大逃亡
# 大脱走
「時として、脱走で最も危険なのは、外へ出ることそのものじゃない」
キラン・キリアンは教室の前をゆっくりと移動していた。
生徒たちは、それぞれ異なる程度の集中力で彼の話を聞いていた。
本気で興味を持っている者。
興味があるふりをしている者。
そして一人、時計をあまりにも真剣に睨みつけている生徒がいたので、キランは念力で針を進めようとしているのではないかと疑った。
キランは黒板の横で止まった。
その背後には――
**『大脱走』**
と、大きな文字で書かれていた。
「本当の問題は……」
キランはクラスを振り返った。
「……その後、どうするかだ」
何人かの生徒が顔を上げた。
よし。
食いついた。
たぶん。
「この捕虜たちが置かれている状況を考えてみよう。収容所から脱出することと、安全な場所へたどり着くことは同じじゃない。まだ敵地を横断しなきゃならない。食料も必要だ。移動手段も。服も。身分証明書も。検問所だって避けなきゃならない」
キランは黒板の題名を示した。
「そして、おそらく何より重要なのは――行く場所が必要だってことだ」
Machは教卓の近くに浮かんでいた。
キランは彼に目を向けた。
「何か付け加えたいことは?」
Machは少し考えた。
「厳重に警備された捕虜収容所から脱走する行為は、統計的に推奨できません」
何人かの生徒が笑った。
キランは頷いた。
「その画期的な文学分析をありがとう」
「意見を求めたのはあなたです」
「そして俺は即座に後悔した」
さらに笑いが起こった。
キランは再び黒板へ向き直った。
「脱走者たちには、もう一つ問題がある。外に出た瞬間、追ってくる側は彼らの顔を知っている。名前も知っている。時間が経てば経つほど、当局には包囲網を狭める時間が増える」
少し間を置いた。
「自由になったからといって、安全になれるわけじゃない」
一人の生徒が手を挙げた。
キランはその生徒を指した。
「はい?」
「キリアン先生、だったらバラバラに逃げたほうが賢くないですか?」
「そうかもしれない」
キランは教卓のほうへ戻った。
「でも、それにも代償がある。集団なら目立ちやすい。一人なら見つかりにくい」
彼は指を一本立てた。
「でも――一人だ」
生徒は頷いた。
「人間は協力すれば、一人ではほとんど不可能なことだってできる」
Machがわずかにキランのほうを向いた。
「今の発言は、妙に感傷的でしたね」
「文学教師だからな」
「なるほど」
キランは笑った。
「さて、今日はここまで」
ほとんど同時に――
**キィィィン!**
椅子が動いた。
本が閉じられた。
生徒たちは軍事撤退作戦並みの効率で教室から消えていった。
キランはその後ろ姿を見つめた。
「ほら」
彼は出口を指差した。
「まさに――*大脱走*」
Machは最後の生徒が消えるのを見届けた。
「ひどい冗談です」
「授業内容には合ってただろ」
「それでもひどいです」
数分後――
マイケイラが教室の入口に姿を現した。
「やあ」
キランが顔を上げた。
「やあ」
彼女が現れただけで、キランの気分は明らかに良くなった。
もちろん。
そんなことをわざわざ口に出すつもりはなかった。
Machは気づいた。
当然ながら。
マイケイラが教室に入ってきた。
「授業はどうだった?」
「だいたい六十パーセントくらいの生徒には、ちゃんと教えられたと思う」
Machが割り込んだ。
「かなり寛大な見積もりですね」
「誰もお前に聞いてない」
マイケイラは笑いながら、キランの教卓の端にもたれた。
珍しく――
すべてがほとんど普通に感じられた。
暗殺者はいない。
謎の招待状もない。
破壊された建物もない。
ただ放課後に三人で話しているだけ。
マイケイラの表情が柔らかくなった。
「レイモンドは?」
キランの笑顔が少し薄れた。
「大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ」
キランは頷いた。
「ラクソン先生とX-Rayが処置してくれた」
Machが付け加えた。
「肩にはかなりの損傷がありましたが、致命傷ではありませんでした」
マイケイラは顔をしかめた。
「それ、“大丈夫”って感じじゃないけど」
「手術は必要だった」
キランは少し黙った。
「でも成功した。今は回復してる」
「それと……」
マイケイラは言い淀んだ。
キランには分かっていた。
銃弾のことじゃない。
リヴァース。
「他のことについては……どう?」
キランの声が静かになった。
「想像どおりだよ」
マイケイラは頷いた。
「知ってる人を殺さなきゃならなかったんだもんね」
「ああ」
キランは窓の外を見た。
「何年も前に死んだと思っていた人間をな」
レイモンドにとって、リヴァースは単なるVentixではなかった。
仲間だった。
戦友だった。
レイモンド自身、とうの昔にバーランへ葬ったと思っていた人生の一部だった。
「あいつはあまり話してない」
マイケイラは眉を寄せた。
「レイモンドらしいね」
「だいたいな」
キランは彼女へ視線を戻した。
「でも大丈夫だ。いや……」
言葉を選ぶ。
「……いずれ、大丈夫になる」
マイケイラは頷いた。
「よかった」
そして別のことを思い出した。
「あ」
キランは即座に警戒した。
「何?」
「Gear」
キランはうめいた。
Machのアバターが、さりげなく後ろへ下がった。
マイケイラは笑った。
「工房はどう?」
キランは彼女を見つめた。
「工房?」
「うん」
「Ventixと俺が災害現場に変えた、あの工房?」
「それ」
キランはため息をついた。
「Gearがまた俺と口を利いてくれるのは、たぶん来年だな」
マイケイラが笑った。
「真面目に聞いてるんだけど」
「俺も真面目に答えてる」
キランは数え始めた。
「テーブルを一台壊した」
「二台です」Machが訂正した。
「誰も聞いてない」
「油圧リフト」
「損傷です」
「重度のな」
「磁気クレーン」
「あれはほとんどレイモンドだ」
「エンジン一式」
キランは眉をひそめた。
「それはVentixだ」
「それと壁の一部」
キランはMachを指差した。
「お前、どっちの味方なんだ?」
「正確性です」
マイケイラはもう隠そうともせず笑っていた。
キランは首を振った。
「まあ、明るい話をするなら……」
彼女を見る。
「……俺の災難はもういい。そっちはどうだった?」
「実は結構いい感じ」
「スーパーヴィランは?」
「今週はいない」
「自慢かよ」
彼女は笑った。
「でも、新しい生徒が来た」
キランは眉を上げた。
「転校生?」
「みたいなものかな」
彼女は肩のバッグを直した。
「前の先生に追い出されて、私のホームルームに移されたの」
キランは顔をしかめた。
「将来有望だな」
「問題行動あり」
「どれくらい?」
マイケイラは彼を見る。
「初日」
「なるほど」
キランは笑った。
「君なら何とかできる」
「ずいぶん自信あるのね」
「誰かにできるなら君だ」
Machも頷いた。
「同意します」
マイケイラは二人を見比べた。
「二人とも?」
「もちろん」
「扱いづらい性格の人物を管理する能力について、あなたの成功率は実証済みです」
キランが眉をひそめた。
「待て」
マイケイラが笑った。
「たぶん、あなたのこと言ってる」
「分かってる」
Machは完璧に無邪気な表情を保っていた。
やがて三人は教室を出た。
午後の日差しがシトロン・アカデミーの入口へ降り注いでいた。
歩道は生徒たちでいっぱいだった。
キャンパスの向こうでは車が行き交っている。
キランが外へ出た直後――
**ブブッ。**
Machが止まった。
キランは気づいた。
「どうした?」
Machの表情が変わった。
「速報通知です」
マイケイラも足を止めた。
「何の?」
Machが情報へアクセスした。
そして完全に固まった。
キランはその反応がものすごく嫌だった。
「Mach?」
Machが彼を見る。
「ゲートロック刑務所で警備上の重大な侵害が発生しました」
キランの胃が縮んだ。
Machは続けた。
「三名の囚人が脱走しました」
マイケイラの顔色が変わった。
「誰?」
Machは名前を読み上げた。
「ウルトラヴァイオレット」
キランが固まる。
「ザイラ・ラインハルト」
表情が険しくなった。
「そしてナオミ」
沈黙。
Machは続けた。
「ザイラとナオミは脱走時に、それぞれのVentも奪還しています」
キランは彼を見つめた。
「Blizzard」
「そしてDJ Kre8です」
マイケイラも完全に動きを止めた。
数秒間――
誰も口を開かなかった。
生徒たちは変わらず彼らの周囲を歩いていく。
車も走り続ける。
街は何事もなかったかのように動き続けていた。
ようやくキランが声を出した。
「Snat」
マイケイラが彼を見る。
「あなたを狙ってくると思う?」
キランはすぐには答えなかった。
ウルトラヴァイオレット。
ザイラ。
ナオミ。
三つの名前。
三つの因縁。
そして、自分を覚えているだけの十分な理由を持つ三人。
「分からない」
Machが彼を見る。
「その可能性を合理的に排除することはできません」
「ありがとう、Mach」
「嘘のほうがよろしいですか?」
「いや」
キランはため息をついた。
「ただ、たまには安心できる嘘のほうがありがたい」
「では、間違いなく何もかもうまくいくでしょう」
キランは彼を見つめた。
「なぜか余計にひどくなった」
マイケイラがキランの肩に触れた。
だが彼女が何か言うより先に――
「キリアン」
キランは目を閉じた。
その声を知っている。
「勘弁してくれよ」
振り返る。
アダム・ヘンリーが歩道をこちらへ歩いてきていた。
Patrolが隣に浮かんでいる。
ワイルダーも後ろから続いていた。
キランは空を見上げた。
「俺の知り合い全員で会議でも開いて、“こいつには普通の一週間を過ごさせるな”って決めたのか?」
アダムは彼の前で止まった。
「話がある」
「その言葉の後にいい話が続いたためしがない」
「警察の仕事だ」
キランはマイケイラを示した。
「なら話せよ」
アダムは首を振った。
「お前とMachだけだ」
キランの表情が変わった。
「二人だけで」
マイケイラが二人を見比べた。
ワイルダーが一歩前へ出る。
「心配はいりません。現在進行中の捜査について、いくつか確認したいことがあるだけです」
マイケイラはキランを見た。
彼は頷いた。
「大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
彼女は少し迷った。
それから身を寄せた。
「電話して」
「する」
「あと、馬鹿なことしないで」
キランは笑った。
「“馬鹿なこと”の定義は?」
マイケイラは彼をじっと見た。
「……分かった」
キランは頷いた。
「了解」
彼女はMachを見る。
「生かしておいてね」
「常にそのよう努めています」
「裏切り者」
キランがぼそりと言った。
マイケイラは笑い、そのまま歩道を進んでいった。
アダムは彼女が聞こえない距離まで離れるのを待った。
キランはそれに気づいた。
「よし」
アダムを見る。
「何の用だ?」
アダムは腕を組んだ。
「ゲートロックだ」
「聞いた」
「なら、ウルトラヴァイオレット、ザイラ・ラインハルト、ナオミが脱走したのも知ってるな」
「ああ」
「BlizzardとDJ Kre8も一緒です」Patrolが付け加えた。
Machがわずかにキランへ近づいた。
「我々は関与していません」
アダムは二人を見つめた。
キランが瞬きをする。
「何?」
「脱獄について俺たちは何も知らない」
「お前らがやったなんて言ってない」
「思ってただろ」
「思ってない」
Patrolがアダムへ向いた。
「あなたの表情からは疑念が見受けられました」
アダムがPatrolを見る。
「お前はどっちの味方なんだ?」
「状況を明確化しただけです」
Machがキランを見る。
「彼、好きです」
PatrolがMachへ向いた。
「その感情は相互ではありません」
Machが止まった。
「失礼ですね」
ワイルダーは額を押さえた。
アダムが続ける。
「お前らが脱獄させたと思って来たわけじゃない」
「よかった」
「来たのは、お前があいつらを刑務所送りにするのを手伝ったからだ」
キランの表情が真剣になる。
アダムが彼を指差した。
「ウルトラヴァイオレット」
もう一本指を立てる。
「ザイラ」
さらに一本。
「ナオミ」
「三人ともお前と因縁がある」
Patrolが続ける。
「三名全員に報復の動機が存在する可能性があります」
Machは渋々頷いた。
「妥当な評価です」
キランが彼を見る。
「みんなして警察に同意するのやめてくれない?」
「いいえ」
アダムが続けた。
「あいつらが再び拘束されるまで、お前を襲撃対象になる可能性がある人物として扱う」
キランは彼を見つめた。
「つまり?」
「警護だ」
キランは瞬きをした。
「警察が俺を警護してくれるのか?」
「そんな嬉しそうに言うな」
「喜んでない」
「ならいい」
キランは考えた。
サヴァント。
Ventix。
そして今度はこれ。
アダムが気に入らないという理由だけで警護を断れば、それこそマイケイラが言っていた“馬鹿なこと”に該当するかもしれない。
「分かった」
アダムが意外そうな顔をした。
「分かった?」
「ああ」
キランは頷いた。
「警護を受ける」
「思ったより簡単だったな」
「ただし――」
アダムは目を閉じた。
「来たよ」
「俺の身近な人たちにも警護をつけてほしい」
アダムが彼を見つめる。
「マイケイラ。Gear。療養中のレイモンド。それから母さん――」
「調子に乗るな」
キランは眉をひそめた。
「本気だ」
「俺もだ」
「あいつらが俺を狙うために利用するかもしれない」
アダムの表情が険しくなった。
口論が激しくなる前に――
ワイルダーが二人の間へ入った。
「何とかしよう」
アダムが彼を見る。
「ワイルダー」
「現実的な脅威がある人物をそれぞれ評価して、必要な予防措置を取る」
キランは頷いた。
「ありがとう」
ワイルダーがアダムを見る。
「ほら」
アダムは何か聞き取れない言葉をぼそぼそ呟いた。
キランは笑った。
「順調だな」
「全然順調じゃない」
Patrolが割り込んだ。
「もう一点あります」
キランが彼を見る。
「何?」
Patrolはアダムへ顔を向けた。
アダムの表情が心底嫌そうなものに変わった。
キランはゆっくり目を細めた。
「あ」
アダムが眉をひそめる。
「何だ?」
「この後に何が来るにしても……」
キランは彼の顔を指差した。
「……お前、それ大嫌いなんだな」
「嫌いじゃない」
Patrolが口を開いた。
「嫌っています」
アダムが睨む。
Patrolは続けた。
「ヘンリー巡査と私が、あなたの主要警護担当に任命されました」
沈黙。
キランがアダムを見る。
アダムもキランを見る。
Machが二人を見比べる。
ワイルダーは慎重に一歩後ろへ下がった。
ようやくキランが口を開いた。
「嫌だ」
アダムも即答した。
「信じろ。俺だって嬉しくない」
「嫌だ」
「俺が決めたわけじゃない」
「絶対に嫌だ」
「たった今、警護を受けるって言っただろ!」
「お前に警護されるとは言ってない!」
アダムは両手を広げた。
「何が違うんだよ!?」
「俺たちは仲が悪い!」
「それでお前が俺の捜査に首を突っ込むのをやめたことがあるか!?」
「誰かが事件を解決しなきゃならないからだろ!」
アダムの目が見開かれた。
「お前――!」
ワイルダーが再び二人の間へ割って入った。
「はい、そこまで」
Machがキランの横に浮かぶ。
「この組み合わせでは、対人衝突が発生する予測確率はほぼ百パーセントです」
Patrolが彼を見る。
「同意します」
Machは嬉しそうだった。
「ほら。もう仲良くなってきました」
Patrolは彼を見つめた。
「なっていません」
キランがうめいた。
アダムもうめいた。
ワイルダーは四人を見比べた。
そして空を見上げた。
長い任務になりそうだった。
キランはアダムを見る。
アダムもキランを見る。
二人は長い付き合いだった。
だからこそ、お互いがどれほど相手を苛立たせられるかを完璧に理解していた。
そして今――
三人の脱獄囚が再び拘束されるまで――
二人は事実上、四六時中一緒にいることになる。
キランはため息をついた。
「レイモンドを指名できない?」
「銃で撃たれて療養中だ」
「それでもお前よりいい」
アダムの目元がぴくりと引きつった。
Machは静かに二人の間へ移動した。
これは――
間違いなく大惨事になる。




