第1話 笑顔、作りすぎ
「笑顔、作りすぎ」
五人組アイドル『リュミエール』の相沢美月は、口角を上げたまま固まった。
四月の雑誌撮影は、予定より十二分早く終わった。白いブラウスに細いリボン。花を持つ位置も、カメラへ向ける肩の角度も間違えていない。撮影中、困った顔をしたスタッフはいなかった。
控室へ戻って最初に会った男だけが、妙なことを言っている。
「……私に、ですか」
「ほかに誰がいるの」
窓際の机には撮影用のタブレットが置かれ、その横に黒いシャツの男が立っていた。首から下げた入館証を裏返したまま、画面を指で送っている。
美月は入口で一礼した姿勢から、ゆっくり背を起こした。
「お疲れさまです。相沢美月です」
「高城修司です」
「あ、こちら新しく制作を見てくださる高城さん」
いつも現場に同行してくれる水野律子が後ろから入り、衣装の上着をハンガーに掛けながら言った。
「リュミエールの企画やライブ演出、出演内容の相談は高城さんに。スケジュールの連絡は今までどおり私ね」
「よろしくお願いします」
美月はもう一度頭を下げた。デビュー半年、大学を卒業してまだ二週間だ。新人としての挨拶には慣れてきたつもりだったが、挨拶より先に笑顔を否定された経験はない。
高城は画面を美月の方へ向けた。
「これ。全部同じ」
並んでいたのは、さっき撮った八枚だった。小さく開けた唇も、目の細め方も、ほぼ揃っている。
「雑誌の方に、清楚な感じでと言われたので」
「うん」
「事前にいただいた参考写真も見ました」
「うん」
「それで、こういう表情に」
「清楚って、全部同じ顔って意味だっけ」
水野がハンガーを掛ける手を止めた。美月は撮影で使った花束の紙を、無意識に指先で折った。
「違うと思いますけど、安定して写るのも大事かと」
「大事。ただ、八枚見る理由がなくなる」
高城は一枚を拡大した。花を見つめる写真だった。次にカメラ目線の写真へ切り替える。
「花見ても、レンズ見ても同じ。何見てた?」
「……花と、レンズです」
「そういうことじゃなくて」
「分かってます」
返事が速すぎた。水野の方を見ると、彼女は何も言わず、机の空いた場所にペットボトルを置いた。
美月は紙を折るのをやめた。花が好きそうに見えること。読者が可愛いと思ってくれること。そんな答えならいくつも言える。けれど、この人はたぶん、そのどれにも短く「うん」と言う。
「写真として駄目でしたか」
「駄目とは言ってない。使える」
「褒めてます?」
「褒めてない」
「ですよね」
口から出た後で、美月は自分の返しに驚いた。初対面の、これから仕事で世話になる相手に言う調子ではなかった。
高城は叱らず、一覧のずっと後ろへ移った。
「こっち」
写っていた美月は、横を向いていた。目は少し細くなり、口が大きく開いている。袖の端が持ち上がっていて、行儀のよい写真ではない。
「これ、撮ってたんですか」
撮影の合間、背景用の布を替えていたときだ。花を置く台を探していた美月に、カメラマンが「その花束、俺の晩飯より豪華」と言った。美月は思わず、食べないでください、と返したのだった。
「顔、崩れてますけど」
「相手の話を聞いてる」
「撮影中も聞いてます」
「聞こえてるのは知ってる。写真で、何か返したくなる感じがあるかって話」
美月は画面を見た。自分で見慣れた顔ではなかった。いつもなら確認のとき、真っ先に外す。頬が持ち上がりすぎているし、片方の眉も変だ。
それでも、前後の会話が聞こえてきそうではあった。
「これを全部の写真でやれってことですか」
「まさか。笑う場面じゃないのにこれやったら怖い」
「じゃあ、どうすれば」
「花を好きそうに持つんじゃなくて、今、持ってる花を見てみれば」
美月は花束へ視線を落とした。小さな白い花の中に、一本だけ茎の曲がったものがある。撮影前なら正面から見えないよう回すところだ。持ち直すと、紙にこもっていた青い匂いが上がった。
高城はそれ以上言わず、タブレットを机に戻した。
「初対面で、何が分かるんですか」
問いは、用意していたより硬い声で出た。
水野が二人の間へ入るより先に、高城が答えた。
「分からないから見るんだけど」
それでは反論になっていない、と言いたかった。ところが高城は美月を見たまま、次の言葉を待っている。もう決めつけた人の目ではないのが、余計に腹立たしかった。
「私は、見てもらうために準備してます」
「それはやめなくていい」
「やめろって言われたように聞こえました」
高城は一度口を閉じた。
「同じ表情だけで終わらせるのは惜しい、って言うべきだった」
「……それなら、だいぶ違います」
「じゃあ、そっちで」
「最初の言い方、取り消しが雑ですね」
机の反対側で水野が小さく息を漏らした。笑ったのを咳で隠すのはやめてほしかった。
「相沢、次の衣装ある?」
「今日はこれで終わりです」
「なら、着替えて。写真の選定は雑誌側と相談するから」
高城はタブレットを引き寄せ、雑誌担当者を呼んだ。
美月はカーテンで区切られた更衣スペースへ向かった。白いブラウスをハンガーに戻し、私服の薄いニットに腕を通す。鏡の前で髪を直していると、外から雑誌担当者の声がした。
「高城さん、表情の違うカット、追加で撮ります?」
「今日は大丈夫です。誌面で必要なものは撮れてますよね」
「ええ、予定した分は」
「じゃあ別の方向は、次に相談させてください。今から増やして、今日の段取りを崩す話じゃないので」
美月は袖を引く手を止めた。
さっきの指摘が撮り直しにつながるなら、皆に頭を下げなければと思っていた。早く終わった十二分などすぐになくなる。高城が担当者へ確認した声は、控室で美月へ向けたときより、ずっと説明が多かった。
自分にもそれくらい言ってほしい。
カーテンを出ると、水野が花束の持ち帰り用の袋を広げていた。高城は担当者と入口へ向かっている。
「お先に失礼します」
美月が言うと、高城は振り返った。
「お疲れさま。花、下から持った方がいい。袋の底、薄いから」
「そこまで作らず持ってます」
「今のは袋の話」
水野がとうとう声を出して笑った。美月は袋の底に手を添えた。高城が正しいのも、薄い紙の角が指に当たるのも、いちいち気に入らない。
雑誌社を出た後、駅までの道を水野と歩いた。車での送迎がない日は珍しくない。美月は花をぶつけないよう、改札で人の流れが途切れるのを待った。
「高城さんって、ずっとあの感じですか」
「言葉が足りないのは、前からね」
「水野さんも思うんですね」
「だから、分からないところは聞いていい。美月の考えも言って。今日みたいに」
「今日みたいだと、私、感じ悪くないですか」
水野は交通系カードをバッグへ戻し、美月の手元を見た。
「袋にはちょっと怒ってたね」
「袋には怒ってません」
電車の窓に、花束を抱えた自分が映った。口はむっとしたままなのに、眉の角度だけが撮影中より柔らかい。美月は窓から目を逸らした。
家ではまず花の包みを外した。切り口を少し落とし、ガラス瓶へ水を入れる。持って帰る途中で一枚だけ落ちた花びらが、バッグの底に残っていた。
スマートフォンには、同じリュミエールの都和から、撮影どうだった、と連絡が来ている。美月は「無事に終わりました」と打ち、その後へ「新しい高城さんにもお会いしました」と足した。
すぐに、話は通じた? と返ってきた。いい人だったかとは聞かれなかった。
美月は少し考えた。
通じてはいる。気分よく通じていないだけだ。
そう送ると、都和から頷く猫のスタンプが届いた。美月はそれ以上を聞かず、花瓶を机の端へ移した。
その晩、水野から撮影データの確認用リンクが届いた。掲載候補の確認であり、すべてを本人が選べるわけではない。美月はまず決め顔の八枚を見比べ、顎の線がきれいなものに印をつけた。
次に、あの一枚を開いた。
カメラの横へ何か言い返している。花束は胸の位置より下がり、リボンも少し曲がっていた。相手が何を言ったか覚えていなければ、自分はこの写真を選ばなかっただろう。
返信欄に、自然なカットも一枚あると嬉しいです、と打った。送信前に「嬉しい」を「面白いかと思いました」へ変えようとして、やめた。
机の端に次の収録台本があった。リュミエールの二人が、若手ゲストとして参加するトーク番組だ。先に渡されている話題は三つ。美月はペンを取り、最近買ったもの、休日の過ごし方、失敗した料理、と見出しをつけた。
迷惑をかけたくないし、何も出てこなくなるのは怖い。今日の写真を一枚選んだからといって、それは変わらなかった。
答えを書きながら、ページの端へ小さく付け足す。
聞かれたことを、最後まで聞く。
その横に丸をつけ、さらに回答例を二つ書いた。気づけば余白がなくなっている。
美月はペンを置いた。
「……作りすぎって、これも言うんでしょうね」
花瓶の代わりに使った細いガラス瓶には、あの曲がった茎の花が、ほかより外へ顔を出していた。直すほどでもない角度だったので、美月はそのままにした。




