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8/11

幕間 #1


 左手に提げた袋に入っている、今日観た映画のパンフレット。

 ただの紙の冊子だから、光ったり、熱を発したりはしないし、周りに何かを起こすものであるはずがないのに、私にはそれが親しみと馴れ馴れしさをもって呼びかけてくるように……誘惑に近い何かを撒き散らしているように感じた。


 義理の家族をなかったことにする……。


 映画の中で、そう女の子の独白が流れたときに、私の背筋はすっと冷えた。


 伊藤君と楽しそうに、月曜日の学校のことなど話しながら、私の横を悠揮が歩いている。


 もし、全てがなかったことになるんだったら……。

 今ごろ私の横には、悠揮はいない。悠揮どころか、誰もいないかもしれない。どこかの施設に預けられて、親もなく、友達もなく……少なくとも今みたいには暮らしていなかった。それくらいはわかる。映画館の暗闇の中で、そんな想像をして、身の縮む思いがした。


 でも……私は、あの女の子の考えに共感するところも、ちょっとあった。


 あそこまでドラマティックな考えかたはしないけれど……どうして私だけ、とか、生まれてこなければよかったのに、とか、ネガティブな感情が湧いて出てくることはある。隠そうと思っていても、表に出てきてしまうことはあって、それで悠揮と喧嘩したこともあったはずだ。


 今をなかったことにしたところで、私の元の……古館の家に、幸せな未来があるはずはない。それはよくわかっている。映画の中の女の子は実親を事故で失っていたから、私とは事情も違う。

 あの子には懐かしむだけの、その場所に帰りたいと願うだけの家族の思い出があった。私にはそれがない。


 ただ、親戚でもない人に迷惑をかけてまで生きて、それで窮屈な思いをするくらいなら……何もかも投げだしてしまいたいと、時々思うだけだ。


 そんなふうに思うのはいけないことだとも思う。稲橋家の皆、悠揮のお父さんとお母さんと、悠介君と悠奈ちゃんと、それから悠揮が、私のせいで恥ずかしい目になんて絶対遭わないように、私は立派な人間になりたいと思う。けれどたまにどうしようもなくやってくる後ろ向きな気持ちが、映画の中に鏡のように現れた気がして、それが(この言い回しが正しいかはともかく)面白かった。


 悠揮と伊藤君は明日の教科書配布について話している。二人とも先生の言うことを話半分に聞いていたようで(いつものことながら)、私に話を振ってくるんだろうなと思ったら、数秒後に予想どおり訊いてきた。学級委員と各教科のクラス係が会議室から手分けして教室に持っていくことを伝えたら、「じゃあオレは体育係だから関係ねーな」と伊藤君が言い、「保健のワーク新しいの来るかもよ?」と悠揮が返す。


 きっと自分は、運がよかったんだろう。

 親が死んだわけじゃないから、遺産がついてくることもなく本当にただのお荷物でしかない私を、置いてくれる家があったこと。周りに嫌な人よりも、優しい人のほうが多くいたこと。ずっと仲良くしてくれる幼馴染みがいること。


 幼馴染み――悠揮のことだ。私は悠揮が好き。別に、そういう意味じゃないけど……そういう好きではないけれど、一緒に登下校したり、映画を観に行ったり、そうやって毎日を過ごしていると、私はすごく安心する。自分の居場所に足をつけて立っているのだという気持ちになる。


 ちらと横を見た。今日も悠揮は、頭の後ろのところが寝癖ではねている。言ったほうがよかったのかな。ほんのちょっとのことだから、わざわざ言わなかったのがよかったのだろうか。

 悩ましい。もう少し、自分のことにも頓着したらいいのに。


 悠揮は間違いなく気づいていない。私がわざわざ飲めもしないパインジュースを頼んだわけを。きっと作利川さんのオススメを無碍にもできなくて頼んだのだと思っているに違いない。私のことを、人見知りが高じてとことん押しに弱い人間だとみている節があるんだ、悠揮は。たしかに、少し……いや、だいぶ……悠揮と比べれば月とすっぽんで私は人付き合いが苦手、だからあながち間違いとはいえないけれど、自分の好き嫌いを主張するくらいはもう私にもできる……きっと。


 理由は別にある。

 誰が持って帰ってきたのか、食卓の上に小学校のプリントとまとめて置いてあった、地域の情報ペーパーに、今日行った映画館の広告が載っていて、そこにこう書かれていたのを、以前見ていたから。


 < 幸せの黄色いパイナップルジュースを、大切な人と一緒に飲むと、一生切れない縁ができるかも!? >


 そのときは何とも思わず(むしろ冷ややかに思ったかもしれない)読み流したはずが、何の因果か件の映画館に行くことになって、つい――由来も知らない、誰が考えたのかも定かでない――神頼みをしてしまった。


 飲みきれないのはわかっていて頼んだところがあるから、悠揮には後ろめたさを覚えるべきなのに……おまじないがうまくいって、私は嬉しく思ってしまった。


 今はこうして一緒に歩いていても、いつまでもお世話になるわけにもいかないし、いつかは私は稲橋家を離れ、悠揮とは違う道を行くことになるのだと思う。

 それはそれで、覚悟している。


 だけどやっぱり、確かなものが、私は欲しい。


「じゃあ、また月曜に」


「ああ」


 歩き慣れた住宅街の中、道を突きあたった公園入口の前で、悠揮と伊藤君は帰り道を分かつ。


「古館も、またな」


「うん」


 反対に向かう伊藤君の背を数秒見送ってから、私と悠揮は同じ方向に歩きだした。


 遊園地のアトラクション全部乗りつぶした、という感じの、満足でいっぱいの息を吐く、悠揮の横顔は夕陽に照り映えている。


「今日の夕飯なんだろうね」


「うどん」


「昼に食べただろ……」


 くだらない話をしながら一緒に帰ることのできる幼馴染みとの縁が、太く長く、切れないものでありますように。











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