきかしら……そのおかげで、今はこんな風になってしまったのだけれど」

「……」

「貴方に見る勇気があるのなら、この膝掛けをめくるけれど」


 そう言った小梅に、果竪はしばし考え込む。

 決して、興味半分で立ち入ってはならないものがそこにはあるのだろう。

 けれど、それでも見るべきだという気持ちが確かにあり、果竪は最終的に頷いた。


 小梅は静かに頷くと、その膝掛けをめくる。


「っーー」


 小梅の足はーー両膝から下が無かった。


「その……足」

「溶けてしまったのーーあの、溶岩流で」


 今からずっとずっと昔の事だと言う。

 煉国と呼ばれる国が、凪国を我が物に、いや、凪国に居る男の娘達を、朱詩を我が物にしようとして攻め入った際に王都を襲った溶岩流に巻き込まれたのだと言う。


「逃げ遅れた朱詩を連れて逃げたんだけど、私トロくさくて……気づいたら、もう溶岩流に囲まれていたの」


 それでも何とか朱詩を助けようとしてーー



 ああ、同じだ。

 凪国に煉国が攻め込んだのも。

 王都を溶岩流が襲ったのも。

 そして、逃げ遅れて朱詩と小梅が溶岩流に囲まれて逃げ場を失った事も。


 駆けつけた一部の上層部達が、何も出来ず手をこまねいて見ているだけしか出来なかった事も。


「朱詩を、駆けつけた仲間達に投げ渡してね……ふふ、これでも力だけはあったの。で、少しでも距離を稼ごうとして、溶岩流の中に飛び降りて、朱詩を投げ て……無事に仲間達が受け止めて、その間にも私の体は溶岩流に沈んでいったわ。爪先から足首、そして膝下まで沈んだ時だった」


 突如起きた後ろからの爆風によって、小梅の体は前へと飛ばされた。足が溶けて軽くなった体は大きく波打った溶岩流と共に前方に飛ばされ。


「見事に仲間達の元まで吹っ飛んだってわけ。で、そのまま抱えられて安全地帯まで逃げて……それで、何とか生き延びる事が出来たの」


 その代わり、両膝から先は失われ、こうして車椅子生活になってしまったのだと言う。


「ふふ、とんだ死に損ないよね。こうかっこよく、死を覚悟して、色々と言ったのに……もう恥ずかしくて外になんて出ていけないわ」


 そう軽い口調で言う小梅だが、果竪は笑う事は出来なかった。

 軽い口調の中に隠された苦しみを、果竪は敏感にかぎ取ってしまったから。


「それで、向こうの世界の私は生まれ変わったの?」

「え?」


 驚く果竪に、小梅はクスクスと笑う。


「さっき私に生まれ変わったの?って聞いたでしょう?って事は、少なくとも向こうの世界の私は生まれ変わったのかなって」

「え、えっと……って、向こうの世界?」

「ああ、ごめんなさいね。私は聞いているの。朱詩から。貴方がこことは違う世界から来た存在だって。違う世界で生きる、その世界の【本物の果竪】だって。そして、その体の本来の持ち主の魂と入れ替わってしまっているんだって」

「……」

「あ、この事を知っているのはごく少数よ。この場所では、私とーーあとは、この国の王ーー萩波様ね」

「そう、なんですか?」

「ええ。本当なら他の方々にも伝えるべきなんでしょうけど……正妃様が……明燐様があの様な状態では……少なくとも、明燐様の兄君である宰相閣下には無理だわ」


 宰相ーーというか、明睡。

 こういう重大な事を伝えられる相手に含まれないなんて。

 しかも、明燐の兄だからという理由で。

 それは彼がいざとなれば妹を優先させると思われているのだろう。


 宰相なのにそれはまずくないだろうか?


 下手したら国政すらも、妹が関わればどうとでもしてしまうという事になる。それこそ、妹が敵国に神質にされればこの国を明け渡す事だって。


「それはないわ」

「え?!読心術?!」


 まるで果竪の心を読んだかの様な小梅の言葉に、果竪は目を見開く。


「考えてる事が顔に出てるもの。ああ、それで宰相閣下だけれど、あの方は素晴らしい方よ。とても有能で偉大な方だわ。上層部がいくら優秀でも、宰相閣下になれるのはあの方だけだと思うわ。ただ、一つの事に関しては駄目なの。それは妹君の、というよりは」


 小梅は果竪を、というよりは、果竪の現在の器を見つめた。


「最下位の妾妃様。その存在に関しては……国政に関しては、例え妹姫だろうと切り捨てる冷酷さを宰相閣下は持っているわ。公神としての覚悟を持っている の。まあ、あの方の事だから妹姫を切り捨てる前にそうならないように動かれるだろうけれど。実際、今までもそうだったわ。国に被害が及ばないように、けれ ど妹姫も守ってきた」

「……」

「そして、凪国を強大な帝国までのし上げていったの」

「……帝国?」

「ええ。現在のこの国の正式名称は【凪帝国】と言うの。この炎水界でも一、二を争うーーいえ、実質的には一位ね。第二位の津帝国がそこから少し間を離されているから。それでも、津国もかなり強力な力を持つ大国なのよ?」


 小梅の説明に、果竪は頷いた。


「う、うん。向こうの世界でも、津国は強いから」

「そうーーまあ、そんなわけで【凪国】は【帝国】と呼ばれるだけの広大な領土と多くの神口、そして国力を持つ、正しく水の列強十ヶ国の第一位に存在する国なの。炎の列強十ヶ国でも、この国とタイマンをはれるのは、炎の第一位の国だけと言われているし」

「……それも、同じかな。でも、向こうでは【凪国】は【帝国】とは呼ばれていないな」

「そうなの……まあ、確かに貴方から聞く限りは色々と違う事があるから、向こうの世界とこちらの世界ではもっともっと違う所はあるのが普通ね」


 にこにこと微笑む小梅に、果竪は一つ大切な事を思い出した。


「って、陛下は、知ってる?」

「もちろん。筆頭書記官様から報告が行っているわ。まあ、陛下の事ですから、言わずとも知っている様な節はあったでしょうけれど」

「え、でもそれならどうして」


 どうして、こちらの萩波は果竪に何も言わないのだろう?




 その後、果竪はこちらの世界の凪国が向こうの世界の凪国と違う点を幾つか小梅から教えられた。



 お復習いからまず始まり、凪国が帝国である事。

 向こうの世界では、煉国を一時的な属国としていたが、こちらでは完全な属国とし、またその他に幾つかの国々が凪国の属国となっている事。

 故に、凪国は正式名称が【凪帝国】と呼ばれ、萩波は国王ではなく【皇帝】と呼ばれる存在であり、明燐は【皇妃】と呼ばれるとか。


 また、向こうの世界とは国の数も違う。

 水と炎の列強十ヶ国はそれぞれ一緒だが、それら各国は多かれ少なかれ属国を持ち、その十ヶ国で雌雄を争い続け、その争いがようやく鎮まったのが三百年ほど前なのだという。


 果竪はそこで、初めて現在の暦を知った。


 その暦は、向こうの世界と同じだった。

 果竪が向こうの世界で眠り、ここで目覚めてからの日数を逆算しても間違いない。


 そしてーーこれまた驚いたが、向こうと多かれ少なかれ違いはあるようだが、大きなイベントーーというと不謹慎だが、大事件というか大まかな部分の歴史的事件は変わらないで起きているらしい。


 すなわち、煉国の侵略未遂事件も。

 あの大事件も。


 ただ、こちらの世界ではこの体の持ち主は追放されなかったし、長い眠りにも落ちなかった。

 むしろ、この体の持ち主抜きにーー萩波達だけで話が進んだというか、それらの事件を解決したというか。


 しかも、こちらでは凪国は壊滅寸前まで陥ら無かった。だから復興も早かった。

 また助け出された萩波の妹姫は、王宮ーーいや、皇宮の最奥ーー皇帝の住まう宮の隣に建てられた宮殿で大切に大切に保護されているらしい。


「……って事は、当然この体の持ち主ともそれ程接点はないって事よね」


 というか、まず間違いなくそうだろう。そしてそれ程の接点もないのだから、所構わず現れてはくっついては来ないだろう。


 果竪は向こうの世界での、萩波の妹を思い出す。

 何でか思い切り気に入られ、とにかくひっつかれ続けた。


 萩波の大事な大切な妹。

 萩波は妹をこの上なく大切にし、妹の方も萩波を兄として慕っている。長き時を経て再会し、望まぬ関係を強いられ続けた兄妹の仲はこの上なく良好だった。

 特に、妹も兄に対してシスコン気味だと思う。自分が得た力を、兄の為に存分に使うぐらいに。それで兄の身柄を狙う者達がどれほど葬られていったか。


 まあ、そんなわけで萩波の妹は兄が大好きだ。もしかしたら、父親のようにも感じているのかしれない。


 そしてそれだけ兄が好きなら、兄の嫁なんていう存在は普通は面白くないだろう。だが、むしろとっても慕って貰っている。それどころか、毎回追いかけ回されている。


 構わなければ拗ねるし、構っていても別の相手に意識を移せば嫉妬する。


 だが、こちらの世界ではそういうった事は無いだろう。


「とりあえず、この国の事について簡単に話をしたけれどーー」


 小梅が何かを言っているが、未だ考え中の果竪はそれを聞き取れなかった。


 ってか、大まかな流れは変わらないけれど、それぞれの立ち位置は変わっているんだよねーー。明燐は王妃だし、だから当然蓮璋とも結ばれなかったのだろう。……いや、明燐がいつ王妃になったかで……駄目だ、そこまで考えると頭が痛い。


 あ、元寵姫みんなと神質のみんなはどうなっているのだろう?


 元寵姫達と神質達は煉国が滅亡した時にこの国で保護されたというが、彼らは回復後に皇宮に出仕したのだろうか?


 なんて色々と考えてみる。


 そういえば、小梅が居るなら、涼雪や葵花も居るだろうか?もしかしたら彼女達も向こうの世界とは違う立ち位置になっているかもしれない。うん、出来れば涼雪は誰にも何も言わずに勝手に見知らぬ男に嫁ぐのはやめて欲しいーー明睡が怒るから。



 なんて、色々と考えていると。



 果竪の鼻が香しい香りを捉えた。

 驚いて顔を上げると、そこには湯気が立ち上る甘いお菓子とお茶が寝台横のテーブルにセットされている途中だった。


「ようやく気づいたのね」


 まるで悪戯が成功したーーと言わんばかりにクスクスと笑う小梅は、「お腹がすいたでしょう?さあ、召し上がれ」と果竪を促す。

 黄金色の菓子が「私を食べて」と言わんばかりに輝いている。

 ふんだんにバターと牛乳、砂糖が使われた菓子の甘さは、果竪の疲れた体に染みいっていくようだった。それを三個も食べ、淹れ立ての紅茶を飲んだ果竪は次第に眠りに誘われていった。


「あらあら……続きはまた後でね」


 色々と教えてやって欲しいーー


 彼を通して伝えられた、我らが偉大なる皇帝陛下の命を完遂させるには、まだもう少し時間がかかるようだった。


 コトンと眠ってしまった果竪の体に上掛けをかけ、小梅は車椅子をゆっくりとこぎ始める。そして、彼女を起こさないように静かに廊下に出て、扉を閉めた。








 既に辺りは夕闇に包まれていた。

 小梅を見かけた離宮勤めの者達の手を断り、キィキィと車椅子をこいでいく。そして、離宮の外へと出た。


 離宮内は、完全バリアフリー作りとなっていた。四階建ての地下一階ではあるが、エレベーターも完備されている。だから、車椅子の小梅が行けない場所はない。また、離宮の外もしっかりと整備され、車椅子が通りやすい様に整地されていた。凹凸のない平らな道を車椅子が進む。


 それを止める者達は居ない。


 この離宮が、安全だと知っているからだ。


 皇宮の外れにあるが、ここの警備は【後宮】や【区域】並である。しかも、先に挙げたどちらとも同じく高い塀に囲まれている。

 外に出る唯一の出入り口である【門】を突破する必要があり、そこには上層部が選び抜いた門番達が居た。ただし、どちらかと言うと門番達は外からの侵入者を阻むよりも、中の者達を外に出さない為の見張りである事を小梅は重々承知していた。


 【徒花園】ーー昔は違う呼び名だったが、今ではその呼び方が世間に広く知れ渡ってしまっている。


 【後宮】と【区域】に比べれば小さな場所だ。

 それでも、敷地内には大きな宮殿と、そこに住まう者達を世話する者達が寝泊まりする建物が複数ある。そしてその宮殿の周囲には、花畑や泉、池、林など自然にも溢れていた。それこそ、自分達が住まう宮殿をあと三つぐらいは建てられるぐらいの敷地面積は十分にあった。


 小さな村ならばすっぽりと入るかもしれない。


 ただ、その村と違うのは、中の者達が自由に外に出られない事だけだが。


 小梅は車椅子をこぎ続け、そしてお気に入りの花畑へと辿り着く。そこにある四阿の中に入り、車椅子のブレーキを止めた。

 そこからは、この【徒花園】の唯一の出入り口である【門】がよく見える。よくといっても、実際には少し距離が離れてはいるがーーそれでも、ここから五十メートルほど先の所にそれは見えた。

 【門】の前には門番達が立っている。同じ様に外側にも立っているのだろう。


 そして、敷地全体が結界で覆われている。今まで、それを超えられた者達は僅かであり、そして超えた者達は例外なく命の鼓動を止めていった。


 【後宮】や【区域】にも同じ様な結界がある。特に、正妃の、皇妃の住まう辺りの結界は強力だった。正妃の攻撃を受けて負傷した最下位の妾妃が寝かされていた場所にも同じ結界が張られていたと聞く。だが、あの少女はそれを見事に突破してしまった。


 本来ならばあり得ない事だった。

 だが、その事で陛下は確信したのだろう。


 彼から伝えられる前に、あの少女が自分達の良く知る少女では無いのだと。


 超えられる筈のない結界を越えた少女。


 だからきっと、彼女が望めばーー



「ここからだって、出て行ける」



 【門】を見つめながら呟いた小梅だったが。



「まだ諦めてなかったの?」



 甘く艶めいていたが、どこか不機嫌そうな感情を隠しもせずにその声は叩き付けられた。ふと顔を上げれば、【門】を遮るように見覚えのある神物が立っていた。


 この夕闇の中でも、迫り来る闇すらも敵わぬ絶対的な輝きを有する美貌の筆頭書記官ーー朱詩。老若男女問わず虜にするその蠱惑的な色香は相変わらずで、それ以上に整いすぎた美しく可憐な美貌は今、不機嫌という文字がデカデカと刻まれていた。

 だが、それにも関わらず美しかった。美しすぎた。


「いい加減身にしみて分かったと思うんだけどね」


 朱詩はゆっくりと小梅に近づいてくる。そしてとうとう、小梅の目の前に立った。


「それに、その足でどこに行くのさ?君が今何不自由なく生きていけるのは此処だからだ。車椅子でも、障害があっても何不自由なく生活出来る様に全てが整われているからだ。けど外は違う。あらゆる面でバリアがある。下手すれば整備されていない道で即転倒さ」


 朱詩は馬鹿にする様に言う。

 だが実際にはそれは無かった。そもそも、小梅の様な障害を持つ者は外にも居る。そしてそういった者達が暮らしやすいように、道なども整備されていた。だから、外に出てすぐに転倒はしないだろう。


 だが、問題はそれだけではない。

 いくら障害者に優しい街作りがされていたとしてもーー。


 小梅はこの【徒花園】に来てから長く、その間一度も外に出た事は無かった。だが、出なくても生活出来るだけの物が揃っていた。

 衣食住は完璧に保証されているし、欲しい物があればたいてい手に入った。ただ、外に出られないだけだ。この閉ざされた限られた空間にずっと縛り付けられている。


 例えば、買い物がしたいとなれば行商が呼ばれるし、店で買い物がしたいと言えば危うく敷地内に商店街を開かれかけた。

 そして外に出たいと言えばーー。


「駄目に決まってるだろ」



 外は危ない。外は危険だ。外なんてとんでもない。



 小梅を始め、此処に入れられた者達は皆、そうやって外と切り離されてきた。



 よく【後宮】は一度入れば二度と出られないと言う。実際、【後宮】の妾妃達は皆そうだ。例外は、【皇妃】である明燐と、【最下位】の妾妃である。ただ し、【最下位】の妾妃は誰からもその存在を無視され鑑みられていないのが大きな理由であり、実際には彼女にも【後宮】から出られないという規則は適用され ていた。だが、別に居なくても、どこに行こうと関係ない、構わない、どうでも良いとされている為、彼女に対してだけはその規則はあって無いようなもの。

 そもそも、外に出ている事が分かっても罰する価値すらも無いと放置されているだけーーというのが真実だった。


 それに比べれば、常に監視されている小梅達は最下位の妾妃よりは立場が上、または重要とされていると思われるがーー実際にはそれ程立場的には大差は無いだろう。

 そもそも、この【徒花園】に居るのは皆、壊れた者達だった。いや、正確には欠けた者達だと言えば良いだろうか……。


 外で生きるには弱く、日向や日陰でしか生きられないーーそれがこの【徒花園】の住神である。


「風が出てきた。帰るよ」

「ーーそんなに弱くはないわ」

「はっ!どの口がそう言うの?この前だって熱を出して大変だったじゃないか」


 この体になったせいか、小梅はよく体調を崩すようになった。だが、たぶん体調が崩れやすくなったのは、それだけではない。


 美しく整えられたこの【徒花園】。

 けれど、閉じられたこの場所の空気は酷く淀んでいる。

 欲しい物は全て用意され、何不自由の無い生活を送る事が出来る場所。


 そこまでされて不満を言うのは罰当たりだ。

 世の中には、最低限の衣食住さえままならない者達も居る。

 だからむしろ小梅達は感謝すべきなのだ。


 だが……。


 例え恵まれているからこそ言えるのだと言われても。

 恵まれている者の傲慢だと言われても。


 この淀んだ空気の中で生きるのは、酷く息苦しい。


 与えられていると言えば聞こえは良いが、実際には周囲の都合の良い様に生かされている今が酷くーー。


 けれど、小梅は外に出て生活する事は難しい。

 誰かの助けがなければ、たちまち飢えと渇きに苦しむ。仕事すら満足に出来ず、仕事が出来なければ生活の糧を得る事も出来ない。

 仕事がなければ住まいすらも得られないだろう。


 それでも……。


 小梅は無理でも、何神かは外に出る事が可能な者達が居る。彼女達であれば、【徒花園】の外でも生きていけるかもしれない。


 その時、内からせり上がるようにして咳が出る。


「ほら、見た事か」


 朱詩が溜息をつくと、小梅の車椅子を押して四阿から出る。小梅は慌てて後ろを振り返るが、朱詩の体が邪魔をして四阿は視界から消えていた。


「離して、一神で戻れるから」

「そう言って、この前もなかなか戻ってこなかったじゃん。しかも、車椅子が倒れて地面に転がっていたっていうオマケ付きでさ。君付きの侍女はそれで罰せられた事を忘れたの?」

「っーー」

「可哀想にねぇ?うん、本当に可哀想」


 そう言って、耳元で囁く朱詩の顔を小梅は思わず叩いた。パァンといい音がなる。その瞬間、ぞわりとした空気が小梅を包み込む。


 それが、朱詩の側近達の物であるのは分かっていた。

 朱詩には、他の上層部と同様常に付き従う数名の側近が居る。それらは影から自分達の主を護衛し、時として主に害を為そうとする者を音も無く抹殺する。


 その空気はすぐに霧散したが、小梅は全身の皮膚が粟立つのを止められなかった。


「ーー君達、少しは落ち着いたら?小梅が怯えてるじゃん」


 朱詩は叩かれた頬をそのままに、やれやれと言った様子で溜息をつく。空気が揺れる。近くの木々から葉擦れの音が聞こえたかと思うと、美しい声音が降ってくる。


「申し訳ございません」


 玲瓏なる響きは、ただそれだけで聞く者達を虜にする艶を含んでいた。


「ついつい、反射的なものでして」

「ま、ボクが何か言う前に引っ込めたから良いけど……次やったら、ここから叩き出すよ」

「御意」


 そう言うと、気配が遠のいていく。

 けれど、ある所まで行くと、そこから動く事なく意識だけがこちらを向いているのが分かった。


「全く……まぁ、そもそも小梅のお転婆っぷりが問題だったんだけどねーー」

「……」

「さて、あの娘の様子はどう?」

「……」

「小梅?」


 耳元で囁かれたかと思えば、すっと両腕が後ろから伸ばされその手は小梅の腹部で組まれる。


「……起きたわ。特に不調もなく……軽食を食べて、今は眠ってる」

「そうーーふふ、それなら良いんだ」


 そう言ってクスクスと笑う朱詩だが、小梅から離れていく事はなかった。


「あの娘の世話を頼むよ。小梅は他神の世話が上手だしね。陛下もーー我れらが皇帝陛下も期待してる」

「……あの娘を」

「ん?」

「あの娘をどうするつもりですか?」


 小梅は、握りしめた手を必死に抑えながら、自分の首筋に舌を這わせていく男を振り払わずに聞いた。


「もちろん、元の世界に戻って貰うよ。そして、向こうの世界とやらに行ったあの娘には戻ってきて貰う」

「……」

「当然の事じゃない?あるべき姿に戻すだけだ。それに、こちらに飛ばされてきた向こうの世界の【本物の果竪】だって早く本来の世界に戻りたい筈だよ」

「それは……そうですけど」

「けど?」

「……」

「けど、何?もしかして、向こうの世界にいったあいつは戻ってきたくないとでも?」


 朱詩の声が険を帯びる。


「まあ、戻って来たくはないだろうね。でも、それで済むとでも思ってんの?あいつが戻らない限り、こっちに飛ばされてきた【本物の果竪】は戻れない」


 朱詩は断言する。それだけの理由があった。


 あの娘と【本物の果竪】が入れ替わっているという報告をした時、萩波は【追跡】を行なった。けれど、ある部分で弾かれてしまうのだと言う。

 それぞれの魂は本来の体と繋がっている。切れてはいない。けれど、頑丈な透明の壁が行き来を阻んでいるのだと言う。


 だからそれをどうにかしなければ元には戻せないという。


 また、この凪帝国一の神力の持ち主であり、帝国最高の術者と謳われる萩波でさえその【追跡】を行なった後はかなり神力を消耗する事となった。それ程、次元を越えるというのは膨大な神力を使用する。しかも、今回はただの次元とは違うらしい。

 次元は次元でもーー。



 朱詩の耳に、萩波の声が蘇る。



『そうですか……果竪が、生き延びた世界も……あるんですね』




 静かな、とても静かな声だった。

 こちらでは死んだ【本物の果竪】。助けられなかった【本物の果竪】。けれど、死なずに生き延び、自分達と生きている世界もある。




 ただ、この世界ではその未来が無かっただけで。




 ぎりり、と強く歯を噛み締めた。

 ああ、なんて妬まーー。



『いいじゃないか、反対にお前は小梅を失わなかったーー』




「っ?!」


 思わず顔を上げて周囲を見渡す。けれど、その声は既に消えていた。


「筆頭書記官様?」


 小梅がどこか不安気に朱詩を見上げている。


「……いや……何でも無い」


 そう言うと、朱詩は溜息をついて再び小梅の車椅子を押し始めた。そして、宮殿に着くと、そのまま小梅の部屋に向かう。


「あの、もうここで」

「今日はここに泊まる」

「っ!!」


 さっさと小梅の部屋に辿り着くと、朱詩は小梅を車椅子から抱えた。その時、はらりと膝掛けが地面に落ちる。小梅の膝から下の無い足が露わとなった。




「ちょっ、は、離して!」

「今更だろ?」


 暴れる小梅の抵抗をものともせず、朱詩は小梅を寝台へと連れて行く。天蓋付きの広い寝台は、大神二神が寝っ転がっても十分な程の広さがあった。

 清潔なシーツの上にポスンと降ろされた小梅は、そのまま朱詩の手を払って逃げようとして寝台から危うく落下しかけた。


「きゃっ!」

「おっと」


 ほっそりとした白い腕が伸ばされたかと思うと、いとも簡単に小梅の体を抱き抱えて寝台の上へと戻してしまった。

 しかも暴れられない様に馬乗りにまでなられた。


「また熱を出すよ?」

「出させているのは誰よ!」

「うんうん、それでいいよ。しおらしいのなんて小梅には似合わないからねーー感情を封じるなんて許さない」


 朱詩はぐいっと小梅の両手を頭上で一纏めにして押さえつけ、その首筋に舌を這わす。


「や、やめっ!やめてよ!こんな事をするから」

「ん?」

「こんな事をするから、ここが【妓院】だと」

「言わせたい奴等には言わせておけば良いんだよ。神なんて勝手なもの。真実なんて自分達の都合の良い風にねじ曲げる」


 それにーーと朱詩は笑う。


「外でピーチクパーチク言ってたからどうだって言うの?所詮馬鹿達の野蛮で下品な囀りに過ぎない」

「それでも……」

「この中で生活するのにそれが問題になる?ならないよね?」

「よ、世の中には絶対なんてものはないわ」

「うん。でも、奴等は此処には来られない。時々侵入してくる者達も居るけれどーーねぇ、新しい噂は知ってる?【徒花園】に侵入した者達は男女問わず、中に 居る魑魅魍魎の様な娼妓達に精根奪われて殺されてしまうんだって。はは、確かに一度入れば誰も戻らないブラックホールだからね、ここは」

「誰、の、せい、で」

「警告しているのに侵入する方が悪いんだ。それに、きちんとボク達は説明してるもの。なのに勝手に名前を変えて、歪めたのはあいつら」


 朱詩はケタケタと笑う。


「それとも、侵入してきた奴等に縋る?ここから逃がしてって。はは、無理だよ。君も、他の娘達もここからは絶対に出られない。男も女も、みんなね」

「っ……」

「はは、あの娘を此処にと言った時の君の顔は凄かったね。とうとうーーっていう感じで。そう……元々、この【徒花園】で育てられる筈だったあの娘を君は全力で拒んだ。まあ、結局は【後宮】で最下位の妾妃として育てられたんだけど」


 悔しそうに顔を歪める小梅の唇を朱詩は指でゆっくりとなぞった。


「あのね、【徒花園】が駄目だからって無罪放免で外に出せるわけがないじゃん。あれは、【本物の果竪の細胞から創られたクローン体】だよ?神類最高の技術が詰まった作品だよ?外に出た途端、すぐに実験体として連れ去られるよ」

「……だからといって、ここに連れてこれるわけがないじゃない」

「そうだね。だってここは、【上層部専用の妓院】なんだからーーああ、ボク達はそんな事は思ってないよ?言ったじゃない、ここはーーだって」

「私は」

「諦めないよ」


 朱詩は小梅を押さえつける腕に力を込めた。


「言ったでしょう?諦めないって。罪?何をもってしてそう言うの?そんなの、ただボクから逃れたいだけだろ?そんなの、絶対に許さない」

「い、痛いっ」

「そう?でもボクはもっと痛かった。ねぇ?分かる?既にズタぼろだったのに、それに加えて血を流す君を見つけた時のボクの気持ちが」

「……それ、は」

「ああそうさ。君達は罪神だ。罪深き存在。外に出るなんて許されない。そう、君達は永遠にここに縛り付けられれば良いんだ。それがお似合いだろう?死ぬなんて許さない」


 そう言うと、朱詩は小梅の服に手をかける。


「やめてっ!」

「【娼妓】の方がマシだと言ったのはどこの誰さ?お望みの扱いをされるのに文句なんて言わないでよ。そう……さっさとくたばってしまえば良いんだ。諦めて、そうすればーー」


 朱詩の高笑いに小梅は唇を噛み締めた。




『どうして……』



 涙を流し、その亡骸に縋り付く朱詩の後ろで小梅は聞いた。



『どうして、こいつなんだよ。どうしてこいつだったんだよ』




 死ぬはずだった自分。

 なのに、自分は生き残り、そしてーー。



 言ったじゃない。

 だから、私は。



 必死に探して、見つけた。

 それを実行しようとしてーー失敗した。



『許さない、お前を絶対に許さない』



 それから、朱詩は狂った様に小梅を虐げた。激しく抵抗した所で押さえ込まれ、助けてくれる者も居ない。そもそも、膝から下を失った身ではたいした抵抗どころか逃げ出す事も出来ない。

 結局、それから色々とあって小梅は後に【徒花園】と呼ばれる場所に放り込まれた。


 それからずっと……世間では【妓院】と呼ばれる場所で【娼妓】同然の行為を強いられている。今の所、相手は朱詩だけで、言わば専属のようなものだ。


 小梅は思わず笑ってしまう。


 こんな欠けた体。

 しかも、女としては貧相過ぎる自分の相手が、大戦時代は数多の国々がその身を巡って争い、現在も多くの者達が花嫁にと狙う朱詩だなんて。




「私だって……」




 気怠く重い体。

 後ろから抱きしめてすやすやと寝る朱詩の寝息を聞きながら、目を閉じる。


 きっと明日は熱が出るだろう。

 あの娘の所にはしばらく行けない。


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