↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツグミノミ〜魔獣たちに贈る終の診療録〜  作者: 透羽柚紀
CASE 01 神獣と呼ばれた魔獣
PR
11/11

CASE2-2 花盛りのアルシリス

 おそらく、街まではまだ数時間かかる。


 このまま夜になるまで砂漠を歩くのは危険だ。


 至極真っ当なことをツグミが口にした。


 それだけなのに、ラグはなぜか妙な違和感を覚えた。


「……ツグミさんが、そんなまともなことを言うなんて」


「どういう意味?」


「そのままの意味です」


 ツグミがむっと頬を膨らませる。


 ガルシアは二人のやり取りを無視して、水辺へ視線を向けていた。


「でも、魔獣がいるオアシスに泊まって大丈夫なんですか?」


 ラグがおそるおそる尋ねると、ガルシアが鼻を鳴らした。


「俺がいる場所へ、好き好んで近づいてくる奴もいないだろう」


 自信に満ちた言葉に、ラグはほっと息を吐いた。


「襲ってこないよ」


 不意に、ツグミが言った。


「……どうして断言できるんですか?」


 ラグが振り返る。


 ツグミは答えず、ただ静かにオアシスの奥を見ていた。


 何かを知っているような顔だった。


 けれど聞いても、きっと教えてはくれない。


 ラグは小さくため息をついた。


 **********************


 昼間の疲れが残っていたのだろう。


 ラグはガルシアの身体に寄りかかったまま、いつの間にか眠っていた。


 ふと目が覚める。


 寒い。


 昼間の熱が嘘のように、砂漠の夜気が身体の芯まで染み込んでいた。


 寝返りを打とうとして――ラグは動きを止めた。


 少し離れた水辺。


 ツグミのそばに、何かがいる。


 暗くて姿まではよく見えない。


 けれど、人ではない。


 見てはいけない。


 なぜか、そんな気がした。


 ラグは目を閉じたまま、耳を澄ませる。


「水を飲みに来たの?」


 ツグミの声がした。


 返事はない。


「……ひとりでいるんだね」


 しばらくして。


「ごめんね。邪魔しちゃって」


 また、ツグミの声。


 誰かと話しているようなのに、相手の声は聞こえない。


 寝たふりをしていよう。


 そう思ったものの、鼻の奥がむずむずしてきた。


 我慢すればするほど気になる。


「クシュンッ!」


 やってしまった。


 辺りの気配が、ぴたりと止まる。


「ラグ?」


 小さな声で呼ばれた。


 今さら寝たふりを続けるのも無理がある。


「……すみません」


 ラグはゆっくり目を開けた。


 背後ではガルシアも目を覚まし、低く喉を鳴らして身体を起こす。


「馬鹿が」


「仕方ないじゃないですか……」


 ラグは鼻をすすりながら、水辺へ顔を向けた。


 月明かりの下。


 ツグミのそばに、一頭の魔獣がいた。


 淡い桃色の身体。


 すらりと伸びた細い脚。


 そして頭上には、大きく枝分かれしたツノが伸びている。


 けれどそのツノに、花も葉もない。


 乾いた枝のように色を失い、ところどころ欠け、今にも崩れ落ちそうだった。


 淡い桃色の瞳が、じっとラグを見ている。


「ごめんね。起こしちゃったみたい」


 ツグミはラグではなく、魔獣へ謝った。


「その子は……?」


 ラグが囁く。


 ツグミが振り返り、静かに笑った。


「アルシリス。砂漠に住む魔獣だよ」


 ツグミはすぐそばにいるわけではない。


 手を伸ばせば触れられそうで、けれど決して踏み込まない。


 アルシリスとの間には、わずかな距離が残されていた。


「普段は群れで暮らす魔獣だ」


 ガルシアが低い声で言った。


「群れ?」


「あれは老いた個体だ」


 ラグがもう一度、アルシリスを見る。


「おそらく、このオアシスも群れが作ったものだろう」


「群れが?」


「ああ。最期のときを迎える個体のためにな」


 ラグは辺りを見回した。


 水がある。


 木々もある。


 砂漠の真ん中とは思えないほど穏やかな場所なのに、ほかの生き物の気配がない。


 ここは偶然できたオアシスではなかった。


 アルシリスが最期を迎えるための場所なのだ。


「じゃあ……仲間は?」


「もうここにはいない」


「どうしてですか?」


 思わず聞き返した。


「最期まで一緒にいてあげればいいのに」


 ラグには、それが少し薄情なことのように思えた。


 ガルシアはすぐには答えなかった。


「アルシリスにとって、ツノは誇りだ」


「ツノ?」


「生まれてすぐに伸び始め、季節を重ねるごとに枝を増やす。成獣になれば葉をつけ、花を咲かせる」


「花が……」


「あのツノを見れば、その個体がどれだけの年月を生きてきたか分かる」


 ラグは枯れたツノを見る。


 高く、大きく、幾重にも枝分かれしている。


 今はもう葉も花もない。


 それでも、その姿から長い年月を生きてきたことだけは分かった。


「老いれば花が落ち、葉が落ち、最後にはツノそのものが崩れる」


 ガルシアの声が少しだけ低くなる。


「アルシリスは、その姿を仲間に見せたがらない」


「……だから?」


「群れは追い出しているわけじゃない。誰にも見られず最期を迎えられる場所を作って、送り出すんだ」


 ラグは黙った。


 最期までそばにいることだけが、優しさではない。


 この魔獣にとっては、離れることが敬意なのだ。


 水辺からツグミの声が聞こえた。


「……見られるの、嫌なんだね」


 アルシリスがわずかに顔を背ける。


「ごめん」


 ツグミはそれ以上、何も言わなかった。


 慰めようともしない。


 近づこうともしない。


 ただ、そこに座っている。


 長い沈黙が流れた。


 月の光が、水面を揺らす。


 やがてアルシリスが、ゆっくり首を動かした。


 大きなツノが、ツグミのほうへ傾く。


「……え?」


 ツグミが目を瞬いた。


「触っていいの?」


 アルシリスは動かない。


 ツグミはしばらく待ってから、そっと手を伸ばした。


 指先が、枯れた枝のようなツノへ触れる。


「……すごいね」


 いつものツグミとは違う、静かな声だった。


「こんなに大きくなるまで、生きてきたんだね」


 それ以上は言わない。


 ただ、ゆっくりとツノを撫でる。


「触れさせてくれて、ありがとう」


 アルシリスが小さく喉を鳴らした。


 そして、その瞳がラグへ向けられる。


「……え」


 突然見つめられ、ラグは固まった。


「ラグ」


 ツグミが手招きする。


「こっちに来てもいいって」


「本当に?」


「うん」


 ラグはガルシアを見る。


 ツグミもガルシアへ目を向けた。


「ガルシア、ごめんね。あなたはここにいて」


「分かっている」


 ガルシアは気にした様子もない。


「俺の魔力は、今のあいつには強すぎる」


「うん」


「行ってこい、ラグ」


 背中を鼻先で押される。


「ちょ、押さないでくださいよ」


 促されるまま、ラグは水辺へ向かった。


 アルシリスの視線が、自分を追っている。


 少し緊張しながら、ツグミの隣にしゃがみ込んだ。


「ほら」


 ツグミが囁く。


「近くで見ると、もっとすごいでしょう?」


 ラグは頷いた。


 枯れている。


 ところどころ折れている。


 それでも。


 空へ向かって伸びるツノは、圧倒されるほど大きかった。


 枝分かれした一本一本に、この魔獣が生きてきた時間が刻まれているように見える。


 胸の奥が、少し苦しくなった。


「今日は、ここにいようか」


 ツグミがアルシリスへ聞いた。


 アルシリスが低く喉を鳴らす。


「僕もいていいんですか?」


「うん」


 ツグミが笑う。


「いていいって」


 それからは、ほとんど言葉を交わさなかった。


 ツグミも。


 ラグも。


 アルシリスも。


 少し離れた場所には、ガルシアが伏せている。


 月明かりを受けたオアシスに、水の音だけが静かに響いていた。


 **********************


 眩しさに、ラグは目を覚ました。


「……ん」


 顔に直接、朝日が当たっている。


 確か昨夜は木の根元にいたはずだ。


 目をこすりながら身体を起こす。


 そして、ラグは動きを止めた。


「……え?」


 そこは砂漠だった。


 水もない。


 木々もない。


 昨夜まであったオアシスが、跡形もなく消えている。


 少し離れた場所に、ツグミが立っていた。


 砂漠の向こうを見ている。


「ツグミさん?」


 声をかけると、ツグミが振り返った。


「アルシリス、土に帰ったみたい」


 ラグは辺りを見回した。


「……もう、いないんですか?」


「うん」


 桃色の身体も。


 大きなツノも。


 どこにもない。


 昨日まで聞こえていた水の音も、木々のざわめきも消えている。


 ガルシアがラグのそばまで来た。


「アルシリスが最期を迎えれば、群れが作ったオアシスも魔力を失う。そのまま砂漠へ還る」


「……全部、なくなっちゃうんですね」


「ああ」


 ラグはしばらく、何もない砂地を眺めていた。


 そして、ふと思い出す。


「ツグミさん」


「なに?」


「ツグミさんって、魔獣の言葉が分かるんですか?」


「言葉?」


 ツグミがきょとんとする。


「昨日、アルシリスとずっと話してたじゃないですか」


「ああ」


 ツグミは少し考えてから、首を横に振った。


「分からないよ」


「でも、『触っていい』とか『ラグも来ていい』とか……」


「うん」


「それって分かってるんじゃないですか?」


 ツグミは困ったように笑った。


「ラグ。言葉って、気持ちを伝える方法のひとつでしかないよ」


「ひとつ……」


「視線とか、仕草とか、表情とか。近づくこともそうだし、逆に近づかないことだってある」


 ラグは昨夜のツグミを思い出す。


 アルシリスへ触れなかった。


 呼ばれるまで、ずっと距離を取っていた。


「言葉は分かりやすいから便利だけどね」


 ツグミは砂漠の向こうを見る。


「言葉なら、簡単に嘘もつけるでしょう?」


「……はい」


「だから、言葉が分からなくても、ちゃんと見ていれば伝わってくることはあるんだよ」


 ツグミは少しだけ笑った。


「昨日のあの子も、最初は『近づかないで』って言ってた」


「……言葉じゃなく?」


「うん」


「それで最後は?」


「『ここにいてもいい』って」


 ラグは胸の奥を、ぎゅっと掴まれたような気がした。


「……そうなんですね」


 しばらくして、ツグミがぽつりと呟く。


「アルシリスって、生守師の間ではあまり重要視されてないんだ」


「どうしてですか?」


「老いたアルシリスは、ほとんど暴走しないから」


 人を襲わない。


 街へ被害をもたらさない。


 なら、生守師がわざわざ介入する理由も少ない。


「じゃあ」


 ラグは何もなくなった砂地を見る。


「どうしてツグミさんは、一晩ここにいたんですか?」


「え?」


 ツグミが、本当に分からないという顔をした。


「どうしてって……」


 そこで言葉が止まる。


 ラグは、その顔を見て少しだけ分かった気がした。


 一人で最期を迎えようとしている魔獣がいた。


 そして、そこにツグミがいた。


 きっと、それだけなのだ。


 助けられるからでもない。


 治せるからでもない。


 役に立つからでもない。


 ただ、独りでいる魔獣のそばに、自分がいることを許された。


 だから、そこにいた。


「……なんでもないです」


「何?」


「ツグミさんらしいなと思っただけです」


「それ、褒めてる?」


「半分くらいは」


「半分なんだ」


 ツグミが不満そうに口を尖らせる。


「そろそろ出発しないか」


 ガルシアの声が飛んできた。


「街まで行くんだろう」


「あっ」


 ツグミが空を見る。


「そうだった」


「忘れてたんですか!?」


「ちょっとだけ」


「もう!」


 ラグが声を上げる。


 ガルシアが呆れたように先を歩き始めた。


 ラグも荷物を背負い直す。


 最後に一度だけ振り返った。


 そこには、もう何もない。


 ただ朝の光を受けた砂が、どこまでも続いている。


 けれどラグの目には、まだあの大きなツノが残っていた。


 花も葉も失った、老いたアルシリスのツノ。


 あれは決して惨めなものではなかった。


 あの子が、長い時間を生きてきた姿だった。


「ラグー! 置いてくよー!」


「誰のせいで遅くなったと思ってるんですか!」


 ラグは慌てて駆け出した。


 ツグミとラグ。


 そしてガルシア。


 三人は再び、朝の砂漠を歩き始めた。

■女王様のお茶会■

https://cookiequeen.chu.jp/2010.queen/top.html


■NOTEにて、ツグミノミの制作秘話を公開中

 ツグミノミ制作ノート https://note.com/nagiho_uosawa/m/m833291b12a8e

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。