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WITH THE WIND  作者: レエ
おまけ
66/66

外伝② 月蝕

本編未読の方はまず本編をどうぞ~

 虫の囀る、静かな夜。

 庭に置かれた丸太に腰をおろして、僕は空を見ていた。

 満点の星空。

 中央に輝く、大きな銀色の月……。

 吸い込まれてしまいそうなあの光が、僕はとても、好きだった。


「何をしているんだ?」


 低く、だが優しい響きを持つ声が、背後から聞こえた。

 振り返ると、そこには僕の一番好きな、美しい人の影。

 今宵の空の闇よりも、もっともっと暗く深い色の髪が、夜風にさらりと揺れる。

 月よりも綺麗な、僕の宝物。


「オルシア。……あれ」


 僕は、天空を指した。

 巨大な円を描く神秘の星が、そこには浮かんでいる。


「月を見ていたのか」


「うん……今夜は月蝕なんだ」


 あの美しい月の光が、太陽の反射光なのだと教えてくれたのはオルシアだった。

 あれほど偉大で神秘的な星でさえ、誰かが照らしてくれなければ、自力で輝くことなど出来ないのだと……どこか寂しげに語った美しい横顔。


「月蝕か。……もうこれで何度目かな」


 苦笑混じりに呟くのが、この人の癖だ。


「僕は初めてだよ」


 だからだろうか。さっきから、胸が高鳴って落ち着かない。


「こんなところより、屋根に上がって見たほうが見やすいんじゃないのか?」


 予想外のその言葉に、僕は驚いた。


「え?でも、いつも危ないから上っちゃダメだって……」


「今夜は特別、だろ? 俺一人で屋根に上がるのも気が引けるからな」


 意地悪く微笑して、さっと身を翻す、オルシア。

 僕は慌てて立ち上がり、その後を追った。

 見慣れた黒いマントの後ろ姿。

 いつもどこか寂しそうな……長身の、その背。

 走り寄って腕に縋り付くと、細い指を持つその神経質そうな手で、僕の頭を撫でてくれた。

 大好きな、オルシア。

 二階の窓から、屋根に上がる。

 夜風が少し強くなって、肌寒い。

 思わず身震いした瞬間、僕は黒いマントの中にすっぽりと包まれていた。

 優しい腕の……温もり。

 屋根に並んで腰をおろし、僕はマントの中から顔だけ出して、空を見上げる。


「そろそろだな」


 目を細めて、オルシアが呟く。

 紫の瞳の中で、月は徐々に欠け始めていった。


「なんか、ドキドキするよね」


「そうだな」


「月がすごく、近くにあるように見える」


「……ああ」


 少しずつ、欠けてゆく月。

 闇に侵食されてもなお……美しい、その姿。


「ああ、消えちゃう」


 糸のように細くなった月。


「もうすぐ、だな」


 じっと、欠けてゆく月に見入る。


 やがて、月は完全に隠れ……そして、変化した。


「紅い……月」


 初めて見るその姿に、僕は呆然と呟いた。

 その耳に、静かなオルシアの声が、響く。


「太陽が見えなくなって……月が、寂しがっているんだ」


 皆既月蝕とは、月と太陽の間に地球が入り、地球が太陽の光を遮断してしまうことで月が翳るのだと、オルシアは言った。


「いつもあったはずの強い光が届かなくなって……それで、月が嘆いているんだ」


 月が、血を流して泣いている。

 孤独に怯え、傷ついているのだと……

 オルシアの目には、この神秘の瞬間が、そんなふうに見えるらしい。

 でも……


「違うよ」


 と、僕は言った。


「僕は……違うと思うな。ああやって……月はきっと自分で輝きだそうとしてるんだよ。太陽みたいな、赤い星になって……」


「……」


 静かな紫色の瞳が、僕を見た。

 優しい……でもいつも寂しそうな、その眼差し。

 意見を否定されて気を悪くしたのかと、僕は一瞬不安になったけど、次にやってきたのは穏やかな微笑みだった。


「お前の言うとおりだ」


 オルシアは言った。

 僕の肩を抱く温かな腕に、力がこもる。


「きっと、お前の言うとおりだな……マール」


 月は、一時紅く輝き、そして、また青白い姿を現し始めた。


「綺麗な色だね」


 僕は呟く。


「紅い月も神秘的だけど……僕はやっぱり、こっちが好きだな」


「うん、俺もだ」


 徐々に、闇が蒼く照らされてゆく。

 月の光の下で見るオルシアの横顔は本当に綺麗で……

 僕は、なんだかせつなくなって、その胸に頬を寄せた。

 いつまでそうしていたのだろう。

 気が付いたら、僕はベッドの上に居た。


「あれ?」


「ああ、起きてしまったのか」


 そばの机で本を読んでいたオルシアが振り返る。


「月蝕は?」


「もう終わったよ」


 その言葉に、僕は慌てて跳ね起きて、窓へと走る。

 月は少し傾いた位置に、真円を描いて浮かんでいた。

 一瞬、全てが夢だったのではないかという錯覚を覚える。


「オルシア、あの……」


「服に涎を垂らされてはかなわないからな」


 あ……


 よかった。やっぱり、夢じゃなかったんだ。


「お前はもう寝ろ」


 再び本に目を落とし、オルシアが言う。


「オルシアは、まだ寝ないの?」


「これが読み終わってからだ」


「じゃあ、僕も起きてる」


「……」


 迷惑そうに、振り返るオルシア。とっとと寝ろと、表情が物語っている。これ以上食い下がっても、いつもなら怒鳴られるだけなのだけど……


「仕方ないな」


 そう言って、オルシアは本を閉じた。

 これも、月が起こした奇跡かもしれない。


「一緒に寝てくれるのっ?!」


 思わず飛び上がった僕の前で、オルシアはまた苦笑を浮かべた。


「そんなに嬉しいのか、お前は」


「うん!」


 僕はめいっぱい、頷いた。


「今夜は特別、だろ?」


 優しい微笑み。

 僕の大好きな……少し、悪戯っぽい明るい笑顔。


「でも、涎をつけたら明日の朝食係はお前だからな」


「うん!」


「……お前は変な奴だな」


 窓から差し込む、蒼い光。

 その包むような輝きに、僕は心の中で御礼を言った。




   END

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