1話
俺は蹴破る勢いで扉を開けた。
直後の襲撃に備えて身構えたが、そんな事は無かった。
男は机に向かっていた。
何かを書き記していたのだろうか、ペンを握ったまま驚きの表情でこちらを見てきた。
少しだけ警戒を解いて、男に向かって叫んだ。
「貴様が教会の言っていた魔王だな。勇者の俺が成敗してくれる」
男は俺の叫びに一瞬呆けた。次の瞬間、不敵な笑みを浮かべた。
男はペンを机に置き、その手で机の上に置かれていた短剣に手を伸ばした。
余裕綽々で椅子から立ち上がり、こちらを向いた。
「お前らはこの私を魔王と呼ぶのか。面白い、ならば今から悪の魔王と自称しよう」
教会から魔王と言われる男。どんな魔術を使って来るかわからないので、警戒は怠らない。
「神からの神託を得て、教会から認められたこの勇者が、神の御名に於いて貴様の野望を打ち砕く」
名乗りを挙げると、男は先ほどまでの不敵な笑みを消したちまちに怒りを顕にした。
「軽々しく神の名を騙るな痴れ者が。
所詮お前が聞いたと宣う神の声も、自身の欲が産み出した幻覚か、お前の欲に釣られて現れた邪神の類いだろう」
一方的な決めつけに、こちらも声に怒気が混ざる。
「何を言うか。貴様こそ邪神に心を売った者だろう。貴様が若い司祭をそそのかした結果、どれだけの犠牲が出たと思っている」
教会の話が本当なら村一つが壊滅の甚大な被害。それを企てたのが目の前の男との事だ。
「私の事などどうでも良い。お前の妄言のように、神の御声を聞いた事も無ければその御姿を見た事すらない。ただ神を崇めるだけの者。
あの若者についても同じ事だ。私はそそのかした覚えは無い。ただ聞かれるままに私の考えを話しただけだ」
男は若者の話をしながら遠くを見つめた。その顔には、教会が言うほどの邪悪さは感じとる事が出来なかった。
俺は頭を振って雑念を振り払う。
「だとしても、貴様の悪行を見逃す訳には行かない。この世の正義と皆の希望を取り戻す為、貴様を撃つ」
啖呵を切った俺に対し、男はまっすぐに突き刺さるような視線をぶつけてきた。
「自分達の権力を取り繕う為の正義が本当の正義で有るはずがない。本当の正義は万人に公平で有るべきだ。
自分達の欲を言い換えただけの希望が本当の希望で有るはずがない。本当の希望は万人に道を与えるものだ。
正義にしろ希望にしろこの世には本物は存在しない。有るのは真似ただけの歪な模造品だ」
「では、どこに有ると言うのだ」
「解らんのか。本物の正義と希望が有るのは、神のおわす園だけだ」
男は一息入れると、滔々と語りだした。
「遥か昔、神は我々人類に地上の管理者の役目をお与え下さった。
だがどうだ。どいつもこいつも我欲に支配され、その役目を疎かにしている」
「それがどうした。人間がその程度なんて事は神だって解っていただろう」
男の話はまるで司祭の説教を聞いている様で、話が回りくどくむず痒い。
「神は我々人類に期待をしてくれた。
それを人類は無碍にした。
神の落胆はいかばかりなものだったであろう。
だから、償いのため、私はこの世の人類を絶滅させる」
「それで次代の支配者にでもなるつもりか」
「お前等の様な我欲の塊と同列に並べるな。
地上から人類を一掃し綺麗にした後、私も後を追う。
そして、神の御前で膝をつき、頭を垂れて謝罪をしよう。
「我々人類には地上の管理者の役目は果たせませんでした。貴方様は我々を過大評価し過ぎたのです」と。
そしてこの地上を神にお返しするのだ」
「それこそ貴様の妄言だろう。神はそんな事を望んではいない筈だ」
「何故そう言い切れる」
「教会がそう教えてるじゃないか」
俺の言葉を男は鼻で笑った。
「教会が真実のみを教えているのであれば、それも受け入れよう。だが、事実として神は沈黙しておられる。
そう、神は既に我々人類を見放しているのだ。それを理解せず、自分達の都合が良いように勝手な解釈をしたのはお前達だろう。
神の声を聞いたものはおろか、聞いた者を自身の目で見たこともない後世の有象無象が、神の沈黙に適当な理由をこじつけただけだ」
「・・・」
男の話が堅苦しく専門的なってきた。さすがにすぐには言い返せない。
だが、感覚としては男が間違った方向に理論を進めている気がする。
その間違いを訂正できるだけの含蓄も語彙も俺には無い。
そんな言い淀む俺を尻目に、男の理論は更に加速していった。
「先に神は一人の預言者をこの地上に遣わしてくれた。それは過去最大で最後の機会だった。
神は人類の成長を期待した。だが、預言者は消費された。
一時的には改善も見られたかもしれないが、結局元に戻ってしまった。いや、もしかしたら悪化したのかも知れない。
何故それ以降、神の声を聞く者が現れないのか。既に神がこの世界に対して口を閉ざしたから。
何故それ以降、奇跡が起こらないのか。既に神がこの世界を見放して触れることすらしないから。
だから私は謝罪をするために人類を滅ぼす。
安心しろお前も地上を去れば神のおわす園に行ける。先に旅立った者たちと共に本当の正義と希望を享受するが良い」
男は短剣を抜き、こちらに突きつけてきた。
その刀身は擦り傷一つ付いておらず、綺麗に輝いていた。
握られた柄も細かな装飾が施されている。
明らかに実戦用ではなく、儀礼用か護身用かどちらかだろう。
こちらも剣を構え直す。
「俺はあんたほど賢くねぇから、神が人類を見捨てたかどうかなんて解りゃしねぇ。
だが、あんたが原因で村一つが壊滅したのは事実だ。
どれだけの善良な人々が犠牲になったと思っている。
そして、それを理由として貴様の討伐の依頼を引き受けた。
それが俺の動く理由だ。神なんか関係ねぇ。
俺にはあんたのやった事が看過出来ねぇ。
さあ、おとなしく撃ち取られろ」
互いに相手の一撃をかわしながら、決定的な一撃の機会を探る。
そんな中ですぐに気が付く。
男は少なくとも剣の扱いに関しては完全に素人だった。
男の短剣と俺の剣。狭い室内で有利なのは男の短剣のはず。だが、その利点を全く活かそうとしていない。
数回の男の振り抜きをかわし、伸びきった男の体を切りつける。
怯んだ瞬間にその喉元に切先を突き付けた。
「てんで弱ぇ。肩慣らしにもなりゃしねぇ」
「流石だな勇者よ。私の思いはお前達の欲には勝てなかったわけだ」
男は短剣を手放し、負けを認める。
あまりの呆気の無さに、このまま命を取る事に気がひける。
教会に言われた事を思いだし一つの提案をする。
「あんたを倒すのは簡単だ。だが、あんたが優秀であったと皆が口を揃えて言っていた。
どうだ、己の過ちを悔い改めて、今一度我々と共に歩み直さないか」
教会だって男が大人しく投降してくれば、温情をかけるかもしれない。
だが、俺の提案を男は鼻で笑った。
「何を今さら。確かに昔はお前達と同じ場所に居た。
だが、私はお前達の欲の深さに愛想が尽きた。神への信仰ではなく、お前ら仲間内での媚びへつらいあいに何の意味がある。
お前達の元に戻るぐらいなら今を最期と選ぼう」
「そうかよ」
剣を引き構える。交渉が決裂した以上、俺に出来る事はどれだけの完璧に急所を貫けるかだけだ。
「勇者よ、一つ予言しておこう。お前が手にするのは、僅かばかりの達成感と地上の欲にまみれた富と名声だけだ。
私を倒した所で神は貴様を見向きもしない。神は沈黙を続け、奇跡も加護も与えてくれはしない」
「そんな事は無い筈だ。俺は神の声にしたがって此処まで辿り着いたんだ」
「何処までも自分の欲に忠実だな。今にわかるさ、神はお前に何も語り掛けない。関心も興味も無いのだから当然だろう」
「そんな事は無い。・・・さらばだ、魔王」
「では、先に神のおわす園でお前等を待つとしよう」
剣を魔王に突き立てる。
その瞳は俺ではなく、遥か虚空を見つめていた。
「ああ、神、よ、」
そう言い残し魔王は倒れた。
そこで目が覚める。
また同じ夢だ。
何度と無く見る、俺が勇者に成った日の出来事。
最初で最後の魔王との会話。
それが何度も夢で再演される。一字一句変わることなく、あの日のまま。
勇者になった事の高揚感からだろうか、それともあの男の言葉が俺の心のどこかに引っ掛かっているのだろうか。
男の最期の表情と、神への言葉が忘れられない。
あの男は本当に人類の絶滅を目指していたのだろうか。
その疑問が解明される事は無い。
魔王を倒した後に現れた教会の使者が、魔王の住居ごと書き記していた手記も焼き捨ててしまった。
もう残っている男の思想は俺が記憶しているのが全てだった。
「あいつは何を考えていたんだろうな」
呟くも思案のしようもなくため息が漏れるだけだった。




