過去に囚われた伯爵
どうやらソフィアはアルテシアとクラウドの食事が終わるのを見計らっていたらしい。
側にいた老執事が慌てて駆け寄る。
「ソフィア様、お一人で来られたのですか?旦那様の大事なお客様です。お部屋にお戻り下さい」
「えー、ソフィア、ずっと一人でお部屋でいい子にしていたのよ。それにそこにいるお兄様達と…あれ、もう一人お兄様がいたのにきっと帰ってしまったのね。いいわ、そこのお兄様とも遊んでもらうって約束してたのよ」
「お嬢様、なりません。あんまり言う事を聞かないなら旦那様に言いつけますよ」
と老執事と話しているとレナルドもダイニングへ入って来た。
「何の騒ぎかと思えば、ソフィア、また部屋を抜け出したね。部屋を出る時は侍女やメイドと一緒でないといけないとあれ程、言っているだろう?」
「パパ!」
と、言うとソフィアはレナルドに抱きつく。レナルドも小さな子供をなだめる様に愛おしそうに頭を撫でる。
「うふふ、ごめんなさい。でも、侍女やメイド達と一緒だとあれこれ煩いの」
直ぐに真っ青な顔で侍女やメイド達も慌てて駆けつけて来た。
「旦那様、申し訳ございません。ほんの少し目を離した隙に見失いました。さぁ、ソフィア様、お部屋へ」
「いやよ!私、お兄様と今から遊ぶのよ」
レナルドが子供に言い聞かす様に言う。
「では今日は私が後で部屋に行って本を読んでやるから戻りなさい」
ソフィアは目を輝かせレナルドに言う。
「本当に!絶対よ。パパ!」
ソフィアは侍女やメイド達と共に部屋に戻って行った。レナルドがアルテシア達を見る。そして、食後のお茶も兼ねてサロンの方へ招かれた。サロンも落ち着いた雰囲気である。やはりここにも亡き夫人の肖像画が飾られていた。その描かれていた肖像画の表情は穏やかな表情であった。
「セリーヌ様は美しく心が綺麗な方なのでしょうね。飾られている絵からは穏やかな表情ばかりです。そしてソフィア様によく似ています」
アルテシアは肖像画に見惚れながら本心で言った。レナルドもまた肖像画を愛おしいそうに見る。
「ええ、我が妻、セリーヌは私には勿体ないぐらい出来た妻でした。ソフィアの心が壊れているとは言えついつい甘やかしてしまいます」
アルテシアはレナルドに微笑むと少し言いづらそうにレオナルド言う。
「伯爵様、失礼ながらここに来る道中にセリーヌ様の亡くなられた経緯をお聞きしました。悲しい出来事だと深く胸が痛みました」
「そうですか…。今もあの時のことが語られているのですね。酷い出来事でした、その証拠にソフィアも10年経った今でも未だ心が治りません。ソフィアはあの時の起こる前の子供の時に戻る事であの時の出来事を忘れて生きる事が出来るのです」
アルテシアは少しレナルドの言葉に疑問を思った。アルテシアは曖昧ではあったがソフィアの精神の状態を感じ取っていた。恐らくソフィアに触れれば確信は持てるが医官までしていたレナルドならば容易にソフィアの状態がわかるはずだ。
「ソフィア様は本当にお心が壊れているのでしょうか?」
レナルドは眉を寄せる。クラウドは少し驚いていた。
「あの子はあの時から心を病んでいます。現実を受け入れず、あの子はあのままでいるのが一番幸せなのです。いいえ、あの時から私達、家族には幸せと言う言葉は消えてしまったのかもしれません」
アルテシアはティッソト伯爵家の悲しみを自分は知る事は出来ない。しかし伯爵家を不幸に落とし入れた者はもうこの世にはいない。未だに過去に囚われている伯爵家を救えないのであろうかとアルテシアは心から願うがレナルドにかける言葉が見つからない。
ソフィアはまだ、若くて美しい女性である。このままで良いのだろうかとアルテシアは思うが…。
「触れてはいけないお心の傷に触れてしまったようです。伯爵様、今夜は部屋に戻らさせて頂きます」
アルテシアとクラウドが部屋から出て行こうとするとレナルドが呼び止める。レナルドは申し訳無さそうにいう。
「アルテシア様、クラウド殿に伝えておかなければいけない事があります。その…ソフィアは小さい頃からハルクを慕っており、少々、度が過ぎた所があります。昔から年頃になるハルクに近づく女性を毛嫌いし年頃の男性にはよく懐くのですが、その…若い女性が苦手みたいです。もしかしたらお二人に不快な事をするかも知れないがその時は許して頂けないだろうか?」
アルテシアは突然言われた事に一瞬だけ戸惑ったが直ぐにクスクスっと笑い。余程、レナルドはソフィアの事を思っているのだろうと思いアルテシアはレナルドに言った。
「ご心配をなさらなくても大丈夫ですよ。伯爵様にとってソフィア様は余程大事なんですね。伯爵様、一つお聞きして宜しいですか?」
「なんなりと…」
「もしも、ソフィア様がお気を取り戻しても生きている事が可能なぐらいお心が治っていたら伯爵様はソフィア様を受け入れて頂けますか?」
「ソフィアが傷つかないとあれば…」
クラウドとアルテシアはそれぞれの部屋に戻った。
翌朝、アルテシアとクラウドは朝食を二人で取っていた。レナルドが気を使わないようにとの配慮であった。早くて今日の晩にもハルクは屋敷に到着するらしいと老執事が告げる。
クラウドはハルクと入れ替わりに旅立つと言っていた事を思い出す。
もし、クラウドと今、離れたら今度はいつ会えるのか?名前しか知らないアルテシアは恐らくもう、クラウドと会う事は出来ないかもしれない。わざわざ会いに来てくれるのであろうか?直ぐに自分の事なんて忘れてしまうだろう。
(私には引き止める理由がないわ。ただ寂しいでは理由にはならない。あの人は何かやらなければいけない事があるのに私の気持ちはきっと邪魔になるわね)
クラウドも相変わらず、アルテシアのドレス姿に馴染めないらしく目線も合わせないし、口数も少ない。旅の間はあんなに気軽に話しかけてくれたのに…。
クラウドもまた、アルテシアと離れる事が気がかりだった。アルテシアが追われる心配を無くし、アルテシアがアルターナの国に戻れる様にすればアルテシアはアルターナに戻って来てくれるのであろうか?その前に身分も明かしていない自分を待っていて欲しいとも言えない。一層の事、全てを打ち明けてしまえば…。
二人が想いを巡らせなら取った食事が終わる頃にソフィアが扉から顔を出して覗いている。また、使用人の目を盗んで抜け出したのであろう。
それを見て老執事が溜息を吐く。
「ソフィア様、お行儀が悪いですよ!」
美しいソフィアは、子供っぽい笑みを浮かべるが不自然ながらも可愛らい愛嬌のある笑顔だった。
「お食事、終わっているみたいだもの。もう、いいわよね。ねぇ、お兄様、あちらのお部屋に行きましょう」
そう言うとクラウドの腕を引っ張って部屋の外に連れ出そうとする。
「あ、ちょっと待ってくれ、まだ…」
クラウドはアルテシアを見ながら何か言いたげだったが、ソフィアは強引にクラウドを連れて行った。
申し訳なさそうな顔をして老執事はテラスの方でお茶の準備が出来ていると、テラスの方へアルテシアを案内する。
「失礼を致しました。アルテシア様、申し訳ございません。ソフィア様は長い間、ハルク様とは会っていなかったので、きっとクラウド様にハルク様を重ねているのでしょう」
老執事がアルテシアに謝るように言う、
「いえ、気にしないで下さい。それよりもハルク先生は何故、ここに長い間戻られなかったのでしょうか?」
「ハルク様はソフィア様を見ているのがお辛いのでしょう」
「話しては頂けないでしょうか?」
老執事はアルテシアを見ると諦めたように言う。
「やはり貴方は聖女なのですね。今の旦那様もソフィア様も過去に囚われている事にお気付きなのですね」
「すみません。本当は口出しすべき立場でないのですが、やはり…」
「いえ、もしかしたら貴方様が過去のあの前国王から本当の意味で旦那様達を解き放して頂けるのかも知れません。あの日、馬車の近くで奥様や護衛は死体で見つかりました。奥様は恐らく襲われそうになったのでしょう。奥様の名誉を掛けて言いますが、奥様は前国王の手にかかる前に自ら命を絶ったと旦那様がお調べになられて分かりました。しかし旦那様は奥様が命を絶った事を悔やまれて手籠にされても何がなんでも生きてて欲しかったと…。奥様を護れなかった事を後悔していました。」
老執事は当時を思い出したのか声を詰まらせ、話を続ける。
「唯一生き残ったのがソフィア様でした。馬車が襲われた時に一緒に乗っていたソフィア様を馬車の腰掛けに細工がしてあり椅子の下に人が隠れられる様になっていていまして、奥様は咄嗟にソフィア様をそこに隠した様です。馬車からソフィア様が出てきた時にはそれはもう奇跡かと思いましたがソフィア様も当時かなり心に傷を負ってしまって、目を離したら自ら命を絶ってしまうのでは?と屋敷中の者が心配して目を離せませんでした。見かねたご主人様が幼児に戻る様、暗示をかけられてからはあの通りでございます」
「自ら心を閉ざされたのではなく伯爵様がソフィア様のお心を閉じ込めしまったのですね…」
「しかし、ハルク様は前国王の復讐を成し遂げた後、ソフィア様が悲しみから立ち直れるのを旦那様が引き止めているだけだと酷く怒って、お二人はぶつかってしまって…」
老執事の話を聞きながらアルテシアがふっと目線を上げると庭の向こうからクラウドとソフィアがアルテシアの方へ歩いてくる。
とても嬉しそうにクラウドの腕にソフィアが腕を絡ませていた。
美しいソフィアとクラウドは恋人の様に見える。アルテシアはきっとこのままクラウドが去ってしまったらいつかクラウドの隣は彼女の様な美しい女性がいるのであろう。自分みたいな、逃げて隠れている人間ではなくもっと自由な女性なんだろうと…。
アルテシアはこの気持ちを隠さなければいけないと二人に笑顔を作って迎えようとした。




