開廷
……時は、現在に戻る。
礼拝堂前の円形広場には、いくつかの燭台が持ち寄られ、橙色の淡い灯火が、居合わせたものの顔を、夜闇にぼんやりと浮かび上がらせる。
礼拝堂の玄関を中心に、半径十メートルほどの石畳の空間を、無数のヴァンパイアが取り巻いている。
もちろん、日曜のバザーやルチアの作った野菜の販売を行ったりする程度の小さな広場に、浦戸中から集まったヴァンパイアたちが収容できるはずもない。彼らの中でも代表的な者や雹夜と面識のある者が地上に降り、他のもので空が飛べる者は礼拝堂の上空で、飛べない者は広場を遠巻きに囲い込むように待機している。
まさしく『黒山の人だかり』といったありさまで、燭台の明かりも手伝って、それこそ悪魔の主催する黒ミサか、魔女たちの集うヴァルプルギスの夜かといった雰囲気である。
そして、頽廃的な秘密の儀式じみた印象をさらに強めているのが、広場の中心で、椅子に鎖で縛りつけられた美芳の存在である。
首を垂れ、気絶しているらしい美芳は、雹夜の指よりも太い、錆びついた銀の鎖でがんじがらめにされている。もちろん、そうでもしなければ、身体強化の力を持ったヴァンパイアを拘束しておくことなどできないからである。
深い夜色の髪は、三つ編みにしていたせいかゆるく波打っていて、白く整った顔や華奢な身体に落ちかかるさまが、そこはかとなく艶っぽい。
こうして見ると、初見で美芳のことを野暮ったいだとか、アルトやかるらやルチアといった面々に比べると個性が薄いだとか思ったことが不思議に思えてくる。
それとも、そんな錯覚すらもこの少女の超自然的能力のなせる技だったのだろうか。
雹夜は、礼拝堂玄関の石段に腰かけて、燭台に照らし出された、鎖にからめられた美しいヴァンパイアの少女をじっと眺めていた。
見惚れたくなるような耽美的な光景であることは否定しないが、雹夜の頭を占めるのはそれとは別のことだった。
と、
「――ヒョウヤ。もう済みましたよ」
礼拝堂のがたついた木戸を開けて出てきたのはアルトだった。
「ありがとう。ルチアの様子は?」
「無理させられたから、やっぱりすごく疲れてます。かるらさんと中に運んで、寝てもらいました」
「そうか……助かったよ」
「いえ……ワタシもルチアさんにはお世話になってますから」
「じゃあ、そろそろはじめるか」
雹夜は膝に手を当ててぐっと立ち上がる。
雹夜のその動作に、広場を取り囲むヴァンパイアたちの間にさっと緊張が走った。
雹夜はヴァンパイアたちをゆっくりと見回し、最後に左右――礼拝堂の扉の両脇を見た。
雹夜の右側にはかるらが、左側には氷雨が、それぞれ壁に背を預けて立っていた。
二人の視線は油断なく、拘束された美芳へと向けられている。
黒いフードをかぶったかるらと忍び装束に身を包んだ氷雨とは、さながら王の身を影ながら守る熟練の護衛者といった様子だ。
雹夜が近づくと、気絶していた美芳が目を覚ました。
「くっ……これは……」
動かない手足に、自分の置かれた状況を把握した美芳は、いまいましげな視線を雹夜に向ける。
雹夜はその視線をあえて無視し、
「王の名の下に、吸血鬼裁判を開廷する!」
取り囲む聴衆に向けて宣言する。
おおおおおぉぉぉっ……!
広場を地上から空中から包囲する無数のヴァンパイアが雄叫びを上げた。
浦戸の夜空に響く時ならぬ鬨の声は、聴覚以上に、居合わせたものの身体を激しく揺さぶり、三半規管を攪拌する。
あまりの音量に、雹夜たちのよって立つ地面すらびりびりと振動している。
「なっ……、な……っ」
美芳は顔色をさっと青ざめさせて口をぱくぱくと開閉させている。
夜の貴族たちの雄叫びは数分も続いた。
日常生活に適応するために、ヴァンパイアは自らの素性と力とを押し隠して暮らしている。
その抑圧されたエネルギーが時を得て爆発したのだ。
雄叫びはゆっくりとフェードアウトするように弱まっていき、今度はしわぶきひとつためらわれる完全な沈黙が広場を支配した。
「何なんですか……これはいったい、何なんですかぁっ!?」
美芳が、涙すら浮かべてそう叫んだ。
「言ったろ? これは裁判だ。この国には吸血鬼を裁く法は残念ながらねえ。ヴァンパイアは自治への干渉を拒んできたし、国としても超自然的能力を持つヴァンパイア相手にことを構えたくなんてねーからな。かといって、社会に害なす吸血鬼を放っておくわけにもいかねえ。吸血鬼が野放しにされるような状況になったら、さすがにこの国もヴァンパイアとやりあう覚悟を決めざるをえなくなる。だから、ヴァンパイアの問題はヴァンパイア自身で解決するってのが、暗黙の了解になってんだよ」
「そんなの……私刑じゃないですかっ!」
「国の司法が課す刑罰だって、手続きが整ってるってだけで、本質は一緒さ。人を裁くなっていうイエスの言葉は正しいと思うが、それでもやはり、裁かねーわけにはいかねーことだってあるんだ。だから、私刑だと言われようと――おまえにそんな資格があるのかと言われようと、こうなった以上、見すごすわけにはいかねーんだよ」
「……っ」
美芳はくやしげに奥歯を噛んだ。
「で、でも……どうしてあなたなんですか? 人間である先輩が、どうしてこれだけのヴァンパイアを従えられるんです? いえ、そもそも、どうしてこの街にこんなにたくさんのヴァンパイアがいて、先輩の合図で集まってきたりするんですかっ!?」
焦りもあらわに噛みついてくる美芳に、雹夜は小さく嘆息した。
「おいおい、そこからなのかよ。この街で吸血鬼事件なんて起こすからには、それだけの覚悟があるもんだと思ってたんだが」
「意味が……わかりません」
「この街は、知る人ぞ知るヴァンパイアの隠れ里なんだよ。むしろ、どうして知らなかったんだ? 俺はてっきり、浦戸に棲むヴァンパイアや吸血鬼ハンターをまとめて相手にする準備があるもんなんだと思ってたぞ。とんだ拍子抜けだ」
「だってそんな……っ。力だって目覚めたばかりでわたしは……!」
「ははぁ。人間だと思って育ってきたのに、ある日突然『目覚め』ちまったパターンか。それで調子に乗って吸血鬼事件まで起こしちまった、と」
「ぐっ……」
美芳の顔が羞恥で赤く染まる。
こうして見ると美芳は妖艶というよりはむしろ幼稚な印象で――まだ男を知らない乙女が、知らないが故にかえって男を挑発し、未知なるものへの恐怖と相まって、過剰なまでに残酷にふるまっていただけ、というようにも思えてくる。
「それでも……どうして先輩が『王』なんですかっ!? おかしいじゃないですか! 人より優れた力を持つヴァンパイアが、ただの人間である先輩に忠誠を誓っているだなんて! やっぱり、何かのからくりがあるんでしょうっ!?」
「まだ言ってるのか。からくり? んなもん、あってたまるか」
「そ、そうだ……! あの天秤は何だったんですっ!? やっぱりあれを使って――」
「おまえだって見ただろう? あれはただの記念品だよ。ま、一種の護符のようなものではあって、あれを体内に収めてる間は、ヴァンパイアからの魅了や暗示を跳ね返してくれるんだけどな。だから、俺があれを手放している間なら、おまえの力は俺にも効いたはずなんだよ。残念だったな」
「ぐっ……! じゃあ、本当に、特別なことは何も――?」
「俺はただ、おやっさんの教えを守りながら、自分らしく生きようとしてただけだ。そしたら偶然、こんな立場に祭り上げられちまうことになった」
「そんなバカな話が――」
「あるんだよ。ま、『王』だなんていうと格好つけすぎだな。実質、体のいい雑用係みたいなもんさ。それでも多少の色気を出すんなら……そうだな、トラブルシューターってところか?」
「……そんな……っ」
ヴァンパイアはそれぞれに我が強く、自らの力を頼りとし、他人の意図に従うことをよしとしない。
それを貴族的な気高さと捉えることもできれば、逆に他人と調和することをしない迷惑な隣人たちと見ることもできる。
結局、自主独立を旨とするヴァンパイアにとって、協調性とは単なる惰弱にすぎないのだ。
一年前、浦戸のヴァンパイアたちが大きな転機に直面した時にも、ヴァンパイアたちは己の意見を曲げようとせず、まとまるどころかヴァンパイア同士での力による内紛まで起こりかねない事態になった。
「先輩は……ただの人間じゃないですか!」
「そうだ。でも、それがよかったんだろうな。ヴァンパイアにとって取るに足らない存在――力を使って対峙するまでもない存在だったからこそ、俺が彼らの間に立って仲裁する道が拓けたんだ。ここに――」
そう言いながら、雹夜は自分の胸を拳で叩いた。
「ここにあるものは、まさしく俺を象徴してるんだ。恐ろしく重ったい、ヴァンパイアという名の錘のバランスを取るための天秤――それが俺だよ」
〈王〉といえば格好いいが、君臨しているというより板挟みにあっていると言った方が近い。浦戸に住むヴァンパイアたちの勢力が均衡しているからこそ成り立つ危うい支点……それが今の雹夜の――浦戸王の立場だった。
――雹夜には力がない。
だからこそ王となることができたのだが、同時に王たるの資格を欠いているともいえる。
「……俺は単に、身近な連中が殺しあいをするのなんて見たくなかっただけなんだけどな」
雹夜は苦笑する。
何かの冗談のように突然手の中に舞い込んできた地位と権力にどう向き合えばいいのか――雹夜自身、明確な答えはまだ見つけられていない。
それでもやってこられたのは、ひとえに幼い頃に出会った地中海の魔王(当時はそんなこととは知らなかったが)ジュリオン・ソラーレから授けられた薫陶のおかげだと思う。
幼いアルトをかばおうとしてかばいきれなかった雹夜が、今では浦戸に棲むヴァンパイアたちを統べる王となっている。
(まったく……人生何がどうなるかわかったもんじゃねーな)
その地位のもたらす重圧に潰れそうになることもあるが、かるらや氷雨やルチアや司教や――その他、この場に駆けつけてくれたヴァンパイアの知り合いたちに助けられて、この一年、どうにかこうにかやってこられた。
ヴァンパイアでない自分にとって、彼らのもめごとはある意味では他人事なのかもしれないが、
(……俺なんかを見込んで、表と裏とを問わず助けてくれるこいつらの役に立てるってんなら――俺にできることはなんだってやるさ)
だからこそ――この街に棲むヴァンパイアたちの平穏な生活を脅かし、ひいてはヴァンパイアの最後の隠れ里である浦戸の地位を危うくする吸血鬼を、赦すわけにはいかないのだ。
「そんな――そんなことが、できるわけ……」
美芳はまだ、疑わしそうな顔で雹夜を睨んできていたが、これ以上の問答に意味はないだろう。
言うだけ無駄――という以上に、言えば言うほど頑なになってしまうにちがいない。
「……鏑木さん、始めてください」
雹夜は広場を取り囲む群衆に向かって声をかけた。
すると――
「――っ?」
群衆の中から、『影』が浮き出した。
少なくとも、美芳にはそう見えただろう。
鏑木景斗――存在感を消し去り周囲に同化する彼の能力は、半ばは超自然的能力によるものであるが、残りの半分は彼自身の持つ特殊な素質によるのだという。
浦戸署に棲む幽霊――そうあだ名される彼の容貌は、意外にもごく平凡なものだ。
年齢不詳、中肉中背で、平均的か、あるいはやや整った部類に入るだろう目鼻立ち。
が、その顔をじっと見つめていると、目の焦点が徐々に合わせられなくなり――注意力の弱いものならば、いつのまにか彼がそこにいることすら忘れてしまう。
捜査では尾行や張り込みにおいてその真価を発揮する刑事だと聞いている。
「ああ……雹夜君。といっても、今回は通り一遍の情報しかないよ……? 何せ急だったからね……」
「たしかに鏑木さんの力を使う場面はなかったかもしれませんけど、それ抜きでも俺は鏑木さんの刑事としての能力を買ってますから」
「おだてないでくれ……僕は目立つのが苦手なんだ……」
ぼそぼそと答える鏑木刑事に雹夜は苦笑する。
彼はいつもこうだ。どんな刑事よりも有用な情報を拾ってくるのに、決して手柄顔をしない。
彼はいつだって事件解決の鍵となる情報を見つけ出し、それを捜査会議でも報告しているのだが、彼の報告の重大性はその場では滅多に気づかれず、従って彼の手柄だということも意識されないうちに、いつのまにか捜査の主力な「線」を作りだしているのだという。
(確かに――)
鏑木刑事の独特のかすれたような声音は、聞き取りにくいようでいて不思議と耳に染み入ってくる。その場にいるヴァンパイアたちは囁くような鏑木刑事の声に耳を惹きつけられながら、しかし同時に鏑木刑事に意識の焦点を合わせることができないことに戸惑っていた。意識できないだけに、鏑木刑事の語りはさながら姿なき聖霊の声に耳を傾けているような、奇妙な心地よさをともなう幻覚をもたらす。
それはともかくとして、鏑木刑事の報告する内容は明瞭にして簡潔だった。
吸血鬼事件は二件――一昨日の夜、妊婦が襲われかけた事件と、昨夜美芳の従兄弟である青年が自室で血を吸われて死んでいるのを発見された事件だ。
それに加えて、つい先ほどルチアを操ってかるらに降魔の塗油を施させ、アルトを殺させようとした件についても改めて情報の整理が行われた。
「以上だ……」
報告を終えた鏑木刑事が一礼して下がると、その姿は広場を取り囲む群衆の中に溶け込んで消えてしまった。もちろん、その場にいることは間違いないので、意識して探せば見つけられるはずだし、呼びかければ答えてもくれるだろう。
報告を聞き終えて、雹夜の中にあった疑問がはっきりとした像を結んでいた。
もっとも、それが雹夜自身の直感なのか、鏑木刑事のつかんだ事件の「感触」があの独特の語りを通して雹夜の潜在意識に染みこんできたのかは何ともいえない。
が、仮にこれが鏑木刑事に由来する「感触」なのだとしても、天秤である雹夜自身の感覚との間に矛盾がない以上、問題はない。雹夜は鏑木刑事という「錘」の重さを既に知っている。
「……なんで殺したんだ。血を吸うだけなら、殺す必要はねーだろ」
美芳自身の従兄弟が被害者となった事件では、被害者は血を吸われて失血死している。
この事実は、今回の吸血鬼事件の中で、そこだけ「重く」感じられる。
人が死んでいるから……ではない。
たとえばこれが殺人事件なら、そこに人の死があることに問題はない。どころか、そうでなければ殺人事件とは呼べない以上、殺人事件における人の死の「重さ」は事実上ないのである。
が、これは吸血鬼事件だ。事件の性質はおのずと異なる。
守良美芳は、血を吸うだけなら殺す必要はないのに、被害者をあえて殺したのである。
「…………」
雹夜の問いかけに、美芳は顔をうつむけたまま答えない。
「被害者である鴇田孝弘は、あんたの従兄弟だったな。それも妙なんだ。血だけが目的なら、発覚を避けるために顔見知りを狙ったりはしねーはずだ。俺があのときあんたを疑わなかったのは、その先入観があったからかもしれねーな」
「…………」
美芳はふてくされたような表情で、地面に落ちた自分自身の影を見つめている。
燭台の炎でできた影は終始輪郭が揺らめき、明確な像を結ばない。
美芳のその様子は、自分自身の心が自分でもわからず、途方にくれているようにも見える。
「……なあ。答えてくれねーか? 俺は、今回の事件は、厳密な意味では吸血鬼事件じゃねーと思ってるんだ。
たしかに、鴇田孝弘が死んだのは、度を超えた吸血行為による大量失血のせいだ。だが、致死量の血を飲みきるってのは、生半可なことじゃねえ。ヴァンパイアが血から生気を得るときには一種のエクスタシーが伴うらしいが、それにしたって、人を一晩で失血死に追い込もうとしたら、二リットル以上は血を奪わなくちゃならねえ。
が、吸血鬼事件が起きたにしては、現場は綺麗なもんだったらしい。被害者の首から胸にかけてと枕とが、真っ赤に染まってたんだったか。一見派手だが、出血したはずの量にくらべりゃ全然足りねえ。出血量は控えめに見積もっても二リットル、対して、現場に残されてた血の量はコップ一杯といった程度だ。
じゃあ、被害者から失われた大量の血液は、いったいどこに消えたんだろうな? 答えは簡単だ。犯人である吸血鬼――そう、守良、おまえは、成人男性として標準的な体格を持つ鴇田孝弘の致死量に当たる二リットル近い血液を、飲み干したにちがいねーんだよ」
「……だから?」
「吸血鬼にとって、吸血行為は生気を得る行為であると同時に、快楽のための行為でもある。が、どちらにせよ、一度に吸う血の量は極力抑えるのがふつうだ。
吸血鬼にとって、血ってのは強い酒みたいなもんなんだってな。一度に大量に飲むと、体内で分解しきれず、酷い悪心に襲われる。
それに、快楽もすぎれば苦痛ってのは、吸血鬼に関してもあてはまる話らしいな。普通の人間にとっての性的快楽と同じで、昂まりすぎても辛いらしい。
要は、吸血鬼が一回に吸う血の量には、おのずと限度があるってことだ。限度というか、無理なく愉しんで飲める適量ってもんがあるわけだな。それこそ酒と同じだと聞く。
だから、ふつう吸血鬼は、気に入った相手を見つけると、生かさず殺さず、何回にも分けて吸血行為に及ぶ。そうすれば、相手も失った血を造りなおすことができるわけだから、長期的に見れば断然トクだ。……そうだったよな、かるら?」
雹夜は礼拝堂の壁に背をもたせかけていたかるらをちらりと見る。
かるらは腕を組み、片目をつむったまま、
「……そうね。吸血鬼ってのはなかなかマメな連中ではあって、これと決めた相手の元に夜毎通ってくることが多いの。もっとも、吸血鬼が相手にどんな感情を抱いてるかなんてわからないけどね。毎年おいしい実をつける柿の木を、秋ごとに訪れるような感覚なのかもしれない。それとも、美しく咲く花をもぐことに、倒錯的な悦びを感じているのかしらね。ともあれ、その習性のおかげで、世の吸血鬼ハンターは楽ができる。ヘルシング博士じゃないけど、被害者を見つけて網を張ってれば、向こうからやってきてくれるんだからね」
かるらの言葉に、雹夜がうなずく。
「……何が言いたいんですか」
美芳がいらついた様子で言ってくる。
雹夜はそれにはとりあわず、続ける。
「にもかかわらず、あんたは鴇田孝弘の血を、一晩で吸い尽くし、ついには殺してしまった。なんで、そんなことをした?」
「…………」
「俺の考えじゃ、今回のことは、厳密な意味では吸血鬼事件じゃねーんだ。これは本質的な意味ではむしろ――殺人事件なのさ。
鴇田孝弘を襲った吸血鬼は、鴇田孝弘に対して、愛憎半ばする激しい感情を抱いていたはずだ。その吸血鬼にとって、血を飲むことは快楽の具なんかじゃねえ。本人にしかわからない、何らかの意味を持つ儀式的な行為だったにちがいねーんだ。適量をはるかに超える量の血を、激しい悪心に襲われながらでも飲み干さなきゃならねーような、切羽詰まった欲求があったはずなんだ。
とはいえ、俺にはそれ以上のことはわからねえ。あんたと鴇田孝弘との間に、どんな関係があり、それがどのように破綻して、今回のことが起こったのか? それはあんたしか知らねーことだよ」
美芳は唇を噛みしめ、地面に映る自らの影を見つめている。
だが、その様子は、先ほどまでの、自分自身の心の在りかがわからずに戸惑っているような危うげなものではなくなっていた。むしろ、目の前につきつけられた選択肢をめぐる、現実的な葛藤に苦しんでいるように見えた。
雹夜はただ待った。
恐ろしい数のヴァンパイアに包囲された礼拝堂前広場に、重苦しい沈黙が下りる。
たっぷり数分はかかっただろうか。
美芳がついに口を開いた。
「……わかりました。話せばいいんでしょう……」
美芳は小さく嘆息すると、すべてをあきらめたような口調で語りはじめた。




