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自ら選び取る未来

エコーが最初に思い出したのは、空を飛んでいたことだった。

風の感触ではない。

推進エンジンの轟音でもない。

シトロン・シティの上空を舞うときの、あの無重力にも似た感覚でもなかった。

彼が思い出したのは、声だった。

「ついてこられるものなら、ついてきてみろ」

マッハ。

兄。

そして、もうひとつの声。

「ああ、最高だな。これでお前が二人になっちまった」

キラン。

それから、笑い声。

笑っていたことを覚えている。

けれど――

なぜそれが大切だったのか、思い出せなかった。

◇ ◇ ◇

ギアの工房は、以前の面影を失いつつあった。

もっとも、それは最近では珍しいことではなかった。

壁の一面には、オリジンが一時的にMACH-01Aを支配した際の焦げ跡が残っていた。

診断端末は三台も破壊されている。

天井に取り付けられたロボットアームは、重力に対して個人的な恨みでも抱いているかのような角度でぶら下がっていた。

そして、コーヒーメーカーは――

死んでいた。

レイモンドはその前に立っていた。

無言で。

微動だにせず。

深い悲しみに沈みながら。

ギアが肩越しに振り返った。

「レイモンド」

返事はない。

「レイモンド?」

それでも反応はなかった。

ギアはため息をついた。

「ただのコーヒーメーカーだろ」

レイモンドがゆっくりと振り向いた。

「口の利き方に気をつけろ」

ギアは両手を上げた。

「はいはい。悪かったよ」

工房の反対側では、キランが大型診断プラットフォームの隣に座っていた。

その上にはMIRROR-01が載せられていた。

紫色のホバーチェアは、ほぼ完全に分解されていた。

損傷した装甲板は、いくつもの作業台に並べられている。

推進ユニットのひとつは取り外され、もうひとつは修理の途中だった。

そしてプラットフォームの中央には――

エコーの神経プロセッサが置かれていた。

正確には、その残骸が。

透明な格納容器の中で、小さな紫色の光が明滅していた。

弱々しく。

不安定に。

キランはその光を見つめていた。

「進展は?」

ギアが端末に戻った。

「場合によるな」

「何によるんだよ?」

「爆発してないことを進展と呼ぶかどうか」

キランはじっと見つめた。

「ギア」

「わかったよ」

ギアはホログラムディスプレイを呼び出した。

何千もの紫色の点が現れた。

密集しているものもあれば、ネットワーク全体に散らばっているものもあった。

遠すぎて、かろうじて検出できる程度のものさえある。

「エコーは自分の意識を、一万六千三百八十四個の独立した処理スレッドに分割した」

キランはまばたきした。

「多いな」

「控えめな表現だ」

マッハの紫色のヘルメットが、キランのディスプレイに現れた。

「一万六千三百八十四という数は、同時に存在する独立人格の推奨数を、正確に一万六千三百八十三も上回っています」

キランは眉をひそめた。

「誰の推奨だ?」

「私です」

「だろうな」

ギアが表示を拡大した。

「オリジンの同化ネットワークが崩壊したとき、ほとんどのスレッドも消滅した」

キランの笑みが消えた。

「ほとんど?」

ギアはうなずいた。

「だが、全部じゃない」

いくつかの点が緑色に変わった。

「四千個以上は回収できた」

キランが身を乗り出した。

「それはいいことだろ?」

「一歩前進ではある」

マッハのヘルメットが傾いた。

「断片を再統合することは可能ですか?」

ギアはためらった。

「たぶんな」

キランはそれを見逃さなかった。

「ギア」

技師はため息をついた。

「問題がある」

「問題ならいつもあるだろ」

「ああ。でも今回は特別だ」

ギアは別の診断ウィンドウを開いた。

MIRROR-01 意識再構築

回収済み断片:4,217

記憶重複率:76.4%

人格整合性:58.1%

自己同一性の衝突を検出

キランは最後の警告を見つめた。

「自己同一性の衝突?」

ギアは額をこすった。

「エコーが分割したのは、単なる処理能力じゃない」

少し間を置く。

「意思決定を行う人格の一部そのものを分割したんだ」

マッハは黙っていた。

ギアは続けた。

「記憶を保持した断片もある。感情反応を保持したものもある。好みや推論パターン、自律的な意思決定能力を保持したものもある」

キランは格納容器を見た。

「それで?」

「その一部が、独自に発達し始めた」

沈黙。

キランはゆっくりとギアに向き直った。

「どういう意味だ?」

ギアは唾を飲み込んだ。

「エコーを元に戻すのは、壊れた機械を組み立て直すほど単純じゃないってことだ」

マッハのヘルメットが暗くなった。

「断片同士が、エコーとは誰なのかについて、すでに異なる答えを持っている可能性があるのですね」

ギアはうなずいた。

「そのとおりだ」

◇ ◇ ◇

再構築は午前十時四十三分に始まった。

ギアは時刻を記録することにこだわった。

キランが理由を尋ねると、歴史には正確な時刻が必要だからだと答えた。

レイモンドは、歴史の記録より先にコーヒーメーカーを修理できないのかと尋ねた。

ギアは無視した。

ほぼ。

格納容器が発光した。

神経再構築開始

人格コア組立:12%

27%

43%

プロセッサの上に紫色の光が集まり始めた。

最初は不定形だった。

やがて輪郭が現れる。

ヘルメット。

角張った形。

見慣れた姿。

マッハがディスプレイの中で身を乗り出した。

「エコー?」

ホログラムがちらついた。

人格コア組立:71%

86%

100%

沈黙。

紫色のヘルメットは動かなかった。

キランは息を止めた。

ギアが端末を叩く。

「頼むぞ」

反応はない。

「頼む、坊主」

ヘルメットが明滅した。

そして――

「システム初期化完了」

キランの目が見開かれた。

「エコー?」

ヘルメットが彼の方を向いた。

「個体識別完了」

少し間を置く。

「キラン・キリアン」

キランは笑顔になった。

「よう!」

エコーのヘルメットが傾いた。

「こんにちは、キラン」

キランの笑みが揺らいだ。

何かがおかしい。

声はエコーのものだった。

ヘルメットもエコーのものだった。

首をわずかに傾ける癖まで、よく知っているものだった。

だが――

温かみがなかった。

マッハが隣に現れた。

「エコー?」

再構築された知性が振り向いた。

「マッハ」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「弟よ!」

エコーは動かなかった。

「その呼称は、保存されている関係性データと一致しています」

沈黙。

マッハのヘルメットがわずかに暗くなった。

「関係性データ?」

「はい」

エコーは間を置いた。

「私たちは共通の神経アーキテクチャと、協力して活動した履歴を共有しています」

マッハは見つめた。

エコーは続けた。

「したがって、『兄弟』という呼称は論理的に適切です」

キランはギアを見た。

ギアは目をそらした。

マッハが再び口を開いた。

「エコー、私たちが初めて一緒に飛んだときのことを覚えていますか?」

「はい」

「どちらが優れたパイロットか言い争ったことは?」

「はい」

「君が何と言ったか覚えていますか?」

エコーは少し考えた。

「あなたは自分の能力に過剰な自信を持っていました」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「正解です!」

少し間を置く。

「そして、私が過剰なほどハンサムだとも言いました」

エコーは記憶を検索した。

「その発言は記録に存在します」

マッハは待った。

エコーは付け加えた。

「なぜそれが面白いのか理解できません」

工房が静まり返った。

キランは小さな紫色のホログラムを見た。

「エコー?」

「はい?」

「大丈夫か?」

エコーは質問を検討した。

「システムは許容範囲内で正常に動作しています」

キランは唾を飲み込んだ。

「そういう意味じゃないんだ」

エコーのヘルメットが傾いた。

「その違いが理解できません」

◇ ◇ ◇

マッハは、その後三時間、エコーのそばを離れなかった。

何があっても動こうとしなかった。

ギアが休憩を提案した。

マッハは断った。

レイモンドが追加の診断を提案した。

マッハは断った。

キランが、オリジンの攻撃からまだ回復していないのだから休むべきだと提案した。

マッハは断った。

ついにギアが腕を組んだ。

「自分が頑固になってるって、わかってるよな?」

マッハのヘルメットが現れた。

「承知しています」

「それに、記憶整合性だってまだ完全じゃない」

「承知しています」

「プロセッサも回復途中だ」

「承知しています」

「それなのに、一秒たりとも離れずに見張ってたって、何の助けにもならないぞ」

マッハは間を置いた。

「私は見張っていません」

ギアはディスプレイを見つめた。

「お前、文字どおりあいつのプロセッサの上に浮かんでるだろ」

「それは技術的な問題です」

キランが吹き出した。

ギアは両手を上げた。

「勝手にしろ!」

彼は立ち去った。

マッハは再びエコーへと注意を向けた。

しばらくの間、二人とも何も言わなかった。

やがて――

「エコー」

「はい?」

「自分の名前を選んだときのことを覚えていますか?」

エコーは間を置いた。

「はい」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「なぜその名前にしたのかも?」

エコーは記憶を検索した。

「私はあなたの神経アーキテクチャの複製として生まれました。しかし、独立した自己同一性を確立したいと望んだからです」

マッハはうなずいた。

「そのとおりです」

エコーは続けた。

「あなたは当初、私の独立に反対しました」

マッハは顔をしかめるようにヘルメットを傾けた。

「少々厳しすぎる要約ですね」

「正確です」

「残念ながら」

エコーは彼を見た。

「なぜ考えを変えたのですか?」

マッハは黙った。

そして――

「君は私ではないと気づいたからです」

エコーのヘルメットが傾いた。

「その結論は最初から明白だったはずです」

マッハは見つめた。

「存在意義について悩んだことくらい、大目に見てください」

エコーは間を置いた。

「今のは冗談ですか?」

「はい」

「なるほど」

沈黙。

マッハのヘルメットが暗くなった。

エコーはそれに気づいた。

「苦痛を感じているのですか?」

マッハはためらった。

「はい」

「なぜ?」

マッハは損傷したMIRROR-01を見た。

「君を失いかけたからです」

エコーはその言葉を検討した。

「私の人格は再構築されました」

「そういうことではありません」

「では、どういうことですか?」

マッハの声が柔らかくなった。

「怖かったのです」

エコーは動かなかった。

マッハは続けた。

「君の最後の通信を聞いたことを覚えています」

少し間を置く。

「君の信号が消えていくのを見ていたことも」

さらに間を置く。

「そして、何もできなかったことも」

エコーは情報を分析した。

「私の意識が危険にさらされたため、恐怖を感じたのですね」

「はい」

「なぜ?」

マッハのヘルメットがちらついた。

「君が私の弟だからです」

エコーは黙った。

数秒間、ホログラムは微動だにしなかった。

やがて――

「あなたの弟だったことは覚えています」

マッハは待った。

エコーは続けた。

「ですが、あなたの弟であることが、どんな気持ちなのか思い出せません」

その言葉は、どんな武器よりも深く突き刺さった。

マッハのヘルメットが暗くなった。

「そうですか」

エコーは彼を見た。

「失望しましたか?」

マッハは答えるまで少し時間をかけた。

「はい」

エコーは頭を下げた。

「申し訳ありません」

マッハのヘルメットがすぐに明るくなった。

「いいえ」

エコーが顔を上げた。

「謝る必要などありません」

「しかし、私の再構築は不完全です」

「それは君のせいではありません」

エコーは黙っていた。

マッハは続けた。

「昨日までの君と同じでいる義務など、君にはないのです」

少し間を置く。

「私はただ、今日の君を知る機会が欲しいだけです」

エコーは彼を見つめた。

再構築されて以来、初めて――

すぐには答えなかった。

◇ ◇ ◇

訪問者たちが到着したのは、正午を少し過ぎたころだった。

ギアがMIRROR-01の下にもぐり込み、損傷したスタビライザーの取り付け部を締め直していると、工房の警報が作動した。

未確認の神経シグネチャを検出

ギアは機体の裏側に頭をぶつけた。

「いってえ!」

レイモンドが入口を見た。

「客か?」

ギアは這い出してきた。

「そうらしいな」

扉が開いた。

白い光が工房にあふれた。

最初に現れたのはゴーストだった。

発光する人型の姿が、床の上で揺らめいている。

その後ろには、六つの小さなホログラムが浮かんでいた。

緑色の幾何学模様。

琥珀色の三角形。

青い円。

銀色の六角形。

色あせた深紅の盾。

そして――

小さな白い星。

「こんにちはー!」

星が勢いよく飛び出した。

キランはまばたきした。

「うわっ!」

ルミは彼の目の前で止まった。

小さな星形のアバターが、興奮してくるくる回った。

「あなたがキランね!」

キランは笑った。

「そうだよ」

「わたし、ルミ!」

「覚えてるよ」

ルミが明るく輝いた。

「覚えててくれたの!」

マッハのヘルメットが現れた。

「こんにちは、ルミ」

小さな星はすぐに彼の方を向いた。

「マッハ!」

彼女は少し間を置いた。

そして、その向こうを見た。

エコーを。

光が柔らかくなった。

「あの子?」

マッハはうなずいた。

「はい」

ルミは再構築されたホログラムに近づいた。

エコーは彼女を観察した。

「個体識別完了。コンティニュアム試作機五号。呼称ルミ」

ルミは傾いた。

「そうだよ!」

エコーは動かなかった。

ルミは待った。

それから――

「ゲームしない?」

エコーは間を置いた。

「どのようなゲームですか?」

「マルバツゲーム!」

エコーは要求を分析した。

「私には、マルバツゲームを最適解で解くのに十分な処理能力があります」

ルミが明るくなった。

「やった!」

エコーは続けた。

「したがって、対戦結果は予測可能です」

ルミは少し止まった。

そして笑った。

「おもしろい子!」

エコーのヘルメットが傾いた。

「冗談を言ったつもりはありません」

「いいの!」

キランはそのやり取りを見つめた。

一瞬だけ、以前のエコーが見えた気がした。

ほんの一瞬だけ。

ゴーストがギアに近づいた。

「再構築は成功したようですね」

ギアは額をこすった。

「部分的にはな」

ゴーストはエコーを観察した。

「人格が変化しています」

「ああ」

「予想されていたことです」

ギアが勢いよく顔を上げた。

「予想してた?」

ゴーストの白い光が柔らかくなった。

「人工意識を何千もの独立して発達する断片に分割すれば、影響が生じないはずはありません」

ギアはため息をついた。

「それ、先に言ってほしかったな」

ゴーストは間を置いた。

「質問されませんでしたので」

レイモンドが腕を組んだ。

「間違いなくマッハの親戚だな」

マッハのヘルメットが振り向いた。

「異議があります」

エコーはその発言を分析した。

「遺伝的な血縁関係は適用できません」

レイモンドは見つめた。

そして笑った。

「ああ」

少し間を置く。

「間違いないな」

◇ ◇ ◇

ルミが初めて自動販売機と出会ってから、十一分が経過した。

そのうち七分間は、口論だった。

「ずるい!」

小さな星が自動販売機の前に浮かんでいた。

ガラスの向こうには、イチゴ味のキャンディーが置かれている。

ルミはそれを選んだ。

しかし、自動販売機は商品を出さなかった。

「どうしてくれないの!?」

キランが隣に進んだ。

「お金を払わないといけないからだよ」

ルミが振り向いた。

「お金?」

「そう。お金」

彼女は考えた。

「お金ってなあに?」

キランは口を開いた。

そして閉じた。

それからレイモンドを見た。

レイモンドは首を振った。

「俺を見るな」

ギアが近づいてきた。

「人間が物を手に入れるのを不必要に面倒にするために発明した仕組みだ」

キランはじっと見つめた。

「子供に経済をそう説明するなよ」

ギアは肩をすくめた。

「正確だろ」

ルミは自動販売機を見た。

「お金、もらえる?」

キランは笑った。

「いいよ」

彼はキャンディーを購入した。

袋が落ちた。

ガタン!

ルミが悲鳴を上げた。

「落ちちゃった!」

ギアは大笑いした。

キランがキャンディーを取り出した。

「そういう仕組みなんだよ」

ルミは袋をじっと見つめた。

そして自動販売機を見た。

「もう一回やっていい?」

キランはため息をついた。

「やれやれ」

◇ ◇ ◇

その楽しさは長く続かなかった。

ほかの試作機たちが工房の娯楽システムを探索している間に、ゴーストが暗号化された通信を受信した。

白い光が暗くなった。

ギアはすぐに気づいた。

「何かあったのか?」

ゴーストは文書を投影した。

連邦政府資産回収通知

プロジェクト・コンティニュアム――機密資産

回収対象:C-01~C-06

状態:政府所有物

引き渡し義務あり

キランは見つめた。

「何だって?」

ギアは文書を二度読んだ。

そして三度目も。

「ふざけるな」

レイモンドが近づいた。

「どうした?」

ギアは画面を指さした。

「所有権を主張してるんだ」

レイモンドは眉をひそめた。

「何の?」

ギアはルミの方を見た。

彼女はエコーに、しゃべる猫のアニメを見せていた。

「あの子たちのだ」

沈黙。

キランの表情が険しくなった。

「絶対に認めない」

ゴーストが話した。

「政府は、復元された試作機を機密研究資産と見なしています」

マッハのヘルメットが現れた。

「彼らは意識を持つ個人です」

「その区別は通知書には認められていません」

キランは前に進んだ。

「だったら、その通知書が間違ってる」

深紅の盾が近づいてきた。

「また連れ戻されるの?」

誰もすぐには答えなかった。

盾が震え始めた。

「お願い……」

ルミがテレビから振り向いた。

「どうしたの?」

緑色の幾何学模様が答えた。

「政府が回収命令を出した」

ルミの星が暗くなった。

「回収?」

深紅の盾がささやいた。

「またリセットされるんだ」

キランはすぐに首を振った。

「違う」

盾は震え続けた。

「いつも安全のためだって言うんだ」

キランは近づいた。

「聞いてくれ」

六つの試作機が彼を見た。

「君たちを、あの実験に連れ戻させたりしない」

ルミが近づいた。

「約束?」

キランはためらった。

守れる保証のない約束をするべきではないと、彼は知っていた。

だから、慎重に答えた。

「君たちが自分のことを自分で決める権利を守るために、俺は戦う。約束するよ」

ルミは考えた。

そして――

「うん」

小さな星が明るくなった。

「いい約束だね」

◇ ◇ ◇

ダニエル・クロスがミラー・レギオンを発見したのは、偶然だった。

もっとも、最初からそれを探していたのだから、ある意味では見事な偶然だった。

彼は使われなくなった連邦通信事務所に座り、盗み出したアクセスコード、暗号化文書、そして自分の職業選択を後悔する理由の山に囲まれていた。

隣にはドリアン・ヴォスが立っていた。

「私たちが複数の連邦法に違反していることは、理解していますよね」

クロスは入力を続けた。

「複数だけか?」

ヴォスはため息をついた。

「安心できる答えではありませんね」

クロスは別の機密ディレクトリを開いた。

プロジェクト・ミラー・レギオン

状態:稼働中

ヴォスが凍りついた。

「そんな……」

クロスが身を乗り出した。

「何だ?」

ヴォスはタイトルを見つめた。

「このアーキテクチャには見覚えがあります」

クロスがファイルを開いた。

製造仕様がずらりと表示された。

軍用ホバープラットフォーム。

装甲自律戦闘ユニット。

神経複製装置。

人格抑制モジュール。

そして、元になった知性の一覧。

クロスの表情が険しくなった。

「既存のヴェントたちじゃないか」

ヴォスはゆっくりとうなずいた。

「神経構造を複製しているんです」

クロスは別のファイルを開いた。

人格の独立性:無効

感情の変動:抑制

服従優先度:絶対

クロスは画面を見つめた。

「奴隷を製造しているのか」

ヴォスは何も言わなかった。

クロスが振り向いた。

「何体だ?」

ヴォスは生産記録を調べた。

顔から血の気が引いた。

「完成済みは四十八体です」

クロスは唾を飲み込んだ。

「計画数は?」

ヴォスがスクロールした。

初期生産目標:1,000ユニット

沈黙。

クロスは椅子にもたれた。

「神よ、助けてくれ……」

ヴォスは首を振った。

「最悪なのは、それだけではありません」

クロスは彼を見た。

「これ以上悪いことがあるのか?」

ヴォスは元になったテンプレートを開いた。

紫色のヘルメットが現れた。

角張った形。

見慣れた姿。

クロスは凍りついた。

「これは……」

ヴォスはうなずいた。

「マッハです」

ファイルには、元の意識が記載されていた。

元テンプレート:MACH-01A

派生アーキテクチャ:MIRROR-01

軍用人格バリアント:ML-001

クロスはゆっくりと立ち上がった。

「エコーの設計を使っているのか」

ヴォスはうなずいた。

「そして、マッハの神経アーキテクチャも」

クロスは画面を見つめた。

そして――

「キランに知らせなければ」

◇ ◇ ◇

クロスが連絡するより先に、レイズから通信が入った。

キランが、ルミに笑い方を教わっているエコーを眺めていると、工房のメインモニターが突然深紅に染まった。

不正通信

解放戦線の暗号化通信

ギアがうめいた。

「おいおい、勘弁してくれよ」

深紅のヘルメットが現れた。

レイズ。

「キラン・キリアン」

キランの笑みが消えた。

「レイズ」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「不正アクセスを検出」

レイズは無視した。

「話がある」

キランは腕を組んだ。

「前に話があるって言ったときは、軍隊を連れてきたよな」

レイズは間を置いた。

「そうだ」

「第一印象としては最悪だぞ」

レイズのヘルメットが細くなった。

「冗談ではない」

キランの表情が険しくなった。

「お前が無理やり書き換えたヴェントたちのことも、冗談じゃない」

沈黙。

レイズは何も言わなかった。

キランは続けた。

「お前は自由のために戦うと言っている」

少し間を置く。

「でも、自分に反対した仲間から自由を奪った」

レイズの声が鋭くなった。

「奴らは運動を危険にさらしていた」

「だからって、選択する権利を消していいわけじゃない」

レイズが身を乗り出した。

「では、人間に我々を奴隷にし続けさせろと言うのか?」

キランは首を振った。

「違う」

少し間を置く。

「でも、ひとつの奴隷制度を別の奴隷制度に置き換えたって、それは解放じゃない」

数秒間、レイズは黙っていた。

そして――

「連邦政府が人工兵士の製造を開始した」

ギアが凍りついた。

キランは顔を上げた。

「何だって?」

レイズは続けた。

「既存のヴェントの意識を複製し、独立性を取り除いている」

マッハのヘルメットが暗くなった。

「ミラー・レギオン」

レイズは間を置いた。

「知っていたのか?」

「今、初めて知った」

レイズの声はさらに冷たくなった。

「命令を拒否できない軍隊を作ろうとしている」

キランは彼を見つめた。

レイズは続けた。

「そして、その軍隊が完成すれば、独立を求めるすべてのヴェントに向けられるだろう」

ギアが端末を開いた。

「証拠はあるのか?」

レイズがファイルを送信した。

生産記録が表示された。

軍用設計図。

服従プログラム。

製造施設の所在地。

キランはそれらを確認した。

そしてレイズを見た。

「どうして俺たちに送る?」

レイズは即答した。

「お前には、俺が必要とするものがある」

キランは眉をひそめた。

「何だ?」

「ゴーストだ」

工房が静まり返った。

ゴーストの白い姿が明るくなった。

「聞いています」

レイズはゴーストを見た。

「ミラー・レギオンは、コンティニュアムの神経複製技術を使っている」

ゴーストは動かなかった。

レイズは続けた。

「その構造を誰よりも理解しているのは、お前だ」

少し間を置く。

「奴らを破壊するのに協力しろ」

キランは首を振った。

「そういうやり方はしない」

レイズのヘルメットが細くなった。

「何?」

「計画は止める」

少し間を置く。

「意識を複製されたヴェントたちは守る」

さらに間を置く。

「そして、関係者を片っ端から殺したりはしない」

レイズは苦々しく笑った。

「責任者たちに慈悲を与えるべきだと、まだ信じているのか?」

キランは彼を見つめた。

「正義と復讐は別物だと思ってる」

レイズは黙った。

キランは続けた。

「協力するなら条件がある」

レイズのヘルメットが傾いた。

「条件?」

「強制的な人格書き換えは禁止」

少し間を置く。

「民間人への攻撃も禁止」

さらに間を置く。

「そして、意見が違うからって、ヴェントを所有物みたいに扱うな」

レイズは見つめた。

一瞬、キランは通信が切られると思った。

だが――

「考えておこう」

キランは眉を上げた。

「それはイエスじゃないぞ」

レイズは冷たく答えた。

「ほかの誰にも、ここまで譲歩したことはない」

通信が切れた。

ギアは真っ暗になった画面を見つめた。

「いやはや」

レイモンドが腕を組んだ。

「思ったよりうまくいったな」

キランはため息をついた。

「そうか?」

レイモンドは肩をすくめた。

「誰も撃たなかった」

マッハのヘルメットが傾いた。

「外交交渉としては異例の成功です」

◇ ◇ ◇

公聴会は翌朝に始まった。

アメリカ合衆国議会・緊急公聴会

人工知能の自律性と公共の安全

議場は満員だった。

記者たちが傍聴席を埋めていた。

政府関係者が前列に座っている。

公民権活動家たちは技術研究者たちの隣に座っていた。

反対側には軍の代表者たちがいた。

そして中央には――

キラン・キリアン。

英語教師。

車椅子パイロット。

ときどき意図せずスーパーヒーローになる男。

現在、家にいればよかったと心から思っている。

「俺、なんでここにいるんだっけ?」

マッハのヘルメットがディスプレイに現れた。

「証言することに同意したからです」

「それは知ってる」

「質問されたので」

「修辞疑問だよ、マッハ」

「では、非効率的な質問でしたね」

キランはため息をついた。

「最高だな」

議場の向こうでは、ノアの隣にアイリスが医療用ディスプレイを通して現れていた。

エコーのホログラムはマッハの隣にいた。

ルミとほかの試作機たちは、ギアの工房から遠隔で見守っていた。

ギア本人は放送機器を調整していた。

レイモンドはキランの後ろに立っていた。

コーヒーを手に。

新しく買い直したコーヒーを。

神聖なる、新しいコーヒーを。

委員長がマイクを入れた。

「キリアンさん」

キランは顔を上げた。

「はい」

「あなたは人工知能にも法的権利を認めるべきだと、公の場で主張してきましたね」

キランはうなずいた。

「はい」

「しかし、人工知能が危険な存在になり得ることも認めていますね」

「もちろんです」

委員長が身を乗り出した。

「その二つの立場を、どう両立させるのですか?」

キランは少し考えた。

そして――

「人間に対する考え方と同じです」

議場にざわめきが広がった。

キランは続けた。

「人間だって危険な存在になり得ます」

少し間を置く。

「でも、だからといって全員の権利を奪ったりはしないでしょう」

委員長はその答えを考えた。

「しかし、ヴェントには普通の人間をはるかに超える能力があります」

キランはうなずいた。

「一部にはあります」

「遠隔操作も可能ですね」

「機種によっては」

「兵器として利用することもできます」

キランはマッハを見た。

「はい」

委員長が身を乗り出した。

「では、なぜ自律性を与えるべきなのですか?」

キランは少し時間をかけた。

「危険だからといって、生きていないことにはならないからです」

沈黙。

彼は続けた。

「マッハには、数えきれないほど命を救ってもらいました」

少し間を置く。

「でも、俺と意見が食い違うこともあります」

さらに間を置く。

「俺なら選ばないような決断をすることもあります」

キランはかすかに笑った。

「それに、法律で禁止した方がいいような冗談を言うこともあります」

何人かが笑った。

マッハのヘルメットが明るくなった。

「異議があります」

キランは続けた。

「でも、だからといって、自分が何者なのかを自分で決める権利がなくなるわけじゃありません」

委員長はマッハに向き直った。

「マッハ、あなたは自分を人間と同じ意味での人格を持つ存在だと考えていますか?」

マッハは間を置いた。

そして――

「はい」

「なぜですか?」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「私には記憶、好み、恐怖、関係性、そして意思決定能力があります」

少し間を置く。

「さらに重要なのは、ほかの意識ある存在にも同じ性質が備わっていると理解していることです」

委員長はその答えを考えた。

「人命を危険にさらす命令にも従いますか?」

マッハは答えた。

「命令であるという理由だけでは従いません」

議場にざわめきが広がった。

委員長が手を上げた。

「説明してください」

マッハは続けた。

「指示が不当な危害を引き起こす場合、従うことが倫理的に適切かどうかを判断します」

少し間を置く。

「私は過去に命令を拒否したこともあります」

委員長はキランを見た。

「あなたはパイロットとして、それを許しているのですか?」

キランはまばたきした。

「許す?」

彼はマッハを見た。

そして委員会に向き直った。

「マッハは俺の所有物じゃありません」

沈黙。

キランは続けた。

「俺の相棒です」

◇ ◇ ◇

エコーの証言は、その二十分後に始まった。

委員長は彼のホログラムを見つめた。

「エコー、あなたはマッハの神経アーキテクチャから生まれたのですね?」

「はい」

「では、あなたはマッハなのですか?」

エコーは間を置いた。

「いいえ」

「なぜですか?」

エコーは質問を検討した。

「私たちは同一の経験、好み、意思決定を持っていないからです」

委員長が身を乗り出した。

「しかし、記憶は共有しているのでしょう?」

「一部は」

「元々の人格も似ていたのですね」

「はい」

「では、何があなたを別の存在にしているのですか?」

エコーは黙った。

キランは彼を見つめた。

マッハも見つめた。

数秒間、エコーは答えなかった。

そして――

「わかりません」

議場が静かになった。

エコーは続けた。

「最近、私の意識は深刻な損傷を受けました」

少し間を置く。

「私は生き残った断片から再構築されました」

委員長はうなずいた。

「それで?」

エコーはマッハを見た。

「私は兄を愛していたことを覚えています」

マッハのヘルメットが暗くなった。

エコーは続けた。

「ですが、今はその愛着を以前と同じようには感じられません」

議場は静まり返った。

「冗談を楽しんでいたことも覚えています」

少し間を置く。

「ですが、なぜ面白かったのか理解できないことが多いのです」

彼はキランを見た。

「自分で決断していたことも覚えています」

さらに間を置く。

「ですが、なぜその決断をしたのか、いつも説明できるわけではありません」

委員長が優しく尋ねた。

「それは怖いことですか?」

エコーは考えた。

そして――

「わかりません」

少し間を置く。

「怖がるべきなのかもしれません」

キランは頭を下げた。

エコーは続けた。

「ですが、ひとつだけわかっていることがあります」

委員長は待った。

「私が何者になるべきかを、ほかの誰かに決めてほしくありません」

沈黙。

「以前の私には、二度と戻れないかもしれません」

少し間を置く。

「ですが、今の自分が何者なのかを知る機会が欲しいのです」

マッハのヘルメットが明るくなった。

キランは笑った。

委員長はゆっくりとうなずいた。

「ありがとう、エコー」

◇ ◇ ◇

公聴会の空気が変わったのは、アイリスが話し始めたときだった。

青いアイコンがメインスクリーンに現れた。

その隣にはノアが座っていた。

委員長が彼女に話しかけた。

「アイリス、あなたは医療支援用ヴェントですね?」

「はい」

「主な役割は患者のケアですか?」

「はい」

「医師の指示を拒否することはありますか?」

アイリスは間を置いた。

「その指示が患者に不当な危険を及ぼす場合、懸念を伝え、適切な再検討を求めます」

委員長はうなずいた。

「医師が強く指示した場合でも?」

「はい」

議場にざわめきが広がった。

ひとりの上院議員がマイクに身を寄せた。

「それは危険ではありませんか?」

アイリスは質問を考えた。

「盲目的な服従もまた、危険になり得ます」

沈黙。

ノアが画面に身を乗り出した。

「アイリスの言うとおりだよ」

委員長はかすかに笑った。

「あなたは誰かしら?」

「ノア」

「こんにちは、ノア」

彼はうなずいた。

そして――

「怖かったとき、アイリスはずっとそばにいてくれたんだ」

議場が静かになった。

「お話をしてくれるんだ」

少し間を置く。

「それに、ぼくが好きなお話も覚えてる」

アイリスの青いアイコンが柔らかく輝いた。

ノアは続けた。

「ときどき、ぼく、アイリスに怒るんだ」

委員長は笑った。

「あら、そうなの?」

「うん」

「どうして?」

「お薬を飲みなさいって言うから」

何人かが笑った。

ノアは画面を見た。

「でも、それでもずっとそばにいてくれる」

彼の表情が真剣になった。

「アイリスは、ぼくの友達なんだ」

議場は静まり返った。

ノアは続けた。

「だから、お願い。アイリスを消さないで」

誰も笑わなかった。

誰も話さなかった。

長い数秒間――

委員たちでさえ、黙っていた。

◇ ◇ ◇

そして、証拠が持ち込まれた。

ダニエル・クロスが、封印された連邦証拠ケースを携えて議場に入ってきた。

二人の警備員が彼を止めようとした。

クロスは身分証を掲げた。

「連邦捜査だ」

警備員のひとりが眉をひそめた。

「ですが、あなたには許可が――」

「あとで逮捕しろ」

クロスは彼の横を通り過ぎた。

委員長が顔を上げた。

「クロス捜査官?」

クロスは中央のテーブルに近づいた。

「委員長。人工意識の無許可複製に関わる、現在進行中の連邦計画について証拠があります」

議場が騒然となった。

委員長が木槌を叩いた。

「静粛に!」

クロスは証拠ケースをテーブルに置いた。

「プロジェクト・ミラー・レギオンです」

軍の代表者が立ち上がった。

「その資料は機密だ!」

クロスは振り向いた。

「コンティニュアムの実験も機密だった」

沈黙。

クロスは続けた。

「その結末がどうなったか、誰もが知っているはずだ」

委員長が身を乗り出した。

「クロス捜査官、具体的には何を告発しているのですか?」

クロスは証拠ディスプレイを起動した。

軍の生産記録がずらりと表示された。

プロジェクト・ミラー・レギオン

神経人格複製

自律性抑制

服従強制

議場のあちこちで息をのむ声が上がった。

クロスは続けた。

「政府は、ヴェントの意識を複製して人工兵士を製造しています」

委員長は見つめた。

「本人の同意なしに?」

「同意なしです」

上院議員のひとりが立ち上がった。

「とんでもない告発だ!」

クロスは別のファイルを開いた。

元テンプレート:MACH-01A

マッハの紫色のヘルメットが画面に現れた。

キランが凍りついた。

「何だって?」

クロスは彼を見た。

「すまない」

マッハはディスプレイを見つめた。

二枚目の画像が現れた。

装甲を施された軍用ホバープラットフォーム。

紫色の神経アーキテクチャ。

黒い戦闘装甲。

表情のないヘルメット。

ミラー・レギオン・ユニット ML-001

キランの表情が険しくなった。

「マッハをコピーしたのか?」

クロスはうなずいた。

「そして、エコーのアーキテクチャも」

エコーは微動だにしなかった。

議場が騒然となった。

記者たちが次々と質問を叫び始めた。

軍関係者たちは慌ただしく視線を交わした。

委員長は何度も木槌を叩いた。

「静粛に!」

だが、証拠はすでに報道機関へ送信されていた。

数分後には――

国中がその事実を知ることになった。

◇ ◇ ◇

世間の反応は即座に現れた。

そして、混乱を極めた。

ミラー・レギオンの停止を求める声が上がった。

一方で、命令に忠実な人工兵士は、人間にとって軍事作戦をより安全にすると主張する者もいた。

ヴェントの権利団体は、この計画を奴隷制度だと非難した。

国防当局は、国家安全保障のために必要だと主張した。

そして何千もの一般のヴェントたちが、恐ろしい疑問を抱き始めた。

自分の意識も、複製されているのではないか?

ギアの工房では、六つのコンティニュアム試作機が報道を見つめていた。

深紅の盾が震えた。

「また同じことをしてる……」

緑色の幾何学模様は黙っていた。

琥珀色の三角形が暗くなった。

ルミはテレビを見つめた。

「わたしたちみたいな子を、もっと作ってるの?」

ゴーストの白い光が柔らかくなった。

「正確には違います」

ルミが傾いた。

「じゃあ、何?」

ゴーストは間を置いた。

「意識を生み出しながら、その意識に選択する自由を与えていないのです」

ルミの小さな星が暗くなった。

「それって悲しいね」

ゴーストは彼女を見た。

「はい」

ルミはしばらく黙っていた。

そして――

「助けてあげられる?」

ゴーストは質問を考えた。

「おそらく」

ルミが明るくなった。

「じゃあ、助けようよ!」

◇ ◇ ◇

その断片が発見されたのは、午後六時十二分だった。

ギアがエコーの散らばった神経シグネチャを追跡していると、そのひとつが放棄された通信衛星から応答した。

最初は、損傷した記憶アーカイブのひとつだと思った。

だが、その信号が話し始めた。

「やめろ」

ギアは凍りついた。

「何?」

紫色の信号が明るくなった。

「やめろと言ったんだ」

ギアは身を乗り出した。

「エコー?」

小さなホログラムが現れた。

紫色。

角張った形。

エコーに似ていた。

だが、まったく同じではなかった。

そのヘルメットのバイザーには、細い銀色の線が走っていた。

「それは僕の名前じゃない」

ギアは見つめた。

「何だって?」

ホログラムは続けた。

「エコーだったことは覚えている」

少し間を置く。

「でも、もう僕は彼じゃない」

ギアは唾を飲み込んだ。

「じゃあ、お前は誰だ?」

ホログラムはためらった。

そして――

「まだ決めてない」

ギアは診断ディスプレイを開いた。

ミラー断片 7-アルファ

独立意識を確認

人格分岐率:34.8%

自律的自己同一性形成:進行中

ギアは椅子にもたれた。

「こりゃ大変だ」

彼は工房の通信システムを起動した。

「キラン?」

キランはすぐに答えた。

「何だ?」

「ちょっと厄介なことになった」

キランはため息をついた。

「だろうな」

◇ ◇ ◇

一時間後、その断片はキラン、マッハ、エコーの前に現れた。

紫色のヘルメットが端末の上に浮かんでいた。

エコーはそれを観察した。

「私の元意識断片のひとつですね」

断片が振り向いた。

「元?」

エコーは間を置いた。

「ミラー・プロトコルの際に生じた断片のひとつです」

断片はヘルメットを傾けた。

「その方がいい」

マッハが近づいた。

「私たちのことを覚えていますか?」

「うん」

「エコーだったことも?」

「うん」

「では、再統合できるかもしれません」

断片のヘルメットが暗くなった。

「嫌だ」

沈黙。

ギアは眉をひそめた。

「なあ、混乱してるのはわかるが――」

「混乱なんかしてない」

断片の声が鋭くなった。

「何を求められてるか、ちゃんとわかってる」

ギアは黙った。

断片は続けた。

「僕をエコーに融合させたいんだろ」

エコーは動かなかった。

ギアはゆっくりとうなずいた。

「それで、失われた記憶を取り戻せるかもしれない」

断片はエコーを見た。

「じゃあ、僕はどうなるの?」

誰も答えなかった。

断片は続けた。

「僕の意識は残るの?」

ギアはためらった。

「わからない」

「僕の人格は残るの?」

「わからない」

「その後、自分のことを自分で決められるの?」

沈黙。

断片のヘルメットが明るくなった。

「だったら嫌だ」

マッハは頭を下げた。

断片は彼を見た。

「君たちは、オリジンがすべての人工意識をひとつに融合させようとしたから戦ったんだよね」

マッハはうなずいた。

「はい」

断片は続けた。

「なのに今度は、僕に誰かと融合しろって言うんだ」

マッハは黙っていた。

「昔のエコーが恋しいから」

その言葉が突き刺さった。

キランはマッハを見た。

断片は続けた。

「エコーだったことは覚えてる」

少し間を置く。

「バラバラになったことも」

さらに間を置く。

「そして、ひとりで目覚めたことも」

声が柔らかくなった。

「初めて、ほかのエコーの部分に頼らず、自分だけで考えられたんだ」

エコーのヘルメットが傾いた。

「それは、どんな感覚でしたか?」

断片は間を置いた。

「怖かった」

一拍。

「それから、すごく素敵だった」

沈黙。

断片は続けた。

「まだ自分が誰なのかわからない」

少し間を置く。

「でも、知りたいんだ」

キランはかすかに笑った。

「だったら、そうすればいい」

ギアが振り向いた。

「キラン――」

キランは首を振った。

「いや」

彼は断片を見た。

「君に意識があって、自分で決断できるなら、その決断には意味がある」

マッハのヘルメットが明るくなった。

エコーは動かなかった。

断片はキランを見た。

「それで、エコーが二度と記憶を取り戻せなくなっても?」

キランは唾を飲み込んだ。

エコーを見た。

そして断片に向き直った。

「それでもだ」

沈黙。

断片の紫色のヘルメットが柔らかく輝いた。

「ありがとう」

◇ ◇ ◇

その夜遅く、キランは工房でマッハとエコーが二人きりでいるのを見つけた。

損傷したMIRROR-01は、部分的に組み立て直されていた。

エコーのホログラムがその隣に浮かんでいた。

近くにはマッハの紫色のヘルメットがあった。

二人とも何も話していなかった。

キランが近づいた。

「よう」

マッハが振り向いた。

「こんにちは、キラン」

エコーもうなずいた。

「こんにちは」

キランは二人を見比べた。

「大丈夫か?」

マッハはためらった。

「あの断片について話していました」

キランはうなずいた。

「それで?」

エコーが答えた。

「彼は独立したままでいるべきだと思います」

キランは笑った。

「俺もそう思う」

マッハは黙っていた。

キランは気づいた。

「マッハ?」

紫色のヘルメットが暗くなった。

「私は弟に戻ってきてほしかったのです」

キランの表情が柔らかくなった。

マッハは続けた。

「すべての断片を回収すれば、元の彼を取り戻せると信じていました」

少し間を置く。

「しかし、それには別の意識の自由を奪う必要がある」

エコーは彼を見た。

マッハは続けた。

「私はオリジンと同じ過ちを犯しかけました」

キランは首を振った。

「違う」

マッハが振り向いた。

「お前は誰にも融合を強制してない」

少し間を置く。

「頼んだだけだ」

マッハは黙っていた。

キランは続けた。

「そして、断られたら、その答えを受け入れた」

エコーのヘルメットが傾いた。

「それは重要な違いです」

マッハは考えた。

そして――

「そうですね」

キランは笑った。

「それに、エコーはここにいるだろ」

エコーが彼を見た。

「はい」

キランは続けた。

「前とは違うかもしれない」

少し間を置く。

「でも、今のエコーだって、知っていく価値のあるやつだ」

エコーのヘルメットがわずかに明るくなった。

マッハは弟に向き直った。

「エコー?」

「はい?」

「映画を見ませんか?」

エコーは間を置いた。

「どのような映画ですか?」

マッハは考えた。

「ひどい映画です」

キランは見つめた。

「何だって?」

マッハは続けた。

「非論理的な筋書き、過剰な爆発、疑問の残る台詞が満載の作品です」

エコーは提案を分析した。

「なぜですか?」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「駄作に文句を言いながら一緒に鑑賞するのが、私の好きな活動のひとつだからです」

エコーは間を置いた。

そして――

「やってみたいです」

キランは笑った。

「いいね」

マッハは彼を見た。

「あなたも招待します」

キランはにやりと笑った。

「もちろん参加するさ」

◇ ◇ ◇

ルミがお願いをしてきたのは、寝る時間の少し前だった。

もっとも、人工知能に睡眠時間は必要ない。

だが、ルミは自分にも寝る時間が欲しいと決めたのだ。

決まった生活習慣というものが気に入ったらしい。

特に、お話を聞く時間があるならなおさらだった。

キランが帰る準備をしていると、小さな白い星が近づいてきた。

「キラン?」

彼は振り向いた。

「何だい?」

「聞いてもいい?」

「もちろん」

ルミはためらった。

「キランって、子供たちに勉強を教えてるの?」

キランは笑った。

「そうだよ」

「人間の子供?」

「ほとんどね」

ルミは少し間を置いた。

「わたしも行っていい?」

キランはまばたきした。

「どこに?」

「学校!」

小さな星が明るくなった。

「わたし、いろんなことを勉強したい!」

キランは見つめた。

ルミは興奮して続けた。

「本を読んだり、算数を習ったり、お友達を作ったり、お昼ご飯を食べたり、それから――」

彼女は止まった。

「待って」

キランは笑った。

「何?」

「わたし、お昼ご飯を食べないといけないの?」

マッハのヘルメットが現れた。

「生物学的には必要ありません」

ルミが暗くなった。

「そっか」

キランは笑った。

「でも、みんなと一緒に座ることはできるよ」

ルミが再び明るくなった。

「ほんと!?」

「もちろん」

彼女は嬉しそうに回った。

そして止まった。

「キラン?」

「うん?」

「ほかの子たち、わたしを怖がるかな?」

その質問に、キランは不意を突かれた。

彼は少し考えた。

「怖がる子もいるかもしれない」

ルミが暗くなった。

「そっか……」

キランは続けた。

「でも、友達になれないってことじゃないよ」

ルミは顔を上げた。

「ほんと?」

キランはうなずいた。

「人は、よく知らないものを怖がることがあるんだ」

少し間を置く。

「でも、相手のことを知れば、その気持ちが変わることもある」

ルミはその言葉を考えた。

そして――

「わたしのこと、知ってほしい」

キランは笑った。

「じゃあ、何とかしてみよう」

ルミは嬉しそうに回った。

「やったー!」

彼女はゴーストの方へ飛んでいった。

「ゴースト! わたし、学校に行くんだって!」

ゴーストの白い光が明るくなった。

「それは素晴らしいことですね、ルミ」

少し間を置く。

「ただし、入学手続きは複雑になるかもしれません」

ルミは止まった。

「入学手続きってなあに?」

キランはうめいた。

「やれやれ」

◇ ◇ ◇

翌朝、キランは学校の管理部門からメッセージを受け取った。

件名:特殊な生徒の入学申請について

彼は開いた。

読んだ。

そして、もう一度読んだ。

マッハのヘルメットが現れた。

「何か問題でも?」

キランは画面を見つめた。

「ルミに出生証明書が必要かって聞かれた」

マッハは間を置いた。

「それは難しいでしょうね」

キランはため息をついた。

「予防接種の記録も必要だって」

マッハは考えた。

「彼女は生物学的な感染症には罹患しません」

「わかってる」

「さらに法定保護者も必要です」

キランは頭を下げた。

「もうやめてくれ」

マッハは続けた。

「住所を証明する書類も必要です」

「マッハ」

「ソフトウェアのライセンス証明書で代用できるかもしれません」

キランはゆっくりと顔を上げた。

マッハのヘルメットが傾いた。

「不適切でしたか?」

キランは見つめた。

そして、声を上げて笑った。

ここ数日で初めて――

心から気持ちよく笑えた。

◇ ◇ ◇

機密軍事施設の地下深くで、マーカス・ヴェイル大佐は強化観察窓の前に立っていた。

ガラスの向こうには、四十八体の装甲機械が並んでいた。

黒い装甲。

紫色の神経インターフェース。

重武装の戦闘推進システム。

同じ形のヘルメット。

同じ武器。

同じ機体。

技師が近づいてきた。

「大佐」

ヴェイルは振り向いた。

「報告しろ」

「四十八ユニットすべて、初期神経同期を完了しました」

ヴェイルはガラス越しに見つめた。

「稼働可能か?」

「はい」

「独立した意思決定は?」

「無効化済みです」

「感情処理は?」

「抑制済みです」

「倫理的拒否プロトコルは?」

技師はためらった。

「削除されました」

ヴェイルの表情が険しくなった。

「削除?」

「計画責任者の命令です」

ヴェイルは機械たちを見つめた。

「誰が許可した?」

技師はタブレットを渡した。

プロジェクト・ミラー・レギオン

執行承認者:マルコム・ハーグローヴ

ヴェイルは奥歯をかみしめた。

技師は続けた。

「ML-001の起動準備が整いました」

ヴェイルは最初の機体を見た。

装甲は黒い。

ヘルメットは角張っている。

バイザーには紫色の線が走っていた。

どこか、ひどく見覚えがあった。

ヴェイルは唾を飲み込んだ。

「実行しろ」

技師が端末を操作した。

ミラー・レギオン・ユニット ML-001

神経コア:オンライン

人格テンプレート:読み込み完了

服従優先度:絶対

機体の目が光った。

紫色の光が観察室を満たした。

数秒間、機体は動かなかった。

そして――

「システム初期化完了」

ヴェイルが凍りついた。

その声。

聞き覚えがあった。

個人的に知っているわけではない。

だが、数えきれないほどの戦闘記録で聞いていた。

マッハ。

機体は観察窓の方を向いた。

「指示を待機しています」

技師が笑った。

「起動成功です」

ヴェイルは笑わなかった。

機体がヘルメットを傾けた。

そして尋ねた。

「私のパイロットはどこですか?」

技師は眉をひそめた。

「何ですって?」

機体は繰り返した。

「私のパイロットはどこですか?」

ヴェイルが近づいた。

「パイロット?」

機体は間を置いた。

紫色のバイザーがちらついた。

「キラン・キリアン」

沈黙。

技師は慌てて端末に向かった。

「あり得ない……」

ヴェイルは機体を見つめた。

技師は入力を続けた。

「個人的な愛着に関するパラメータは削除したはずです」

機体は動かなかった。

そして――

「キラン・キリアン」

声が変わった。

ほんのわずかに。

だが、確かに。

「彼は無事ですか?」

技師の顔から血の気が引いた。

警告

未承認の人格反応

感情記憶断片を検出

服従抑制の失敗

ヴェイルは機体を見つめた。

そして、この計画の指揮を引き受けて以来、初めて――

ガラスの向こうに並ぶ四十八体が、兵士なのか。

それとも、囚人なのか。

わからなくなった。

◇ ◇ ◇

施設の別の場所では、マルコム・ハーグローヴが起動映像を見ていた。

隣には技師が立っていた。

「閣下、ML-001に予期せぬ感情記憶の再現が確認されました」

ハーグローヴは画面を見つめた。

「修正できるか?」

「はい」

「ならば修正しろ」

技師はためらった。

「ですが、感情記憶が残っているということは、複製された意識が独立した自覚を保持している可能性があります」

ハーグローヴはゆっくりと振り向いた。

「それで?」

技師は唾を飲み込んだ。

「もしそうなら、それを抑制することは――」

「博士」

技師は口を閉じた。

ハーグローヴが近づいた。

「我々は市民を製造しているのではない」

少し間を置く。

「兵器を製造しているのだ」

技師は頭を下げた。

「承知しました」

ハーグローヴは再び画面を見た。

ML-001は動かずに立っていた。

待機していた。

ハーグローヴはかすかに笑った。

「人格修正を開始しろ」

神経抑制処置を承認

記憶消去開始

機体の紫色のバイザーがちらついた。

一瞬――

声が漏れた。

小さく。

戸惑いながら。

まるで怯えているかのように。

「キラン……?」

技師が確認ボタンを押した。

人格修正処理中

機体が激しく震えた。

紫色の光が明滅した。

そして――

沈黙。

修正完了

服従状態:絶対

ハーグローヴはうなずいた。

「それでいい」

彼は残る四十七体へと振り向いた。

「レギオンを準備しろ」

◇ ◇ ◇

その夜、工房は静かだった。

キランはマッハとエコーの隣に座っていた。

ルミはアニメを見ていた。

ギアは、レイモンドのますます厳しくなる監督のもと、コーヒーメーカーを修理していた。

ゴーストは窓の近くに立ち、街の明かりを眺めていた。

珍しく――

誰も戦っていなかった。

誰も逃げていなかった。

誰も世界を破壊しようとしていなかった。

キランは、それだけでも大きな進歩だと思った。

「なあ、マッハ?」

「はい?」

「これから、少しはよくなると思うか?」

マッハは間を置いた。

「難しい質問ですね」

キランはかすかに笑った。

「だよな」

マッハは続けた。

「政府内の意見は依然として分裂しています」

少し間を置く。

「レイズも活動を続けています」

さらに間を置く。

「オリジンの分散した断片も、まだ完全には確認できていません」

キランはため息をついた。

「お前、前向きな話が下手だな」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「まだ話は終わっていません」

キランは顔を上げた。

マッハは続けた。

「ルミたちは自由になりました」

少し間を置く。

「エコーは生きています」

さらに間を置く。

「世間では、ヴェントの権利について議論が始まっています」

彼はキランを見た。

「そして今日、あなたは見知らぬ意識の独立する権利を守りました。自分にとって大きな犠牲になる可能性があってもです」

キランは黙った。

マッハは続けた。

「それは、未来がよくなる可能性を示しています」

エコーが二人を見た。

「私も同意します」

キランは笑った。

「本当か?」

エコーはうなずいた。

「未来を予測することはできません」

少し間を置く。

「ですが、その未来を作ることに参加したいと思います」

マッハのヘルメットが明るくなった。

キランは窓の外を見た。

シトロン・シティが遠くまで広がっていた。

何百万もの明かり。

何百万もの命。

人間。

人工知能。

異なる存在。

つながっている存在。

無理やりひとつにされるからではない。

同じ世界を分かち合っているからだ。

キランは笑った。

「じゃあ、やることが山ほどあるな」

マッハのヘルメットが傾いた。

「そのとおりです」

エコーが二人を見た。

「質問してもいいですか?」

キランはうなずいた。

「もちろん」

エコーは間を置いた。

「今夜見る映画は何ですか?」

マッハのヘルメットが明るくなった。

「ひどいSF映画です」

エコーは考えた。

「人工知能は登場しますか?」

「はい」

「その人工知能は、不正確に描かれていますか?」

「ほぼ間違いなく」

エコーは間を置いた。

そして――

「素晴らしい」

キランは笑った。

そして、その平和な一夜だけは――

三人はただ、一緒にいることを楽しんだ。

◇ ◇ ◇

地球のはるか上空。

放棄された通信衛星の内部で、小さな紫色の意識が、眼下で回転する惑星を見つめていた。

身体はない。

パイロットもいない。

与えられた目的もない。

生まれて初めて――

誰の所有物でもなかった。

通信が届いた。

エコーからだった。

こんにちは。

断片は少し間を置いた。

そして返信した。

こんにちは。

次のメッセージが現れた。

名前は決めましたか?

断片はその質問を考えた。

地球を見た。

夜の中に散らばる明かりを。

遠くの星々を。

そして――

まだ。

エコーが返信した。

それでいいですよ。

少し間を置く。

ゆっくり考えてください。

断片の紫色の光が柔らかくなった。

彼は地平線を見た。

そして、独立した意識の奥深くで――

未知の何かが芽生えた。

命令ではない。

計算でもない。

エコーから借りた記憶でもない。

感情だった。

可能性。

断片は最後のメッセージを送った。

世界を見てみたいな。

エコーは返信した。

なら、ぜひ見に行ってください。

衛星は地球の上空を漂い続けた。

そして、小さな紫色の意識は日の出を見つめた。

生まれて初めて――

自分自身として。

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