勇者と少女
いくつか羽振りのいい仕事が続き、金の溜まった僕らは海辺の町に宿をとって、優雅な休暇を楽しんでいた。宿のレベルも奮発しただけあって、床も壁も綺麗だし、白いバルコニーからの眺めは最高だ。
柔らかな朝日、心地よい潮風……。
そして、後ろを振り返ると、柔らかなベッドには一夜のヒロインがいた────はずだった。そう、ちょっと以前の僕ならば、間違いなく。
それが今はなんだろう。
ベッドには、確かにヒロインがいた。そう、わけあって今は男なヒロインが……。
「気持ち悪い……」
「頭痛い……」
「死ぬ……」
「……吐きそう」
目が覚めてからずっとそれを繰り返しているのは、美貌の大魔術師オルシア様である。そして、その横でずっと甲斐甲斐しく世話をやいている男はミルドレーン。二人ともいわずと知れた僕の旅仲間だ。夕べ三人で飲みに行って、僕は眠くなってしまったので一足先に宿に戻ったのだが、どうやらその後も二人で飲み続け、結果オルシアが悪酔いしたらしい。
「全く、底なしにのめるからって、安酒ばかり飲んだら胃もやられるだろうに」
溜め息交じりに僕が呟くと、けなげにオルシアの胸元……胸元?!────を擦ってやっていたミルドレーンが、キッと僕を睨んで立ち上がった。
「一人ですましてんじゃねーよ。大体、あの安酒場を選んだのはお前だろーが、カスミーロス!」
そう怒鳴られて、僕は内心ムッとした。普段、一番節約だ倹約だとうるさいのは、このミルドレーンなのだ。無駄遣いをすれば怒ることは目に見えていたので、わざわざ金のかからない店を探してきたというのに、そこで悪酔いしたのを僕のせいにするとはアンマリじゃないか。
「そう言うけれどね、ミルドレーン、大体君がついていながら、何で注意してやらなかったんだ。好きなだけ飲ませてやるよりも、こうならないように呑みすぎる前に止めてやるのが優しさじゃないのか?」
「それは……」
ミルドレーンは何か言いかけ、しかし、苦々しい表情で言葉を飲み込み、フイと横を向いてしまった。
一体なんだというんだ。
こいつ……まさかオルシアを酔わせて何かするつもりだったんじゃないだろうな。
「ミルドレーン、事と次第によっては────」
思わず彼に掴みかかりそうになったそのときだった。
「あー!ウルサイ!!頭に響く!!」
ベッドの中からそう叫ばれて、僕は怒りを押し殺した。
ミルドレーンのほうも、はっとしたように再びオルシアの傍らに膝をつく。
「すまない、大丈夫か?」
「ダメ、死ぬ。吐く……おえぇ」
「トイレ行くか?」
「……うん」
やれやれ、まったく……しょうがないな。
ここで争っても仕方が無い。
それに僕はなんだか、だんだん虚しくなってきたぞ……。
「ミルドレーン、オルシアのこと頼むぞ。僕は、二日酔いに効く薬でも買ってくる事にするよ」
「ああ、悪いな」
「ありがとう、カスミ……はうぅ」
トイレへと消えていく二人を見送って、僕は部屋をでた。
せっかく素敵な宿に泊ったというのに、落ち着いて休めもしない。
宿の主人に薬局の場所を聞いて、外へ出る。
潮の香の心地よい、爽やかな町並み。
本当はオルシアに、初めて見るという海をたっぷり満喫させてやるつもりだったのに、初日からこれではどうしようもないじゃないか。
「……っはぁ」
なんだか、あの二人を仲間にしてからというもの、僕の平穏はどこかに去ってしまったようだった。
毎日がハプニングだらけで、一人になれる時間も無くて……気の休まる暇が無い。
それでも……
僕はふと、微笑んでいる自分に気づいた。
めまぐるしい毎日。
誰かが傍にいてくれるから……時のたつのさえ忘れてしまう、日常。
このままの時が続けばいいと切実に願っても、いつかは終わってしまうだろう、この幸せな時。
今はまだ勇者ともてはやされていても、いつまで無事でいられるかも解からない旅の生活だ。未来など見えなくても我武者羅に生きていくことができるほど、僕はもう若くも無い。
歳をとれば取るほど体力的には不利になるし、いつかはどこかに身を落ち着けなければならないだろう。
そしてそれは、きっとそう遠い未来ではないはずだ。
オルシアは、いつまで傍にいてくれるだろう?
叶うならばいつまでも……
このままの三人でいられたらいいのに。
そんなことを考えながら一人街道を歩く。
美しい町並みも、一人で歩くと急に色あせて見える……そうだ、一人になる時間なんてあると、つい悲観的になってしまうのが、僕の悪い癖だったんだ。
全然……治ってないんだな。
「はぁ」
自嘲気味に溜め息をついたとき、僕はふと一つの気配に気がついた。
背後からじっと僕を見つめている視線。
つけられていたのか────いつから?
なまじ名前が売れてしまったせいか、時々僕を狙った刺客が現れたりする。
しかし……
それにしてはなんだか妙な気配だ。
というより、僕はこの手の気配も、よく知っている。
そう……まだオルシアもミルドレーンもいなかった一人の頃は、それこそ毎日のようにつけてきていたこの気配。
余裕を見せつつ、僕は背後を振り返った。
果物屋の木箱の山に、確かに何かが隠れたような気がする。
「僕に何か御用ですか?」
僕は背後を振り返り、視線を感じた方を向いてそう言った。
「こっそり後をつけるなんて、よくありませんね。そういうの、僕は好きじゃないな」
口ではそういいながら、柔らかく微笑すると、尾行の犯人は少し恥ずかしげに、そっと姿をあらわした。
年の頃は17.8。金色の髪と大きな青い瞳を持った、なかなかの美少女だ。
「あの……」
「何か?」
「いえ……その」
頬を赤らめて俯く少女。以前の僕ならまたかと思うくらいだったかもしれないが、今はなんだか新鮮な気分だった。
それにこの少女に、僕は見覚えがあった。
「君は宿屋のお向かいのお嬢さんでしょう?」
「え?!」
「窓から僕たちの部屋を伺っていたよね」
「あ……あの、すみません!カスミーロスさんってあの有名な勇者さまですよね?!」
「有名かどうかは知らないけど……ね。一応そう呼ばれてはいるかな」
「アタシ、感動して!憧れてたんですぅ!!まさかお向かいにお泊りになるなんて思わなくって、それで、つい……。覗くつもりじゃなかったんですけどォ」
「……別に怒ってはいないよ。でも、僕はこれから薬を買いに行かなければならないんだ。用が無いのなら、これで失礼するよ。では」
「あ、待って!あたしが案内します。一緒に……ついて行っちゃダメですかァ??」
それって、「案内」っていうのかな?と、僕は苦笑しながらも頷いた。
「構わないよ」
「ホントですか!嬉しい!アタシ、マナっていいます!きゃ☆」
やれやれ、元気のいい子だな。
「ところで、何のお薬買いにいかれるんですか?」
「……二日酔いのね」
「二日酔い?」
「うん、オルシアが夕べ呑み過ぎたらしくて、すっかりダウンしてるんだ」
「オルシアさんって、あの奇麗な魔法使いさんでしたっけ?」
「そう」
「あのぅ……あの方って、勇者様の恋人なんですか?」
「……は!?」
「えっ?えっ?ち、違うんですか?なんか……そんな噂を聞いたんですけどぉ」
言ってから恥ずかしくなったのか、マナは俯いてもじもじしている。
「勇者様?」
不思議そうに見つめるマナに、僕は努めて冷静を装って微笑み返す。
「やだなぁ、なんでそんなふうに思ったの?」
「ええとォ、勇者様についていろいろ調べている時に、この町のギルドのマスターに聞いたんですぅ。勇者様には奇麗な男の恋人がいるらしいって」
「……」
「あのう……違うんですか?」
オルシアの恋人だと思われるのは正直悪い気はしないのだが、如何せん世間の知るあいつは「男」だ。噂の発端はおそらくあの爆弾発言事件(第2話参照)だろうが、一体あの噂、何処まで広まっているんだ?!
僕は一気に脱力して、思わず溜め息をついた。
だいたい、オルシアがゲイだという噂が立つのはともかく、何でその相手が僕じゃないといけないんだ。僕よりもミルドレーンのほうがずっとそれらしいのに?!
そうとも、こんな不名誉な噂は、さっさと撲滅しておくに越したことはない。
「困るなあ、何処で噂が捻じ曲がったのか……。僕は女性にしか興味はないよ」
「え、じゃあ……」
「僕とオルシアはそんな関係じゃない。ただ、ミルドレーンはオルシアに惚れているみたいだ」
これは嘘ではないし、そこに多少問題があってもオルシアとの噂なら、ミルドレーンは喜んで放置しておくだろう。大体、あいつにははなっから、オルシアが男か女かなんて関係ないように見える。
「そうなんですかぁ?!良かった、じゃああたしもちょっと夢見ていいのかなぁ。キャッ」
「は…ははは」
「やだぁ、勇者様、ちょっと困ってるでしょ!失礼しちゃうーッ」
妙にテンションの高い少女を相手にかえって疲れた気分で歩いていると、程なくして薬屋に到着した。薬を買い求める間も、少女はニコニコと嬉しそうにずっと僕の横に立っていた。
正直、こういうタイプの娘は嫌いじゃない。恋愛の対象になるかどうかは別として、素直に"かわいい"と思う。
が、今の僕には、以前のように刹那的な関係を求める気分はまったくといっていいほどなかった。自分では以前と変わらないつもりでいたけれど……この少女の存在に戸惑いを感じている心が、そうではないことをはっきりと告げている。
「案内ありがとう、助かったよ」
そういうと、少女は心から嬉しそうに笑った。
「あたしこそ、憧れの勇者様といっぱいお話できて幸せ☆もう宿に戻りますか?だったら一緒に帰りましょう」
「そうだね、オルシアが待っていることだし」
「あー、やっぱり、オルシアさんのことが好きなんでしょぉ?隠さなくってもいいンですよ?そーいう関係もステキだもん☆」
「いや、オルシアが薬を待っているから……」
「はいはい、そういうことにしておいてあげますね♪」
ここでオルシアが女性だということを明かせれば、別にそう思ってもらってもまったく構わないのだが……なんでこんなことになったんだろう。
天を仰ぎたい気持ちでいっぱいになりながら、それでも不思議と笑みがこぼれた。結局のところ、僕がオルシアを気に入っていることにかわりはないのだ。それが恋愛感情なのか、それとも仲間としての友情なのかは別としても。
「御出立はいつなんですかぁ?」
宿の前につき、少女は明るい笑顔のまま、そう訪ねた。
「一応、明後日の予定なんだけどね」
「じゃあ、その前に是非、もう一度だけでいいから……お話してください。できれば今度は、他のお二人も一緒に。あたし、今日は本当に嬉しかったです。一生忘れません」
「……僕も楽しかったよ。必ず、二人も誘って君に声をかける。約束するよ」
「やったぁ!ありがとうございます!」
そうして、僕は少女に手を振って、宿の中へと入った。僕が扉の向こうに消えるまで、ずっと見送っていた少女。本当は、あんなふうに憧れてもらえるほど、僕は大層な人間じゃないのに。
「ただいま、薬買って来たよ」
そういいながら、部屋に入る。
「おかえり~、ありがとうカスミーロス、ごめんね」
少し青ざめた美貌にすまなそうな表情を浮かべ、オルシアは僕を見上げた。
いたずらを咎められた子供のようなその目が、なんだか可笑しい。
「いいんだよ、オルシア。でも次は少し自制すること」
「そうそう、美人が台無しだしな。……まあ、止めてやらなかったオレも悪かった。次は気をつけるよ」
苦笑混じりにそういうミルドレーンに軽く頷いて、僕は明けっぱなしになっていた窓を閉めようと窓辺に近づいた。
揺れるカーテンの向こう側に、少女の部屋があった。
まだ戻っていないのか、彼女の姿は見えない。
心の中で「またね」と告げて、僕は静かに木戸を閉めた。
たまにはこんな一日も、いいものかもしれない。




