第9話:遼真の焦り――“元恋人”が業界の光に立ったとき
「……あの女、戻ってきたって?」
東條遼真は、深夜のバーでウイスキーのグラスを指でなぞりながら、呆然とつぶやいた。
目の前のタブレットには、複数の芸能ニュース。
「朱音マリア、CM発表会見で見せた“女優としての覚悟”」
「若き演技派女優、ついに映像業界進出」
「16歳で姿を消した“白雪茉莉”、改名後の快進撃」
記事には、彼の知っている“茉莉”とはまるで違う女が写っていた。
強い目。鋭い言葉。まっすぐな背筋。
――これはもう、“少女”じゃない。
「……違うだろ」
遼真は苦々しく呟いた。
あの頃、茉莉は確かに未熟で、表情も乏しく、演技力も凡庸だった。
だから捨てた。
だから、簡単に手放せた。
それが正しかったと、ずっと信じてきた。
――そのはずだった。
「……焦ってんの?」
カウンター越しに声をかけてきたのは、かつてマリアのことを陰で嘲笑っていた女優・桐島瑠衣だった。
「元カノが“主役の顔”になって、トレンドにまでなっちゃって。ねぇ、遼真くん」
「……うるさい」
「怖いの? あの子が戻ってきて、“本当の主役”になったら、今度は君が捨てられる側になるかもって」
遼真の目が鋭くなる。
「俺が捨てたんだよ。俺が価値がないって判断したんだ」
「でも、今の彼女には価値がある。みんな、彼女を見てる」
沈黙。
遼真はグラスを置き、口元を歪めて笑った。
「……だったら、叩き落とすまでだ」
「叩き落とす? 今さら? 彼女はもう、誰かの“保護下”だよ」
「関係ない。俺は芸能界の“現実”を知ってる。夢や正義だけで這い上がれる場所じゃない。
……あいつがどんな顔で戻ってきても、また潰してやるよ。昔みたいにな」
翌日、遼真は所属事務所の幹部会議に呼びかけた。
「……朱音マリアの再浮上が業界に与える影響は、決して小さくない。彼女が持っている情報、過去の交際、我々のマネジメント体制――全部、危険要素だ」
「つまり?」
「簡単です。表に出せない“真実”を、こちらから先に出しましょう。
彼女が16歳のとき、感情的に現場放棄したこと。演出家に噛みついたこと。……記録、残ってますよね?」
静まり返る会議室。
「“彼女が感情的に業界を去った”――そういう形にしてしまえば、今の人気も一時的なものに過ぎないと印象づけられる」
「……でもそれって、潰しにかかるってことじゃ?」
「そうですよ。潰すんです。“消えるべきだった女”が戻ってきたんだから」
その頃、朱音マリアの元にも、別の情報が届いていた。
マネージャーが手にした資料を見て、静かに言う。
「……東條遼真が動き出したわ。“昔のあなた”を世間に出そうとしてる」
私は目を閉じた。
――来たか。
だが、私はもう16歳じゃない。
泣いて逃げて、国を離れた少女じゃない。
今の私は、反撃できる。
この芸能界という舞台の上で、“真実の演技”を使って勝つ。
復讐の火は、今や業界全体を巻き込む戦火になろうとしていた。
だけど私は、逃げない。
過去を握るなら、私もまた“未来”で焼き尽くしてやる。