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Scene 31 嵐、荒れて




「どこの学校の生徒だ?」


 現在位置――某有名進学高校校門前。

 待ち人来ずの待ちぼうけ状態で、いきなりの非常事態が発生。やっぱり何事もそうカンタンにいくわけないと思っていた。


 夏希の指示通り、待つこと数十分。遅い遅い逃げたい逃げたいという気持ちを押さえこんで、携帯電話片手に立ち尽くしていれば真後ろから肩をつかまれた。


「うちの生徒に何のようだ? ちょっと来なさい」

「あ、あの、あたし人を待ってて!」

「話は校内で聞こうか」


 逃げ出そうと足をばたつかせてても無駄な抵抗にしかならない。生徒指導の先生らしき人に声を上げても、その手が緩むことはなかった。


 夏希はいったい何をしているんだろう。このままじゃ、本当にまずい。下校中の生徒が注目する中、視線を投げかけてもだれも受け止めてくれなくて通り過ぎていくばかり。


「待ってくださいってば! あたしは、」


 問答無用とばかりに引きずりこまれ、もうだめだとあきらめかけたそのとき。

 だれかが、この手をつかみとった。


「――先生、僕が彼女を待たせていました」


 落ち着いた声が、真上に差した影に重なるように降りそそいだ。 空気に溶けるような低音は、すんなりと耳になじんで花をふるわせる。


「……困るな。他の生徒が混乱するだろう。今後注意してくれ、藤原くん」

「はい。申し訳ありませんでした」


 肩から力が抜けて、痛みが遠ざかる。けれど、今度は彼につかまれたままの手に力をこめられた。それは痛みのともなうものじゃなくて、真綿でしばるような感触。つめたい温度が慣れたようにてのひらに染みていく。


 目の前で、頭を下げたひとを見た。

 空気が硬度を増して、呼吸を止める。


「行こうか」


 背後から聞こえるざわめきに後押しされるように高まっていく熱。めまいをおぼえるような出来事に混乱して、返事をすることもできなかった。


「は、離してくださ、」

「どうして?」


 駅へと続く車道を進んでいるうちに校舎が見えなくなっていた。人目を避けるように脇道へ入り、住宅がひしめき合う閑散としたそこにはだれの姿も見えなかった。


 離して、とようやく切り出したのに彼は手を離してはくれなかった。あたしを見ようともしない背中はつめたいだけなのに、ばかみたいに心臓がうるさい。


「……はな、して、」


 とにかく混乱する頭を沈めるために彼と距離を取りたかった。それなのに奪われたままの手にますます力がこもって離れる気配すらない。あたしの言葉はこのひとに届いているのか、それすら疑わしくなってくるほどに。


「奈緒は俺を待ってたんだから、離す必要なんてないだろう」

「ちが、」

「違わない。奈緒は俺以外にうちの高校に知り合いなんていないだろう?」


 感情の揺れもない声、事務的な音。

 飛び跳ねてばかりいた鼓動と熱が引いていくのを感じた。


「まさか学校に来るとは思わなかったよ。今朝、俺のことを避けたのはきみなのに」


 振り向いてくれない背中に、歩みを止めようともしない足。まるで何でもないことのように淡々と語るその言葉が、痛い。


 避けていたのは間違いない。でも、そんなのは当たり前のこと。昨日あんなことがあったのに平然といつものようになんてできるわけがない。なのにどうしてこのひとは何事もなかったように手をつなぐのだろう。


「ああ、もしかしてまたマフラーを返しにきてくれたのかな」


 くす、といつものささやくような穏やかな笑いが耳を通り抜けていく。

 本当に変わらない。このひとはなにもかも。昨日のことが悪い夢で、あたしはまだ何も知らなくて、ただ彼を想っていたあのときに戻りそうになる。


 どうして、何も聞かないの。昨日のこと、何とも思わなかったの。どんな思いであたしがこのマフラーを身につけたと思っているの。


 深淵の花園に水があふれだす。

 夏希の作ってくれた砦が壊れていく。


 普通に話しかけられて、手をつながれて、笑いかけられて。あたしばかりが泣いて、あんなにも苦しい思いをしていたみたいだ。


 夜を駆けて、泥沼に落ちて沈んで、それでも這い上がってここにきたのに。あきらめたくなくて、どこかで信じていたくて、立ち上がれたのに。


 ばかみたいだ。

 嘘にだまされて、まだ醒めないなんて。


 このひとは。あたしのことを何とも思ってないのに――


「離してっ……!」


 つながれていたものを思い切り振り払った。あたしの拒絶が伝わるように。ようやく足を止めてあたしを振り返った彼は、何の表情もなくただこちらを見ていた。


「あ、あたしは、紘くんに会いにきたんじゃないですから!」


 見えない圧迫に足を引く。カバンを抱きしめて声を張り上げた。


 泣きたくない。ぜったいに泣かない。彼の前では、ぜったいに。

 でも、もうそれも限界に近い。


「じゃ、どうして?」

「それ、は」


 距離を縮めてくる彼に反して後ろに下がるも、背中には硬い壁の感触。後がもうない。コンクリートのつめたさがそれを教えてくれた瞬間、体の血が引いた。


「俺が怖い? また何か言われそうで」


 影が差す。視界から空が消える。

 彼の腕が顔の真横を通り抜ける。


 風を切る音の次に聞こえたのは、壁にてのひらを叩きつけた乾いた音。視界はすべて彼で埋めつくされて、マフラーから薄れてしまっていたにおいがからみついてくる。


 その目にはあたしがうつっていた。端正な顔立ちが、触れてしまいそうなほどそばにあった。壁際に追い込まれて、腕の檻に閉じ込められて、もうどうすることもできない。


 逃げたいのに、逃げることも許されない。

 体が、動かない。


「目が赤いのは、俺が泣かせたせい?」

「な、いて、なんか」


 彼の声が頬をかすめて、狙っているとしか思えない低音のかすかなささやきに嫌でも温度が上がった。のぼりつめていく体温。足もとから這い上がってくる熱。


 避けられない視線から逃れようと顔をそらしたとき――

 待ち人の姿が、見えた。


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