クノッヘン伯爵の隠し財宝
「きゃあああああああっ!!」
私の叫び声が、狭い屋根裏の小部屋に幾重にも響き渡り、静寂を切り裂いた。私はそのまま体勢を崩し、よろめきながらその場に尻餅をついた。ベッドの脇にある窓から入ってきた強風が、部屋の中を駆け巡り、高い塔の屋上はガタガタと揺れた。私は恐怖のあまり、全身を縮み上がらせたまま後ずさった。マイさんは木箱のそばに腰をかがめたまま、興味深そうに中身を確かめていた。箱の端からのぞいているのは、多少黴が生えてはいるものの、確かに真っ白な骸の先端だった。
「ま……マイさんッ!? そ、それ……!?」
「……骨、だね」
マイさんはまだ中身を見つめたままこくりと頷いて見せた。どうして彼女は冷静でいられるのだろう? いくらまともではない世界とは言え、箱の中から本物の骨が出てきたのだ。骨なんて、中学校の理科室の標本でしか見たことがない。
「い、一体誰の……!?」
私は声を上ずらせた。”おとぎ話”だとか、”宝探し”だと言うから、てっきりもっとメルヘンチックなものを期待していたのに……。さっきからアスレチック満載の恐怖体験しかしていない。こんなことなら、さっさと一人で帰っておけば良かった。私は今更ながら後悔した。
「この骨は……」
「…………」
「恐らく伯爵夫人の遺骨でしょうね」
「えぇ……ッ!?」
「見て。これ」
「ひッ……!?」
窓から差し込む光を頼りに、マイさんが慎重に木箱の中に手を突っ込み、何やら重たそうな金属を持ち上げた。私はそれを薄目で見て、小さく悲鳴を上げた。
「それって……!?」
「首輪。それに……鎖も」
「……!」
ジャラリ、と鈍い音がして、深緑と茶色に濁った首輪と鎖が部屋の床に置かれた。
「ちょっと待ってください……”お話”では、伯爵の奥さんは亡くなったんじゃ?」
「ええ……」
私は何が何だか分からなくなって、息を詰まらせた。死んだはずのご夫人の遺骨が、なぜ木箱から? それに、鎖や首輪なんてものも一緒に……。
「まさか……監禁とかじゃ……!」
「いいえ」
最悪の想像をする私に、マイさんはゆっくりと首を振って見せた。それから木箱の前に膝をついたまま、もう一度中にその細長い真っ白な手を伸ばし……。
「クノッヘン伯爵はきっと……”犬”の貴族だったのよ」
へたり込む私の前に、奇妙な形の頭蓋骨を置いた。数多の年月が経ち、ひび割れたその頭蓋骨には、まるでワンちゃんのような形の曲線と、牙が残っていた。
□□□
「Knochen……ドイツ語で”骨”という意味ね。骨伯爵の正体は、ミニチュア・ダックスフント。ドイツ原産の小型犬よ」
「…………」
マイさんがどこからともなく巨大な本を取り出して、パラパラとページを捲り、私に挿絵を見せてくれた。そこには確かに、短足のミニチュア・ダックスフントがいかにもな中世の煌びやかな服装を見に纏い、器用に乗馬している絵が載っていた。
「どうしたの?」
「……挿絵があるなら、先に見せてくださいよ! 伯爵っていうから、てっきり人間かと思ったじゃないですか!」
私はマイさんに手を差し出され、助け起こされながらも照れ隠しに悪態をついた。視界の端に捉えた木箱の中には、たくさんの骨と、ご夫人が身につけていたであろう首輪や鎖が収められていた。きっとクノッヘン伯爵が、奥さんの死を嘆きここまで連れて来たのだろう。それから寂しくないようにと、犬にとっての宝物である大量の骨を一緒に箱に詰めた。
「…………」
だけど、犬にとっては宝物でも、人間にとっちゃただの骨だ。マイさんはなぜか得意げにほほ笑んだ。
「動物が主役だなんて、”おとぎ話”じゃよくあることよ」
「なんでそんな顔なんですか」
「伯爵が犬ちゃんだったから、宝ものは骨だったのね。犬ちゃんって、骨が好きだもんね。あら? 残念ね、ユキちゃん。お宝で新しいお洋服買えなくって……」
「知ってて連れて来ましたね……」
私は唇を尖らせ、マイさんは目を細めた。それから私の手を握ったまま、優雅なダンスでも踊るように軽やかな足取りで開け放たれた窓に近づいていった。窓の外で、大きな鳥が風に乗って、四角い青い空を背景に大きな弧を描いていた。
「さ、帰るわよ」
「ちょ……!?」
マイさんはそういって窓枠に足を引っ掛け、飛び降りようとした。突然の出来事に私はぎょっとなり、慌てて手を引っぱった。だけどマイさんの力は思いの外強くて、私は青い空に吸い込まれるように……。
「ぎゃあああああああああ!!!」
この日一番の悲鳴を上げた。
「ああああああああああっ!!!」
螺旋階段が壊れるとか、箱の中から骨が現れるとか、そんなの比じゃない。高さ数十メートルの高さから、そのままダイブしているのだ。なんの説明もなしに。そういえば、どうやって帰るのだろうと少し疑問に思っていたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。ものすごい勢いで、私たちの体が真緑の草原へと突っ込んで行く。私は死を覚悟した。
「あああああ……ああああっ??」
ぎゅっ、と目を閉じた瞬間。ふわり、と体が浮かんで、私は素っ頓狂な声をあげた。何がなんだか分からなくって、私は宙に浮いたまま視界に広がる青空と草原をぐるぐると見渡した。
「お待ちしておりました、マイ様」
「タイミングばっちりね、みーちゃん」
いつの間にか私を胸に抱きかかえていたマイさんが、右手に黒い傘を握りしめていた。傘が喋った。猫の尻尾のような形の傘の柄には、ふわふわとした毛が生えている。
「みーちゃんはね。時々癖で傘にもなるのよ」
「癖で……」
私の視線に気づき、マイさんがいたずらっぽくほほ笑んだ。私はもう何も突っ込まなかった。私たちは灯台の半分くらいの高さから、猫傘に捕まり、ふわりふわりと風に揺られてゆっくりと流されていった。
「やるなら言っといてくださいよっ! もしうまく傘掴めなかったら、どうしてたんですかっ!!」
「その時は、本の中に閉じ込められて、”おしまい”」
「はあ!?」
私の怒声もどこ吹く風で、マイさんとみーちゃんが楽しそうに笑った。小高い丘の向こうに、私たちがいたバーのカウンターが見え始め、私はようやく安堵のため息を漏らした。
やがて私たちは、ふわりと元いた場所に軟着陸した。外はいつの間にか日が昇り、照りつける太陽の日差しが風に乗って来た私たちの体を温めてくれた。バーのカウンターに到着すると、傘だったみーちゃんが”癖”で男の子になり、テキパキと紅茶を用意してくれた。マイさんもまた私を席に座らせ、身なりを整えカウンターの中に戻った。それからテーブルに両肘をつき、手のひらに顔を乗せニコニコとこちらをのぞき込んで来た。
「でも、面白かったでしょ? また”読みたく”なったでしょ?」
「……全然っ」
私は抗議の意味を込めてプイッと横を向いた。まだ心臓がドキドキしている。これじゃ”読書”というより、”アトラクション”だ。マイさんが私の前に置かれた湯気の立つカップを指差した。
「じゃ、それ飲んで。眠たくなるから」
「はあ……?」
「目が覚めたら、元の場所よ。今日も一日、”お話”に付き合ってくれてありがとうございました」
「はあ……」
私はテーブルの上のカップをまじまじと見た。睡眠薬でも入っているのだろうか? そもそも”元の場所”って、じゃあここはどこなんだ? 知り合ったばかりのよく知らない人物に、眠たくなるから飲めと言われて飲むのはあまりに間抜けじゃないか? ……などという疑念が頭を駆け巡ったが、それも今更だ。帰れるだけでもありがたいと思い、私はカップに手を伸ばし、一気に紅茶を飲み干した。
「そうそう、言い忘れてたんだけど……」
私が飲み干したのを見届けて、マイさんがテーブルの向こうでニッコリと笑いかけた。私は首をひねった。
「当店では物語のタイトルと、お代をお客様に決めてもらっているんです」
「タイトルとお代?」
「そう。ユキちゃんは今日の物語、なんてタイトルがいいと思う?」
「えー……?」
急にぼんやりとして来た視界の中で、マイさんの顔が揺らいで見えた。私は眠りそうになる頭を必死に絞った。
「クノッヘン伯爵が実は犬だったから……『伯爵、実は犬だった物語』でどうですか?」
「0点! それじゃ、読む前から内容が分かっちゃうじゃない。間を取って『クノッヘン伯爵の隠し財宝』にしましょう」
「なんですか間って。結局マイさんが決めてるじゃないですか……!」
「また次回来た時にまで、ネーミングセンスを鍛えておいて」
「次回って……」
なぜか0点を突きつけられた私は、急激な眠気に襲われそのまま机に突っ伏した。朦朧とする意識の中で、私の耳にマイさんの言葉が遠く響いた。
「それからお代なんだけど……今回は、そうね。この”ブルーベリーパイ”でいいわ……」
□□□
「あれっ?」
気がつくと私は、見知らぬ路地の真ん中に立っていた。一体なんでこんなとこにいるのか……何だか頭がぼんやりしていて、記憶がはっきりしない。そう、確か見知らぬ黒猫を追っかけていて……。
「…………」
私は辺りを見渡した。東西南北、どこを取っても見覚えがない。静まり返った住宅街、目の前の坂道には右にも左にも人の姿は見えず、車の通りもほとんどなかった。追いかけていたはずの、黒猫の姿さえ見えない。家と家の間の壁に、誰かが忘れて行ったであろう黒い傘が立てかけられているくらいだ。
「あーっ!?」
それから私はふと腕時計をのぞき込み、大声を上げた。いつの間にか、正午を過ぎている。家では、お父さんとお母さんと弟がお腹を空かして待っているに違いない。私は紙袋を抱きかかえ、慌てて元来た道を駆け抜けていった。あまりに慌てすぎていたためだろう。家に帰りつくと、買ったはずの”ブルーベリーパイ”を、なぜか一個落としてしまっていた……。
《クノッヘン伯爵の隠し財宝 終わり》