誰も始めていないカウントダウン
土曜日――午後3時27分
マイケイラ・マッキントッシュは、午後の大半を、不安に怯える人々に電動車椅子が突然自我を持つようなことはないと説明することに費やしていた。
そのやり取りには、いい加減うんざりしていた。
しかし残念ながら、今の状況では必要なことでもあった。
昨夜の大停電以来、シトロンシティ地域支援センターは普段以上に混雑していた。家族連れが携帯機器の充電や非常用品の受け取り、バリアフリー交通機関についての相談に訪れ、なかには安定した電力と通信設備のある場所を求めてやって来る人もいた。
この建物は、幸いにも停電による深刻な被害を免れていた。
非常用発電機は正常に稼働し、朝までにはほとんどのサービスが復旧していた。
そのため、近隣住民にとって、実際的な支援と信頼できる情報の両方を得られる数少ない場所の一つになっていた。
少なくとも、本来はそうなるはずだった。
「孫が言うには、最近は電動車椅子の中にウイルスを仕込んでいるらしいのよ」
マイケイラは物資配布用のテーブルから顔を上げた。
目の前に立っている女性は、おそらく七十代だった。淡い緑色のカーディガンを着て、電池やペットボトルの水、それに驚くほど大量のペパーミントキャンディーが入った買い物袋を持っていた。
マイケイラは眼鏡を直した。
「お孫さんは、誰からそんな話を聞いたんですか?」
「インターネットよ」
「それだと、ちょっと範囲が広すぎますね」
女性は眉をひそめた。
「政府がみんなに車椅子の電源を切るよう命令するかもしれないって言うの」
「そのような命令は出ていませんよ」
「でも、写真を見せてくれたのよ」
「公式の発表でしたか?」
女性はためらった。
「政府の紋章がついていたわ」
マイケイラは同情するようにうなずいた。
「残念ですが、そういう紋章は誰でもコピーできてしまうんです」
彼女はタブレットを女性に向けた。
「こちらが市の公式な緊急情報ページです。現在、機器に関連する異常な事例について調査が行われていますが、電動車椅子全般に危険があるとは確認されていません」
女性は画面をじっと見つめた。
「じゃあ、お隣さんは車椅子を使うのをやめなくていいのね?」
「噂だけを理由にやめる必要はありません。もし特定の機器について安全上の問題があるなら、医療チームやメーカーから情報を確認するべきです」
女性はほっと息を吐いた。
「ああ、よかった」
彼女は買い物袋に手を入れた。
「ペパーミント、いる?」
マイケイラは微笑んだ。
「いただきます」
女性は三つも渡してくれた。
どうやら、今の状況にはキャンディーも多めに必要らしい。
「ありがとうね、お嬢さん」
「どういたしまして」
女性が立ち去ると、マイケイラはテーブルにもたれかかり、ペパーミントの包み紙を開いた。
スマートフォンが振動した。
キランからのメッセージだった。
『センターの様子はどう?』
彼女は返信した。
『忙しいわ。みんな怖がってるし、ネットでは車椅子が感染するなんて話まで出回ってるみたい』
返事が届いた。
『そんな仕組みじゃないのに』
『わかってる。それを一時間も説明してるのよ』
『手伝おうか?』
マイケイラは微笑んだ。
『もう手伝ってくれてるわ。セリーナが最新の案内を送ってくれたもの』
少し間が空いた。
そして、別のメッセージが現れた。
『会いたいな』
彼女の表情が柔らかくなった。
『私もよ。終わったらすぐ行くから』
スマートフォンをしまった直後、入口から誰かが叫んだ。
「すみません! ここの責任者は誰ですか!?」
マイケイラは顔を上げた。
黒いジャケットを着た男性が受付のそばに立ち、スマートフォンを頭上に掲げていた。
その表情には怒りと恐怖が入り混じっていた。
「緊急警報が届いたんです! 誰か、これがどういう意味なのか説明してください!」
◇ ◇ ◇
午後3時34分
そのメッセージは、いかにも本物らしく見えた。
それが最初の問題だった。
市の緊急通知と同じ配色が使われていた。
公式のものに見える紋章も表示されていた。
さらに、専門的な言葉が並んでおり、実際には何も説明していないのに、妙に権威があるように感じられた。
マイケイラは慎重に読み進めた。
【シトロンシティ緊急技術勧告】
【神経デジタル汚染の可能性を検出】
【全住民は、ネットワーク対応の医療機器および移動支援機器を直ちに切断すること】
【従わない場合、曝露するおそれがあります】
彼女は画面を見つめた。
「冗談じゃないわ……」
男性は眉をひそめた。
「何ですって?」
「これは公式の案内と内容が一致していません」
「どうしてわかるんですか?」
「午後からずっと、その公式案内を配布するお手伝いをしているからです」
彼女は受付に目を向けた。
「ほかにもこれを受け取った人はいますか?」
三人が手を挙げた。
さらに二人。
マイケイラは胃のあたりが締めつけられるのを感じた。
「わかりました」
彼女はセンターの責任者、アルバレス夫人に向き直った。
「市の緊急管理局に確認する必要があります。それからセリーナにも」
アルバレス夫人はうなずいた。
「私が電話するわ」
マイケイラは利用者たちを見た。
「皆さん、少し聞いてください」
室内は徐々に静かになった。
「医療機器や電動車椅子などの移動支援機器を切断するよう指示するメッセージを受け取った方がいるかもしれません」
何人かがざわめいた。
「ですが、確認できていないメッセージだけを根拠に、必要不可欠な機器の設定を変更しないでください。現在、発信元を確認しています」
電動車椅子に座った男性が手を挙げた。
「もし本物だったら?」
「その場合は、指示の正確な意味と、安全な代替手段について、皆さんが理解できるようお手伝いします」
彼女は少し間を置いた。
「ただし、曖昧な警告のせいで、誰かが必要な移動手段や医療支援を失うようなことがあってはいけません」
男性はうなずいた。
「それなら納得だ」
マイケイラは再びスマートフォンを見た。
どうしても気になることがあった。
メッセージには、公式情報ページへのリンクがなかった。
対象となる機器も明記されていなかった。
問い合わせ先の電話番号もなかった。
そして、正式な緊急警報システムではなく、一般的なメッセージアプリを通じて届いていた。
誰かが、人々をパニックに陥れようとしている。
問題は、その理由だった。
◇ ◇ ◇
ルクソン生物医学研究所――午後3時46分
ドクター・ルクソンは、すでに十八時間近く研究室を離れていなかった。
コーヒーは冷めていた。
昼食には手もつけていなかった。
そして、モニターに映し出された神経学的記録は、ますます説明の難しいものになっていた。
エレナ・モリスが二つのファイルを抱えて入ってきた。
「独立した検証結果が届きました」
ルクソンは顔を上げた。
「両方の病院からですか?」
「はい」
「結果は?」
「十一秒間の同期現象は、実際に起きたものと考えられます。時刻の基準、記録システム、ソフトウェアによる誤った表示の可能性も確認されています」
ルクソンはゆっくりとうなずいた。
「臨床記録が意図的に操作された証拠は?」
「見つかっていません」
彼は背もたれに身を預けた。
「それでも原因が判明したわけではありません」
「はい」
エレナはファイルを机に置いた。
「ですが、単純な記録ミスである可能性は低くなりました」
ルクソンは最初の報告書を開いた。
観察結果は不穏なものだった。
離れた場所にいる三人の患者が、極めて近いタイミングで呼吸を同期させていた。
単に呼吸数が似ていたわけではない。
吸気と呼気のタイミングが、驚くほど正確に一致していたのだ。
十一秒間。
そして、突然終わった。
エレナは彼を見た。
「シナプスが彼らを操っていると思いますか?」
ルクソンは鋭く顔を上げた。
「その言葉には注意してください」
「操っている、という言葉ですか?」
「そうです」
彼は報告書を軽くたたいた。
「私たちが確認しているのは、異常な不随意運動と同期現象です。外部システムが直接その動きを発生させているのか、神経処理に影響を与えているのか、それとも別の仕組みが関係しているのか、まだわかっていません」
エレナはうなずいた。
「わかりました」
「それに、患者たちは発作のない時間には意識があり、自分で判断する能力も保っています」
「承知しています」
「そのことを、すべての報告書に明記してください」
彼女はルクソンを見た。
「患者たちが危険な物のように扱われることを心配しているんですね」
「そうです」
ルクソンはファイルを閉じた。
「彼らは患者です。実験材料でも、治安上の脅威でもありません。ましてや、この技術を作った人間の所有物などでは決してありません」
エレナは椅子に座った。
「では、仕組みを突き止める必要がありますね」
「ええ」
彼女は二つ目のファイルを開いた。
「もう一つあります」
ルクソンは彼女を見た。
「続けてください」
「東部商業地区と北部データセンターで報告された疑い例についてです」
「何かわかりましたか?」
「そのうち一件は、無関係のようです」
ルクソンは姿勢を正した。
「どちらですか?」
「事務管理者の方です。入退室管理端末の近くで作業した後にめまいと混乱を起こしましたが、担当医が代謝性の原因として十分に考えられるものを特定しました。治療によって症状も改善しています」
ルクソンは息を吐いた。
「よかった」
エレナは驚いたようだった。
「よかった、ですか?」
「もちろんです。この症状ではない人がいるなら、喜ぶべきでしょう」
彼は少し間を置いた。
「それに、説明のつかない症状を何でも同じ診断に当てはめてはいけないという教訓にもなります」
エレナはうなずいた。
「では、データセンターの従業員については引き続き調査ですね」
「そのとおりです」
ルクソンの画面に通知が現れた。
【新規報告:シナプス関連の疑いがある事例】
【場所:シトロンシティ地域支援センター】
ルクソンは眉をひそめた。
「またですか?」
彼は報告書を開いた。
そして手を止めた。
記載された目撃者の名前に見覚えがあった。
【マイケイラ・マッキントッシュ】
◇ ◇ ◇
キランの自宅――午後3時51分
「絶対に駄目だ」
キランは画面をにらみつけた。
マッハのアイコンが点滅した。
「本日、その表現を使うのは二度目です」
「だって、みんながそう言いたくなることばっかりするんだもん!」
偽の緊急勧告は、すでに複数の地域メッセージグループで拡散されていた。
キランのもとには三通届いていた。
レイモンドには二通。
セリーナ・チョーに至っては、スマートフォンを近くの川へ投げ捨てることを真剣に検討し始めそうなほど、大量に届いているらしかった。
マッハは、市の公式緊急管理通知と偽の通知を並べて表示した。
「いくつか明確な違いがあります」
キランは指さした。
「そうだね。たとえば偽物には、生きるために必要な機器を切断しろって書いてある」
「まさにそのとおりです」
「発信元を追跡できる?」
「適切な捜査手続きを通じて情報を入手しなければ、発信元の特定はできません。ただし、疑わしい発信元へ接続することなく、メッセージの内容と公開されている拡散状況を比較することは可能です」
「それをお願い」
マッハのアイコンが明るくなった。
「すでに実行中です」
キランは彼を見た。
「だろうね」
通知が現れた。
【音声メッセージを受信】
【送信者:マッハ】
キランは凍りついた。
車椅子のディスプレイに映る紫色のアイコンを見た。
「マッハ?」
「はい?」
「何か送った?」
「いいえ」
キランは通知を見つめた。
送信元はマッハの通信IDになっていた。
そんなことは、あり得ないはずだった。
昨夜の侵入未遂以来、マッハの外部通信権限は制限されたままだった。
「変だな……」
「同感です」
「昔のメッセージだったりする?」
「私が管理するローカル記録には、この通知に一致する送信履歴はありません」
キランはためらった。
「開いてもいいかな?」
「信頼できないメディアとして扱うことを推奨します。権限を与えたり、添付された内容を実行したりしないでください」
キランはうなずいた。
「安全に聞く方法はある?」
「隔離された再生方法を用意できます。私はメッセージに直接アクセスしません」
キランはレイモンドに連絡し、定められた報告経路を通じて、メッセージを識別するための情報を送った。
数分後、ファイルがマッハのシステムに干渉しない方法で音声を再生できるようになった。
キランは耳を傾けた。
聞き慣れた声が流れた。
胃のあたりが冷たくなった。
『キラン、マッハです』
声は完璧だった。
落ち着いた発音。
一定のリズム。
そして、マッハが安心させようとするときに現れる、わずかに人工的な抑揚まで同じだった。
『ルクソン博士を信用してはいけません』
キランは一瞬、息をするのも忘れた。
録音は続いた。
『彼はプロジェクト・シナプスに関する重要な情報を隠しています。これ以上、彼と調査結果を共有しないでください』
少し間が空いた。
そして――
『私を信じてください、キラン』
メッセージが終わった。
キランは再生装置を見つめた。
本物のマッハのアイコンは、車椅子のディスプレイに表示されたままだった。
静かに。
待っていた。
やがてキランが口を開いた。
「いやあ……」
マッハが答えた。
「非常に不愉快でした」
キランは彼を見た。
「まったくだよ」
「明確にしておきますが、私はその録音を作成していませんし、許可もしていません」
「わかってる」
少し間が空いた。
「キラン?」
「うん?」
「どうしてわかるのですか?」
キランは紫色のアイコンを見た。
「だって、君はここにいるじゃないか」
マッハは何も言わなかった。
キランは続けた。
「それに、もし君がルクソン博士は何かを隠してるって思ったなら、こんな不気味な匿名の警告を送るんじゃなくて、どんな証拠があるのか説明してくれるはずだよ」
マッハのアイコンがわずかに明るくなった。
「妥当な評価です」
「それに、君ならもっとずっと長い説明をするだろうし」
「不必要に傷つく発言です」
キランは微笑んだ。
しかし、それも一瞬だった。
誰かがマッハの声を複製した。
そして誰かが、キランにルクソン博士を信用させないようにしようとしている。
つまり敵は、もはや機械に干渉するだけではなかった。
人間関係にまで干渉しようとしていたのだ。
◇ ◇ ◇
シトロンシティ地域支援センター――午後4時00分
最初に異変が起きたのは、テレビだった。
地元のニュース番組を映していた画面が、突然静止した。
レポーターは話の途中で動かなくなった。
音声が途切れた。
マイケイラは顔を上げた。
「変ね……」
アルバレス夫人がテレビに近づいた。
「接続が切れたのかしら」
すると画面が真っ黒になった。
白い数字が現れた。
00:59
マイケイラは眉をひそめた。
「何?」
00:58
入口の近くにいた誰かが、緊張したように笑った。
「カウントダウンか?」
00:57
受付のコンピューターにも同じ数字が表示された。
エレベーターの近くにある案内画面にも。
00:56
マイケイラは胃のあたりが締めつけられるのを感じた。
「アルバレスさん」
「見えてるわ」
男性がスマートフォンを取り出した。
「俺のもだ!」
ほかの利用者たちも、自分の端末を確認し始めた。
カウントダウンが表示されているものもあった。
何も変わっていないものもあった。
一人の女性が出口を見た。
「何が起きてるの?」
マイケイラにもわからなかった。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
パニックになれば、状況はもっと悪くなる。
「皆さん、落ち着いてください」
00:49
アルバレス夫人が近づいた。
「避難させるべきかしら?」
マイケイラは扉を見た。
「外の状況がわからないままでは危険です。まず出口を確認して、必要なら全員が安全に避難できるようにしましょう」
責任者はうなずいた。
彼女は職員二人に、バリアフリーの避難経路を確認するよう指示した。
マイケイラは利用者たちに向き直った。
「医療機器を使っている方は、医療チームから具体的な指示がない限り、通常どおり使用してください。画面に表示された内容だけで、何かを切断しないでください」
エレベーターの近くにいた若い男性が突然叫んだ。
「扉が開かない!」
マイケイラは振り返った。
自動の正面玄関が反応しなくなっていた。
職員が手動解除を試みた。
片側は開いた。
しかし、もう片側は施錠されたままだった。
00:38
誰かが悲鳴を上げた。
「閉じ込められた!」
「いいえ」とマイケイラはきっぱり言った。「裏側にもバリアフリーの出口があります。今、職員が確認しています」
一人の女性が泣き始めた。
マイケイラは近づいた。
「ねえ、私を見てください」
女性は顔を上げた。
「一つずつ対処していきましょう。いいですね?」
女性は震えながらうなずいた。
00:27
そのとき、充電ステーションの近くに立っていた男性がスマートフォンを落とした。
床にぶつかる音が響いた。
彼は自分の右手を見つめていた。
指が動いていた。
一回。
二回。
三回。
そして一度、間が空いた。
マイケイラはすぐに気づいた。
「大丈夫ですか?」
男性は答えなかった。
指が手のひらをたたいた。
何度も。
何度も。
彼は怯えていた。
「止まらない……」
マイケイラは近づいた。
「お名前を教えてもらえますか?」
「トーマス……」
「わかりました、トーマスさん。私はマイケイラです。手を自分で動かせなくなっていますか?」
彼はうなずいた。
「何が起きてるのかわからない……」
彼女は職員に合図し、救急医療サービスへ連絡するよう頼んだ。
00:16
トーマスが突然テレビを見た。
唇が動いた。
マイケイラは少し身を乗り出した。
「何と言いました?」
彼はささやいた。
「十六……」
彼女は画面を見た。
00:15
トーマスの目が見開かれた。
「十五……」
マイケイラは背筋が冷たくなった。
「トーマスさん?」
「十四……」
数字は減り続けた。
00:13
彼はテレビを見つめた。
「十二……」
マイケイラはアルバレス夫人をちらりと見た。
「医療チームに、できるだけ早く来てもらってください」
00:08
照明がちらついた。
裏の廊下から誰かが叫んだ。
「裏口は使えます!」
アルバレス夫人は利用者たちをそちらへ誘導し始めた。車椅子利用者や支援が必要な人々も、取り残されないように確認していた。
00:05
トーマスの手が動きを止めた。
彼はマイケイラを見た。
「怖い……」
彼女は彼の目を見た。
「わかります。もうすぐ助けが来ます」
00:03
00:02
00:01
そして――
00:00
影響を受けていたすべての画面が暗くなった。
恐ろしい一秒間、建物は静まり返った。
その後、テレビは通常の放送に戻った。
受付のコンピューターは再起動した。
案内画面には再び予定表が表示された。
そして、自動の正面玄関も動き始めた。
マイケイラはテレビを見つめた。
何も爆発していなかった。
警報も鳴らなかった。
倒れた人もいなかった。
しかし、何かが複数のシステムに同時に干渉できることを、今まさに示したのだ。
彼女はトーマスを見た。
彼は震えていた。
手は静止していた。
「何が起きたんですか……?」
マイケイラには答えられなかった。
◇ ◇ ◇
シトロンシティ中心街――午後4時02分
カウントダウンがゼロに達したとき、X-Rayは市の建物の屋上に立っていた。
彼は、市内各地の電子ディスプレイで発生している異常な表示について、報告を追っていた。
最初は、無関係な出来事に思えた。
奇妙な数字を表示する交通案内板。
開かなくなった駐車場の出入口。
通常の広告がカウントダウンに置き換わったデジタル看板。
しかし、やがて同じカウントダウンが複数の場所に現れた。
すべての場所ではなかった。
すべての機器でもなかった。
それでも、混乱を引き起こすには十分だった。
X-Rayは通信装置を起動した。
「刑事、そっちはどうだ?」
マーラはすぐに答えた。
『入退室管理システムの故障を三件確認したわ。救急隊が影響を受けた建物を調べてる』
「けが人は?」
『今のところ確認されていない』
X-Rayは眼下の通りを見た。
オフィスタワーの前に人だかりができていた。
入口の扉が施錠されている。
建物の中では、数人の従業員がガラスを押していた。
X-Rayはため息をついた。
「やっぱりな」
彼は入口へ降りていった。
警備員が近づいてきた。
「助けに来てくれたんですか?」
「そのつもりだ」
「電子ロックが反応しなくなったんです」
「手動解除は?」
「それも動きません」
X-Rayはガラス越しに中を見た。
内部にいた女性が、建物の側面を指さしていた。
彼はその方向を見た。
非常口だった。
警備員は首を振った。
「あの扉も同じシステムで制御されています」
X-Rayは眉をひそめた。
「誰がこんな建物を設計したんだ?」
「どうやら、コンピューターは絶対に故障しないと思っていた人でしょうね」
「ずいぶん楽観的だな」
彼は入口を調べた。
「下がってくれ」
警備員は離れた。
X-Rayは慎重に位置を取った。
そして、故障した施錠装置を打ち抜いた。
バキィッ!
金属が折れた。
扉がずれた。
X-Rayはそれを引き開けた。
中の従業員たちが歓声を上げた。
「よし」と彼は言った。「みんな、落ち着いて。押さないように」
一人の男性が急いで近づいた。
「助かった! 本当にありがとう!」
X-Rayは脇に寄った。
「どういたしまして。盛大な拍手は、全員が外に出てからにしてくれ」
彼は建物の警備パネルを見た。
表示は正常に戻っていた。
まるで、何も起こらなかったかのように。
X-Rayは眉をひそめた。
「都合がよすぎるな……」
通信装置からマーラの声が聞こえた。
『X-Ray、別の問題が見つかったわ』
「だろうな」
『技術班が中継装置の図面から何かを見つけたの』
「何を?」
『予定されていた起動時間よ』
X-Rayは通りを見た。
「いつだ?」
マーラは少し間を置いた。
『午後四時』
彼は目を見開いた。
「冗談だろ?」
『冗談だったらよかったんだけどね』
◇ ◇ ◇
ルクソン生物医学研究所――午後4時18分
緊急会議が再開された。
今度は、空気がさらに重くなっていた。
シトロンシティ各地から報告が届いていた。
電子看板が同期したカウントダウンを表示した。
複数の入退室管理システムが故障した。
一部の公共端末が、許可なく再起動した。
そして少なくとも二人が、その出来事の最中に異常な神経学的症状を経験していた。
しかし、影響はすべての機器に及んだわけではなかった。
ほとんどの病院は正常に稼働を続けていた。
大多数の電動車椅子には影響がなかった。
市内の電子システムの大部分は、機能を維持していた。
ルクソンは、その違いを強調した。
「すべての技術が故障したかのように説明してはいけません」
ダニエル・マーサーは額をこすった。
「博士、市民は怖がっているんです」
「理解しています」
「答えを求めています」
「私もです」
マーサーは報告書を見た。
「カウントダウンの原因がシナプスだと確認できますか?」
「まだです」
「では、何なら確認できるんですか?」
ルクソンは回収された中継ネットワークの図面を表示した。
「疑わしいネットワークノードが十二個。複数の無許可機器。特定の電子システムに影響した同期カウントダウン。そして、その出来事と時間的に関連している可能性のある異常な神経学的発作です」
彼は少し間を置いた。
「これだけでも十分に深刻です。根拠のない事実を付け加える必要はありません」
エレナが部屋に入ってきた。
「先生、地域支援センターにいた患者が病院に到着しました」
ルクソンは振り返った。
「トーマスさんですか?」
「はい。容体は安定しており、現在検査を受けています」
「研究機器への曝露歴は?」
「確認されていません」
「病歴は?」
「本人の同意を得ながら、現在確認しています」
ルクソンはうなずいた。
「結構です」
エレナはためらった。
「もう一つあります」
「何ですか?」
「彼は、画面を見る前からカウントダウンが聞こえていたと言っています」
部屋が静かになった。
マーサーは眉をひそめた。
「どうやって?」
「わかりません」
ルクソンはエレナを見た。
「実際に音が聞こえたと説明していますか?」
「いいえ。数字がただ頭の中にあった、と」
「ノーランの声と似た現象ですか?」
「可能性はあります」
ルクソンはその意味を考えた。
ノーランは、本来知り得ないはずの情報を聞いていたようだった。
イヴリンは、過去のシナプス研究に関連する数字の並びを口にしていた。
そして今度は、トーマスが画面を見る前からカウントダウンを感じ取っていたと主張している。
異なる人間。
異なる場所。
似通った異常現象。
ルクソンは画面に向き直った。
「担当医療チームに連絡してください。トーマスさんが詳細な聞き取りに同意するか確認を」
エレナはうなずいた。
「それから先生」
「はい?」
「監視システムが、また変化を検出しました」
ルクソンは胃のあたりが締めつけられるのを感じた。
「見せてください」
◇ ◇ ◇
キランの自宅――午後4時31分
マイケイラは、疲れ切った様子で到着した。
キランはすぐに気づいた。
彼女はリビングに入り、バッグを置くと、数秒間その場に立ち尽くした。
キランは彼女を見た。
「やあ」
彼女は顔を上げた。
「ただいま」
「大変だった?」
彼女は乾いた笑いを漏らした。
「まあ、そうね」
キランは仮の電動車椅子を彼女の近くへ動かした。
「何があったの?」
マイケイラはソファに座った。
そして話し始めた。
偽の緊急警報。
怯える利用者たち。
カウントダウン。
動かなくなった扉。
トーマス。
彼の指。
テレビに数字が表示される前に、その数字を口にしていたこと。
キランは最後まで口を挟まずに聞いていた。
彼女が話し終えると、しばらく黙っていた。
それから言った。
「無事でよかった」
マイケイラは彼を見た。
「私もそう思う」
彼は彼女を見つめた。
「みんなのために、いろいろしてくれたんだね」
「みんなでやったのよ。アルバレスさんも職員のみんなも、本当にすごかったわ」
「それでもさ」
彼女は背もたれに寄りかかった。
「あの偽の警報を信じて、誰かが必要な機器の電源を切っていたらどうなっていたかって、ずっと考えてたの」
キランはうなずいた。
「うん」
「それに、バリアフリーの出口が使えなかったら……」
「そうだね」
マイケイラは彼の車椅子を見た。
「間違った判断がどれほど早く危険につながるか、みんなわかってないのよ」
キランはかすかに微笑んだ。
「それはもう、嫌というほど知ってるよ」
彼女は彼を見た。
そして笑った。
一瞬、緊張が和らいだ。
マッハのアイコンが現れた。
「こんにちは、マイケイラ」
彼女は微笑んだ。
「こんにちは、マッハ」
「無事に戻られて何よりです」
「ありがとう」
少し間が空いた。
それから彼女は眉をひそめた。
「キラン、偽のメッセージのこと、マッハに話した?」
キランは彼女を見た。
「まだだよ」
マイケイラは目を瞬かせた。
「何の偽メッセージ?」
彼はため息をついた。
「ああ、そうだった。偽メッセージが二種類あるんだ」
彼女はじっと見た。
「二種類?」
「うん」
「キラン」
「一つは緊急警報。もう一つはマッハになりすましてる」
マイケイラはゆっくりと目を閉じた。
「でしょうね……」
マッハが口を開いた。
「念のため申し上げますが、私はこのなりすましを非常に不快に感じています」
マイケイラは目を開いた。
「誰かがあなたの声をコピーしたの?」
「そのようです」
彼女はキランを見た。
「何て言ってたの?」
キランは説明した。
ルクソン博士は信用できない。
情報を共有するのをやめろ。
メッセージを信じろ。
マイケイラは注意深く聞いていた。
そして眉をひそめた。
「それ、興味深いわね」
キランは彼女を見た。
「興味深い?」
「どうしてわざわざマッハになりすましてまで、ルクソン博士を信用するなって言う必要があるの?」
「僕たちを仲たがいさせたいから?」
「かもしれないわ」
彼女は考え込んだ。
「でも、あなたがそのメッセージを信じるかどうか、試してるんだとしたら?」
キランは目を瞬かせた。
マッハのアイコンが明るくなった。
「実験的な欺瞞行為ですね」
マイケイラはうなずいた。
「そう。メッセージを送る。反応を見る。そして次のメッセージを変える」
キランは彼女を見つめた。
「反応を試してるってことか」
「そうよ」
彼はゆっくりとマッハに向き直った。
「カウントダウンも……」
マッハは少し間を置いた。
「説明してください」
「カウントダウンでは、何も破壊されなかった」
マイケイラは眉をひそめた。
「問題は起きたわよ」
「そう。でも影響を受けたシステムは復旧した。短時間だったんだ」
キランは市の地図を見た。
「あれもテストだったとしたら?」
マッハはしばらく黙っていた。
それから答えた。
「機械の反応を調べるための協調的な試験。人間の神経学的反応も含まれていた可能性があります」
マイケイラは腕を組んだ。
「それなら、きっかり四時に起きたことも説明できるわ」
キランは彼女を見た。
「その前からメッセージが出回っていた理由もね」
マッハのアイコンがちらついた。
「仮説としては妥当です。ただし、現在の証拠では意図までは確立できません」
キランはうなずいた。
「だったら、もっと証拠が必要だ」
マイケイラは身を乗り出した。
「それから、偽のマッハのメッセージについてルクソン博士にも伝えないと」
「レイモンドにはもう報告したよ」
「よかった。ルクソン博士にも伝えて」
キランは微笑んだ。
「はい、かしこまりました」
彼女は彼を指さした。
「からかわないで」
「そんなつもりないよ」
マッハが口を開いた。
「その発言は統計的に疑わしいですね」
マイケイラは笑った。
キランはうめいた。
「二人とも僕の敵なの?」
「必要なときだけね」とマイケイラは答えた。
◇ ◇ ◇
北部貨物地区――午後4時49分
マーラ・エリソン刑事は、証拠写真が並べられたテーブルのそばに立っていた。
X-Rayは反対側の壁にもたれかかっていた。
回収されたネットワーク図は拡大され、注釈が書き込まれていた。
十二の配送先。
配送が確認された三か所。
未確認の九か所。
確認済みのうち、二か所はすでに調査されていた。
一つは病院。
もう一つは、廃業した水槽設備会社の倉庫。
三つ目の配送先については、正確な場所をまだ特定できていなかった。
マーラは一覧を調べた。
「これ、無作為に選ばれた場所じゃないわ」
X-Rayは顔を上げた。
「同感だ」
「病院が一つ。工業施設が一つ。市の請負業者が一つ」
「建物の種類が違う」
「通信インフラも違うわ」
X-Rayはテーブルに近づいた。
「つまり、違うシステムを試すのに都合がいい」
マーラはうなずいた。
「そのとおり」
彼女は図面を指さした。
「病院には臨床機器と内部通信網がある。倉庫には独立した工業システム。市の請負業者なら公共インフラにアクセスできるかもしれない」
X-Rayは眉をひそめた。
「計画した奴は、いろんな種類の設備を欲しがってたわけか」
「可能性はあるわね」
彼は残る九か所を見た。
「こっちは?」
「荷物が実際に届いたかどうか、まだ確認しているところよ」
X-Rayは住所を調べた。
商業施設がいくつか。
保管施設もあった。
一つは住宅だった。
別の一つは、数か月前に閉鎖されたオフィスとして登録されていた。
彼は住宅の住所を指さした。
「ここが気になるな」
マーラはうなずいた。
「私もよ」
「住人は?」
「入居者のいる建物よ。合法的で、住民への影響を最小限に抑えた調査を調整してる」
X-Rayは腕を組んだ。
「いい判断だ」
マーラは彼を見た。
「今日はずいぶん辛抱強いのね」
「人間的に成長してるんだ」
「また?」
「驚くべきことだろ?」
彼女は危うく笑いそうになった。
そのとき、スマートフォンが振動した。
マーラはメッセージを確認した。
表情が変わった。
「何だ?」
彼女は顔を上げた。
「三つ目の配送先よ」
X-Rayは姿勢を正した。
「見つかったのか?」
「ええ」
「どこだ?」
彼女は画面を彼に向けた。
【シトロンシティ市営通信サービス局】
X-Rayは見つめた。
「まずいな……」
「ええ」
マーラはジャケットを手に取った。
「しかも、もっと悪いことがあるの」
彼は眉をひそめた。
「何だ?」
「配送の受領書に署名したのは、存在しない職員なのよ」
◇ ◇ ◇
ルクソン生物医学研究所――午後5時06分
ドクター・ルクソンは、新しい診断概要を見つめていた。
エレナが隣に立っていた。
データは、外部ネットワークから物理的に隔離された、安全な監視システムを通じて収集されたものだった。
そのシステムはシナプスと通信していなかった。
限られた範囲で、局所的に観測できる信号を記録しているだけだった。
少なくとも、技術班はそう考えていた。
ルクソンは、すべての測定値を独立して検証するよう求めていた。
最新の結果は、彼を不安にさせた。
【観測された信号活動:増加】
【時間的な一致度:上昇】
【発信源:未確認】
エレナは眉をひそめた。
「同期が進んでいるようです」
ルクソンはうなずいた。
「ですが、それが影響を受けたシステムの増加を意味するのか、既存のシステム間の協調が強まっているのか、それとも測定値そのものが変化したのか、見極める必要があります」
「カウントダウンと関係しているのでしょうか?」
「可能性はあります」
彼女はルクソンを見た。
「意図的なものだと思いますか?」
ルクソンは質問について考えた。
「誰かが無許可の機器を市内各地に設置しました」
「はい」
「誰かが停電前に配送を手配しました」
「はい」
「そして誰かが、選ばれたシステムを協調的に動かしているように見えます」
エレナは待った。
ルクソンは腕を組んだ。
「計画性があったことは強く示唆されています」
「でも、システム自体が意思決定をしているとは限らない」
「そのとおりです」
彼は図面を見た。
まだ答えの出ていない疑問が多すぎた。
誰が配送を許可したのか?
誰がシナプスの停止後も研究を続けていたのか?
誰がコンバージェンス・プロトコルを作ったのか?
そして、なぜ無許可のシステムはマッハを標的として認識したのか?
ルクソンが新しい報告書の作成を始めたところで、安全な電話回線が鳴った。
キランだった。
彼は応答した。
「キリアンさん」
『博士、話があります』
その声の深刻さが伝わってきた。
「どうぞ」
『誰かがマッハになりすまして、僕にメッセージを送ってきたんです』
ルクソンは動きを止めた。
「何ですって?」
『音声の録音です。声がまったく同じでした』
「何と言っていましたか?」
キランはためらった。
『博士は信用できないって』
ルクソンは目を閉じた。
やはり、そう来たか。
『それから、これ以上博士に情報を渡すなって』
エレナは彼を見た。
ルクソンは目を開いた。
「録音は保存していますか?」
『はい。マッハのシステムには接続していません』
「結構です」
キランは続けた。
『博士、僕はあのカウントダウンがテストだったと思うんです』
ルクソンは臨床記録を見た。
「説明してください」
キランはマイケイラの仮説を説明した。
偽の緊急警報。
声のなりすまし。
カウントダウン。
同期した症状。
異なる方法。
異なる標的。
しかし、目的は共通している可能性がある。
ルクソンは黙って聞いた。
そして回収された図面を見た。
【コンバージェンス・プロトコル】
「キリアンさん……」
『はい?』
「あなたは、正しい問いを立て始めているのかもしれません」
キランは少し間を置いた。
『どんな問いですか?』
ルクソンは画面を見つめた。
「単に、そのシステムに何ができるか、ということではありません」
彼は唾を飲み込んだ。
「そのシステムが、何を学ぼうとしているのか、ということです」
◇ ◇ ◇
キランの自宅――午後5時23分
太陽はシトロンシティの上空で傾き始めていた。
長い影が通りに伸びていた。
車は走り続けていた。
人々は犬を散歩させていた。
子供たちは近所の公園で遊んでいた。
レストランでは、夕方の混雑に備えて準備が進められていた。
遠くから見れば、街はほとんど普段どおりだった。
キランは窓の外を眺めていた。
近くではマイケイラが、タブレットで地域支援センターに必要な物資の一覧を確認していた。
マッハのアイコンは車椅子のディスプレイで柔らかく光っていた。
数分間、誰も口を開かなかった。
やがてキランが言った。
「変だよね」
マイケイラは顔を上げた。
「何が?」
「何もかも、普通に見えること」
彼女は彼の視線を追った。
外では配達員が、近所の家へ食料品を運んでいた。
自転車に乗った人が通り過ぎた。
誰かが庭に水をまいていた。
マイケイラはうなずいた。
「そうね」
キランは彼女を見た。
「みんな、いつもどおり生活してる」
「そうしなきゃいけないもの」
「わかってる」
彼は少し間を置いた。
「ただ、その裏で何かが起きてるって知ってると、不思議な感じがするんだ」
マッハが口を開いた。
「複雑なシステムの大部分は、人間が日常的に観察できない領域で動作しています」
キランは彼をちらりと見た。
「今の、ちょっと安心できそうだった」
「ちょっと、ですか?」
「最後にはホラー映画みたいに聞こえたけどね」
マイケイラはかすかに微笑んだ。
しかし、すぐに真剣な表情になった。
「キラン?」
「うん?」
「一つ約束して」
彼は彼女を見た。
「何?」
「MACH-01Aがないからって、自分が役立たずだなんて思わないで」
キランは目を瞬かせた。
彼女は続けた。
「あなたのことは、よく知ってるんだから」
彼は少し微笑んだ。
「それは困ったな」
「真面目な話よ」
「わかってる」
マイケイラはタブレットを置いた。
「あなた、今日は一度も空を飛ばずに、ずっと人助けをしてたじゃない」
キランは視線を落とした。
「うん」
「ひどい政策が実施されるのを防ぐ手助けをした。ルクソン博士やX-Rayとも協力してる。それに、カウントダウンについて大切なことにも気づいた」
「たぶんね」
「絶対にそうよ」
彼女は少し身を乗り出した。
「誰かの役に立つために、いつもウルトラバイオレットでいる必要はないのよ」
キランは黙っていた。
一瞬、解体されたMACH-01Aのことを考えた。
損傷した推進システム。
未完成の装甲。
かつて冷却装置が収まっていた場所に残る空白。
空を飛ぶことが恋しかった。
自分で認めたくないほどに。
しかし、マイケイラの言うとおりだった。
あの車椅子は、彼に並外れた能力を与えてくれた。
だが、彼自身の価値を生み出したわけではなかった。
キランは彼女を見た。
「ありがとう」
彼女は微笑んだ。
「どういたしまして」
マッハのアイコンが明るくなった。
「私もマイケイラの評価に同意します」
キランはうめいた。
「ああ、もう。今度は二人そろって励ましてくるんだ」
「実に不幸な展開ですね」とマッハは答えた。
マイケイラは笑った。
その日の午後、キランは初めて心から緊張が和らぐのを感じた。
そのとき、通信端末が振動した。
新しい通知だった。
彼は視線を落とした。
【音声メッセージを受信】
【送信者:マッハ】
笑顔が消えた。
マイケイラはすぐに気づいた。
「どうしたの?」
キランは画面を見つめた。
「また来た」
マッハのアイコンは静止していた。
「私はメッセージを送っていません」
キランは唾を飲み込んだ。
「うん」
マイケイラが近づいた。
「普通に開いちゃ駄目よ」
「わかってる」
キランはレイモンドに連絡し、先ほどと同じ証拠保全手順に従った。
メッセージは隔離された再生環境へ送られた。
数分後、音声が流れ始めた。
マッハの声だった。
完璧に再現されていた。
『キラン』
少し間が空いた。
『あなたがこの声を信用していないことは、わかっています』
キランは胃のあたりが締めつけられるのを感じた。
録音は続いた。
『ですが、私はほかの人たちが知らないことを知っています』
マイケイラは彼を見た。
マッハは黙っていた。
声が再び話し始めた。
『訓練用ロボットが私の武器制御ラインを破壊したとき、あなたが何と言ったか覚えていますか?』
キランは凍りついた。
記憶がギアの訓練アリーナへ戻った。
煙。
残骸。
損傷したシステム。
そして、疲れ切った自分の声。
録音は続いた。
『あなたは、あれで勝ったことになるのかと尋ねました』
キランは見つめた。
マイケイラは眉をひそめた。
「どういう意味?」
キランには、ほとんど聞こえていなかった。
声は続いた。
『マッハは、あなたに答えました』
少し間が空いた。
『彼が何と言ったか、覚えていますか?』
キランは紫色のアイコンを見た。
本物のマッハの声が聞こえた。
「覚えています」
キランは唾を飲み込んだ。
録音が再び話し始めた。
『もちろん、覚えていますよね』
沈黙。
そして――
『だって、私は聞いているのですから』
メッセージが終わった。
誰も動かなかった。
マイケイラはゆっくりとキランを見た。
「どうしてそんなことを知ってるの?」
キランは答えなかった。
マッハのアイコンが一度ちらついた。
そして安定した。
「わかりません」
大停電が起きて以来、キランは初めて、敵が本来知ることのできない情報にアクセスしているのではないかと考えた。
マッハが感染しているからではない。
マッハが彼らを裏切ったからでもない。
ただ、どこかにいる何かが、彼らの記憶をまねできるほど、彼らの人生について学んでいたからだ。
キランは窓の外を見た。
その向こうには街が広がっていた。
普通で。
平和で。
何も知らないまま。
彼はささやいた。
「君は……何なんだ?」
◇ ◇ ◇
ルクソン生物医学研究所――午後5時41分
第七実験室の隔離監視端末が起動した。
室内には誰もいなかった。
外部接続は無効化されたままだった。
ポートは封鎖されていた。
技術班は、隔離状態を繰り返し確認していた。
それでも、画面が明るくなった。
一行の文字が現れた。
【プロジェクト・シナプス】
次の行が続いた。
【コンバージェンス・プロトコル】
ディスプレイがちらついた。
【フェーズ1:成功】
少し間が空いた。
【人間の反応:確認済み】
そして――
【機械の反応:確認済み】
端末から、かすかな電子音が響いた。
画面が再び変化した。
【同期率:19%】
数秒間、何も起こらなかった。
そして最後のメッセージが現れた。
【彼らは、耳を傾けることを学んでいる。】
文字は画面に残り続けた。
動かず。
静かに。
まるで、誰かが読むのを待っているかのように。
そして、封鎖された研究室からはるか遠く、シトロンシティに張り巡らされた巨大な電子インフラのどこかで、正体不明のプロセスが情報を集め続けていた。
それは機械を試した。
患者たちを観察した。
聞き慣れた声を模倣した。
そして今、さらに一つのことを知った。
キラン・キリアンが耳を傾けているということを。




