第65話 母の友人として
王妃様は、笑顔を向けて「お座りくださいな」と弾むような声でおっしゃった。
「あ、硬い挨拶は抜きよ。親友の娘と、その旦那様に会いに来た、一人のコルネリアですからね」
さすがに、王妃様を、お名前で呼ぶわけにもいかないけど、その流れるような黄金の髪と、鮮烈な印象を与える、でも優しい光を持つ碧い目には「懐かしさ」を感じてしまう。
母と一緒に遊びに行く度に、優しく迎えてくれた人だ。
とても懐かしく感じた。
でも、いくらお忍びとはいえ、王妃様に「お座りなさい」と言われて、すぐに座る無作法はできない。
作法では、二回遠慮してから三回目で、ということになっている――とマァサが教えてくれた。
そのマァサも、ちゃんと付いてきていて、王妃様の後ろで、優しい笑顔を浮かべていた。
私が、作法通り、遠慮の仕草を見せると、あろうことか王妃様は、さっと立ち上がった。
「久しぶりね、エレーナ」
柔らかな声で、両手で抱きしめてきた。
「王妃陛下!」
狼狽えてしまった。こんな対応は教わってない。
「今日は王妃ではないわ。言ったでしょ? ただのコルネリアよ」
小さく笑う。
「セシリアの友人として来たの」
その言葉に、胸の奥が少しだけ震えた。
「だから、座って。少し話しましょ。ほら、優しい旦那様が心配しているわ」
クスッと笑った先にいるのは、介入すべきかどうか、ハラハラと見つめる旦那様だった。
さっと、紅茶が出されると、すっかりリラックスした姿で王妃様――コルネリア様が、話し始めた。
母の話。
コレージュ時代の思い出。そして結婚するまでの母との交流。
――リセの話をあえて飛ばしたのは、通えなかった私のことをご配慮なさったからなのだろう。
そして、子どもが生まれて、お互いに子育ての話で笑い合ったこと。
――父の話は、ひと言も触れなかった。
あえてなのだろう。けれども、それを感じさせないほど、コルネリア様の語る「二人の思い出」は楽しげに続いた。
誰かが困っていると、母は必ず、真っ先に動く人だったらしい。
「もうね、ハラハラしちゃうくらい行動的なの。友人としては、本当に、困った人だったのよ」
王妃は懐かしそうに言う。
「優しすぎて」
そして、少しだけ目を伏せた。
「だから、セシリアの友人として、すごく後悔しているわ」
コルネリア様は私を見つめた後、頭を下げた。
「あなたを助けることができなかった。ごめんなさい」
私は思わず顔を上げた。
「王妃陛下、それは」
「私は、今、コルネリアよ。心からお詫びできる」
王妃様は静かに首を振った。
「言い訳なんてしないわ。友として、その大事な宝物に何もできなかったことを詫びておきたいの」
その言葉に、なんの誤魔化しもないことくらい、私にもわかる。王家への権謀術数をはね除ける、と言われる王妃様は、一人の人間として謝ってくれてる。
「あなたがあの家でどんな思いをしていたのか……私は知らなかった。私は心から悔やんでいるの」
私はゆっくり息を吸った。
そして、チラッと旦那様を見てから、微笑んだ。
「でも、もう、大丈夫です」
旦那様が、隣でわずかに身じろぎをしたのを感じた。視線が顔に向けられているのを意識しているけど、今は見ない。
目の前の「王妃様」にだけ、真摯な視線を返している。
それが私の真実だから。
王妃様は、しばらく私を見つめていた。
そして、ふっと笑う。
「セシリアが聞いたら驚くわよ、きっと」
「え?」
「あなたが、こんな風に、人前でノロケる子に育ったなんて」
くすりと笑ってみせるコルネリア様の瞳は、とても柔らかかった。
「そしたら…… さすがセシリアの宝物ねって、私はきっと言うわ」
視線が真っ直ぐになる。
「あなたが何を成し遂げたのかは聞いたわ。憎しみを持たず、まして、他にぶつけようとしなかったからできたこと。違うかしら?」
私は何も言えなかった。
「助けが必要な人に、助けが届くようにしたのね。やっぱり、あなたはセシリアの娘だった」
その言葉は、不思議と胸に落ちた。
そしてコルネリア様は、ふと笑った。
「栴檀は双葉より芳しというけど、あなたのお祖母様は正しかったわ」
「祖母が……ですか?」
「ええ」
背筋を伸ばして、微笑むエレガントな笑顔は「今だけ王妃に戻ります」と無言で伝えてる。
「ほら、公爵家令嬢で、伯爵家の奥様となったセシリアと私は、親友だった。そして、同い年の子どもを授かったのよ?」
謎かけのような言葉だけど、意味が分からないはずがない。
「一時期は、そんな話も出たわ。ほら、その頃には、身体が弱ってきたセシリアですもの。将来を考えると婚約だけでもという話になる」
横で「シアン」の気配が、硬くなった気がした。
「結婚させようという話はあったのはホントよ」
その笑顔は、私ではなく、旦那様に向けられていた。
「でもね、エレーナのお祖母様に大反対されたわ」
楽しくてたまらないという表情の王妃様に、旦那様が硬い声で尋ねた。
「理由を伺ってもよろしいか?」
「リュシアンは認めない。けれども、ルシウスなら――第一王子が王太子となるなら認める、ですって」
私は言葉を失った。それは、事実上「次の王妃にしなさい」というお祖母様の意向ということ。
「私だって、あなたが娘になってくれるならって思ったし…… 今でも思うわ」
その瞬間、隣で、旦那様の気配から、炎が立ち上った気がした。慌てて、チラッと見ると、全く身動きしていない。
けれども「ムッとした」気配を隠そうともしていない。
部屋にいる誰もが、英雄の「不愉快」を出す気配に怯えた。
けれども、王妃様だけは「してやったり」という笑顔になった。
イタズラな表情で言った。
「安心してね。あなたの奥様を奪いに来たわけじゃないわ」
旦那様の低い声が「当然です」と答えた。
王妃様は楽しそうだった。
そして、私を見つめると、言葉を強くした。
「あなたは王妃にもなれた。それは王国のためになったでしょう。けれども、侯爵夫人となって、あなたは幸せを手に入れた。違うかしら?」
「はい。私は幸せです」
「王妃になりたい?」
「いいえ。私は……」
チラッと「シアン」を見ると、私のことを恐れるような目で見ていた。
私はハッキリと言うべきだ。
「カシアンと結婚できて、とても幸せです」
「ふふふ。ごちそうさま」
そんな会話をした後、シアンの顔を見られなかった。恥ずかしすぎたから。
帰り際、王妃様は一度だけ振り返った。
「アルヴェイン侯爵夫人」
「はい」
「あなたのしていることは知っている。国でもまねさせてもらうことにしたわ」
ほんの少し微笑む。
「あなたの咲かせた花は、きっと、もっと多くの人を救うわ。あなたは正しく、そして、素晴らしい侯爵夫人よ…… エレーナ」
それだけ言って、王妃様は去っていった。
王都の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。




