1-1、中華異世界……っておじいさん!?
一、麒麟宮の金栄皇帝
小さく『みー』と鳴く麒麟の赤子を見て、後宮住まいの妃たちはめろめろである。
後宮には下級・中級・上級妃がいるが、その頂点が五行の妃、つまり霊獣の名をかんする妃である。
中央の麒麟を司るのが皇帝の宮で、そこを囲むように東方の青龍、南方の朱雀、西方の白虎、北方の玄武。
その妃に囲まれるのが、霊獣を従える神女、瑞希。
「まったく、誰の後宮なのだかわからない」
この国には霊獣が存在するが、瑞希が来るまでその力は弱りに弱っていた。
時は数カ月前にさかのぼる。
瑞希は、七回忌を終えたその足で、住職を送り出して旦那であるしわくちゃのおじいさんの写真を持ち、トボトボと町を歩いていた。
そこは霊獣などそんざいしない、ただの島国、ニホン。
「おじいさん、私はおじいさんと同じ年齢になってしまいましたよ」
瑞希はつぶやきながら、遺影を持つ。その手はしわくちゃだ。御歳八十二。酸いも甘いも噛み分けた、老練の管理栄養士である。
瑞希とその夫は、長年連れだって割烹を開いていた。
おじいさんが死んでからも、瑞希はその割烹を守り続けた。
けれどもう、そろそろ潮時だ。
「おじいさん、私もそちらに行っていいですよね?」
その時、目の前の路地裏に、赤・青・黄・白・黒の光の玉が見える。
「え、なんでしょうか、おじいさん」
その球がひときわ輝いたかと思うと、瑞希はもう、そこにはいなかった。
目を開けると、体が軽い。
何者かに拘束されて、なにか見慣れぬ建物――まるで中華ファンタジーの世界の中のような荘厳なつくりの建屋の真ん中に座らされ、今まさに尋問を受けていた。
「そなた、五行の神女なのか?」
上座、最奥の高い場所から見下ろすその人物に、思わず。
「おじいさん!? なんで!? 死んだはず、いや、そもそもなんで」
あの姿は、瑞希が夫と結婚した当初の、若いころの姿そのものだ。
「ああ、私ばかりが年を取って」
「なにを言っているんだ、そなたは。そなたはわたしと変わらぬであろう?」
目の前に置かれた拷問用の水桶――これに顔を浸けて呼吸を制限し、真実を白状するまで使う拷問器具だ。
その水に移る自分の姿を見て、瑞希は二度目の驚きに声を上げた。
「おじいさんにプロポーズされた日の、私だわ!」
二十五歳の時の、若く美しい――いや、美しいかは知らないが。
とにかく、若いころの自分の姿が映っていたのだ。
「なんで……」
目の前には若かりし頃の旦那の姿――服こそ中華風なものの、見間違うはずがない。
七回忌の帰りに、こんな夢を見られるなんて。
「おじいさん、ここは天国なのですね」
「なにを寝ぼけたことを……珍妙な衣を着たおなご……よもや、五行の神女かと思ったが」
皇帝が玉座を降りてきて、まじまじと瑞希の顔を見る。思わず瑞希は顔を赤らめる。無理もない、この皇帝、六十年連れ添った旦那と瓜二つなのである。
ここで、瑞希はあることを思い出す。
「あ……! おじいさんの遺言!」
息を引き取る際、おじいさんは瑞希にこう言った。
「ばあさん。わしは実は、遠いご先祖が中華の皇族なんじゃ。じゃから、ばあさん。ばあさんはわしにとって、いつだって姫君じゃったよ」
そんな、不可解な言葉を残したのである。
その後、遺品整理でそれらしき家系図も見つかったのだが、あれはおじいさんの慰めだと思っていたのだが。
「きっと皇帝陛下は、おじいさんのご先祖なのだわ!」
「先祖……? そなた、なにを」
皇帝がやや引き気味に瑞希を見る。
瑞希は捕らえられた格好のまま、
「私にできることがあれば、なんでもします。私がこの世界に来たのは、おじいさ――皇帝陛下をお助けするためなのだわ!」
瑞希は自信満々に告げた。つまり、皇帝の死はおじいさんの存在否定につながる。
ここで瑞希が皇帝を助けられなければ、未来でおじいさんと出会えない。だから瑞希は、皇帝を助けることを即決した。
周りがどよめく。
少なからず、「この世界に来た」と瑞希は言った。つまり、瑞希は本来、この世界の人間ではない。
そう理解し、帝は瑞希の縄を解いた。
「そなたが本当に五行の神女なのか、確かめてからでも処刑は遅くはあるまい」
そうして、瑞希の異世界生活が幕を開けるのだった。
「時に、麒麟さまのお供えの料理を……くっ」
と、皇帝が腹を抑えてうずくまる。
瑞希ははて、と首を傾げた。
「おなかが痛いのですか?」
「そなたは……知らぬのか。この国では霊獣が衰退している。それを管理する妃、ひいては皇帝であるわたしが呪われたからだ」
「はあ……呪い。それは、あなたさまのように、腹痛や頭痛といった?」
皇帝が内官から煎じ薬をもらうさまを見て、さて、瑞希は首を傾げた。
「お飲みの漢方は?」
「加味逍遙散……」
「加味逍遙散、と言えば、神経の高ぶりを抑える」
それがなぜ、腹痛で処方されるのか。
瑞希の職業病が発症する。
瑞希は管理栄養士である。しかし、それは『無試験でとった国家資格』であるため、ほかの管理栄養士によく思われないのも承知している。
栄養士制度ができたあと、国が管理栄養士の国家資格を定めた。その初期は、指定の養成施設を卒業すれば管理栄養士になれたのだが、その後国家試験が課されるようになった。
瑞希はそのころには旦那と結婚し、旦那の割烹で女将として働いていた。
割烹の客の栄養相談を担当していたのだ。
だから、瑞希は呪いなんてものは信じない。
「あの、皇帝? 皇帝さまは、なぜ呪いなどとおっしゃるのです」
「それは、わたしが中央を司る霊獣、麒麟さまをまともにお世話していないため……麒麟さまは土を司る霊獣。土の気が不足し、痩せた土により作物が育たない。その呪いのせいで、わたしにも土の気が滞っている」
なるほど、薬膳の処方ならば、土は黄色い食べ物や炭水化物。
基本的に土を病んだら土のものを食べる、が薬膳の基本だ。胃が悪くなるとされる。
だったらこの皇帝は。
「では、私がその呪い、解きましょうか」
「なんだと? そなた、聞いただけでわかるのか?」
「いや……確証はありませんが」
土が病んでいるから、おそらく食事は炭水化物に偏る。
この世界が中華世界ならば、米か小麦がそれにあたるだろう。
見たところ、土が枯れていると言っていたから、まともな野菜も取れていないようだし。
「では、厨房を借りられますか?」
「……しかし、そなたのような得体のしれないものを」
「いいから。黙って任せなさい。亀の甲より年の功、ってやつさね」
なにをこのうら若い娘は言っているのだろうか。
その場にいた誰もがそう思ったに違いない。




