2-2 交差
「ずーるーいー!」
悠介が、靴に足を差しいれた僕の脇を押し通って、玄関扉にぶつかる勢いで飛び出した。勢い余って扉にバタバタ手形をつけながら乱暴にふり返り、その場に立ちふさがって僕と美奈を見下ろし、叫んだ。
「兄ちゃんたちだけ出かけすぎ!」
「友達と遊びに行ってるんだよ。お前だって行くだろ」
先回りされたか。舌打ちを隠して言いかえすと、悠介は玄関ハンドルをガチャガチャいわせて抗議する。
「おれは電車使っちゃだめなのに」
「んなこと言ったって駅より遠いとこ行かねーだろ。ほらどいて」
「やだ!」
玄関土間に陣取る悠介は、鉄壁のゴールキーパーの構えだ。
夜桜町の夜のお花見、予定日当日。今日は僕と美奈は夕飯がいらないということを、前もって母さんにだけ伝えておいた。そうして秘密裏に家を出ようとしたら、めざとい(うざいほどに)悠介と悠奈に察知されて捕まり、すぐに、なんでどうして説明してくださいの波状攻撃が始まり、僕らが出かけてゆくとわかったとたん、やいやい騒がれた。まったく予想どおりだ。嬉しくない予想どおりである。
自分が小学生の頃、遊び場は家の近所だったから、友達の家でゲームをしたり公園でサッカーをしたりするときにはよく悠介が、ときどきは悠奈もついてきていた。それが中学生になって、僕らの“遊び”が変わって、彼らを家に置いていくようになったことが、やっぱり面白くないらしい。
めんどくさいなー……とふり返ると、母さんがやれやれと悠介を促す。
「邪魔しないで戻ってきなさい悠介、靴下でそこ降りないの」
「やーだー」
近所の猫より聞き分けの悪いやつだ。
一方で、母さんに後ろから両肩を抱かれている悠奈は、悠介のように「自分も出かけたい」アピールをしてくるわけではなかった。ただしゃにむに手の甲で目をこすりながらこう言った。
「うえぇ……」
「泣くなよ……」
家では最近、夕飯までの少しの時間、『マルコ航路9』という発売されたばかりのレースゲームを遊ぶ流れが定番になっていた。しかし今日においては、僕と美奈という対戦相手がいなくなるので、満足に遊べない。それで悠奈はべそをかいている。
悠奈は、家族内ではマルコ航路、略してマル航のプレイングが一番上手い。次いで僕と美奈の順。悠介は下手ではないが、負けが込むとすぐやめたがり、母さんははっきり下手なので、悠奈からすれば本日のお楽しみがいきなり潰えたところなんだろう。
そんなことにいちいち構っていたらお兄ちゃんは務まらない。
「また今度な」
「明日!」
「明日は部活の友だちと遊んで宿題するから」
「やーだー!」
しまった。馬鹿正直に言うものでもなかった。
扉の前では口を真一文字にした悠介が同じ位置から一歩も譲らず、廊下側では悠奈が地団駄を踏んで泣いて騒がしい。前門と後門の二匹のチワワに挟まれて、美奈はどうする手立てもなくおろおろしている。
……まったく。ここで二の足を踏んでいたら、トシとの約束の時間が過ぎてしまう。突破口を探した僕は、まず、美奈の背をそっと玄関扉へ押しやった。すると悠介は、美奈にはやや遠慮して、突っ張っていた両手をちょっと緩めた。
戸惑ってこちらをふり返る美奈。「先に出てて」と囁くと、こちらの様子を気にしつつも、靴箱に背を擦るようにして、門番の端をすり抜けて玄関を出ていった。悠介は見ないふりを決めたようだ。紳士なところは褒めてやらんでもない。が、僕も出してもらわないと困るのだ。美奈の無事な脱出を見届けてから、おもむろに腕まくりをした。
半開の玄関にまたがる悠介バリケードの脇を吹きこんできた、春の勢い風をはね返す剣幕で、僕は前へと一歩、踏み出し、その横っ腹を引っつかむ!
アンド、指の運動。
「あはははははは! タ、タンマ、兄ちゃ、この、この!」
5分後。
せっかく今日は寝癖のなかった髪をぐっちゃぐちゃにされ、「明後日は絶対だよ!」という泣き声に背中を押され、僕は玄関を出た。
家の玄関は、大雑把に俯瞰すると建物の角にあって、内にくい込む形で玄関ポーチとなっている。せり出す二階の廊下を一本の柱が支え、地面より一段高いタイル張りのポーチに降りる。柱を境にして、正面は駐車場と門、横へ出れば庭だ。
柱の手前に美奈がいて、変わり果てた僕の髪型に視線を向けながら「来てる」と囁きをよこした。
見れば郵便受けの前の道路に3人、既に待ち合わせ相手の姿があった。トシと、トシのお姉さんと……もう一人はたぶん、トシのお姉さんの先輩だ。
「悠揮」
「あ、おまたせ」
今回の夜桜見物の保護者役として、トシのお姉さんに来てもらうという話だったが、お姉さんもまだ未成年なので、さらに先輩を呼ぶと聞いていた。お姉さんの先輩というから、女の人だと勝手に思っていたら、男の人だった。
「悠揮くんちはいつも賑やかだね。ちょー元気な声したけど、ケンカしてたの?」
ふわふわと波打つなんちゃらブラウンの髪に、顔も格好もほわほわ~っという擬音が似合いそうな、優しい草食動物に似た雰囲気を漂わせているのが、トシのお姉さんのアヤさんである。思いきり面白がっている笑顔をしていた。
恥ずかしい。中途半端に語彙が育ってきた悠介がさっき口走った「地獄で風呂を洗え」とかが近所に響いていたと思うと余計に恥ずかしい。頭を掻きながら、こんにちは、と挨拶をして、急いで門を開けた。
よっ、と手を挙げたトシ。それから、トシよりもいくらか背が低く、門扉から頭が出ないので駐車場の前にずれていたお姉さんも門の前にやってきて、やっ、と手を挙げた。この二人は前から顔なじみだ。
で、もう一人は……(じろじろ見ては失礼なので)ちらっと見ると、その男の人は、僕らからはだいぶ大人に見えるアヤさんよりも、さらに年上という印象がした。アヤさんが高3で、その先輩なんだから、まあ当然か。高校生じゃなければ、大学生? それとも飛んでサラリーマンか? どことなくトシと似ている……いや、顔つきは全く似ていないのに、まとう雰囲気がサッカー部とかの、そう、例えばサッカー部顧問の辻原先生なんかと似ている。
「姉ちゃんの彼氏」
間をつなぐ立場だと気づいたトシが、気安い口調でさらっと言った。
その、さらっと言った内容が内容で、僕はつい失礼どうこうを失念して、その人をまじまじと見てしまった。
彼氏だって。トシのお姉さんに彼氏がいたなんて。
驚きだ。もちろん、高校生だから、いたって何も不思議ではないんだけれど……いなさそうだったというとこれも失礼な字面になるが、それはアヤさんがモテなさそうとかいう意味合いじゃなくて、僕はてっきり、アヤさんはおよそ彼氏というものに向く熱量と呼べるものが全部弟であるトシに向かっていて、それで……。
「ヤバい! 今の言いかた好きかも! 『姉ちゃんの彼氏』だってイイ! いひひぃ、イイよトシくん、もっかい言って!」
こんなふうになっているのかと思っていた。
いひひ、って。そんな笑いかた、白雪姫に出てくる悪い魔女のほかに知らない。
ヤバいのはお前だとばかりに目を逸らすトシの肩を、アヤさんが軽く揺さぶる。ねえもう一回~、とねだる手を乱雑に振りはらわれて、それでもアヤさんは嬉しそうな笑顔を崩さない。
「綾子、敏典がうざがってるよ」
当人もまた、さらっと言った。気後れの欠片もなく、綾子、敏典と呼んだ。
……ひとつの家族に部外者の「彼氏」が加わっている、生々しさ? 知らない一面? なんとも表しにくいが、決して表面上では済まないものを感じて、こっちがどぎまぎしてしまう。
彼女とその弟の間をとりなしてから、彼氏さんは微笑を浮かべて、僕と美奈とに目を合わせた。
「初めまして。俺は紹介のとおり、敏典の姉ちゃんの彼氏です。名前は千條賢といいます」
よろしく。千條さんのはきはきとした――人前で喋り慣れている――口調には、声を聞いた相手を納得させる理性があった。最初の印象のとおり、サッカー部の主将などを経験していそうな……そういうキャラの匂いがした。
初めましての挨拶をこちらも返すと、トシに言わせるのを諦めたアヤさんが横から、空に向けた手のひらを彼に添えた。
「ケンさんはねー、中学校の先生になるんだよ」
「まだ先の話だけど。今、そのために勉強してるところだから」
中学校の先生か。なるほど、それでわざわざ。
アヤさんだって僕らとはそこそこ年が離れているのに、そのさらに先輩が、どうして保護者役を買って出てくれたのかと不思議だったのだ。中学校の先生になるというなら、現役中学生である僕らは、言ってみれば研究対象みたいなものだもんな。
納得する僕。その傍ら、美奈は見ただけでは涼しい顔の裏で「知らない人だー……」と内心狼狽していたに違いない。千條さんの目が向かうたび、全身にぴりりと緊張が走るのを、美奈に詳しい僕は感じとった。
「双子?」
僕と美奈を手のひらで指し、千條さんはそう訊いてきた。
「……」
瞬間、双子? とオウム返ししそうになって、すんでのところで言いとどまった。
今のは、僕と美奈のことを訊いたのか。すぐには思い至らなかった。
何せ、そんなことを問われたのは、(そこそこ幼馴染みをやってきた中でも)初めてだったから。
そうか千條さんは事情を知らないから、同じ家から僕と美奈が出てきたのを見ればそう思うのか、と遅れて気づいた。トシもアヤさんも言ってないんだな、と思ってから、言うわけないよなと思いなおす。
「そんなところです」
「ああやっぱり。似てると思ったんだ」
双子かどうかの質問に、そんなところですなんて返事もないだろうが、千條さんは気にとめなかったようだ。僕らに訊ねることはそれきりで、他の子とは駅のほうで待ち合わせているといったっけ、と、再び距離を詰めはじめたアヤさんを自身を壁にして避けるトシに振った。
気にとめたのは、僕らのほうだった。
似てる? 僕らが? 顔だろうか、雰囲気だろうか。どちらにしたってそんなことを言われたのも初めてで、駅を目指す道すがら、ちらりと美奈を見ると、美奈も意外そうに僕を見返してきた。
一斉に開いた電車のドアから、ちょろちょろと人が降りてくる。僕らが前を陣取った乗り口は、たまたま誰も降りる人がない、当たりのドアに繋がった。作利川さんが真っ先に乗りこみ、車内をざっと見回して座席の空いている側に滑りこむ。
日曜日の夕方ということで、駅はそれなりに賑わっていたけれど、各停だからか、電車の中はそれほど混んでいなかった。片側ずつ3~4席の空きがあって、そのうちホーム反対側の座席中央に座っていた男の人が、ぞろぞろ乗ってきた僕らを見て詰めてくれた。微妙な駆け引きのあと、作利川さん、追滝さん、古谷さん、石川さんの4人が収まった。向かいの席も空いていたが、どうせ数駅で乗り換えるので、残る僕らは座らず立つことにする。アヤさんとケンさんの二人は少し離れて、ドアの脇だ。
「ええ、すごーい……ほんとにカップル」
トシの前に座る古谷さんが、様子を窺いつつ呟く。駅の待ち合わせ場所でお互いを紹介してからというもの、古谷さんは人一倍このカップルに興味津々といった様子だった。
一人で根掘り葉掘り情報を引き出すものだから、ただ聞いているだけのこちらも、ケンさんの通う大学の場所であるとか、高校時代の同じ部活のエピソードであるとか、すっかり憶えてしまった。トシもトシでよく知っているものだ。……たぶん、アヤさんから一方的な報告を受けていたんだろうけど。
話題の二人は、昇降スペースの隅に寄って何事か話している。アヤさんが窓の外を指さし、ケンさんが応じて、くすりと笑う。何を話題にしたんだろうと外の景色を眺めようとしたら、目の前の追滝さんも首をひねって外を向き、その仕草に気をとられた隙に風景は後ろへ流れ去ってしまった。
「伊藤くんは何歳差なの? アヤさんと」
「あっち高3だから、4歳差。今は」
指を折ってみせるトシ。4歳か、と復唱する作利川さん。隣で折られた指を見た僕は、そのカウントを反芻する。4歳差といえば僕と悠介がそうだ。だから美奈と悠介が、トシたちとほとんど同じ間柄……ということになる。
トシを挟んで石川さんの前に立つ新井くんは、ちらと首を左右に向けて言った。
「あんま似てないよな」
「えー似てるよー」
作利川さんが少し前のめりになった。トシはつり革を持ちかえて、片足に体重を預けながら、んー、と少し唸る。
「姉ちゃんは父親似で、おれは母親似ってよく言われるから、そこが違うのかもな」
私もお父さん似ってよく言われる! と古谷さんが手を挙げた。
お父さん似の古谷さん……古谷さんのお父さんも、古谷さんみたいに目がくりっとしているんだろうか。会ったことのない他人の父親を想像するのは難しい。想像しようとしても、偽物のヒゲをつけた古谷さんしか出てこない。
僕らはどうだろう。考えてみると、親に似ていると言われたことはあまりなかったような……。赤ちゃんの頃は言われたのかもしれない。ただ、僕には当時の記憶は残っていないし、では悠介と悠奈が赤ちゃんの頃はどうだったのかというと、二人とも言われることがほぼ決まっていて、ずばり「お兄ちゃんにそっくり」だった。
僕と悠介と悠奈は、顔が瓜レベルに似ているとしょっちゅう言われる。道で知り合いと会ったときなんか、挨拶より先に言われたこともあるくらいだ。おまけに千條さんいわく、僕と美奈も似てるというんだから、もしそれが本当だとしたら、四人揃ってだんごきょうだいならぬ瓜きょうだいである。
「きょうだい、いいよねー。私もお兄ちゃんかお姉ちゃん欲しかった」
「楓ちゃんは一人っ子だっけ」
「そう。ケンカしてみたい」
「ウチお兄ちゃんとお姉ちゃん両方いるけど、ケンカすると泣かされるのこっちだよ。ぜーったい、一人っ子のほうが楽だって」
石川さんはおいしくないものを飲み下した人の表情をしている。体験談だけあって、まあ実感のこもった声だったが、作利川さんは楽しそうに言いかえした。
「それがいいんじゃん。一回くらい、泣かされてみたいよ」
「理解できない……」
「ちょっとわかる」
石川さんの呟きに被さるように、それまでは座席をまたいだ会話のキャッチボールを黙して眺めていた追滝さんが、ふいに言葉を発した。
「この人には絶対敵わない、みたいな、自分を何もかも上回る存在に、ちょっとくらい理不尽でもいいから支配されてみたいよね」
「……」
それは戦国時代の発想では?
ぷしゅう。途中の駅に電車が停まり、ドアが開いた。
喉ごし最悪といった表情を崩さないまま、石川さんは隣の古谷さんを見た。
「わかる?」
「わかんない」
古谷さんはすぐさま顔を横に振った。石川さんはそして、顔を上げて僕らにも同じことを訊いた。
「わかる?」
「わかんない」
代表して新井くんが答えた。しゅーっと音を立てて、全ての車両のドアが閉まった。さすがの作利川さんも空気を読み、歯切れ悪く話を変えた。当の追滝さんは何でもない顔をしている。
「とにかく、上がほしかったんだってば。お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、どっちでもいいから」
「でも、楓奈って先輩とあまり仲良くならないよね」
「ひとつふたつの差じゃさー。それこそ4歳くらいは離れててほしいかな。……新井くんはどうなの? きょうだいいるの?」
きょうだい、いるの?
ふっと湧いたその質問で、僕のアンテナが密かに、しかしピンと勢いよく立った。きょうだいがいるかどうかを当てるのは、得意なところだ。一番の特技といってもいい。
僕の見立てでは、新井くんには下にきょうだいか、いとこがいる。そして、それは男だ。
なんでわかるかというと、勘がそう言っているからだ。
……勘なんだけど、どうしても理由をひねり出すとすれば、今日みたいに友達で集まっているとき、彼は皆を見渡せる位置をとる節がある、まずこのことが挙げられる。ボーイスカウトの経験を抜きにしてもだ、下の子の面倒をみる癖がついているんだと思う。また、身内に女きょうだいがいる男子は、よほどの男所帯じゃない限り、僕やトシのように、相手が女子か男子かで話すときのトーンがなんとなく変わるもの。なのに、新井くんにはその変化がない。あと彼はどうやら、自転車が好きらしい。これも男きょうだい持ちっぽい。いや長くなってしまった。結局は、勘なんだけど。
果たして、新井くんはすぐに答えた。
「弟がいるよ」
女子たちが一斉に、ぽいー、と声を上げた。やっぱりね、と思ったのが顔に出てしまったらしく、美奈が僕をちらと見てきた。
「そうかな。俺は一人っ子っぽいと自分で思ってた」
「なんでなんで、どー見てもお兄ちゃんじゃん。ね?」
古谷さんが言い、周りもそうそうと同意する。そうかな、と新井くんはもう一度言って、キャップのつばを少しずらした。
「そういう古谷は一人っ子だろ?」
訊かれ、古谷さんはにこっと眩しいばかりに笑った。車輪が線路の連結部をまたいだらしく、ガタン、と音が鳴る。
「ううん、私お姉ちゃんだよ。妹いるから」
ええーっ、という皆の声と同時に、電車のブレーキがかかって全員でよろめいた。急いで吊革を掴んだ僕の腕を、美奈が掴む。トシは荷物棚のふちに両手をつき、図らずも詰め寄るような体勢になった。座席に座る石川さんたちも、傾いた姿勢のまま古谷さんを見る。
古谷さんは不満そうに口をとがらせた。
「そんな驚く?」
「だってイメージと違うもん」
「楓奈は知ってるでしょうが」
「何回聞いてもびっくりする」
僕も、びっくりした。古谷さんは一人っ子ではないだろうと思っていたけれど、古谷さんが妹の立場だろうとにらんでいたのだ。
上だったとは……。勘が外れて、ちょっとショックだ。
目的の新中島駅で降り、なんとなく生じる人の流れに従って、僕らもエスカレーターを目指した。片側に二箇所あるうちの先頭車両側を下ってから、ぐるりとUターンして改札を出ると、左方向に乗換の案内板が出ていた。上り調子の(学校のよりずっとしっかりした)渡り廊下をつきあたりまで進み、そこから地下に行くのかと思うくらい一気に階段を下ると、公営鉄道の改札口が見えてくる。こうして電車を乗り換える間も、古谷さんに妹がいるというセンセーショナルな話題は薄れることなく続いた。
「妹は何年生?」
「小6」
「かわいい?」
「あのね……めっっっちゃかわいい。コーデとか私の真似しようとするところほんと可愛いよ」
改札を越えてすぐの場所でふり返り、古谷さんはきらきらとした目で語った。姉妹仲が良いんだろう。なんとなく、小学校の同学年に、何をするのも一緒という双子の姉妹がいたことを思い出した。
「えっじゃあ、家だとお姉ちゃんって呼ばれてるの?」
「ううん、昧羅って、普通に」
「呼び捨て?」
「そう」
「あーわかる」
「なにがわかる!?」
くわっ、とホームに下るエスカレーターを一人だけ逆向いて、古谷さんが噛みついた。すぐ後ろだった追滝さんが怯んで頭を引き、その後ろの石川さんが、もう降り口だから前を向けと手を振った。さらに後ろの安全地帯にいる作利川さんは、いたって涼しげである。
「スイミングのとき、低学年にナメられてたもんね」
「ナメられてないし!」
新中島駅の歩廊は、公営私営二つの路線とも対面式だ。上りと下りを行き来するときに歩道橋を使うところも同じ。ただし、公営鉄道の線路の上には私鉄の線路もまたがっていて、ガチガチの立体構造になっているのを、公営鉄道側の歩道橋の上からはよくよく眺めることができる。
また、公営鉄道側のエスカレーターを降りてすぐは、大きな鉄骨で組まれた頑強な私鉄の橋そのものが屋根代わりとなり、大きな日陰を作っている。夕方の、もういい時間だから、陽射しはだいぶ斜めになって、その下で電車を待つのが苦にならないくらいには弱まってもいた。
ここを見上げるたびに思い出すことがある。ハトの落としものの張り紙だ。橋の裏にハトが巣を作ったため、彼らが上から降らせてくるアレに対する注意書きが駅じゅうにペタペタ貼られていたことが、少し前にあった。それで面白がって、仲間内でこの駅のことをハトの巣駅と呼んでいたら、鳩ノ巣駅という駅が本当にあることを教えてもらった。佐々木さんに。どこにあるかまでは知らないようだったが……、追滝さんなら知っているのかもしれない。
線路に沿って風が吹き抜けた。間もなく電車が到着するというアナウンスが流れ、風の来たほうへ目を向けると、遠くに隣駅を出発した電車のヘッドライトが見えた。
「トシくん」
輪の外から呼ぶ声と同時、ぽんとトシの両肩に手が乗った。それを支えにして、肩口にアヤさんが顔を覗かせた。
「トシくんもたまにあたしのこと呼び捨てするよねー」
「いいよそんな話しなくて」
恥ずかしいのか鬱陶しいのか、トシは肩を揺すって姉の手を振り落とした。おっと、とアヤさんは手を外し、引っこんで僕らから見えなくなった。そこへ、一番乗り口に近いところから、わざわざ最後尾へ回るようにして、目を輝かせた古谷さんが近寄る。
「仲良かったら、ありますよね!?」
「うんー、トシくんの場合は、かまいすぎてウザがられたときに呼ばれることが多い」
「……」
電車の速度が落ちるのと同じように、古谷さんの目から光が消えていった。
「私もケンカして、マジで嫌いだーってなったときに呼び捨てする」
ホームの端に一歩寄りながら、石川さんが振り向いて、二の句が継げない古谷さんに向かって、追い打ちをかけた。
「もー、なんでみんなそういうこと言うの!? うちはホントに仲良いの!」
腕をぶんと振り下ろし、主張する古谷さん。相手にせず電車に乗りこむ僕らに向かってもう一度、無言で腕を振る。その顔は言っていた。今度からみんなのこと呼び捨てにしてやる!
閉まるからはよ来いと作利川さんが手招きする後ろでは、ケンさんにだけ声かけて来てもらえばよかったとトシがぼやいて、当の千條さんにまあまあとなだめられている。