第87話 換金
手配された馬車でブラガの屋敷へと向かっている俺たちは荷台で揺られながら到着の時を待っていた。
つい一週間ほど前に通った閑静な高級住宅街……、もといブラガの所有する屋敷一帯を目指し蹄鉄を履いた馬のパカラッ、パカラッという石畳を蹴るリズミカルな足音が響いている。
先を行く俺たちについてくるように鋼鯨の涙を荷台一杯に乗せたもう一台の馬車が後に続く。
一見すると街でよく見かける荷馬車だが、その積み荷の中身は4億円を超す価値のあるものが所狭しと積まれている。そのせいか乗り合わせている皆が後方の荷台がちゃんとついてきているかチラチラと確認していた。
そうして心配しながらも無事にお城のような佇まいの屋敷に到着することができ、執事のベンジャミンが門番と話し開門させていた。
「では皆様。ここで馬車を降りて頂き御主人様の部屋へとご案内致します。荷物は我ら使用人が厳重に管理しておきますので御心配なく」
ベンジャミンがそういうと屋敷から黒いスーツを着た執事がぞろぞろと出てきては涙が入っている壷を運んでいった。
相変わらず綺麗に整えられた庭園は完璧に整備されており、それだけに葉っぱ一枚落ちていないのは少し不気味だ。
巨大な屋敷の扉の前に差し掛かると、いつぞや俺達を試してきた若い女の執事が待っており恭しくお辞儀をする。
「皆様お待ちしておりました。中で御主人様がお待ちです。どうぞ、お進み下さい」
そう言って扉を開けてくれると、以前はエントランスホールに繋がっていたはずの室内はとある一室へと繋がっていた。
もはや言うまでもなく、この若い女の執事の能力によってこの現象が起こされているのは明白である。
その室内には来客用の長テーブルの一番奥に座る人物が二人の屈強な従者を従えながら口の広いワイングラスで血のように真っ赤な液体を嗜んでいるところであった。
『やぁ、やぁ♪ 待ちかねたよ♬ どうやら無事に鋼鯨の涙を採取できたようだね♪ やはり僕の見込んだ通り君たちは素晴らしい冒険者だ♪』
それは屋敷主のブラガであった。
巷では「美食家ブラガ」や「変人ブラガ」と呼ばれるほど奇異な人物であり、超がつくほどのお金持ちだ。
「ったりめーだろ! 俺達がいればどうってことねーぜ!」
相変わらずな口調で偉そうにふんぞり返っているジュードは鼻を高くしている。
確かに、雇われた全員の力が無ければ今回の任務は成功していなかっただけに今は好きに言わせておくとしよう。
ブラガも機嫌がいいのか、ニコニコとしたままで特に気にしている様子もない。
すると、ベンジャミンが前に歩み出て丸められた羊皮紙をブラガに手渡した。
おそらく今回の任務の報告書なのだろう。予め船内で書き認めていたようで、その内容はここ一週間の出来事が記されているはずだ。
それを肩肘を付きながら目を細め静かに黙読していくブラガ。
一通り読み終え顔を上げたその表情は喜びを隠し切れないようであった。
『素晴らしい! まさか、これほど多くの涙を獲得するとは♪ 期待以上の成果だ♬ 早速、換金に移るとしよう♪』
そう言ったブラガは赤ワインを一気に飲み干し執事に向け手を差し出した。
『ルーイ、小切手を♬』
「はい、御主人様」
以前から仕えている執事がその言葉を予測していたのか素早く小切手の束を取り出し、同時に羽ペンとインクも差し出していた。なかなかに有能な人物を傍に置いているようだな。
そのままサラサラと羽ペンを滑らせていくブラガは三枚の小切手に記入し終えるとルーイと呼ばれた執事に渡す。
それを熊八、ビアンカ、ジュードの三人に手渡した。
そこにはブラガのサインと1420Pと書かれた小切手があった。つまり1億4200万円もの大金である。
いよいよもって、現実味を帯びてきたため俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
しかし、そうなると問題が一つ。
「ちょっと待ってくれ。俺は今回の報酬全部を換金するつもりねぇぞ。ギルドの連中にも食わせてやりてぇからよ」
受け取った小切手を見ながら熊八がそう言うと、明らかにブラガの顔つきが曇った。
『おや、それは困るねぇ♪ 僕の依頼は1kg10Pで取引すると予め伝えておいたはずですが♬ 貴方もそれを了承して任務を受けたのでは?』
「確かにそうだがよぉ、全部で400kg以上もあるんだ。少しくらい分けてくれてもいいだろ?」
『ダメです♬ 契約は契約です♪ ですが、どうしてもと仰るのであれば換金を済ませたのちに僕から購入することを特別に許可しましょう♪ 売価は1kg100Pでね♬』
思いもよらぬ、まさかの発言であった。
ブラガの提示してきた金額は1kg1千万円で取引すると言ってきたのだ。そんな破格の金額では、たとえ冗談でも笑えない。
だが、ブラガの顔を見てもこの場で冗談を言っているようには見えなかった。
「おいおい、それはあんまりじゃねぇか? いくらなんでも吹っ掛けすぎだろう」
流石の熊八も納得できるハズがなく反論している。それも当たり前だ。今しがた1kg百万円で売ったものを買い戻すのに一千万円ではあまりにも馬鹿馬鹿しすぎる。
『僕としても出来れば譲りたくはないのでね♬ けれど、これも冒険者諸君に敬意をはらっての処置です♪ 僕にとってこれほどの価値があるという意思表示でもあるのですよ♪』
「うぅむ……」
熊八は眉に皺を寄せながら考え込んでいた。
まさかとは思うが買う気なのか? こんなふざけた商談に乗るつもりなのだろうか?
普通なら有り得ない買い物でも熊八ならやりかねない気がして俺がそわそわしてしまう。
だが、異論を唱えるのは熊八だけではなかった。
「待って頂戴。私もお金に換えるつもりはないわ。今回の任務で命を懸けて挑んだんですもの。それを全て持っていかれるのは到底、納得できない」
そう言ったビアンカは正面からブラガとやりあうつもりなのか小切手を突き返している。
そういえば、ビアンカの目的はお金ではなく美容目的と言っていたな。それなのに全てを換金してしまったら元も子もない。それほどお金に執着する様子もないので当然の結果だろう。
「ジュード、あんたはどうするの?」
ビアンカは矛先をジュードに向け、突破口を見いだそうとしている。
「俺は全部、換金するぜ。もともとそのつもりだったからな」
「そう、わかったわ」
ビアンカは始めから目論んでいた通りの言葉をジュードから引き出しブラガに詰め寄る。
「ほら、ジュードが全部換金するって言ってるからそれでいいじゃない」
『ダメです♪ それに当初の契約に反するのでは?』
「契約は涙を持ち帰ることよ。そして、私達は契約通り品物を納品した。全部を渡すなんて一度も言ってないから何も問題ないじゃない」
いささか強引な物言いだが、ビアンカにとっても引けないのだろう。何としても涙を持ち帰るつもりだ。
『どうしても譲ってはくれないのですか?』
「無理ね。時間の無駄よ」
ビアンカの頑なな意思を受け止めたブラガは口元を隠すように手を当てながら黙って思案し一点を見つめていると何かを決めたように大きく頷いた。
『いいでしょう♪ それほど言うのであれば無理強いはしません♪ ただし、これ以上は僕も譲れない♪』
ビアンカはなんとブラガを説き伏せてしまった。あれほど無茶な条件を突き付けておきながら、これほどあっさりと引き下がるとは。一体何を考えているんだ?
この気分屋なところが変人と言われる由縁なのだろうか?
「そ、ありがと。お金持ちは懐も広いのね。助かるわ。私だけだと不公平だから熊八さんの分は私のを売ってあげる。10kg分でいいかしら? もちろん、当初の金額でね」
「お、おぅ。俺はそれで構わねぇが……」
なんだかビアンカの一人勝ちのような気がしないでもないが、熊八がそれでいいなら問題ない。
そうして全ての取引を終えた俺達はブラガのいる部屋から出るため扉を開く。
扉の向こうは外の庭園に繋がっており順次、屋敷を出ていく。
だが、その背後から聞こえてきたのは「クックック」と不気味な笑いを浮かべながらゾクゾクと寒気がする視線を向けてきたブラガだった。
その嫌な笑い声が耳にこびりつき離れなかった。