焦燥
友人の河村との通話を終え、携帯を耳から離し通話終了を押そうとした時だった。
小さくかすかに、「待ってー」という声が聞こえた。
終了する直前だったので指を止めることが出来ず、通話は切れてしまった。
何か伝え忘れたことでもあったのだろうかと、高石は河村にメッセージを送った。
『ごめん、切っちまった。なんかあった?』
『何が?』
返信はすぐに来た。
『何って、「待って」って言っただろ?』
『言ってねぇよ。何それ』
河村は普通に通話を切っており、「待って」などと言っていないと言い張った。
なので、高石もそれ以上は聞かず、自分の空耳だったんだろうと納得することにした。
だけど、それ以来、通話を切る寸前に必ず「待ってー」という声が聞こえるようになってしまった。
通話の相手が誰かは関係なく、通話を終えようとする瞬間にその声が滑り込んでくる。
か細く小さな声だったそれは、だんだんとはっきり大きく聞こえるようになってきた。
高石は会話が終了したら間髪入れずに通話終了するようにした。「じゃあな」の言葉の直後にぶつっと切れる通話は、相手にはあまりいい印象を与えないであろうが、高石の友人は皆ガサツな男子高校生だ。「無礼だ」と怒るような奴はいなかった。
しばらくはそれで済んでいたが、今度は音楽を聴いていたイヤホンを耳から外す瞬間に「待ってー」という声が聞こえるようになった。
曲が終了して停止ボタンを押し、耳からイヤホンを外す僅かな合間に、声が滑り込んでくるのだ。
仕方がないので、音楽がまだ完全に終わっていないうちにイヤホンを耳から外し、それから停止ボタンを押すようにした。
そうすれば声は聞こえなくなったが、高石は憂鬱で仕方がない。今度はどこから
「待ってー」という声が聞こえてくるかわからないからだ。
昨日、街中で聞こえた「待ってー」という声は、単なる雑踏の中の騒めきの一つであって、この現象には関係のないものだと思う。そう思いたい。
気にしなければいいのかもしれないが、どうしても気になってしまう。
だって、なんだかいつか誰かに追いつかれてしまいそうな気になってしまうではないか。