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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
花患いと竜の禊病
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   *




 地面から湯気が出そうなほど蒸した気温に汗が止まらない。

 それでも太陽の日差しを木々が遮り、土が熱を緩和していることを思えば、山道は幾分涼しいと言えた。


 暑さに早くなる奏の呼吸音を聞いて、横を歩いていた理人がその歩調を僅かに緩めた。

 推し量るような気配の読み方があの頃と同じだ。汗を拭って、奏は少し笑った。


 奏が理人と島を出た、あの日。

 理人の父が奏の母と電話で話をしていたことを、後になって奏は知った。


 母に奏を惜しむ気持ちがないことを確認するための電話で、母はその時、娘が家を出るつもりであることを知ったという。


 彼女は奏を連れて行くという九々重に異論を唱えなかった。それを受けて、理人の父は本当の意味で息子の旅立ちを承知したのだ。


 その後の始末は、理人の両親と九々重の一族によって速やかに行われた。

 島から子どもが突然二人も消えたことも、いつの間にか奏の後見人が理人の両親になっていたことも、何も問題にならなかった。


 母は、言葉通り男を作って島を出た。今はもう、どこで暮らしているのかも分からない。


 母から最後に渡された通帳には、子どもには過ぎるほどの大金が入っていた。

 奏が家を出たその日に突然振り込まれたもので……つまり母は、家を捨てる娘のために自分の口座から奏の口座に預金をまるまる移したのだ。


 母にとっては手切れ金のつもりだったのかもしれないが、奏はそれを、母が最後に自分にかけた情けであったと思っている。


 そっと理人の横顔を伺うと、やはりしきりに汗を拭いながらも、前方から吹いて来た風に目を細めていた。


 理人があの頃の決断をどんな風に思っているのか、奏には分からない。どうも変に負い目を感じているらしいらしい事は分かるが、それが後悔でなければいいなと奏は思う。


「わぁ」


 切り通しを抜けると、目の前に海が広がって奏は声を上げた。


「海だ!」


 風に潮の香りが混じっていると思ってはいたが、こんなに近くに海があったなんて。

 車道に合流する広く大きな道は、緩く下っていてまるでそのまま海に飛び込めそうなロケーションだ。


 わくわくするような感動に居ても立ってもいられなくなって、奏は衝動のまま駆け出した。

 遮るもののなくなった日差しが体を焼く。熱のゆらめきが見えるほど熱くなった地面を思い切り蹴って進む。


 気持ちがいい。楽しい。ああ、なんて幸せなんだろう。


 泣きたくなるような開放感に胸がいっぱいになって、奏は走り続けた。

 子どもだけの旅路は苦労も多いけど、それでも今、奏はとても幸福だった。


 始めの頃は泣いてもいい、という環境が理解できずに戸惑ったり、安心したからこそフラッシュバックする幼い日の怖い思い出に苦しんだりしたが、それも少しずつ落ち着いて来た。


 喧嘩したり、我が侭を言って呆れられても、理人は絶対に自分を見捨てない。そのことが時間をかけて奏を心強くさせていったのだ。 


 息を切らせて立ち止まる。


「理人!」


 振り返ると、理人がこちらを見て微笑んだ。


 私に人生を差し出したひと。助けると言った言葉を実現してみせた、私の九々重。

 あなたが私を助けたように、私もきっと、あなたを助ける存在になるから。


 大きく息を吸い込んで、奏は理人に向かって叫んだ。


「理人、ありがとう!」


 助けに来てくれて。私のために人生を急いでくれて。

 お母さんから私を解放してくれて。島から出してくれて。


「ありがとう。私──」


 声が詰まって、思いがけず涙が零れた。

 かすみ草、カンパニュラ。白と青の花が強い海風に吹き飛ばされて理人に向かって行く。

 言葉よりも先に思いが理人に届きたがっているみたいだ。

 涙のまま笑って、奏は再び口を開いた。


「生きていて、良かった!」


 理人の瞳がまんまるに見開いて奏を見つめる。ふいに泣き出しそうな顔を作って、それから懸命に笑ってみせた。

 理人の足下を、かすみ草とカンパニュラの花が元気よく転がっていく。


 ──神さま。私にまぼろし病をくれてありがとう。


 こっそり呟いて、奏は心優しい友人の元へと戻っていった。




                 <蒼衣奏/花患ヒ 未ダ治ラズ>

                 <草音理人/竜ノ禊病 完治後、後遺症ノ疑イ有リ>


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