第20話 家族:失った日:ともに
静けさが戻った岩場で、携太は二匹と向き合っていた。
遠くで川のせせらぎが聞こえる。風が、草の匂いを運んでくる。
ミントカラーの姉は携太のすぐ前で、じっと地面を見つめていた。
「……無理しなくていいよ」
携太は静かに言った。
姉は少しだけ目を伏せたが、やがて顔を上げた。
『……話すわ。ちゃんと、話す』
◆
『私たちは、四匹で暮らしていた』
姉の声が、頭の中に静かに響く。
『父さんと、母さんと、私と、この子』
『森や岩場を転々としながら。夜は風の匂いを聞いて、朝は葉っぱについた雫を舐めて。それが当たり前だったの』
弟が小さく頷いた。
『父さんも母さんも回復の力を持っていた。父さんは回復だけではなく、探知能力が凄かったわ。何かが近づいてくると、ずっと前から気づいて、私たちを安全な場所に連れていってくれたの。母さんは、どんな傷でもすぐに治してくれたわ。』
携太は黙って聞いている。
『ずっと続くと思ってたの。あの暮らしが』
姉の声が、ほんの少し震えた。
◆
『その日も、いつもと変わらない朝だった』
姉が続ける。
『森の中。匂いも、風も、いつも通り。父さんも、何も感じていなかったの』
弟の耳が、ぴくりと動いた。
『なのに──突然、目の前に人間が現れた。四人』
携太の手に少し力が入る。
『おかしかった。父さんは、人間や魔物の気配なら遠くからでも察知できる。なのに、その四人は──匂いも、音も、気配も、何もなかった。まるで最初からそこにいたみたいに、突然現れたの』
(……気配を消す能力か道具を持っていた、ということか)
携太は胸の中でだけ、そう呟いた。
『人間の言葉はわからない。でも──"連れていく"って気配と、"抵抗するな"って圧だけは、わかった』
◆
姉は、一度だけ息を止めた。
それから、絞り出すように続けた。
『父さんが、私たちの前に出たの』
『家族を守ろうとして。威嚇のつもりで──一人を、傷つけたわ』
携太は、拳をぎゅっと握った。
『次の瞬間。重い鎧を着た女が、怒ったまま──父さんを、大きな剣で切った』
姉の声が、淡々と事実だけを並べるような調子に変わっていた。
感情を乗せたら、壊れてしまうとわかっているかのように。
『一振りだけ。たったの一振りで──父さんは、動かなくなったの』
弟が、小さく身を震わせた。
『母さんが、すぐに駆け寄って回復しようとした。でも──戻らなかったの。何度やっても、戻らなかったわ』
携太は息を詰めたまま、二匹を見ていた。
言葉が出ない。
『私たちは泣いた。弟は声を上げて泣いた。私も、たぶん泣いていたわ』
『母さんが叫んだの。「逃げて」って』
姉のエメラルドのような宝石の光が、わずかに揺らいだ。
『逃がそうとしてくれた。でもその時──別の男が、刃物を投げた』
弟の後ろ足が、反射的にびくりと縮まった。
『弟の後ろ足に刺さったの。弟が鳴いて──母さんの声が、裂けたわ』
沈黙が落ちる。
『"逃げてーーー!"って』
『……あれが、母さんの最後の声だったの』
姉は、そこで言葉を切った。
目を閉じ、小さく息を吐く。
弟が、姉の体に額を押しつけた。
◆
しばらくの沈黙のあと、姉がぽつりと言った。
『私は弟を背中に乗せて、森に飛び込んだの。振り返れなかったわ』
『どれだけ走ったか、わからない。足が震えて、息が切れて──それでも止まれなかったの』
弟が、ほんの小さな声で付け足した。
『……姉ちゃんの背中、ずっと震えてた』
姉は何も言わなかった。
携太も、何も言えなかった。
『気がついたら、昨夜の川の近くにいた。身体中が痛くて、弟の足からは血が止まらなくて。魔力も空っぽで、回復もできなかったの』
『水だけ飲んで。それだけで、二日間過ごしたの』
(二日間……)
携太は、昨夜のことを思い出していた。
焚き火の前に現れた、あの小さな影。
おそらく、姉は限界だったのだ。
弟の足からは血が止まらず、回復する魔力も残っていない。自分たちだけでは狩りもできない。
それでも、人間に近づくのは怖かった。
あの四人のことが、頭にこびりついていたはずだ。
それでも──姉は来た。
弟を助けるために、一か八かで姿を見せた。
「あの魚……」
携太がぽつりと漏らすと、姉が小さく頷いた。
『一口食べて、わかった。普通の魚じゃなかったの。身体の奥から魔力が満ちてくるのがわかって──弟のところに持って帰って、分け合って食べた』
『身体の疲れが取れて、枯れてた魔力が戻ってきた。……だから、やっと弟の傷を治せたの』
(そんな効果が……)
善行ポイントで買った元の世界の食材には、肉体の疲労や魔力を回復させる効果があるのかもしれない。
携太は胸の奥が締めつけられるのを感じながら、黙って頷いた。
◆
姉が、ゆっくりと立ち上がった。
まっすぐに、携太を見上げている。
弟も、その横に並んだ。
『……お願いがある』
姉の声は震えていた。
でも、目は逸らさない。
『一緒に、いさせてほしい』
携太は、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「……国には、連れていけないかもしれない」
二匹の顔が、わずかに強張る。
「人間が、怖いだろ」
『……怖いよ』
弟が、小さな声で答えた。
『でも、アナタは違う』
姉が、弟の言葉に重ねるように言った。
『石をぶつけられて自分も痛かったはずなのに、私たちのことを気にしてくれたわ』
二匹は、目を逸らさなかった。
携太は、しばらく二匹を見つめていた。
小さな体。額に光る宝石。ふわふわの毛並み。
親を奪われて、傷ついて、それでもここにいる。
(……俺も、同じだったな)
施設で育った日々が、ふと頭をよぎった。
俺には手を差し伸べてくれた人がいた。
この子達はどうだ。どうしたらいいのか分からず途方にくれた経験があるからこそ、放っておけないと思った。
「……わかった」
携太は、静かに言った。
「一緒に行こう」
姉のエメラルドの宝石が、ぽうっと光った。
弟が、小さな声で鳴いた。
それは、泣き声なのか、喜びの声なのか、携太にはわからなかった。
でも──二匹が、そっと携太の膝の上に額を寄せてきたとき。
不思議と、お互いが引き寄せ合って巡り会えたんだと──そう感じた。




