フラウ飛んでけ
フラウがケージの中でクルクル鳴いてる。
引っ越す前から飼っていた伝書鳩のフラウ。一度庭で放ったら前の家に飛んで行った。前の家に行っちゃ困るから、外に出せなくなった。窮屈だよね。でも私はいつも一緒にいるよ、フラウ。
せめて部屋に出してあげたいけど、鳩は糞のしつけが出来ないからゲージに入ったまま。かわいそう。
そのうちこの家が自分の家と認識したら出しても良くなるのかな? よくわからない。
今日は日曜でお父さんもお母さんも家にいる。フラウをケージごと庭に出して一緒に日向ぼっこする。
ねえフラウ、お母さんが最近変なんだ。なんだかよくわからないことを話している。私を別の人みたいに言うことがある。この家に引っ越してから何かが変。もともといつも変だけど、いつもとはちょっと違う感じがするの。この間祈祷師さんが来てからますます変。
気がつくと後ろにお母さんが立っていた。
「お母さん?」
「出て行って帰ってこない」
「みんないるよ」
「お前のせいだ!」
お母さんが私を叩こうとする。咄嗟によけたらケージにぶつかって、外れたケージからフラウが飛び立った。
あ……。
その姿を眺めているとお母さんに叩かれた。
「やめてお母さん!」
その声にお父さんが飛び出してきてお母さんを抑える。
「あなた、帰ってきてくれたのね」
「母さん、落ち着け」
「それよりこの女を追い出して!」
お母さんは私を冷たく指差す。
お父さんが急いで暴れるお母さんをリビングに引きずっていくのを私は見つめる。
お母さんが変だ。私を違う人だと思ってる。フラウも飛んでっちゃった。私も前の家に帰りたい。私もフラウみたいに飛んで行けたらいいのに。涙が頬を伝った。
そのあと前の家にフラウを探しに行ったけど見つからなくて途方に暮れた。もう会えないの? 引っ越す前の友達と同じように。フラウだけはいつも一緒にいてくれたのに。
でも、何日が経ってリビングにいる時、ホホウ、という声がした。窓を振り向くとフラウがいた。よかった! 帰ってきてくれた。
でも窓に近寄ると、フラウはホホウと鳴いて飛んで行った。
あ……。
フラウは近寄ってきてくれなくなった。脅かしたから怖がってるのかな。でも、帰ってきてくれた。それだけで嬉しい。
庭の桜を巣にしたのかな。たまにベランダまでは寄ってきてくれることがあって、私はベランダに鳩の餌をおいた。食べてくれる。よかった。
私達はまだ家族だよね。お母さんとはもう家族じゃないのかな。
またそのうち前みたいに仲良く暮らせるといいな。
◇◇◇
思わずギョッとして目を止めた。
柚が血塗れだった。
「九里手さん? 何してる?」
「いらないものをバラしてる」
階段を下りた時の柚の姿に驚いてついていくとそこは血塗れの風呂場。解体された人のパーツ。柚子はその一部を無造作に掴んでキッチンに戻る。廊下に滴る血。コンロには灰汁であふれる寸胴鍋。
肉の煮える独特の臭い。人と思えばなおさら胃がむかつく。
柚の呪いは俺と人体の間をゆらゆらと漂っている。呪いは酷く活性化している。俺も気になるが人体の方も気になるようだ。どちらも柚の捕食対象。だから危険も分散されているのかもしれない。
「それは誰だ」
「リクくん。藤友さんは知らない人だよ」
「冷凍庫に入ってた人か?」
「そう。もう一緒になったから戻らない。だから体はいらないの」
「それ、食うのか?」
「まさかまさか。こうやって煮崩してトイレに流すの。分量あるから大変だけどね」
ただ、処分するだけなのか。
殺しているのは家、柚は後始末しているだけ。
「その作業が好きとか?」
「まさか。すごく大変。変わって欲しいよ。他にいい方法があればいいのに」
作業が一段落したのかリビングの壁に背中を預ける柚と話しながら、俺は瀧本家の会話に耳に傾ける。
今回の1番の目的は対象の特定。瀧本夏観は位波楓なのか、それとも瀧本夏観なのか。瀧本あつりと位波有一の関係は何なのか。呪いを解く対象を選定しなければならない。
「ねえハル、位波楓と位波有一がいる」
「やっぱり憑依してる?」
「ええと、そうじゃなくて、滝本一家以外に位波家の2人がいるんだよ。ご飯食べてる。そういえば前からこの2人はこの時間はここでご飯食べてた気もする。それでこの存在感は、多分ここにはいない。顕在化していない下のバイアスの幽霊」
「でも話を聞いてる範囲で今の瀧本夏観は位波楓だぞ?」
「ええ? どういうこと?」
「幽霊が分裂してるか、そもそも憑依されてないからどちらかかな。聞いてみるか」
だから私は引っ越す
でもあなたも一緒に行くんでしょう?
俺は帰ってくるよ
その女と縁を切って
あつりは俺とお前の子供だぞ?
私の子供は有一と柚だけよ
それは違う 子供はあつりだけだ
「奥さん、あんたの名前はなんだ」
私は位波楓よ
違う、母さんは瀧本夏観だ
それがその女の名前なのね
違う この子は瀧本あつりだ
「位波有一は死んだ。位波楓が殺した」
何を言っているの? そんなはずない。歩く音や笑い声も聞こえるのよ
それは霊だ 生きてない 位波楓もだ すでに死んでいる
嘘よ! そんなの嘘!
「位波楓はどんな人物だ? どこで生まれた? 位波有一の生年月日はわかるか?」
私は…… あれ? 全然わからない どうして
狼狽するような気配。
目の前の瀧本夏観は位波楓が当然有する情報を持っていない。流石にこれだけはっきり自己を位波楓と認識しているなら自分の生年月日くらいはわかるように思える。そしてこの瀧本夏観とは別に、公理さんにはこのリビングの中に下のバイアスにいる位波楓の幽霊が見えている。なら、これは位波楓ではなく瀧本夏観の可能性が高いのかな。
「あんたは位波楓じゃなく瀧本夏観だ。それからあんたらはみんな随分前に死んでいて、死んだ日を繰り返している」
死んでいる……? そういえば、何か変な感じがするな
私は位波楓よ 生きているわ
お母さんは瀧本夏観だよ 私もお父さんもお母さんも随分前に死んでる
違う違う やっぱりこの女のせい なんで私の家庭を壊すの?
お母さん……
「あんた位波有一ばかりだが柚はいいのか?」
柚……? 柚はいつも一緒にいるじゃない?
位波柚は施設で暮らしてると聞いた
そんな じゃあこれは誰なの
「そろそろ限界だ。すまないが2人とも1時間半後に瀧本あつりの部屋に来てくれ。可能なら無理やり瀧本夏観も連れて。正気に戻るかもしれない。今後について相談がしたい」
すでに俺は柚の呪いがまとわりつかれ、嗅覚が失われてからしばらくたった。もうすぐ聴覚が失われるタイミング。触覚は公理さんと繋がる右手以外捨てている。
わかった
わかったよ
そんなことよりこのおんなを
そんな光景を俺の隣で柚が興味深そうに眺めていた。
◇◇◇
「公理さん、大丈夫だ。請園恭生の時と違ってきっちり休憩を挟んでいる。呪いの影響は残らない」
「うん……」
「本当に大丈夫だよ。少し休んだら飯作るから。何食べたい?」
「カップ麺でいい」
「ダメ、ちゃんと休むのが必要。心にゆとりを。じゃあお任せな。んん、ええと。俺が飯作ってる間に、そうだな、柚の好きそうなものとかをピックアップしといて」
「柚の好きそうなもの?」
「そう、次は柚だ。柚に対して武器になるもの、話題、あと地雷とか。話すのに有利になる。ほら、ペンと紙」
「わかった、考えてみる」
公理さんが目に見えてやばい。まずい。
俺は自分の呪いが家の呪いを少しずつ俺から追い出している。そして家の呪いは扉から少しずつ家に戻ってる。だが公理さんはおそらく呪いは滞留したままだ。右指2本の魄を喰われたときにおそらく公理さんに呪いが滞留して、その呪いが公理さんの魂に影響を及ぼしている。これまでの『呪いの依代』と同様に。
公理さんの感情がだんだん平板になって来ていた。人は恐怖に慣れる。感情を殺すことで。でも慣れることと対応しないといけないことは違うんだ。危機は全然去ってない。慣れつつも危機感は持続しないといけない。だが、今の公理さんに負担をかけるのはまずい。極めてまずい。精神が摩耗しすぎている。
俺は家の呪いに対抗するために麻痺する部位の調整をしようとした。視覚が自由に動かせる以上、現実の俺の身体の稼働は不要だ。運動神経は最も先に削れる部位。単純にそう思った。だが公理さんは実験でパニックに陥った。そうだ、公理さんはすでに体が動かなかった。俺はそれを考慮に入れてなかった。そんな公理さんに俺の体が動かないことを確認させる。それは精神的に酷い負担になるはずで。考えればすぐわかる。でも俺は配慮できなかった。
俺は公理さんをただの目だと思おうと思っていた。リスクは全て俺が管理して安全を確保しようと思っていた。そのほうが安全だとおもったから。
だから、配慮を忘れた。なんてことを。すまない。もっと早く向き合うべきだった。必要なのは話し合い。それを怠ったのは俺。相談してほしいと言われていたのに俺の意思を押し通した。糞。
公理さんが酷いパニックを起こしているのはひと目でわかった。だから公理さんに癒しが必要だと思ったんだ。一旦リセットして負の感情を薄めるのが効果的。つまりゆっくり休んで切り替える。強い意志があればある程度は侵食は防げる。それは俺で実証済みだ。
だがリラックスさせようと思ったらさらに逆効果だった。
リラックスというのは抵抗を弱めることだ。公理さんは、俺もだが、失った部分と呪いは繋がっていた。公理さんはその繋がりから呪いが入ってこないよう気を張り詰めていた。けどそれをやめたから、水溶液が浸透圧を超えてくるように公理さんの中に呪いが滲み出てきてさらに呪いが混ざった。既に一度混ぜていたから、公理さんは呪いに混ざりやすいのかもしれない。
公理さんの魂が少し呪いに食われた気がする。パニックは収まったけど、公理さんの様子がまた平板になり、ぼんやりし始めた。少なくとも汚染は進んだ。呪いから出た後少し休ませたがあまり回復していない。どんどん泥沼に落ち込んでいる。
失敗した。駄目だ。俺のせいでこの人が不幸になる。それは嫌だ。物凄く。耐えられない。だが、どうしたらいい。一刻も早く呪いを解くしかない。それまで保たせないといけない。
公理さんは呪いを肯定しかかっている。呪いの中に入ろうとした。今までならそんな簡単に行ってこようとは考えなかったはずだ。
抵抗力はおそらく回復していない。寧ろ失われた気がする。こちらに繋ぎ止めるにはここにいないといけない理由を公理さんの魂に刻むしかない。とりあえず仕事を振ってみた。
保つか?
それにもう一蓮托生だ。公理さんがいないと夜が超えられない。2人とも死ぬ。




