メガネの新たな可能性
「ちょっ、トーチカ、どこ行くんだよ! あんま海に近づくとあぶねーって」
「あーそうだったよな、グラ兄も一緒に来てもらっていいか?」
「そりゃオレはお前の護衛だから、当然ついてくけどさぁ……」
ぶつぶつ言いながらもすぐに俺の少し前に出て、俺を守るように歩いてくれるグラ兄は本当に頼りになる。
「僕も行きます」
後ろから砂に足を取られつつも追いかけてきてくれたのはヴァルさんだ。
「ありがとう。あ、それにさっきもグラ兄をいっぱい手伝ってくれてありがとうな」
ヴァルさんはなぜか驚いたように、赤い瞳を丸くした。
ん?
「あ、攻撃魔法を使ってないからか? そんでもしっかりサポートしてくれてただろ。それにほら、あの半魚人……マーマンか、マーマンが魔法を使う前にそれを消してくれてただろ?」
「……よく、分かりましたね……」
「いやグラ兄が「ディスペル」って言ってたからさ。だからもう俺はヴァルさんには十分恩返ししてもらったよ」
俺の言葉に、ヴァルさんはなぜか黒縁メガネに映える赤い瞳を半分にした。
「……僕はまだまだ返し足りません」
うーん……。
この人も頑固だな……。
「トーチカ! 十分気をつけてほしい!」
背中にかかった切なげな声に振り返ると、リーフェリオン様がフラウレイドさんにそれ以上海に近づかないよう止められているようだ。
リーフェリオン様は公爵家の大事な跡取りだもんな。
あー……なんだか、二人にも悪い事をしてしまったな。
「はい、気をつけます!」
俺がリーフェリオン様に叫び返すと、グラ兄も「オレ達がついてっから大丈夫だって!」と言ってくれる。
そうして、リーフェリオン様に心労をかけつつも辿り着いた岩場には、確かに誰も居なかった。
俺は岩場の隅々まで目を凝らす。
「トーチカ、なにしてんだ? ここには誰もいなかったってアイツも言ってたろ」
「そーだけどさ、もしコルト君が聞いた声が空耳じゃなかったら……って」
「つっても、なんもいねーしなぁ……」
その時、俺達に微かな声が届いた。
『た、す……けて……』
三人で顔を見合わせる。
「いや今なんか聞こえたぞ!?」
「グラディ、静かにしろ」
「ヴァルは探知魔法とか使えねーのかよ」
「当然真っ先にかけた。人の反応は無かった」
……それじゃあ、助けを求めてるのは人じゃない何かって事なのか?
俺達は岩場でそれらしい生き物がいないかと見渡すが、誰も何も見つけきれない。
くっそ、なんかないのかよ。
赤外線スコープみたいなのとか、サーモグラフィーみたいなのとか……。
あ。
そういう機能を、メガネのレンズにつけることって出来ないか?
俺は大急ぎで自分のメガネに合わせてレンズを1枚作ると、それに『レンズ加工』で機能を追加する。
えーっと、加工のオーダーは……生物探知加工、でどうだ!?
強引に記入したオーダーは、突き返される事なくすんなりと通った。
「で……、できた……?」
半信半疑のまま、自分のメガネのレンズを右だけ交換する。
するとメガネ越しに何やら黄緑色のラインで方向指示が現れた。
なんだこれ、ARみたいだな。
俺は不謹慎にもワクワクしながら、指示に従って顔を動かす。
そのままガンシューティングの照準みたいなマークが近付くように歩いていくと、そこには岩と岩の間に黒い何かが挟まっていた。
「ここになんか挟まってる!」
俺が指差すと、すぐにグラ兄が膝まで水に浸かって岩をどかした。
「これか!?」
黒いボロ切れのようなものは、水の中でピチ、と一度だけ動いたきり沈黙した。
……う、もしかして、今ので力尽きたとか……?
「これは魔法生物か……? 魔力を注げば回復するかもしれん」
そう呟いたヴァルさんが、黒いヒラヒラに両手を翳す。
透き通る水色の光がヴァルさんの手から溢れて、少しずつ黒いヒラヒラへと吸い込まれる。
固唾を呑んで見守る俺達の前で、黒いヒラヒラがピクピクっと動き出した。
「おおお!」
「生きてた……良かったぁ……」
グラ兄と俺が思わず声を上げる中で、ヴァルさんはまだ真剣な表情で黒いヒラヒラに魔力を注ぎ続けている。
しばらくすると、水面に対して平行に近かった黒いヒラヒラは垂直な姿勢で水の中をゆっくり泳ぎ始めた。
よく見るとタツノオトシゴみたいな形なんだな。
いや、それよりもヒラヒラしてるから……えーと、葉っぱがいっぱいついてるような見た目のやつ……ああ、リーフィーシードラゴンとか言うんだっけ。
そんな見た目をしていた。
色は全身真っ黒だけれども。
あ、今パチッと瞬いたように見えたが気のせいか?
その小さな目だけは青いんだな。
『あれ……? あ……。ありがとうございます……?』
聞き慣れないこの声は、この黒い生き物が発したのか……?
「こいつが喋ったのか?」
どうやら俺と同じ疑問をグラ兄も抱いたらしい。
「喋ったというよりも、僕達に意思をそのまま魔力で届けている」
「へぇ」という声は二つ重なった。
『す……すみません……、良ければ、もう少し魔力をいただけませんか……? 必ず後で、お礼をしますので……』
俺が、ヴァルさんはどうするんだろうと思ってヴァルさんを見ると、なぜかヴァルさんの赤い瞳は黒いのじゃなくて俺の方を見ていた。
「どうしますか?」
「え、俺が決めるとこ?」
「僕は、トーチカさんが望むならいくらでも注いでいいですよ」
「えっと、俺は知らないから聞くけど、それってヴァルさんが辛くなったり苦しくなったりはしないのか?」
「枯渇するほど注げばそうなりますが、この小さいのにそれほど受け取れるとは到底思えませんね」
うわぁ。なんか発言にツワモノ感があるなぁ。
さすが国一番の大魔導士様だ……。
「じゃあ、ヴァルさんにとって無理のない……というか余裕を残せる程度でいいので、注いでもらってもいいかな?」
「喜んで」
にこ、と小さく微笑んだヴァルさんは何だかすごく幸せそうだ。
普段は無表情でスン……としてる分、時々見せる笑顔の威力がすごい……。
しばらくの間、無言で魔力を注ぎ続けるヴァルさんを眺める。
真面目な横顔にかかる濃い青紫の髪。
落ち着いた黒のスクエアのメガネの奥には、今はまつ毛に半分隠れているけど赤い……いや、金色味を増してきた瞳。
俺達が岩場の窪みにできた潮溜りのそばでじーっとしゃがみ込んでいる間に、グラ兄は海水に濡れたズボンを絞っている。
……ん?
ズボンを絞って……?
隣を見上げれば、グラ兄は上が騎士服で下はパンイチという有様なんだが?
割とかっちりした騎士服に、パンイチは似合わなすぎるだろ。
それ以前に、そんな生地の服ぎゅうぎゅう絞るなよ。
しわしわになるぞ?
水気を切ったズボンを握ったグラ兄は、パンパンとシワを伸ばすように振っている。
俺と目が合って、グラ兄がニシシと笑う。
なんだその悪戯っぽい笑いは……?
次の瞬間、グラ兄が口の中で小さく何かを唱えた。
すると、ズボンを掴むグラ兄の両手から小さな風の渦が巻き起こって、ズボンの中をぐるぐると暴れ回ってから抜けていった。
「ほーら、乾いた」
言って、グラ兄は得意げに俺にズボンを見せてくる。
「おおー、すげーっ」
確かにシワまで綺麗さっぱり消えて綺麗になったな。
「すげーのは認めるけど、俺に見せてる暇があんならさっさと履いてくれ」
「あはははっ」
パンツ丸出しの癖にほんっっっと爽やかに笑うな、この人は。
ここは誰に見られるともわからない吹きっさらしの野外で、グラ兄が着てるのはリーフェリオン様の公爵家の騎士服なんだぞ?
リーフェリオン様に迷惑がかかるような事はやめてくれよ。
……とは、流石に言えないんだけどな。
俺のせいでグラ兄は靴もズボンも濡れたわけだし。
『ふわぁ……、もう……、もう、らいじょうぶれすぅ……』
何だかふわふわした呂律の回らない声に、俺は黒いのへ視線を落とす。
「もういっぱいみたいですね」
言ってヴァルさんが口端を片方だけ上げる。
「ちょ、おいヴァル。お前分かっててギリギリまで入れたんじゃねーのか? まだ小っさそうな奴に、あんま意地悪してやんなよな」
「言いがかりだ」
不意にちゃぷん、と小さな水音がした。
次の瞬間、俺の目の前には俺の顔くらいのサイズの丸い水の球が浮いている。
水球の中央には、黒いヒラヒラ生物。
『何から何まで本当にありがとうございます。私は海の王の第八の子、カルールと申します』
ん……? 何だって……?
俺の隣で小突き合っていた二人も、揃ってピタリと動きを止めた。
『貴方のお名前を教えてくださいませんか?』
「俺……?」
『はい』
あ、俺の言葉も普通に届くんだな。
「俺は遠近だよ。元気になって良かったな」
本当に、一時は死にかけてたもんな。
もうダメかと思った子が、こうして小さな瞳で見つめてくれてんのは、ちょっと感慨深いもんがあるな。
『トーチカ様……。この御恩は必ずお返しします』
「ん? 俺に? いや、君を治してくれたのはこっちの……」
「僕はトーチカさんの意思に従ったまでです」
俺が言い終わるより早く、ヴァルさんに却下されてしまった。
「いやでも、岩に挟まってたのを助けたのはこっちの……」
「トーチカが見つけなきゃ誰も気付けなかったけどな」
いやなんで二人して俺の手柄にしようとするんだよ!?
もういいよ俺は!
恩返しはもう、リーフェリオン様とヴァルさんで腹一杯だって!!
「恩返しなんていらないよ、困った時はお互い様だからさ」
『トーチカ様……』
そこでそんなに感動したみたいな顔されると困るんだが……。
不意に、水球の中で黒いの……じゃなくてカルール君……いやカルール様……王子か? が海の方を振り返った。
途端、砂浜へと無限に打ち続いていた波がピタリと止まる。
波音の消えた海岸を、耳が痛むほどの静寂が包んだ。




