第66話 王都の声
高位貴族は、王都の中に情報網を張り巡らせている。
どことどこの家が親密で、どこの家と何で争い事が起きた。どこそこの令息には、どこのご令嬢から手紙が頻繁に。リセの優等生となったご令息には、何家の令嬢がご執心。誰それと親密な……
情報を掴むことは、社交の基本。
そこから自家の利益を最大限に引き出すのが、当主の務めであり、奥方の手柄になるというのは、貴族の常識である。
したがって……
「王妃様、お忍びでアルヴェイン侯爵邸へ」
聞いた貴族家は、驚愕した。
王妃ともなれば「お忍び」とは、内密という意味ではない。王家としての公式行事ではない訪問、という意味に過ぎないのだ。
災害が起きた後に急遽組まれる慰問や時間を見つけて兵士たちの病院を見舞うことが「お忍び」である。
それが、一人の貴族家への訪問だという。異例のことだ。しかも、名目上、英雄の妻となった「友人の娘への友誼」である。
それ自体が、王都の貴族家にとって衝撃的な噂である。耳聡い貴族家が知ったのは、その日のうちであった。
当たり前のことだが、王妃様が個人的なよしみを通じる相手とは、すなわち「仲良くする価値が最大な人」である。
アルヴェイン侯爵夫人は、まだ、誰も姿を見ていないうちから、王都中の貴族家から最大の注目を集めたことになる。
カシアン侯爵は、戦場における英雄ではある。だが、王都の魑魅魍魎を相手にする経験は、まだ浅かったからだろう。
王妃が忍びで現れた日の夕刻、王宮からの遣いがカシアン侯爵の元に訪れたことに戸惑いを見せていた。
「シアン。難しい顔をなさってますね」
「無視しても良いのだが…… 座ってくれ。君はどう思う?」
隣に座るのは、ごく自然な姿。
そして、シアンと呼ぶことにも少しだけ馴れた。というよりも、王妃様が帰ってから「いつも、シアンと呼んでほしい」とねだられたからでもある。
しかも、そう呼ぶと、明らかに夫の機嫌が良くなることに気付いてしまえば、エレーナは、諦めるしかない。
リディアや少数の家臣の前でも「シアン」と呼べるようになっていた。
そして、そんな仲睦まじい夫妻に、リディアが、いそいそと茶を用意して控える。
王都の侯爵邸において、それは、既にピタリと決まるシーンとなっていた。
エレーナに渡された手紙を読むと、要するに「王都に到着したことを喜ばしく思う。近々、日程を調整したい」という公式の通知だ。
専門の文官が届ける、ごく当たり前の手紙。
そこには王妃様の近況が侍女によって添えられているのは、珍しいことではあるが、特別扱いでもない。
ここまでは、パッとわかる。
だが、王妃様が、わざわざ近況を書かせる以上、必ず意味がある。
【ちかごろ、中庭に咲く百合の花を愛でていらっしゃるご様子。キキョウもお好きだと周囲に漏らされている】
たったそれだけであるが、意味があるはずだった。
「百合に、キキョウですか……」
心配顔で覗き込んでくる夫に、エレーナは、ほほえみ返すと、サラリと言った。
「王妃様は、母の友だちだということを、わざわざお伝えくださいました」
「役に立たなかったがな」
どうやら、まだ、王太子の話を根に持っているのだろう。今までなら言わずもがなな言葉を口に出してみせる。
クスッと笑って見せたエレーナは「おかげで、今は幸せですから」と、言って見せた。その笑顔に、まだ夫は心配顔である。
「君は、意味がわかるのか?」
「おそらく、数日中に、ラソン伯爵家からのお茶の誘いがあるかと。それと、キキョウは……ミラー家でしょうか」
貴族名鑑は、社交の基本。ヴァルツ伯爵家にいた時も、公式の手紙のやりとりは、エレーナの仕事だった。そのため、各家の象徴となる花も、きちんと覚えていた。
だからこそ、王妃様は、その花を「愛でる」「好き」と言う言葉を使っているのだ。
王妃様との公式の面会を終えた後、おそらく社交界に初めて出ることになるだろう。だから、エレーナのために「場を整えた」という報せに違いなかった。
「そんなもの、片っ端から断るから良い」
言葉は普通だが、確信を持っていることは伝わってきた。
エレーナは、笑顔で「ありがとうございます」と言ってから、決意の表情で伝えた。
「シアンは、私を大切にしてくださいますが、社交は妻の務め。いつか、私も参加することになります」
「無理する必要はない」
「まあ、シアンってば。私は、無理なんてしませんよ」
笑顔のエレーナに、カシアンは表情を変えない。
「しかし、時には悪意を持つ者もいるだろう」
「はい。だからこそ、王妃様が教えてくださったのです」
「どういうことだ?」
「ラソン伯爵家の奥様は、王妃様と、それに母とも仲が良かったはず。私も、幼少の頃、お目にかかったことがあります」
「ということは、レナの味方をすると?」
信じ切れない様子の夫を安心させるように、エレーナは笑顔を見せて言った。
「おそらく、ミラー家も、同じなのでしょう。そこで社交に馴れなさいということだと思います」
「だが、そこで無理しなくても」
「好意的な方々でしょうから、無理なことではないと思います。それに」
「それに?」
「何かあっても、シアンが守ってくださるのですから」
そっと、巨躯の袖口に、エレーナが細い手を置いた。
「いや、確かに、何があっても守る。しかし、君が無理する必要なんて……」
そこで、しばらく、侯爵とエレーナは「よせ」と「大丈夫」で言い合うことになるのだが、それはケンカとは正反対。
あまりにも甘やかな言い合いに、さすがのリディアが、途中でお茶を、香りと、そして苦味の強いものに入れ替えて見せる始末であった。
そして、翌日、カシアン侯爵も、そしてエレーナも驚くほどの数の「お茶会」への招待状が届いたのである。
王都の全ての高位貴族家が――子爵家ですら――エレーナを「時の人」として招きたがったのである。
いや、全てのとは、言いすぎであろう。
肝心の…… ヴァルツ伯爵家の当主だけは、いつものとおり、ウワサには関心を向けなかった。そして、その妻は、社交どころの話ではなかったのである。




