第一話 日陰の店
日本のとある県庁舎のある街の寂れた商店街の一画。両面黒板になった看板をアーケードの下に用意する。
開店を待つ客などいない。
珈琲処
「人格」
珈琲の風味を
人格に見立て
静かに愉しむ
一杯1千円也
決して大きくない企業を早期退職し、遠方の親戚が所有する空きテナントとなった店を借りて始めたこのお店。
どことなくスナックの様な薄暗くカウンターを照らす40wのスポットライトが物悲しく映る。
「いやぁ、この閑散感。青木さんにお似合いですね。」
店内の禁煙表示を無視して電子タバコを吸う私の席を継いだ営業部次長は、開店のお祝いと言って駆けつけてくれた。
「私の店なんだ。タバコは止めてくれ。」
「ほら、コーヒーにタバコは合うじゃないですか。」
「そう言うクズな人間性はボロが出る。昇進は難しいぞ。」
「仕事を辞めた後まで説教ですか。はいはい。」
吸い始めの電子タバコを胸ポケットに収めて席に着いた。
「この雰囲気ならバーでもした方がよっぽど稼げるでしょう。」
「高級な酒を並べられるほどの退職金は出なくてね。」
電動ミルにて珈琲豆を粉にする。
「青木さんとの付き合いは長いですけれど、笑い話ですか?それ。」
「あぁ。笑い話だ。iDECOに投入した直後に手数料が増える法改正だよ。」
台形のペーパーフィルターをドリッパーに置くとドリップ用のケトルに沸いたお湯を入れ直し、ペーパーフィルターを洗う。
「定年にはまだ数年あるんじゃないですか。」
「だからだよ。増やせるものは増やさないとな。」
「こんな小さな喫茶店で一杯千円って強気なのはそのせいですか。」
サーバーに溜まったお湯を捨てて珈琲豆粉をならす。
「その千円すら一人で稼ぐのは大変でね。」
お湯によって珈琲の香りが開く。僅か2分で全てが変わる。カップにお湯を注ぎ温めると、ドリッパーを下ろし温めたカップへとコーヒーを注ぎ入れた。
「お待たせしました。当店のいい人ブレンドです。」
茶色い信楽焼のカップとソーサーは黒色の液体をしっかりと受け止めている。
「嫌がらせ、当てつけですか。」
「ははっ。まさか。偽りなく君に宛ての一杯だよ。誰にとっての『良い人』なのか想いながら飲んでくれ。」
自身はケトルのお湯をボーンチャイナのカップで白湯を啜る。
「昇進するほどに責任だけは増えていく。役職は経営陣からも良い人でなければ成れない。部下にとっても良い人でなければすぐ辞める。そして新人からは新しいツールが使えないと皮肉られ、役員交流に顔を出さなければ派閥から干される。まあ、君には余計な事か。」
かたっとカップが置かれる音。
「らしくないですね。この飲みやすさに哲学を突っ込むなんて想像したくなかったですよ。」
「次は伸び悩む部下を連れて来てくれればいい。なんなら説教は無料で乗ってあげよう。経費では落ちないだろうがな。」
残った珈琲を一気に煽る様に飲む。
「ご馳走様でした。お代は税もありますよね?」
「税込みで1,000円だ。」
「意地悪に良心的ですね。」
「缶コーヒーのブラックしか飲んでいる光景しか知らないからな。」
「潰れていない事を願うだけですよ。狭い店でたった一杯しか恩返しはできませんから。」
そう言うと、14時06分のアナログ腕時計に視線を落とす。
「青木さん、また来ます。次は仲の悪い娘と。」
「あぁ。お気をつけて。」
店のドアから明るい光が店に入ると、店に静寂が訪れる。
「さて。洗うか。」
完飲されたコーヒーカップを下げると、テーブルに置かれた一枚の御札は一桁多いものだった。
「あいつめ。珈琲チケットを作るしかないな。」
不意に預かり金となってしまった代金と、またいつもの日常が戻った。




