メガネへの愛と決意
俺はメガネが好きだ。
三度の飯より、この世の何より、メガネが大好きだ。
小学一年の春、初めてかけたメガネで俺の世界は変わったから。
俺のメガネへの愛は、異世界に飛ばされても決して揺らぐことはなかった。
「失礼します」
俺はそう言って、眼鏡のツル部分……テンプルを両手でつまみ上げると、彼の耳の上へ優しくかける。
正しい位置までメガネを差し込んで、手を離す。
細いシルバーフレームが、彼の淡い金髪と一緒にキラリと輝いた。
うん、この繊細さの多重掛けって感じが最高に儚くて、リーフェリオン様によく似合っている。
「いかがですか?」
俺の言葉に、目を閉じていた彼の長いまつ毛が持ち上がると、ラベンダー色の瞳が驚くように揺れた。
彼は、自分の手や部屋のあちこちを交互に眺めて、近くや遠くの見え方を確認する。
公爵子息であるリーフェリオン様の執務室は広く、彼の座るソファから本棚や部屋の扉は十分遠かったし、バルコニーへと続く扉も開いているので外まで見えた。
あちこちを眺めたリーフェリオン様の整った顔が、まるで信じられないという表情に変わる。
ああ、俺はこの瞬間が大好きだ。
今までぼんやりとしか見えなかったものが、メガネをかけた途端、クッキリ見えるようになる。
『見える』って嬉しいんだよ。
なあ、嬉しいよな!
俺は溢れる喜びに緩みそうな口元をぎゅっと引き締めて、彼の言葉を待つ。
リーフェリオン様が、隣に立つ俺を見上げた。
彼のメガネのレンズに俺の姿が映っている。
中肉中背よりちょっと肩幅狭めの身長170センチの俺は、栗色の髪を上部分が長めのツーブロックにしていて、前髪はセンターパートでゆるめにウェーブをかけている。
メガネは、ここしばらく流行り続けている丸メガネだ。
細い金フレームで繊細な丸メガネは、ゆるウェーブの前髪と合わさると、なんとも甘く優しい雰囲気を醸し出していて、接客業にはピッタリだった。
俺は、若いお姉さんや小さい子にも声をかけられやすい、優し気で気の利きそうな外見の眼鏡屋店員だった。
……この異世界に来るまでは。
リーフェリオン様は、いつも険しく皺寄せていた眉を垂らして俺に微笑んだ。
幼少期から常にしかめ面の彼は、周囲から冷酷公爵とか氷の貴公子とか言われて怖がられていたらしい。
だけど、リーフェリオン様がしかめ面してたのは、遠視のせいで目に力を入れないと周囲がよく見えなかったからだ。
眉根にくっきりと刻まれたその険しさは、気性の荒さなんかじゃない。
焦点の合わない視界への、彼なりの懸命な抵抗だったんだよ。
「……こんなに、世界が鮮明に見えるなんて……」
ああ、その気持ちわかるよ。
俺も初めてメガネをかけた時は『世界ってこんなクッキリしてたのか!』と叫んだからな。
俺は小学生に上がって最初の眼科健診でひっかかった。
強度の遠視だった。
眼科の先生に『生まれつきみたいだね、今まで見るの大変だっただろう?』なんて言われたが、俺は首を傾げるしかなかった。
そもそも楽に見える状態ってのを知らないと、自分が人より見るのが大変なんだって事にも気づきようがない。
それでも俺は6歳のうちにメガネを手にしてクッキリ視界を手に入れたが、この人は25歳の今日までずっと、この『頑張らないと見えない目』で頑張り続けてたんだもんな。
そりゃ俺よりずっと感動するよ。
「トーチカ……」
ほんの少し震えるリーフェリオン様の声に呼ばれて、俺は「はい」と返事をする。
正しくは遠近だが、この世界の人には発音が難しいようだ。
メガネ仲間には、エンキンとか遠近両用とか揶揄われがちな苗字だし、そうじゃないだけマシだと思う。
まだこの後、耳の後ろの先セルを耳に合わせて曲げたり、鼻あてが痛くないか確認したりと調整項目が残ってるんだが、感動真っ最中のリーフェリオン様に尋ねるには、まだちょい早いよな。
「本当に、ありがとう……」
そう言って微笑んだリーフェリオン様のラベンダー色の瞳から、一筋きらりと何かが零れた。
なんだろう綺麗だな、なんて思いながら、それがポロリと零れ落ちるのを視線で追う。
ああ、涙か、それ。
――!?
ちょ、待っ、泣く程!?
メガネかけて、泣く程感動した!?
あー……、なんかつられて俺まで胸がじーんとしてきたな……。
「貴方のおかげで、世界が変わって見えるよ」
リーフェリオン様はそう言うと、柔らかそうなプラチナブロンドをふわりと揺らして微笑んだ。
外から差し込む明るい日差しに、シルバーフレームのメガネと涙がキラキラ輝いている。
さすがお貴族様と言うべきか、泣き顔ですら綺麗すぎるな。
「喜んでいただけたなら良かったです。これで、頭痛や肩凝りも治まるといいですね」
俺が笑って答えると、リーフェリオン様が目を丸くする。
「頭痛や肩凝りまで……メガネで治るというのか……」
「多少は楽になると思いますよ」
メガネで治るというと語弊があるが、彼の慢性的な頭痛と肩懲りは、おそらく目からきている。
だから、これでかなり楽になると思うんだよな。
本当に、リーフェリオン様の目は今までよく頑張ってたよ。
これまでずっと、近くを見ようとするたびに、毛様体筋がぎゅんっぎゅんに無理して収縮してたんだろうからなぁ。
夜になると近くがまるで見えなくなると言ってたし、日中無理して一日の終わりには眼精疲労でヘトヘトになってたんだろう。
このメガネで、少しはゆっくりしてくれよな。
これからは、リーフェリオン様がちょうど良く見えるように、俺がちょいちょい調節してやるからな。
しかしそのためには、やっぱり店舗が欲しいよなぁ。
だって、メガネが壊れた時や調子が悪い時に、すぐに駆け込める場所が必要だろ?
リーフェリオン様だけじゃなく、その他のお客さん達のメガネのメンテナンスも並行して継続的に行うためも。
視力検査もできて、フレームも展示即売してる、そんな実店舗が構えたいんだよな。
うん。
いっちょ頑張って、作ってみるかな、眼鏡店。
俺がいきなり飛ばされたこの異世界は、魔法が進んでいるせいか、光学技術が未発展でメガネが存在しない。
けど、そんな世界にも、リーフェリオン様みたいにメガネを必要としている人はいた。
きっと気づいていないだけでメガネを必要としている人はこの世界にまだまだ沢山いるんだろう。
それなら眼鏡作製技能士1級を店で真っ先に取ったこの俺が!
この世界で初の眼鏡店を構えてメガネを普及させてやる!!
俺は、まだ右も左も分からない異世界で、メガネへの溢れる愛を胸に、眼鏡店を開く事を決意した。




