4
一国一城の伝統ある謁見の間。
そこで繰り広げられる家庭事情。
「ゆ、勇者殿…!!ど、どうか!!」
その場で果敢にも口を開いたのは国王だった。
はあ…。
紅い唇からため息が漏れた。
「仕方ないわね」
「で、では!!」
国王ががばりと顔を上げた。
「菜美が行くっ言うなら良いわよ」
その言葉に魔導師長が密かに笑んだ。
魔導師長が立ち上がり、菜美に向かって指をさす。その指に嵌った指輪が光る。
「『桐島 菜美』よ、魔王討伐に行くな?」
尊大に勝ち誇ったように言い放った老人に菜美はポカン、と口を開けた。
「ど、どうした!!何故答えん!!」
「あ、うん、嫌です」
「クッ…!!ははっはははは!!!!」
思わず素直に断った菜美の隣で堪えきれなくなったのか、父は腹を抱えて笑い出した。
「本っっっ当、コッチの人間って馬鹿で素直だよねぇ!!」
ヒィヒィと目尻の涙を拭う父に呆れた表情で魔導師長を見下ろす毋。
「人攫い相手に真名を明かす馬鹿がどこにいるんだよ」
父は今迄見た事がない程ご機嫌だった。
それはもう楽しそうに、見え透いた落とし穴にあっさり嵌る相手の愚を嘲笑う
「し、しかし、この娘は嘘をついてはいなかった!!」
「嘘はついてないわよ、私の娘ですもの」
「けれど、この子は僕の娘でもあるんだ」
魔王はキラキラした笑顔で魔導師長の肩に腕を置く。
「この子は彼女の子であると名乗っただけで、僕と彼女の子だと名乗らなかっただけだよ」
魔導師長は愕然とした表情で膝をついた。
「さて、前座はここまでだ。ナミ」
「はい!」
「お仕置きだ。行っておいで」
「はい…?って、どういう事!?」
菜美は思わず聞き返した。
「言ったよね?母さん泣かしたら僕が怒るって」
「で、でも、泣いてないじゃん!!」
「今は泣いてない。その意味、わかる?」
菜美はぐっと詰まった。
「それに心配もさせた」
その青い瞳の温度が下がった。
「こっ、ここで魔王討伐する方がよっぽど心配させちゃうよ!!」
「うん、だから、心配させないようにここで鍛えてもらってから行ってきなさい」
「ちょっと…」
「君は黙ってて。そもそも君が甘やかし過ぎるのがいけない。それに今後の為にも自分が如何に恵まれた立場にいたかを知るべきだと僕は思うよ」
魔王の笑っていない瞳と勇者の鋭い視線がぶつかり合う。
菜美は祈る気持ちで毋を心の中で応援した。
「……わかった」
降参したのは勇者だった。
その言葉に菜美は愕然とした。
「菜美!」
「は、はい!!」
「ついでにシロの散歩もお願いね」
「…え…?」
毋はにっこり笑ってのたまった。
*
ガキィン!!
鋼がぶつかり音が響く。
「くっ」
その衝撃手が痺れ、手にした剣を取り落とす。
「勇者殿!!そんな事では聖剣の柄すら握れませんぞ!!」
「はっ…はひぃ…!!!」
菜美は取り落とした剣を涙目で拾い、構え直す。
「剣の握りが逆!!」
「はいぃぃ!!」
剣を向けてくるのは全長2mはあろうかと言うムキムキマッチョの顔面鬼瓦。
もう、前に立たれただけで足が震える。
騎士たちが集う訓練所の外では、我が家の暴君が全身をだらしなく伸ばし、日向ぼっこをしている。
その大きさは大型犬よりも一回り大きい。
そしてその額にが大きな紅玉のごとき第三の目。
決して日本ではあり得ない姿だった。
「勇者の聖剣」と呼ばれるそれはただの剣ではなく、聖なる意思の宿った剣であるらしいと教えられたのは、姿を現したシロを見た神殿の重鎮達が騒ぎ出したのを一通り楽しんだ父の口からだった。
我が家のペットは聖剣の化身だった。
「好き嫌いがはっきりしてるからねぇ」
とのほほんと呟いた父は現在、毋と二人っきり(これ重要)でこの世界を(主に父が)満喫中だ。
城に戻る度に父は上機嫌、毋はぐったりした様子で帰ってくる。
母は魔王討伐を了承したものの、休学は許してはくれなかった。
かなり追い詰められているらしいこちらの世界の首脳陣と保護者たる両親の話し合いの結果、休日のみという条件でこちらの世界で訓練を受ける事となった。
現在は表向きの理由は夏休みを利用しての海外への家族旅行だ。
羨ましがる友人達に、「ならば替わってくれ」と何度も喉から出かかった。
菜美は表向きバカンスという名の過酷な訓練に赴く事になったのだ。
母の立てた計画表では夏休みが終わる2週間前には魔王討伐を終え、残った時間で溜まった宿題を消化する予定となっている。
これ、何て無理ゲー?絶対無理!!
と菜美は母に泣きついた。
母は、
「大丈夫。シロも貸してあげるし、魔族も半分くらいは片しといてあげるから」
と、「嫌いな人参の半分は食べてあげるから」的なノリで返された。
父は
「がんばって、ナミはやれば出来る子だよ」
と、「明日の天気は晴れだよ」的なノリで肩を叩かれた。
父は魔王、毋は勇者、ペットは聖剣。こんなおかしな話、誰が信じるだろうか。
菜美の試練は夏休みが明けるまで続く事になり、追い込みは母に直に稽古をつけられた。
因みに異世界の「最恐最悪の魔王」は案外チョロかった。
「最恐最悪」の看板は母に譲るべきだ。
是非そうするべきだと思った。
あの地獄の日々は何だったのかと、瀕死の魔王に八当たりしまくった。
八当たりは魔王が「ごめんなさい。もうしません」と泣いて謝り、周囲の魔族が「もうやめてあげて下さい」と土下座するまで続いた。
因みに土下座を教えたのはひたすら傍観に徹していた父だった。
曰く、
「昔母さんが教えてたの見て、一回身の程知らず共にやらせてみたかったんだよね」
そう明るく言う父は母と共に日本に行く折に、人間に手出しするのは程々に。でないと勇者が魔族を滅ぼしに来るぞと魔族の皆さんに言い含めて行ったらしい。
今では魔族の子供には「いい子にしてないと勇者が来るぞ」と言われる程に先代の勇者の存在は恐怖の対象として浸透していたらしい。
その後、魔族の中で力のあるヤンチャな魔族が調子に乗って魔王を名乗り、好き放題やらかした結果との事だった。
*
夏休み明け、菜美は無事に学校に登校していた。
健康的に日に焼け、ちょっと逞しくなった事で地味さは改善されたと友人から指摘を受けた菜美はその指摘に喜ぶでも怒るでもなく、体育館裏で一人静かに誰にも吐露出来ない実情に泣いた。