あなたはだぁれ?
最近お母さんがこわい。
お姉ちゃんがお部屋から出てこない。
お母さんが怖い。
僕もお部屋欲しい。
お母さんは前はとてもやさしかったのに。
この家にきてから違う人になったみたい。すごく怖いよう。
助けて。誰か助けて。
ずっとそんな毎日で、今日お姉ちゃんの部屋のドアを叩いたらそのままするっと部屋に入れて、部屋に入ったら知らないお姉さんがいた。
だれ!? 怖い。お姉ちゃんどこ!?
お姉ちゃん、ふえ。どこにいったの!?
……でもお姉ちゃんのお部屋はお母さんがこない。もうちょっとだけここにいてもいいかな。
……このお姉ちゃん誰だろう?
お姉ちゃんのお友達かな。
「あの、お姉ちゃん知りませんか。柚ちゃんっていうの」
お姉ちゃんなんかすごく集中してる。
ずっと机に座ってる。
何をしてるんだろ?
……。
「ええと、あの」
……。
なにしてるの?
ちょっとみせて?
どきどき。
「わあ!」
すごい、すごい、飛行機の絵。
すごい、かっこいい!
これ全部お姉ちゃんが書いたの!?
すごい! すごすぎ!
「お姉ちゃん、みててもいい?」
……。
いいよね?
◇◇◇
顔にかけられた濡れタオルをはぎ取る。
殺す気か!? ……いや、助かった。俺が用意したんだった。家の協力が得られない可能性がある以上、強制的に起こすために。
「ハル、大丈夫!? 減ってない!?」
「んん……大丈夫だ。なんだかまだ体が気持ち悪いけど」
なんだあの状況。
いや、まずは危険性の確認だ。荒い息を整える。
今後夢に入るべきかどうか。今のところ、柚の呪い自体は夢に現れていない。それは予め家が確認した。柚の呪いが夢を渡ることができないとは言い切れないが、とりあえず今は大丈夫だった。
それにあの家の中の空気。柚の部屋は何ともなかったが、廊下に出た途端呪いが充満していた。ただ俺を襲う感じではなかった。家は部屋を出る前にその雰囲気も確認していたのだと思う。実際に廊下に出ても、呪いに囲まれた感じはあったが襲われはしなかった。ならあれは瀧本家の『呪いの媒体』なんだろう。
ただ瀧本家の母親が瀧本あつりを殺すと言ったときに殺意をもった『呪いの媒体』があふれ出た。あの殺意は瀧本あつりに向けられたもののように思えるが、全てに対して攻撃的で、空気に滲み出るように呪いが拡散されていた。だから俺に触れていたら食われていたかもしれない。
額の傷の警告も強い生命の危機を示していた。
結論として、何もなければ俺に対して直接の危険性は乏しいだろう。しかし一度呪いがあふれれば危険性は今までより格段に高い。おそらく母親が瀧本あつりに殺意を振り撒けば危険だろう。入った時に既に染み出ていれば即死の可能性がある。
あの時点以降の夢に入るのはリスクが高すぎるな。
それから廊下に出た時に家の気配は喪失した。呼びかけもなかった。
「扉は家が開けてくれた?」
「うん、最初から少しだけ開いてた。予定通りだね」
そうか。家は位波有一の姿を借りていると言っていた。位波有一の霊と干渉するかもしれないから柚の部屋に止まると言っていた。実際に干渉するかはわからないが今したいのは事実の確認だ。不確定事項は少ない方がいい。
目的の確認。瀧本家の繰り返す1日を終わらせること。そのための原因とアプローチ方法の検討。
父親はずっと父親だった。
母親は瀧本あつりが誰かわからないようで、あつりを憎んでいるようだった。
瀧本あつりは途中から自分を有一だと言っていた。
「これってあれだよね、あつりちゃんのお母さんに柚のお母さんが取り憑いてて、あつりちゃんには有一君が取り憑いてる感じ」
「母親はずっとそんな感じだったが瀧本あつりは途中まであつりだったぞ」
「ううん、確証は持てないけど、有一君はお母さんを何とかしたくてあつりちゃんに乗り移ってたんじゃないのかな」
「そうすると瀧本あつりの母親にあつりがあつりだと認めさせればいいのかな。貝田弘江の時みたいに」
「大前提として、あつりちゃんのお母さんに自我はあるのかな」
確かに最初からずっと柚の母親だった。自我がなければ説得なんてできない。そもそも位波の母親は瀧本あつりの母親ではないのだから。どうしたらいいんだろう。
「お母さんがどんな人だったか柚に聞いてみる?」
「柚はあの家にいたころの記憶はないらしい。無理だろう」
◇◇◇
「瀧本の母親は最初からああなのか?」
「ううん、最初は普通の人だった。なんか変になったのはね、霊媒師っていう人が来てからなの」
「霊媒師?」
「そう、この家のお祓いをしていった。そうしたら、柚ちゃんのお母さんと瀧本さんのお母さんがまざっちゃったみたいなんだ」
「位波有一と瀧本あつりは?」
「有一君とあつりさんは別にまざってはないの。でも瀧本さんのお母さんが呪いを生み出し始めてから、この部屋の外に出るとおかしくなっちゃうんだ」
「瀧本の父親は異常はないようだったぞ」
「影響がない人もいるんだよ」
俺たちは呪いを解いて瀧本一家の死を止めないといけない。夢に入れない以上、手掛かりは直接家に聞くしかない。
ということで本日2回目の家訪問中だ。
瀧本の両親はまだ帰宅していない。公理さんの話では、瀧本あつりは帰宅して今同じ室内にいて漫画を描いているらしい。そちらも気になるが時間制限のある家を優先だ。
「有一や位波の母親と話せないかな。お前、有一の姿をしているんだろう?」
「僕は姿を借りているだけ。瀧本さんも一日を繰り返しているだけなんだ。位波さんは瀧本さんと混じってからわからなくなった」
「瀧本の母親が根幹ならその死をとめないといけないんだよな……。でも瀧本の母親を動かしているのは位波の母親なのか。瀧本の母親は今存在するのか? あの体の中に」
「よくわからない。僕が見えたのは、霊媒師が来たあとに位波のお母さんがいなくなって、瀧本のお母さんが位波のお母さんみたいになったってこと。本当は瀧本のお母さんのままなのかもしれない」
「殺しを始めるのは瀧本の母親か?」
「ううん、あつりさん。ごめん、そろそろ時間。またね」
家の声が消える。
『呪いの依代』はおそらく『呪いの媒体』を吐き出していた瀧本の母親。『黒い幽霊』は位波の母親? でも惨劇を始めるのは瀧本あつり。ずれがある。あつりに話を聞こう。原因がわかればいいが。
「最近母親が変なのか?」
最近というよりは昔からこうな気はする
「昔から?」
そう 昔から悩み始めると変に思いこんじゃうんだ
そうなると 話を聞いてくれなくなる
お父さんに聞いたけどそういう病気なんだって
まあ今回はいつもより酷いとは思うけど
でももともとは優しいんだよ
優しくてどうしていいかわからなくなるんじゃないかな
だから色々鵜呑みにしちゃうんだよね
なんだか妙に達観しているな。呟きからは中学生という年齢に見合わない妙な諦めが感じられた。
「それなら説得できないかな」
無理だろうなぁ 今は私を別の誰かだと思いこんでる
一度思い込んじゃうとね それを守ろうとしちゃうから やっぱり無理
ここに引っ越してきたのもそのせいでねぇ
「そのせい?」
そう 前に住んでいたところでさ 嫌がらせされてると思い込んじゃって
それで家から出られなくなって
あれはなんだったかな 近所の奥さんにどうでもいいこと指摘されたんだ
思い込んじゃうと駄目なんだよ 引っ越してリセットしなきゃ
だから私が引っ越そうと思って
「引っ越す?」
お父さんと相談して 私だけ一時的にどこか別のところに住もうかなと思ってるんだ
それを今晩話しあおうと思っている
お母さんは私に出て行って欲しいみたいだし
おちついたら帰ってまた一緒に住むんだ
ここは『幸せなマイホーム』らしいから
今度はそう思い込めるといいんだけど
なんだか寂しそうな、随分と大人びた声。同じようなことがこれまであったのかもしれない。
中学生と聞いたが、これなら話しても大丈夫だろうか。
「瀧本あつり、真面目な話がある」
なぁに?
「あんたはもう死んでるんだ。死んで同じ1日をくり返している」
えっ ……そう なの? あれ そういえばそんな気も
えっ!? じゃあ私毎日同じ漫画書いてるの!? うそ! ショック
ちょっとまて、気になるのはそこなのか?
「死んだことに対してどうとかはないのか」
いや、それはびっくりしたけど
確かにそう言われるとそういう気がしたし
むしろもう悩まなくて良いんだって思うとスッキリしたというか
まあ死んじゃったものは仕方がないような気もするし
なんだか達観しすぎな気がするが、瀧本あつりから何かホッとしたような空気を感じた。
家庭内の不和というのは苦しい。おちつける場所でおちつけない。俺も新谷坂の寮に引っ越すまではそうだった。瀧本あつりは飄々としてるように見えたけど、やはり無理して苦しんでいたのかな。それはそうだよな。
ねえ、私漫画賞に応募したんだけど結果どうなったか知らない?
「……後で調べてみる。どこのなんていう賞?」
漫談社のかながわてつや賞っていうの
タイトルは『ミ=ゴの嬉し恥ずかし朝帰り』でペンネームは『嵐のゴルゴ田』
思わず吹き出して咽せる。俺の物心つく頃の女子中学生ってこうなのか? いや、違うよな? 一般的ではないよな? うん。
「……ええと、調べておく。それで俺はこの繰り返す毎日を終わらせたい」
わかった そうだね それがいいよ
どうすればいいのかな
「基本的には繰り返しを止めて、あんたたち家族がこの家を出ていけばいい。明日の朝、あんたは母親を包丁で刺す。それで母親もあんたを刺す。父親も刺されて死ぬ」
えっ一家心中? 前の事件みたいじゃん
「位波の事件を知っているのか?」
うん 有一君がお母さんに刺されて死んだって教えてくれた
そのせいで私もお母さんに刺されるのかな……
「経緯は正直よくわからないが、結果としてみんな死んで一日が巻き戻るんだと思う」
……私はどうしたらいいんだろう
「死んでいると伝えても母親を説得するのは無理そうかな?」
お母さんが私の話を聞いてくれるとは思えないな
「方法は一緒に考えよう。そういえば位波有一が母親を説得するのは無理なのか?」
有一君? 最近はあんまり来てくれないかな
お母さんは私が有一君だって言っても信じてくれないんだ
あれ? でも私は有一君じゃないんだけど なんでそんなことを言ったんだろ うーん?
「例えばあんたも位波有一に憑依されていたりしないか? 違和感はないか?」
憑依? ううん、そんな感じはないけど……
違和感ねぇ よくわからない
あ そういえば私死んじゃったんだよね
フラウはどうなったんだろう
「フラウ?」
そう、鳩を飼ってるんだ 伝書鳩
前に脅かしてこの家になかなか近寄ってくれなくなったんだけど今はまたベランダまではきてくれる
前みたいに仲良くなりたいんだけど
鳩。神目教団が飼っていたあの鳩かな。伝書鳩。『黒い幽霊』になっていた。
「……大丈夫、フラウは次の飼い主がちゃんと飼って餌をあげてくれる」
そうなの? よかった
いつも朝に餌をもらいにくるんだ
お父さんもお母さんもここは『幸せなマイホーム』だって言うけど 私はフラウみたいに前の家に飛んで行きたかったんだ
飛んで行く、か。ひょっとしたら集団自殺事件の『黒い幽霊』は瀧本あつりのこの飛んで行きたいという思いだったのかもしれない。それが信者を変質させた。皮肉な話だ。
結局の所、神目教の信者の魂はどこかへ飛んで行けたのかな。瀧本あつりが黒い幽霊になったのだとしても、おそらくその思いは飛んでいきたかっただけだ。
この呪いはやはり何かがおかしい。目的と効果がずれている。呪いは何がしたいんだ。
「そうか、また来る」
わかった 漫画賞調べといてね
俺は部屋を出て1階のリビングに向かう。家に聞いた開口部を確認する。
確かにリビングの窓から出られる。よし。今はここまで。




