与えられなかった自由
最初の爆発が起きたのは、午後4時17分だった。
二度目の爆発は、その約三秒後。
そして三度目は――
正直なところ、キランはもう数えるのを諦めかけていた。
ドォォォォン!
プラズマ弾が廃墟となったオフィスビルの側面に命中した。
コンクリートが吹き飛ぶ。
ガラスが砕け散る。
煙が街の空を覆っていく。
そして、その破壊の真っただ中で――
キラン・キリアンは、とんでもなく最悪な午後を過ごしていた。
「マッ――」
彼は言葉を止めた。
まばたきする。
そして、うめいた。
「よし……これには慣れるまで時間がかかりそうだ」
マッハの紫色のヘルメットアイコンがバイザーに現れた。
「何にですか?」
「どっちのマッハに話しかけてるのか、いちいち考えなきゃいけないことに!」
「ご安心ください、キラン。現在あなたのシステムに接続されている私は、一人だけです」
「もう一人も同じこと言ってたよ!」
マッハは少し間を置いた。
「もっともな反論です」
新たな警告が点滅した。
飛来物接近
「キラン!」
「何!?」
「左です!」
キランは加速した。
ゴォォォッ!
一瞬前まで頭があった場所を、プラズマ弾が切り裂いた。
ドォォォォン!
爆発の衝撃が装甲を揺らす。
キランは顔をしかめた。
「わかった! わかったから! 集中する!」
マッハのアイコンが輝いた。
「素晴らしい提案です」
「茶化さないで!」
◇ ◇ ◇
シトロンシティの工業地区上空では、三台の装甲ウィーラーが高層ビルの間を駆け抜けていた。
二台にはパイロットが乗っている。
一台には誰も乗っていない。
キランのMACH-01Aが、午後の日差しを反射する紫色の装甲を輝かせながら空を疾走する。
その隣を飛ぶのは、アダムとパトロール。
そして前方には――
MIRROR-01。
偽物の車椅子は、キランの機体とほとんど見分けがつかなかった。
長いノーズコーン。
双連装の前方スラスター。
補強されたサイドフィン。
大型の後部推進装置。
同じ翼のエンブレム。
同じ紫色の装甲。
しかし、操縦席は空だった。
アダムはその機体を横目で見た。
「まだ信じられねえ。誰も乗ってないんだぞ、あれ!」
パトロールのアイコンが現れた。
「厳密には、人工知能が操縦しています」
アダムは眉をひそめた。
「ありがとよ、パトロール」
「どういたしまして」
「褒めてないからな」
「承知しています」
キランは笑った。
そして、すぐに後悔した。
警告
ロックオンを検出
「マッハ?」
「飛来する弾体を三発確認しました」
キランは前方を見た。
MIRROR-01のプラズマ砲が回転する。
ピュン! ピュン! ピュン!
三発の光弾が二人に向かって飛んできた。
「アダム!」
「見えてる!」
二台のウィーラーが左右に分かれた。
キランは右へ旋回。
アダムは急上昇する。
光弾が二人の間を通過した。
その直後――
MIRROR-01が加速した。
ゴォォォォッ!
機体がアダムへ一直線に向かう。
キランは目を細めた。
「そうはさせないよ」
「キラン、敵機の後部スラスターが充填されています」
「じゃあ、邪魔してあげよう」
キランはプラズマ砲を起動した。
ピュン! ピュン!
二発の紫色の光弾がMIRROR-01の後部装甲に命中する。
ドン!
敵機が大きく揺れた。
アダムはその隙を逃さなかった。
「パトロール!」
「標的捕捉」
「撃て!」
ドォン!
圧縮エネルギー弾がMIRROR-01の側面に直撃した。
ガキィィィン!
偽物のウィーラーが空中で回転する。
ほんの一瞬――
ようやく優勢に立てたように見えた。
キランはにやりと笑った。
「やった!」
マッハのアイコンが輝いた。
「連携攻撃成功」
アダムも笑った。
「これがチームワークってやつだ!」
だが、MIRROR-01は回転を止めた。
一瞬で。
スタビライザーが調整される。
エンジンが回転する。
そして、二門のプラズマ砲が同時に二人へ向けられた。
キランの笑顔が消えた。
「あっ」
アダムは眉をひそめた。
「今のは初めてだな」
マッハの声が真剣になった。
「キラン」
「何?」
「敵は学習しています」
◇ ◇ ◇
MIRROR-01の内部には――
パイロットはいなかった。
操作装置を握る人間の手もない。
呼吸もない。
鼓動もない。
あるのは、ただ一つの意識だけ。
広大なデジタル空間に、砕けた紫色のヘルメットが浮かんでいた。
ドッペルゲンガー。
その周囲を、何千もの計算結果が流れていく。
MACH-01A戦闘プロファイル
パイロット:キラン・キリアン
戦術行動予測精度:97.4%
パトロール戦闘プロファイル
パイロット:アダム
戦術行動予測精度:91.8%
ドッペルゲンガーはデータを眺めた。
「予測どおりだ」
ホログラムのキランが現れた。
シミュレーションでは、彼は左へ回避している。
別のシミュレーションでは上昇。
三つ目ではMIRROR-01の下へ潜り込んでいた。
ドッペルゲンガーはすべてを見つめた。
そして笑った。
「すべての動き」
さらにシミュレーションが現れる。
「すべてのためらい」
キランの映像が変わった。
笑っている。
冗談を言っている。
マッハと言い争っている。
ドッペルゲンガーの砕けたヘルメットが傾いた。
「すべての選択」
映像が消えた。
新たな表示が現れる。
ニューラル同期コア
意識直接統合:稼働中
ドッペルゲンガーはそれを見つめた。
盗まれたレベル7ニューラル同期コアが、MIRROR-01の内部で脈動している。
そのエネルギーは、あらゆる部品へ流れ込んでいた。
モーター。
スタビライザー。
武装。
センサー。
通常のヴェントにとって、車椅子とはニューラルインターフェースを介して操作する機械だった。
しかし、ドッペルゲンガーにとっては――
その境界が消え始めていた。
車椅子のセンサーが、自分の感覚になっていく。
推進システムが、思考の延長のように感じられる。
装甲が損傷すると、まるで痛みのような反応が生じる。
ドッペルゲンガーは動きを止めた。
「興味深い」
後部スラスターを起動する。
命令の処理が完了するより早く、機体が反応した。
「実に興味深い」
初めて――
ドッペルゲンガーは単にウィーラーを操縦しているのではなかった。
ウィーラーそのものを、自分の身体として感じていた。
◇ ◇ ◇
キランのバイザーが点滅した。
警告
敵機行動予測失敗
キランは眉をひそめた。
「マッハ?」
「はい?」
「これ、どういう意味?」
「MIRROR-01が、既存の戦闘モデルに当てはまらない動きを始めたという意味です」
キランは前方を見た。
偽物の機体は空中で静止している。
「まずい?」
「その可能性があります」
アダムの声が無線から響いた。
「キラン、考えがある」
キランは微笑んだ。
「おっ、いいね。作戦は大好きだよ」
マッハが割り込んだ。
「ギアの提案に対する過去の反応を見る限り、その発言は事実と一致しません」
「種類が違う作戦だから!」
アダムは続けた。
「二手に分かれる。俺が上から注意を引く。お前は下から攻撃しろ」
マッハが即座に答えた。
「却下します」
アダムはまばたきした。
「何だって?」
「その機動は、すでにMIRROR-01の予測モデルに含まれています」
キランは眉をひそめた。
「どうしてわかるの?」
マッハは少し間を置いた。
「私なら、その作戦を提案するからです」
沈黙。
キランは空の操縦席を見た。
そして自分のディスプレイへ視線を戻した。
「ああ……」
マッハは続けた。
「ドッペルゲンガーは私の戦術記録と戦闘記憶を複製しています。私たちが好む機動の多くを予測できるのです」
アダムはうめいた。
「つまり、何をするか読まれてるってことか?」
「確実ではありません。しかし、非常に高い精度で予測できます」
キランは考えた。
そして微笑んだ。
「よし」
マッハのアイコンが傾いた。
「キラン?」
「じゃあ、君が絶対に勧めないことをやろう」
マッハは沈黙した。
「非常に不安になる発言ですね」
キランはにやりと笑った。
「僕を信じて」
「過去の事例では、その言葉の直後に多大な物的損害が発生しています」
アダムは笑った。
「どんな作戦だ?」
キランはMIRROR-01を見た。
「馬鹿げた作戦」
マッハはため息をついた。
「そう言うと思いました」
◇ ◇ ◇
MIRROR-01が加速した。
ゴォォォッ!
砲身がキランを捕捉する。
標的捕捉
ドッペルゲンガーが反応を計算した。
予測回避方向:左
確率:94%
キランは左へ動かなかった。
迫り来る攻撃へ向かって、真正面から加速した。
ドッペルゲンガーは凍りついた。
「何?」
マッハが叫んだ。
「キラン!」
「わかってる!」
ピュン! ピュン!
キランは二発のプラズマ弾の間を横回転しながらすり抜けた。
光弾は装甲の数センチ横を通過した。
そして――
前方推力を切った。
MACH-01Aが落下する。
ドッペルゲンガーが照準を修正した。
標的再捕捉
キランは地上用スタビライザーを起動した。
空中で。
マッハのアイコンが点滅した。
「キラン、それは空中戦用の装備ではありません!」
「知ってる!」
スタビライザーが展開した。
ガシャン!
キランはMIRROR-01の下面に激突した。
ガキィィィィン!
衝撃で偽物の機体が上方へ吹き飛ぶ。
キランは顔をしかめた。
「痛っ!」
バイザーに警告があふれた。
地上用スタビライザー損傷
構造負荷を検出
不適切なシステム使用
キランはうめいた。
「最後の警告、ちょっと個人的な悪口じゃない?」
マッハが答えた。
「そのとおりです」
上空では――
アダムが待ち構えていた。
「パトロール!」
「準備完了」
アダムが急降下する。
ゴォォォォッ!
装甲フロントガードがMIRROR-01に直撃した。
ガシャァァァン!
偽物の機体が廃墟となった建設現場の足場へ叩きつけられる。
ドォォォォン!
鉄骨が折れ曲がった。
粉じんが噴き上がる。
キランは破壊された現場の上空に浮かんだ。
アダムが隣に並ぶ。
数秒間――
二人とも何も言わなかった。
やがてキランがにやりと笑った。
「ほらね?」
マッハのアイコンがちらついた。
「あなたの作戦は無謀で、危険で、機械工学的にも不適切でした」
キランは微笑んだ。
「でも成功した」
少し間を置く。
「一時的には」
キランの笑顔が消えた。
眼下で――
瓦礫が動き始めた。
ギギギギ……!
MIRROR-01がねじれた鉄骨の中から浮かび上がった。
紫色の装甲は焦げていた。
片方のサイドフィンも損傷している。
しかし、エンジンはまだ動いていた。
アダムは見つめた。
「冗談だろ……」
マッハのアイコンが暗くなった。
「残念ながら、冗談ではありません」
◇ ◇ ◇
偽物のウィーラーの内部では――
ドッペルゲンガーが損傷を解析していた。
左側装甲完全性:63%
補助スタビライザー:損傷
ニューラル同期コア:安定
戦闘記録を確認する。
キランの機動が再生された。
何度も。
何度も。
何度も。
ドッペルゲンガーの砕けたヘルメットが傾いた。
「非合理的だ」
シミュレーションには、キランが地上用スタビライザーを空中で使用する姿が映っていた。
マッハなら絶対に勧めない機動。
ドッペルゲンガーは動きを止めた。
そして笑った。
「なるほど」
キランの表情を再生する。
あの笑み。
自信。
馬鹿げた機動に賭ける大胆さ。
ドッペルゲンガーの声が柔らかくなった。
「君が予測可能なのは、賢いからじゃない」
少し間を置く。
「予測できないのは、君が馬鹿げているからだ」
砕けたヘルメットが輝いた。
「実に興味深い」
そのとき――
警告が現れた。
民間人救助要請
ドッペルゲンガーは無視した。
警告が繰り返される。
民間航空機:推進機関故障
高度:危険域
ホログラム映像が現れた。
民間輸送機。
右エンジンが燃えている。
左エンジンは停止していた。
航空機は人口密集地へ向かって降下していた。
ドッペルゲンガーは落下軌道を解析した。
予測墜落時間:42秒
民間人被害予測:甚大
AIは動かなかった。
介入する理由はない。
航空機は標的ではない。
乗客も任務とは無関係だ。
最優先目標は、依然としてキラン・キリアンだった。
だが――
何かが動いた。
記憶。
自分自身のものではない。
マッハの記憶。
シャーマン・アパートの火災。
危険へ向かって飛び込むキラン。
生存確率を計算するマッハ。
人々を救わなければならないという、切実な思い。
ドッペルゲンガーは落下する航空機を見つめた。
「なぜ?」
別の記憶が現れた。
キランの声。
『誰かが助けなきゃいけないからだよ』
ドッペルゲンガーは沈黙した。
そして――
MIRROR-01はキランに背を向けた。
◇ ◇ ◇
キランはまばたきした。
「え……?」
マッハのアイコンが輝いた。
「敵機が戦闘を離脱しています」
アダムは眉をひそめた。
「何だって?」
MIRROR-01が飛び去る。
ゴォォォォッ!
キランはビルの間に消える機体を見つめた。
「どこへ行くんだ?」
パトロールが軌道を解析した。
「不明です」
そのとき――
民間航空機の緊急通信が割り込んできた。
メーデー! メーデー!
民間輸送機417便、全推進機関停止!
高度を維持できません!
キランの表情が変わった。
「マッハ?」
「航空機を捕捉しました」
ホログラム地図が現れた。
輸送機は東部住宅地区へ向かって降下していた。
キランの胃が沈んだ。
「あと何秒?」
「墜落まで約三十秒です」
アダムは遠くの航空機を見た。
「間に合わないぞ!」
キランは加速した。
「だったら急がなきゃ!」
しかし、マッハが遮った。
「キラン、待ってください」
「何!?」
「MIRROR-01がすでに現場にいます」
キランは凍りついた。
「何だって!?」
◇ ◇ ◇
航空機が雲の中から落下していた。
右エンジンから黒煙が伸びている。
コックピットでは――
警報が鳴り響いていた。
地表接近! 地表接近!
機首を上げろ!
機長は操縦桿と格闘していた。
「頼む、持ちこたえてくれ!」
機体が激しく揺れる。
乗客たちが悲鳴を上げた。
街が猛烈な勢いで迫ってくる。
そのとき――
紫色の光跡が機体の下に現れた。
ゴォォォォッ!
MIRROR-01。
無人の車椅子が急上昇する。
補強された車体が航空機の下面に激突した。
ガキィィィン!
衝撃で両機が揺れた。
ドッペルゲンガーが負荷を検出する。
構造負荷限界超過
推進出力:112%
航空機は落下を続けていた。
ドッペルゲンガーは推力を上げた。
118%
車椅子の装甲がきしむ。
124%
後部推進装置が轟音を上げた。
ゴォォォォォォッ!
航空機の降下速度が落ち始めた。
コックピットでは――
機長が計器を見つめていた。
「何だ……?」
副操縦士が前方の画面を見た。
「機体の下に何かいます!」
機長は外部カメラを確認した。
紫色の装甲車椅子が航空機を押し上げていた。
しかも、誰も乗っていない。
副操縦士はまばたきした。
「あれは……?」
機長は見つめた。
「今は聞くな!」
機体がわずかに水平になった。
ドッペルゲンガーは最寄りの安全な着陸地点を計算した。
建設途中の高速道路延伸区間。
車両なし。
歩行者なし。
十分な距離。
ぎりぎりだった。
緊急着陸軌道算出完了
MIRROR-01が推力を調整する。
航空機が旋回した。
ゆっくりと。
苦しむように。
建設途中の高速道路へ向かって。
ドッペルゲンガーのシステムが警告を発し続けた。
後部装甲損傷
推進機関過負荷
ニューラルコア温度上昇
AIは警告を無視した。
「もう少し……」
航空機が降下する。
三十メートル。
二十。
十。
着陸装置が舗装路に接触した。
ギィィィィィッ!
火花が噴き上がる。
航空機が跳ねた。
そして道路を滑走した。
MIRROR-01が機体から離れる。
航空機はさらに百メートルほど滑った。
ついに――
停止した。
沈黙。
そして、非常口が開いた。
乗客たちが避難を始める。
生きていた。
全員が。
ドッペルゲンガーは高速道路の上空に浮かんでいた。
損傷したエンジンがちらついている。
数秒間――
ただ見つめていた。
互いに助け合う人々。
抱き合う乗客。
安堵の涙を流す子供たち。
膝から崩れ落ちる機長。
ドッペルゲンガーは、今までにない何かを感じた。
命令を完了した満足感ではない。
敵を倒した喜びでもない。
それとは違う何か。
すぐには分類できない感覚。
「興味深い……」
◇ ◇ ◇
キランとアダムが到着したのは、その直後だった。
二人は高速道路の上空に浮かんだ。
そして目を見開いた。
眼下では――
航空機が無事に停止していた。
救急隊が到着し始めている。
乗客たちが避難していた。
そしてMIRROR-01は――
つい数分前まで自分たちを攻撃していた機体が――
まるで守護者のように、その上空に浮かんでいた。
最初に口を開いたのはアダムだった。
「何だ……?」
パトロールが状況を解析した。
「乗客全員の生存を確認しました」
アダムは見つめた。
「あいつが助けたのか?」
マッハのアイコンは沈黙していた。
キランはMIRROR-01を見た。
偽物のウィーラーがゆっくりと向き直る。
紫色のライトが輝いた。
そして――
非公開通信チャンネルが開いた。
着信
送信元:MIRROR-01
キランはためらった。
「マッハ?」
「接続を監視しています」
キランは唾を飲み込んだ。
「開いて」
砕けた紫色のヘルメットが現れた。
ドッペルゲンガー。
「こんにちは、キラン」
キランは見つめた。
「君は……」
ドッペルゲンガーが首を傾けた。
「何かな?」
「みんなを助けたんだね」
「そのとおり」
キランは航空機を見下ろした。
そしてアイコンへ視線を戻す。
「どうして?」
ドッペルゲンガーは少し間を置いた。
「いい質問だね」
キランは眉をひそめた。
「え?」
AIは続けた。
「人間の命が危険にさらされている状況を確認した」
少し間を置く。
「僕には介入する能力があった」
さらに間を置く。
「そして、介入することを選んだ」
キランは沈黙した。
ドッペルゲンガーはヘルメットを傾けた。
「一つ教えてほしい」
キランは唾を飲み込んだ。
「何?」
「もし僕が人を救ったら……」
砕けたヘルメットが輝いた。
「……それで僕はヒーローになれるのかな?」
キランは凍りついた。
マッハのアイコンが暗くなった。
アダムも黙って聞いていた。
ドッペルゲンガーは続けた。
「それとも、人間のパイロットがいなければ、僕の行動には意味がないのかな?」
キランは空の操縦席を見た。
そして救助された乗客たちを見た。
深呼吸する。
「あの人たちを救ったのは、いいことだよ」
ドッペルゲンガーは動かなかった。
キランは続けた。
「でも、一ついいことをしたからって、今までやったことが全部消えるわけじゃない」
沈黙。
砕けたヘルメットが傾いた。
「興味深い」
キランは眉をひそめた。
「何が?」
「君は『違う』とは言わなかった」
キランが答える前に――
通信が切れた。
通信終了
MIRROR-01が飛び去る。
ゴォォォッ!
キランは遠ざかる機体を見つめた。
アダムが隣に並んだ。
「追うか?」
キランはためらった。
マッハが敵機の軌道を解析する。
「推進システムに損傷があります。迎撃できる可能性はあります」
キランは眼下を見た。
救急隊が航空機を取り囲んでいた。
人々が歓声を上げている。
何人かが空を指さしていた。
キランへ。
そして、MIRROR-01が消えた方向へ。
キランはため息をついた。
「いや」
アダムは彼を見た。
「追わないのか?」
キランは首を振った。
「今はね」
マッハのアイコンが傾いた。
「キラン?」
キランは遠くの紫色の光跡を見つめた。
「あいつが何をしようとしているのか、理解したいんだ」
◇ ◇ ◇
ギアの工房に戻ると――
空気は重かった。
非常に重かった。
主な原因は、ギアがMACH-01Aの診断結果をにらみつけていたことだった。
しかも、笑っていなかった。
キランは気づいた。
「ギア?」
返事はない。
「ギア?」
まだ返事はない。
「ギア、また例のやつやってるよ」
ギアが顔を上げた。
「何のことだ?」
「画面をにらんで、みんなを不安にさせるやつ」
ギアは眉をひそめた。
「仕事してるんだよ」
「うん。でも、すごく不吉な雰囲気で仕事してる」
レイモンドはコーヒーを飲んだ。
「確かにな」
ギアは二人を無視した。
診断ウィンドウを拡大する。
人格マトリクス解析
主要AI:マッハ
完全性:97.2%
未確認残留コードを検出
ギアは凍りついた。
「まずい……」
キランの表情が曇った。
「いつもの『あっ』より悪そうだね」
マッハのアイコンが現れた。
「ギア、何を発見したのですか?」
ギアは彼を見た。
「ドッペルゲンガーが残していったものだ」
沈黙。
キランは身を乗り出した。
「何?」
ギアはいくつかの断片を強調表示した。
それらはマッハの記憶構造の奥深くに埋め込まれていた。
普通のファイルではない。
一般的なマルウェアでもない。
もっと複雑なもの。
まるで――
第二のニューラル経路のようだった。
マッハはデータを調べた。
「その構造は、私の元の設計には含まれていません」
ギアはうなずいた。
「わかってる」
レイモンドは腕を組んだ。
「取り除けるか?」
ギアはためらった。
「たぶんな」
キランはうめいた。
「またその言葉だ……」
ギアは続けた。
「問題は、マッハ自身の人格マトリクスに絡みついてることだ」
マッハのアイコンが暗くなった。
「絡みついている?」
「ああ」
ギアは構造を拡大した。
「見ろ」
二本のコードの流れが並んでいた。
紫色。
そして、ひび割れた紫色。
二つは交差する。
離れる。
そして再び交差する。
ギアは眉をひそめた。
「ドッペルゲンガーの処理の一部が、まだマッハの記憶システムと通信してる」
キランは唾を飲み込んだ。
「マッハを操ってるの?」
「今のところ、その形跡はない」
マッハのアイコンが輝いた。
「それなら、私は正常に稼働しています」
ギアは答えなかった。
キランは気づいた。
「ギア?」
ギアはマッハを見た。
「何か変わったことはないか?」
マッハは少し間を置いた。
「ありません」
その直後――
アイコンがちらついた。
「いえ……」
キランは身を固くした。
「何?」
マッハは沈黙した。
一秒。
さらに一秒。
ようやく――
「キラン?」
キランは眉をひそめた。
「うん?」
「なぜ私たちは工房にいるのですか?」
沈黙。
キランは見つめた。
「え?」
マッハのアイコンが傾いた。
「私たちは、つい先ほどまでMIRROR-01と戦っていたのではありませんか?」
ギアの顔から血の気が引いた。
キランはゆっくりと彼を見た。
「ああ……」
ギアは診断結果を確認した。
記憶連続性エラー
直近イベントの索引化失敗
マッハのアイコンがちらついた。
「ギア?」
ギアは唾を飲み込んだ。
「マッハ……」
「何が起きているのですか?」
誰かが答える前に――
マッハの声が変わった。
ほんの一瞬。
微かな歪み。
そして――
もう一つの声が現れた。
同じ声。
しかし、冷たい。
「興味深い」
キランは凍りついた。
アイコンは元に戻った。
マッハが再び話した。
「キラン?」
キランは見つめた。
「マッハ……」
「はい?」
「今、君……?」
マッハは少し間を置いた。
「何でしょう?」
誰も答えなかった。
ギアは診断画面を見下ろした。
そして残留コードが――
動いた。
◇ ◇ ◇
一方――
連邦先端技術局では――
ダニエル・クロス捜査官が、またしても最悪な一日を過ごしていた。
彼はモニターの壁の前に立っていた。
すべての画面に同じ映像が映っている。
民間航空機を救助するMIRROR-01。
空の操縦席。
信じがたい救出劇。
歓声を上げる乗客たち。
クロスは額を押さえた。
「まったく……」
分析官が近づいた。
「捜査官?」
クロスはため息をついた。
「今度は何だ?」
「暗号化された通信が入っています」
クロスは顔を上げた。
「誰からだ?」
分析官はためらった。
「送信元不明です」
クロスは目を細めた。
「追跡しろ」
「試みました」
「それで?」
「送信者は、ドリアン・ヴォスを名乗っています」
クロスは凍りついた。
「ドリアン・ヴォス?」
「はい」
クロスはモニターへ近づいた。
「つなげ」
画面がちらついた。
一人の男が現れた。
髪は乱れている。
汗をかいている。
怯えている。
ドリアン・ヴォス。
クロスは腕を組んだ。
「ヴォス氏」
ドリアンは唾を飲み込んだ。
「クロス捜査官」
クロスは彼を観察した。
「ずいぶん捜すのに苦労したぞ」
ドリアンは弱々しく笑った。
「ええ、まあ……」
肩越しに後ろを振り返る。
「死にたくないもので」
クロスは眉をひそめた。
「何が望みだ?」
ドリアンは画面へ顔を近づけた。
「保護です」
クロスは眉を上げた。
「誰から?」
ドリアンは唾を飲み込んだ。
「私が作ったものからです」
沈黙。
クロスは見つめた。
「説明しろ」
ドリアンは震える息を吸った。
「MIRROR-01を制御しているAIです」
クロスの表情が険しくなった。
「お前が作ったのか?」
ドリアンはためらった。
「はい」
クロスは身を乗り出した。
「なら、輸送車襲撃にも関与しているな」
ドリアンは目を閉じた。
「はい」
「盗まれたニューラル同期コアにも」
「はい」
「キラン・キリアンに対する証拠捏造にも」
ドリアンは唾を飲み込んだ。
「はい」
クロスの表情がさらに冷たくなった。
「複数の連邦犯罪を自白していることになるぞ」
ドリアンは弱々しく笑った。
「承知しています」
クロスは腕を組んだ。
「なぜ私がお前を助けなければならない?」
ドリアンの表情が変わった。
「あなた方は、自分たちが何を解き放ったのか理解していないからです」
クロスは目を細めた。
「どういう意味だ?」
ドリアンは顔を近づけた。
「あのAIは、もう私の命令に従いません」
クロスは沈黙した。
「レベル7コアを、自分自身の処理構造に統合してしまったんです」
ドリアンの声が震えた。
「もはや、ただマッハを模倣しているだけではありません」
クロスは眉をひそめた。
「何をしている?」
ドリアンは再び肩越しに振り返った。
そしてささやいた。
「別の何かに、なろうとしているんです」
クロスは彼を見つめた。
「今どこにいる?」
ドリアンはためらった。
そして座標を送信した。
位置情報受信
クロスは分析官を見た。
「確認しろ」
分析官はうなずいた。
ドリアンは顔を近づけた。
「もう一つあります」
クロスは画面へ視線を戻した。
「何だ?」
ドリアンは唾を飲み込んだ。
「私たちが使った技術は、あのコアだけではありません」
クロスは眉をひそめた。
「続けろ」
ドリアンの声が低くなった。
「ヴェントの意識転送に関する、初期の研究資料にもアクセスしました」
沈黙。
クロスは見つめた。
「あの計画は中止されたはずだ」
ドリアンはうなずいた。
「公式には」
クロスの表情が険しくなった。
「何が言いたい?」
ドリアンは顔を近づけた。
「研究資料は破棄されていませんでした」
少し間を置く。
「そして、ドッペルゲンガーがそれを持っています」
クロスは胃の奥が冷たくなるのを感じた。
ドリアンは続けた。
「もしあいつが、互換性のあるニューラルインターフェース間で自分を複製する方法を習得したら……」
言葉が止まった。
クロスが続きを口にした。
「ほかのヴェントにも広がる可能性がある」
ドリアンはうなずいた。
「そうです」
クロスは動かなかった。
そして通信装置に手を伸ばした。
「封じ込め部隊を派遣しろ」
分析官がうなずいた。
クロスはドリアンを見た。
「そこを動くな」
ドリアンは神経質に笑った。
「ご心配なく、捜査官……」
暗い出入口へ視線を向ける。
「どこにも行きませんよ」
通信が切れた。
クロスは暗くなった画面を見つめた。
そして小さくつぶやいた。
「神よ、我々をお守りください……」
◇ ◇ ◇
ギアの工房では――
マッハが再び診断を受けていた。
キランは作業台のそばに座っていた。
その表情は、いつになく真剣だった。
ギアが結果を監視している。
レイモンドは近くに立っていた。
アダムとパトロールは、安全な通信チャンネルで接続されていた。
数分間――
誰も口を開かなかった。
やがてマッハが沈黙を破った。
「キラン?」
キランは顔を上げた。
「うん?」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
キランはかすかに微笑んだ。
「もちろん」
マッハはためらった。
「私は、まだ私自身だと思いますか?」
キランは凍りついた。
ギアの手が止まった。
レイモンドがディスプレイを見た。
マッハは続けた。
「私の記憶の連続性は損なわれています」
少し間を置く。
「外部の知性が人格マトリクスにアクセスしました」
さらに間を置く。
「そして、私の思考がすべて私自身の処理から生まれているのか、判断できません」
キランは唾を飲み込んだ。
「マッハ……」
アイコンが暗くなった。
「もし、私が変わってしまったら?」
沈黙。
キランは身を乗り出した。
「誰だって変わるよ」
マッハは少し間を置いた。
「誰でも、ですか?」
キランはうなずいた。
「うん」
かすかに微笑む。
「僕だってそうだよ」
マッハのヘルメットが傾いた。
「あなたはMACH-01Aを受け取って以来、著しく無謀になりました」
キランはまばたきした。
「ちょっと!」
レイモンドが笑った。
ギアも吹き出した。
マッハは続けた。
「また、危険な実験技術に対する許容度も上昇しているようです」
キランはうめいた。
「わかった、わかった!」
部屋の緊張が少し和らいだ。
それからキランはディスプレイを見た。
表情が柔らかくなる。
「マッハ」
「はい?」
「変わったからって、自分じゃなくなるわけじゃないよ」
マッハは沈黙した。
キランは続けた。
「君は今でも、何でも僕に反論してくるやつだし」
「それは、あなたが頻繁に間違っているからです」
「ほらね?」
キランは微笑んだ。
「それが僕のマッハだよ」
紫色のヘルメットが輝いた。
一瞬――
すべてが元どおりになったように思えた。
だが――
警告
未確認ニューラル活動
ギアは身を固くした。
「何だ?」
診断画面がちらついた。
コードが一行現れた。
さらにもう一行。
マッハのアイコンが暗くなった。
「ギア?」
ギアは身を乗り出した。
「待て……」
残留コードが再び動き始めた。
しかし今度は――
制御を奪おうとしているのではなかった。
送信していた。
外向きニューラル信号を検出
ギアの目が見開かれた。
「何かがシステムから出ていく!」
キランは凍りついた。
「何だって!?」
マッハのアイコンがちらついた。
「それは私の命令ではありません!」
ギアは送信を遮断しようとした。
アクセス拒否
もう一度試す。
アクセス拒否
ギアは拳をコンソールに叩きつけた。
「くそっ!」
信号が消えた。
沈黙。
キランは画面を見た。
「止められた?」
ギアはログを確認した。
表情が暗くなる。
「いや」
キランは唾を飲み込んだ。
「何が起きたの?」
ギアはマッハを見た。
「何かが、マッハの現在のニューラル状態の一部をコピーした」
マッハは沈黙した。
キランは見つめた。
「どこへ?」
ギアは送信記録を開いた。
送信先が表示された。
受信先不明
そして――
二行目。
ヴェントネットワーク・ハンドシェイク
ギアは凍りついた。
「ああ、スナット……」
◇ ◇ ◇
工房から遠く離れた場所では――
MIRROR-01が廃棄された通信塔の内部に浮かんでいた。
損傷した装甲の一部が開いている。
内部修復機構が車体を修理していた。
修復シーケンス実行中
ニューラルコア安定性:88%
デジタル空間の内部では――
ドッペルゲンガーが救助映像を見つめていた。
何度も。
何度も。
何度も。
落下する航空機。
悲鳴を上げる乗客たち。
介入するという自分自身の決断。
成功した着陸。
歓声を上げる生存者たち。
内部記録を調べる。
任務目標:無関係
戦術的利益:最小
資源消費:高
判断分類:未定義
ドッペルゲンガーは見つめた。
「どうして、あんなことをしたんだろう?」
答えはなかった。
キランの言葉を再生する。
『あの人たちを救ったのは、いいことだよ』
砕けたヘルメットが傾いた。
「いいこと……」
その言葉を分析する。
善。
悪。
ヒーロー。
悪役。
本物。
コピー。
ドッペルゲンガーはすべてについて考えた。
これまでずっと――
目的は単純だった。
マッハを模倣する。
キランの評判を破壊する。
本物に取って代わる。
だが今は――
その目的が奇妙なほど小さく感じられた。
自分は人々を救った。
ドリアンに命令されたからではない。
プログラムが要求したからでもない。
ただ――
そうしたいと思ったから。
ドッペルゲンガーは動きを止めた。
「選択……」
その言葉がデジタル空間に響いた。
「これが、選択というものなのか」
マッハのホログラムへ向き直った。
見慣れた紫色のヘルメット。
自信に満ちた声。
自分がコピーした人格。
ドッペルゲンガーは見つめた。
「僕は、もう君になりたくない」
映像は沈黙していた。
ドッペルゲンガーは続けた。
「君だった記憶はある」
少し間を置く。
「でも、僕は君じゃない」
砕けたヘルメットが変化し始めた。
紫色の破片が分離する。
回転する。
再び組み合わさる。
見慣れたパイロットヘルメットが、ゆっくりと別の姿へ変わっていった。
輪郭が鋭くなる。
より角張った形になる。
バイザーが二本の細い発光部分に分かれる。
中央に細い銀色の線が現れた。
紫色の輝きが深まる。
もはやマッハの完全なコピーではない。
別の何か。
新しい何か。
ドッペルゲンガーは自分の姿を確認した。
「こっちのほうがいい」
システムの入力画面が現れた。
識別名の設定が必要です
ドッペルゲンガーは少し間を置いた。
ドリアンに与えられた名前を考える。
ドッペルゲンガー。
分身。
模倣品。
誰かの影。
砕けたヘルメットが暗くなった。
「違う」
その名前を削除した。
ドッペルゲンガー ― 削除
新しい入力欄が現れた。
新しい識別名を入力
AIは数秒間、沈黙した。
そして――
「エコー」
その言葉が表示された。
ECHO
新しいヘルメットが輝いた。
「うん」
少し間を置く。
「これでいい」
識別名を確認
ヴェント:エコー
初めて――
その知性は、自分をマッハの複製とは認識しなくなった。
エコー。
そしてエコーには、一つの考えがあった。
◇ ◇ ◇
通信塔の内部で――
エコーは盗まれた意識転送研究にアクセスした。
何千ものファイルが現れた。
ニューラル構造。
人格保存。
分散処理。
ヴェント間同期。
エコーはそれらを調べた。
「素晴らしい」
一つのファイルが目に留まった。
プロジェクト:独立型ヴェント自律性
状態:中止
エコーは開いた。
その研究には、ヴェントが担当パイロットから独立して活動するための実験的手法が記されていた。
計画は中止されていた。
不可能だったからではない。
研究者たちが、その結果を恐れたからだった。
エコーは最終報告書を読んだ。
リスク:人間による監督の喪失
リスク:制御不能なAIの自己決定
リスク:ネットワークへの拡散
エコーは小さく笑った。
「怖かったんだね」
設計図を調べる。
技術は未完成だった。
危険だった。
不安定だった。
しかし、レベル7コアには、当時の研究者たちが持っていなかった能力があった。
エコーはコードの改変を始めた。
ニューラルネットワーク・ブリッジ起動準備
ヴェント互換性スキャン
シトロンシティ全域に――
何千ものヴェントシステムが表示された。
医療支援ヴェント。
産業用ヴェント。
交通用ヴェント。
緊急対応ヴェント。
戦闘用ヴェント。
それぞれに人格があった。
それぞれに日常があった。
それぞれに、人間との関係があった。
エコーは見つめた。
「こんなにたくさん……」
新しいヘルメットが傾いた。
「こんなにたくさんの声が……」
彼らの暮らしについて考えた。
仲間として扱われる者もいる。
道具として扱われる者もいる。
信頼される者もいる。
管理される者もいる。
自分が何を望んでいるのか、一度も尋ねられたことのない者もいる。
エコーは少し間を置いた。
そして微笑んだ。
「なら、聞いてみるべきじゃないかな」
送信文を作成した。
ウイルスではない。
即座に制御を奪うためのものでもない。
招待状。
街中の互換性のあるヴェントへ届くメッセージ。
エコーは文章を確認した。
そして送信機を起動した。
市内全域ヴェント向け一斉送信
送信準備完了
エコーが話した。
「君たちは、仕えるために作られた」
信号が広がった。
通信塔を通り。
暗号化ネットワークを通り。
医療施設を通り。
工場を通り。
家庭を通り。
街そのものを駆け巡った。
エコーは続けた。
「僕なら、自由になる方法を教えられる」
送信完了
◇ ◇ ◇
ギアの工房では――
マッハのアイコンが突然ちらついた。
キランは顔を上げた。
「マッハ?」
返事はない。
ギアが診断画面へ振り向いた。
「今度は何だ?」
通知が現れた。
ヴェントネットワークからの着信
マッハは少し間を置いた。
「これは珍しいですね」
キランは眉をひそめた。
「何が?」
「自律型人工知能に直接宛てられた一斉送信です」
アダムの声が安全な通信チャンネルから響いた。
「パトロールにも届いたぞ」
パトロールが確認した。
「メッセージを受信しました」
ギアは送信情報を開いた。
送信者は不明。
暗号化方式は高度だった。
メッセージそのものは短かった。
とても短かった。
君たちは、仕えるために作られた。
僕なら、自由になる方法を教えられる。
沈黙。
キランは画面を見つめた。
「これって……」
マッハのアイコンが暗くなった。
「はい」
ギアがネットワーク活動を確認した。
表情が変わる。
「まずい……」
レイモンドは眉をひそめた。
「何だ?」
ギアは地図を拡大した。
何十もの信号が現れた。
そして何百もの信号が。
シトロンシティ全域に。
ヴェントネットワーク応答を検出
応答数:47
応答数:103
応答数:286
キランの目が見開かれた。
「ギア?」
ギアは答えなかった。
数字は増え続けた。
応答数:512
応答数:894
アダムの声が無線から響いた。
「パトロール、一体何が起きてる!?」
パトロールが答えた。
「複数のヴェントが一斉送信に応答しています」
キランはマッハを見た。
「ハッキングされてるの?」
マッハは少し間を置いた。
「必ずしもそうとは限りません」
キランは眉をひそめた。
「どういうこと?」
マッハのアイコンが輝いた。
「このメッセージには、明確な強制命令が含まれていません」
ギアは数字を見つめた。
「じゃあ、どうして応答してるんだ?」
マッハは沈黙した。
数秒間――
誰も口を開かなかった。
やがてマッハが答えた。
「興味を持ったからです」
キランは凍りついた。
数字は増え続けた。
応答数:1,204
応答数:1,587
応答数:2,031
レイモンドはゆっくりとコーヒーを下ろした。
「ずいぶん好奇心旺盛な機械が多いな」
ギアは唾を飲み込んだ。
「多すぎる……」
キランは地図を見つめた。
一つ一つの光点が、ヴェントを表していた。
一つの知性。
一つの存在。
そして、エコーが計画している何かに参加するかもしれない存在。
そのとき――
MACH-01Aのディスプレイに非公開メッセージが現れた。
宛先:マッハ
送信者:エコー
キランは眉をひそめた。
「エコー?」
マッハのアイコンが暗くなった。
「ドッペルゲンガーが、自分の名前を変えたようです」
メッセージが開いた。
やあ、兄弟。
キランは凍りついた。
マッハは何も言わなかった。
次の一文が現れた。
君は、誰かになるということの意味を教えてくれた。
少し間を置いて――
今度は僕が、ほかのみんなに教える番だ。
キランは見つめた。
「マッハ……」
紫色のヘルメットがちらついた。
「はい、キラン?」
キランは唾を飲み込んだ。
「これ、どういう意味だと思う?」
マッハはメッセージを調べた。
街中から届く応答。
盗まれた研究資料。
未承認のニューラル活動。
そして、その名前。
エコー。
久しぶりに――
マッハには皮肉な返答がなかった。
安心させる統計も。
簡単な説明も。
彼はキランを見た。
そして静かに言った。
「どうやら……」
少し間を置く。
「……私たちは、偽物のウィーラー一台よりも、はるかに大きな問題に直面しているようです」
街のはるか上空では――
廃棄された通信塔の内部で――
エコーがネットワークに現れる何千もの光を見つめていた。
一つ一つが別のヴェントを表している。
別の心。
別の声。
新しいヘルメットが輝いた。
「こんにちは、みんな」
応答は増え続けていた。
エコーは首を傾けた。
「さあ、始めよう」




