29.自称婚約者の告白
コンコンっと静かに彼の執務室をノックする。
「入れ」
返ってきたのは命令にも似た入室の許可。その声には隠し切れない疲れが滲んでいる。それも当然のことだろう。ずっと自宅に帰ってくることなく執務室にこもり切りなのだから。
そっと扉を開けて入室すると机に目線を向けたままペンを動かし続けているレイモンドの姿があった。室内には他に人の姿はない。きっとこの張りつめた空気に耐え切れずに皆出て行ったのだろう。けれど今は好都合だった。
「何の用だ?・・・・いつまでそこに立って・・・」
扉の前に立ち止まったままの私を訝しんだレイモンドが少しイラついたように顔を上げて固まった。私が押しかけてくることは想像していなかったのだろう。驚いて目を見開いている。
「随分忙しそうだな」
「アリシア・・・」
レイモンドはまるで幻を見たかのように茫然としたまま私の名前を呼んだ。
「・・・・・シュヴェリエは・・・・共に行かなくていいんですか」
どうやらレイモンドもまた、アルフレドが国を出て行ったことを知っていたらしい。けれど私が驚いたのはレイモンドの問いかけだ。
「私が彼についていくと思っていたのか?」
「それは・・・」
良い淀んでから頷いた。私が何も言わずにこの国とレイモンドを捨て置いてアルフレドについて行くと思われていたのなら心外だ。
「・・・あなたはシュヴェリエのことを愛していましたから」
レイモンドは切ない表情をして俯きながら呟いた。彼の言葉に、私もまた目を伏せた。
「たしかにな・・・けれど、それはもう終わったことだ。自分でも思いもしないほど私の存在は長い間彼を縛り付けた。もう、何者にも縛られることなく自由に生きてほしいんだ。だから、きっちり見送ってきたよ。彼の新しい旅路を」
愛していたかと問われれば間違いなく頷ける。別れの寂しさに今も胸は痛む。けれど、私はもう彼の隣を歩かないと決めた。アルフレドのためにも、私自身のためにも。分かれ道に出て、私たちはお互いの旅路を祈って笑顔で別れることが出来た。
だが、目の前のかつての主人にとっては釈然としないらしい。別れを告げたと言っても私が彼のことを今だに思っていると考えているのだろう。その証拠にレイモンドは険しい表情のままだ。
「・・・・・ところでずっと気になっていたんだが、君のその話し方はもしかしてアルフレドの真似なのか?」
空気を和ませるためにわざと茶化すように疑問を口にした。私と話すときだけレイモンドはやけに丁寧な口調で話している。意図的にそうしていることは明白だった。なにせ、部下や団長に対しての口調とは全く違うのだから。
「こ、これは・・」
突拍子もない質問に驚いたのだろう。目を見開いたレイモンドはどう言ったらいいのかと言葉を選びながら、少し気恥ずかしそうに頬を染めた。それは肯定しているも同然だろう。その姿が可笑しくて思わず笑ってしまう。
「ふふふっ・・・なんでまた、彼の真似なんて」
笑いながら尋ねると面白くなさそうにレイモンドは眉を寄せて視線を逸らした。
「・・・・仕方ないでしょう。俺はあなたの好みがわからなかったんです。参考になるのは恋人だった彼ぐらいしかいなかったんですから」
たしかに私はアルフレドの自分を守りながら他者を思いやる話し方が好きだった。けれど、それは話し方が好きだったのではなく、彼なりの理由があったから好きだっただけだ。けれどレイモンドの目には彼の口調や仕草が好みだと考えたらしい。
(だから少しでも私の好みに近づくために口調を真似たのか)
今思えば、記憶を失って初めて団長と顔を合わせたとき団長がレイモンドの口調を笑っていたのはこのことなのだろう。いじけたようなその可愛らしさは小さな頃の彼の姿を思い出させる。間違いなく、彼は私の知るレイモンドだ。
「レイモンド、君は君らしい話し方でいい。ありのままの君が良いよ」
笑みをこぼしながら答えるとレイモンドは居心地が悪そうにしながらも逸らしていた視線を私に向けた。
「・・・・・もう、この話はいい。アリシア、君と2人で話したいことがあるんだ。場所を変えよう」
「あぁ、もちろんだ」
そのためにここに来た。照れながらも差し出してくれたレイモンドの手を取った。
「・・・・ここは」
風魔法を使ってレイモンドが連れてきてくれたのは、記憶を失った私にとっての始まりの場所だった。海の見える丘の上に佇む家。夕日が海面を照らし空は
今ならわかる。彼は教団という自分が生きづらい環境だけじゃない、心地いいと思える居場所をつくることが出来たんだ。それが目の前にあることがとても嬉しかった。
レイモンドは家の前にゆっくりと着地した。
「俺とあなたの家。あなたが記憶を失って初めて目覚めた俺にとってはかけがえのない場所」
少し懐かしむような目をしたレイモンドが家を眺めた。私にとっても目覚めて一ヶ月の時間を過ごしたこの家は大切な場所だ。たとえ仮初でも婚約者と穏やかな時間を過ごすことが出来た場所。
「そういえば、なぜ婚約者だと嘘をついたんだ?」
ふと疑問に思っていたことを口にした。たとえ核となる記憶を取り戻させないために正体を明かせなかったとしても婚約者と名乗る必要はなかったはずだ。
「それは・・・確実な関係のない男が側にいても、あなたは安心することもできないし頼ることもなだろう?俺はあなたを最も近くで支えたかった。記憶を取り戻すためにもあなたの傍にいることは必須だった」
たしかに、記憶がなく初対面の関係のない男性だったとしたらレイモンドに気を許すまで時間がかかっただろう。
「・・・でも、一番はあなたを他の誰にも渡したくなかったから」
真っ直ぐに綺麗なエメラルド色の目が私を見た。幼い頃と同じようでいてそうじゃない。その目にはかつての全幅の信頼だけじゃない、私を求める炎のような欲が見える。その熱量に反射的に身体を引きそうになったとき、そっと手を取られた。
「逃げないで。俺を見て」
「レイモンド・・」
逃げないで、なんて言いながら逃がすつもりなんてないのだろう。握られた手に力がこもったのが分かった。
「今のあなたに俺はどう見える?まだ、あの頃の何もできない俺のまま?」
「・・・・それは・・」
口にするのをためらった。意地っ張りで、寂しがり屋で泣き虫な小さな主。私の守るべき存在。その面影は残りつつも今私の前にいる彼は紛れもない大人の男性だ。あの頃のレイモンドはこんな風に私を求めるような目をしていなかった。
「俺にとってあなたは命の恩人、生きる喜びと希望を与えてくれたかけがえのない人だ。でも、それだけじゃない。この世界でたった1人、心から愛する人」
「・・・君のそれは、本当に男女のそれなのか?たまたま傍にいて親切にした人間が私だったからじゃないのか?」
レイモンドが愛情を示してくれていることはよくわかる。けれど、その感情が子供のころからの執着によるものなのではないかと感じていた。だからこそ、過去を思い出した今レイモンドの気持ちを知っても受け入れるのをためらった。けれど、私の言葉は逆効果だったらしい。
「俺を甘く見るな。親愛と異性愛の区別がつかないほど子供じゃない」
今まで見たことがないほどの色香を持った真剣な表情。今にも喰われてしまいそうなその雰囲気に思わず息をのんだ。レイモンドは跪くと私の左手の薬指に嵌められたままの指輪に触れるとそっと指輪を抜き取った。
「なにを・・」
自分でもとっさに止めたことに驚いた。仮初の婚約者の繋がりがレイモンドの手によって外され心もとなさを感じる。
「これは、あなたを守るための俺の誓いの証だ。けれど、もうこれは必要ない」
代わりにとレイモンドは懐から小さな箱を取り出した。そっと開けられた小さな箱の中には神の花の意匠を施した美しい指輪が入っていた。そこに込められた意味を悟って息をのむ。
「俺の愛は全て、あなたのために。どうか、俺の恋人になってくれませんか」
真摯な愛の言葉とその印。エメラルドの瞳がわずかな不安の色を浮かべて私を見上げている。
「私は・・」
最初に会ったとき、その境遇に同情した。見捨てられ、ひどい扱いを受けてもなお皆のためにとその命を捧げようとするあなたを心の底から守りたいと思った。記憶を失って何もわからなくなってしまった私の傍にいてくれた婚約者と名乗るあなたの存在が心のより所になった。あなたの言葉だけじゃない自分の存在すらわからなくなっても、それでも私を救うために戦いあなたは行動でその心を示してくれていた。
「君が、好きだ」
言葉はすんなりと口をついて出た。まるで蓋が外れたみたいに感情が溢れていく。
「私を探して見つけ出してくれて、私を救ってくれて、私を諦めないでくれてありがとう。私も君のことが好きだ」
エメラルド色の瞳が喜びに細められ、私の左手に愛の誓いがはめられた。陽の沈んだ丘の上、満月の月明りが抱きしめ合う2人の姿を静かに照らした。
これは、生贄となるはずだった男の子とそれを救った騎士との愛の物語
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。




